7.成り代わられた子息の暗躍
これではまるで監視というよりも、身分の低い平民が雲の上の存在のような公爵令嬢に恋い焦がれてつきまとっているみたいではないか。
“エルヴィス”もといリオはふとそう思った。
リオは何日も洗われることなく泥水にまみれたズボンとシャツ、そしてどこから拾ってきたのか身体に合わないサイズのジャケットを着て同じように薄汚れた帽子を被っている。
その視線の先にいるのは、今現在”エルヴィス”を名乗る女だった。由緒正しき家柄でありながら不正にまみれたルチダリア家のご令嬢。唯一の跡取り。いずれ彼女が婿をとって血を継いでいく、と言われている。
彼女は今、ウィリアムという同い年くらいの従者を従えて馬車に乗り込んでいる。
その馬車を追うべく、リオは帽子を深く被り直して走り出した。
偽者が隣国から帰ってきてから、最初にその姿を目にしたのはエルマーの執務室だ。
隠し部屋に隠れたリオは、本棚の隙間から一部始終を見ていた。偽者がエルマーに学園の報告書を提出し、聞かれたことに単調に答え、隣国での行動を諌められて眉を顰め、取り繕うこともなく早々に機嫌を損ねた姿を。
そこでリオは覗き見ることを止めて、おとなしく隠し部屋で静かに過ごしていた。
なかなか趣味の良い本が揃えてある部屋で悠然と読んでいると、眉を寄せていつになく疲れたような表情をしたエルマーが大きなため息を吐きながら入ってきた。
その後、リオが見ていない間のことをハリスに聞いてみると、隣国で監視されていたことに気付いた彼女の機嫌は更に急降下したようで教養の欠片もなく退出したらしい。そして、その機嫌の悪さを全方面に放出しながら王宮を去ったとか。
少し眠るから出ていってくださいと呟いたエルマーの言う通り、リオは偽者が提出した報告書を読むために執務室に戻った。何度目かの思わずこみあげた笑いを今度は抑えきることができず、けれど笑い声だけは抑えながら笑ってしまった。
自分のことながら性格が悪いなと思うけれど、生まれた時のまっさらな心のままで育ってくることなんてあり得ないし、リオの腹の中は真っ黒よりも真っ黒で白を弾くどころか寄せ付けもしないだろう。
そもそも神経が図太くなければ異国を渡り歩きながら9年も過ごすことなどできやしない。ある程度の教育を受けた後でも、異国での暮らしはリオの価値観を変えた。
ただし、本質は何も変わっていない。
やるべきことがある。
ルチダリア家の本当の跡取りとして、膿は処分しなければいけない。
偽者が向かった先は王都では有名な服飾店だった。ガラス張りになっているので、中に置いてあるいくつかの生地と刺繍糸などが見える。
取り扱っている商品は王都にあるお店の中では最大級で、店の奥にも商品はあり、大口の常連の客を店の奥の部屋でもてなすこともあるそうだ。
さすがに店の中までは入っていけないので、向かいにある陰の暗い路地で待つことにした。店の前に馬車が止めてあるので邪魔なことこの上ないが、店の様子が最低限見ることができる場所にいる。
昨夜遅くに雨が降っていて、行く先を推測しながら先回りするように走っていたリオにはこれまたいい感じに泥水が跳ねている。見つかっても身を寄せて首をすくませてうつらうつらと身体を揺らしていれば、酔っぱらいがうずくまっているのだと怪しまれることはないだろう。
偽者が着ているドレスは一目見てわかるくらいに高価なものばかりで、ここ最近は宝飾品をつけていないこともあるそうだが、一時期は毎回毎回違うジュエリーをつけていたそうだ。
貴婦人を見るたびにそれは必要なものなのかとリオは不思議に思っている。いや、着飾る必要があるからこそつけていることは理解しているが、リオ個人としてはただの物だ。物をそんなに身につけて着飾っても中身が伴わなければ意味がない。
それを参加した夜会の後にエルマーに言ってみると、中身があっても着飾って見栄を張らなければ舞台にも立てないのでしょう、と返された。
これは面白い答えだとリオは思ったが、同時に全ての貴婦人を敵に回すかもしれないと思い、これは二人だけの秘密にということになった。
ちらりと通りを見ると、配慮もなく置いてある馬車を嫌そうに見ながら通り過ぎていく人が多い。
店に入って無遠慮に生地を見ていた偽者は、ルチダリア公爵令嬢が来たと知って出てきた営業の笑顔を崩さない店主の男に話しかける。
生き生きとしている表情のヴィオレットとは反対に、店主はかろうじて笑みを浮かべているが我慢しきれなかった頬が一度だけピクリと動いた。けれど、笑顔を貼り付けた店主はヴィオレットを店の奥に連れていった。
もっと質の良いものを探しているか、それとも新しいドレスを作らせたいか。
今はわからないので、後で確かめてみるしかない。
ルチダリア公爵領にも、ヴィオレットがいない間にリオは老執事と共に訪れていた。
王宮で聞いた話では、公爵領は酷い有り様らしかった。
当主夫妻の贅沢のために税が重くなり、生活が困窮した領民が夜逃げしていくこともあり、収入が減ってさらに税が重くなる。人手が足りないから農作物も十分に育てることができず、食べ物が足りない。直談判しようにも公爵領にいるのは代理の執事と名ばかりの使用人だけ。当主は重税を押し付けるばかりで一切領の経営に見向きもしないで王都で贅沢を極めている。高利貸しが流れ込んで、高い金利をつけては借金を膨らませていく。治安も悪くなり、領民は疲弊している。
