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6-4 活用の話

 私は感情を押し殺して、淡々と研究を続けた。


 この国のため、そう言う福原の言葉に納得したからではない。私にとっては研究は日常であり、本能だったからだ。いや、もしかしたら、そう思おうとしていただけかもしれない。


 それでも、日々はただ淡々と過ぎていった。


 そのうちに、人格エミュレーションの手法に目途が立った。私の立てた基礎理論を元にして、サイベスト社から参加しているエンジニアが開発したものだ。


 スマートフォンなどの端末を通して処理された情報を、『マゴス』上の膨大な行動規範情報とマッチングさせることで、ある言葉や文章に対して、その人間がどんな感情を持ったかを記録していく。


 スマートフォンを媒介にすることで、音声や端末の角度、動きや速度などの様々な要素をセンサーで計測、その情報から「好き嫌い」を、より有機的に捉えていくことが可能だ。メッセンジャーや通話など、感情の介在する余地が大きい人間同士のやり取りは、その人物の性格をエミュレートするのには非常に有用な情報となった。


 しかし、それでもある人物の性格をエミュレートするためには、かなりの試行回数を経て、疑似人格の元型アーキタイプを「育てて」いく必要がある。数千回や数万回ではきかないだろう。



「……それで、これを市販のタブレットに載せる、というのですか?」



 福原から紹介されたビジネスマン風の男を前にして、私は尋ねた。男はサイベスト傘下でスマートフォンやタブレットの開発を行っている「アプライズ」という会社の人間だという。



「例えば被験者が数千人いれば、より効率的に疑似人格を育てることが可能なわけでしょう?」


「それはそうですが……」



 男の言葉に私はためらいを感じた。


 確かに、感情情報の記録と疑似人格のエミュレートには、「普通に」過ごしている感情と紐づけることが望ましい。それに、それだけの規模で被験者がいれば、データを相互に補完することで、より精密な人格エミュレーションが可能になるだろう。



「そう、そして、情報が集まれば、研究は次の段階へと進められる」



 アプライズ社の男が言った。



「次の段階……ですか」


「そう。例えば、人格の調整、とか」



 私は背筋に寒気を感じた。一体この人たちは、なにをしようとしているのだろう?



「しかしそれは……倫理的な問題はありませんか?」


「現在でも、普通にインターネットを使用していれば、行動ログが取得されるなどは当たり前です」


「ですが……」


「もちろん、購入時の利用規約に明記し、理解を求めた上で使用していただくことになるでしょう」



 私は唇を噛みしめた。「規約に書いてある」、「説明はした」、それはつまり、消費者を騙す気だってことじゃないか。



「……賛成できません」



 福原がため息をついて、身を乗り出した。



「北田先生。この研究は当社の資金で行われたものだ。研究成果の独占利用は資金援助の条件だったはずですよ」


「しかし……」


「それに、この件は既に、外部の企業をも巻き込んだビッグプロジェクトになっている。あなたの一存でどうなるものでもない」


「外部の企業……?」



 私は引っかかりを感じた。



「それは、例えばどんな……」



 福原は満足げな、まるでガキ大将の権威にすり寄る小学生のような、ひどいドヤ顔を見せて、言った。



「D2K社さんが興味を持っていらっしゃるのだ。素晴らしいだろう?」



 D2K――国内最大の広告代理店。テレビコマーシャルから雑誌、新聞記事、政治家のブランディング戦略まで、あらゆる宣伝とプロモーションを手掛ける巨大企業だ。この国の「流行」はほぼ、この会社に仕切られていると言ってもいい。


 ああ、なるほど、と私は思った。そういう会社が『harv』のシステムを使えば、色々儲け放題だろうな。


 例えば、特定のものを好む疑似人格のコピーを数万単位でネット上に放流し、SNS等で「世論」を形成する。言わば全自動のサクラだ。しかも、いわゆるステルスマーケティングとは違い、このサクラは、興味の対象を本気で好む。


 頭の中で、なにかが音を立てて渦巻いていた。なんだこれは。私の研究は、なんだったのだ。


 福原の笑顔が、とても醜悪で愚かしいものに見えた。この情けない男は、権威のある人間や企業のやることに追従することがなによりも正しく、なにより幸福だと思っているのだろう。そんな男が、再び私の服に手をかけ、顔に息を吐きかけて無理やりに迫ってくるようなイメージを、私は持った。


 その時、福原の携帯電話が鳴った。


 ふた昔以上も前の、いわゆるガラケーを開き、耳に当てる。その瞬間、横柄な福原の態度が一変した。



「もしもし……あ、これは、高屋敷先生の……」



 口元に手を当てながらヘコヘコとする福原の姿は滑稽だったが、私は笑えなかった。


 高屋敷――現在の政権与党最右翼、超タカ派。憲法改正、徴兵制の復活、家父長主義文化の復活を公言して憚らない政治家だ。



 ああ――そうか。



 私はすべてを悟った。


 なんてことだろう。私の研究は、世論を誘導するために、利用されるのだ。


 政治を、社会を、世界を、捻じ曲げるために、利用されるのだ――


 涙が頬を伝うのがわかった。高屋敷の主義主張がどうこうというわけではない。D2Kに対して思うところがあるわけでもない。


 でも――でも、私の研究が――私の生きた証、自分の分身にも等しい研究成果が、民主主義を破壊するためのものだなんて――!



「……北田先生、あなたが協力しないのは勝手だが、研究所のエンジニアたちはこのプロジェクトを進めますよ」



 電話を切った福原は、私の涙を見てたじろいだ様子だったが、依然として居丈高な態度を崩さず、言った。


 私は無言で席を立ち、会釈をして部屋を出た。



「あの女、邪魔になりそうですな」



 私が出た後、アプライズ社の男がそう福原に囁いたことには、気が付かなかった。


   * * *


 部屋を出たあと、どうしたかはよく憶えていない。呆然として過ごしていたのだと思う。心の底まで蹂躙され、嬲り尽くされたようだった。なにもかも、もはやどうでもいいと思った。


 研究資料以外になにもない自分の部屋で、私はただ座っていた。


 スマートフォンから、メールの着信を告げる音が鳴った。


 それを手にとり、メッセージの差出人の名を見た時、涙が溢れてきた。



「先生……」



 メッセージの内容は簡素なものだった。「手伝って欲しい実験がある。可能であれば連絡をくれ」とだけ。


 だけどそのメッセージに、私は勇気づけられた。


 ――告発しよう。


 彼らのやろうとしていることが、法律的に問題があるかどうかは微妙なところだろう。しかし、明らかに倫理にもとるこの行為。伝えなくてはならない。世に問わなくてはならない。


 狂気が再び、私の心に灯っていた。


 資料を用意しよう、そして、先生に相談しよう。


 私が声をあげても、世の中に届くかどうかわからない。ジャーナリストに知人がいるわけでもない。


 だけど、先生なら。その権威と、人脈と、発言力なら。きっとどこかに届くはずだと、そう思えた。


 私は資料をかき集めた。証拠になるようなものを片端から漁った。それらをまとめ、先生からのメッセージにあった番号へと、電話をかけた。



「北田か。しばらくだったな」



 久しぶりに聞く先生の声。



「しばらくだったじゃないですよ。こちらからは何度も連絡したのに」


「そうか、それはすまなかった」



 私は笑った。電話の向こうで、先生は低く淡々と言った。



「手伝って欲しい実験がある。研究室まで来てくれないか」


「はい」



 集めた資料をバッグに突っ込んで、今は城北大学にいるという森脇先生の研究室に、私は向かった。


 そして――

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