その状態ではルチダリア公爵領は一年ももたないだろうと言われていた。
実際、それは本当の有り様だった。
老執事が案内した領地は浮浪者が彷徨いていて、枯れた土地の方が目につく。 領民も異様に少ない。これが公爵領とは、領主がクズ以外の何者でもないと証明しているようなものだと実感した。
その後、公爵領の地図を頭に入れていたリオは全てを回って王都に帰った。
とりあえず老執事とちょっとした縁続きにあるという代理の執事には、老執事からの、ということで指示を出しておいた。
もしリオが無事に”エルヴィス”に戻れたとしても、領民からの信用を得ることができなければ意味がない。そもそも偽者であったことを暴露して非難されるとしても、本物が無条件に歓迎されるとは限らない。
本物だということは、リオの血筋は間違いなく現ルチダリア公爵当主夫妻なのだから。
憂鬱な思いを抱きながら店を確認すると、ウキウキとご機嫌ぶりを隠さないヴィオレットが馬車に乗り込むところだった。
それを見送る店主は、表情は硬いがそれでも笑顔だ。奥の部屋で彼女の対応をしていたのだろう奥方は、にこやかに微笑みながら店内で見送っている。
買い込んだのか、それとも無理難題が通ったのか。
この前も、偽者の”エルヴィス”はルチダリア公爵家に入った年若いメイドを未熟者ゆえに1日足らずで辞めさせたそうだ。紹介状は書いてくれたものの、そこには無作法な粗忽者だから品位を下げるためならば雇った方がいいでしょうと書いてあったとか。
彼女は貧しい下級貴族の娘で病気の弟を抱えていた。治療にはお金がかかる。次の働き手見つかって出ていったのか、それどですとも働くことができずについに家を手放したのか。以降、彼女たちの姿を見た者はいない。
酷い横暴ぶりだと眉を顰める者は覆い。けれどこういうことは少なくないそうで、偽者の評判はリオが落とす必要もないくらいに落ちている。だから、いい年齢なのに婚約者もいない。
婚約者に関しては、第一王子の婚約者候補から外された時点で当主夫妻が見つけようとしたらしい。しかし、偽物自身がそれに異を唱え、納得できるような相手を見つけると声高だかに宣言したとか。
この日1日、リオは馬車を追いかけ、偽者がルチダリア公爵家に帰ったところで今日の監視を終了した。
今日のように偽者の監視をすることが時々ある。
しかし、ほとんどの日はエルマーと情報を照らし合わせているか隠れ家に引きこもっている。
その家に帰り、リオは早速手紙をしたためようと書き物を用意した。
『ルチダリア公爵家を建て直し、もう一度王家に絶対の忠誠を。これだけは必ず守れ。そのためには全てを犠牲にしろ』
8歳の時に別れてしまい、二度と会うことがなかった祖父の言葉は、今もリオの耳にこびりついていて鮮明に覚えている。
祖父の遺書を読み、現状を聞いた時に覚悟を決めた。
ルチダリア家は一掃するべきだ。
そのために今現在ルチダリア家の問題を任されている第一王子に連絡を取った。ルチダリア家の情報を最も多く持っているのは彼であり、今後のことを考えると真っ先に王家への忠誠を示して協力関係を結んだ方が早く解決できる。
リオは、早くこの問題を解決させたい。
本当ならば今すぐにでも。
けれど、9年にも及ぶ膨大な資料を短期間で読み解くことはさすがのリオにも難しく、ある程度の基盤は整えられていてもこれまた別の厄介な難題を並行して解決しなければならないので時間がかかる。
「・・・早く終わらせないと、間に合わない」
苛立ちを紛らわせるようにため息を吐く。思いの外それが大きなものだったので、結構な心労になっているのだとリオ自身気付いた。
厄介な問題の解決口が見つからない。
この9年、旅してきた時間は何の時間だったのか問いただしたいぐらいに腹立たしい。
誰も知らないはずの隠れ家にやって来たあの男は、答えを知らないリオに聞いた問いを解決することができたのだろうか。
聞きに行こうかと悩むが、それは数日間国を留守にするということだ。それにあの男はよく国外にいる。運が悪ければ数日を無駄にする可能性もある。
文言に悩みながらも手紙を書き終えたリオは、偽名を書いて封をした。
これを渡す相手にも細心の注意を払わなければいけないので、見知らぬリオが直接渡すわけにはいかない。それに、情報を証拠として残すために、相手にもきちんと紙に書いてもらわなければいけない。
この手紙を渡す相手はリオの知りたい情報を知っている。しかし、教えてほしいと言ったところで簡単に教えてくれるような人物ではなかった。
もし解決口さえ見つけることができれば少しはリオに傾いてくれるのかもしれないが、それが見つけることができていない以上は誠意を見せるしかない。
現状、リオを手引きした老執事も完全な味方とは言い難いが、この手紙は老執事に届けてもらう手筈だ。
王太后に手引きをしてもらうこともあるが、そう頻繁に離宮に行くわけにもいかない。王太后の手の者がほとんどとはいえ、他人の目がどこに潜んでいるかわかりはしない。
利害が一致して協力関係を結んだとしても、主人が違えば目的も異なり、得られる情報も限られてくる。遠回りしなければいけないので面倒だとは思うけれど仕方ない。
相手にとって知られたくない情報であればこそ、こちらは無理矢理にでも全てを知る必要がある。
知らなかった、どうしようもできなかった、では済まされないのだから。
さて、今度はいつ”エルヴィス”の行動をエルマーに流そうか。