決別1
父の口からそれを聞くまで、俺は願わずにはいられなかった。どうか、俺の考えすぎでありますように。シュンが今にも何食わぬ顔で、そこの玄関から帰ってきますようにと。
だが、俺の最も当たってほしくない仮説は的中していた。ザガンはこの世界を、人が死に、人が人を殺せる世界に変えてしまった。父は確かにそう公言した。最早間違いのあるはずがない。
なんと、罪深い連中だろうか。多くの尊い命の犠牲の上で生き残った十万人の内、そんな屑が一定数のうのうと生きていることに猛烈な憤りを覚える。
俺は、アルカディアに言葉では言い尽くせないほどの大恩を感じているのは十万人の人類全員に言えることだと思っていた。ザガンとは本当に血の通った人間の集団なのだろうか。
父が創り出した、争いも病気もない平和な世界を、異端のエゴが踏みにじったのだ。気を抜けば発狂しそうになる。こめかみの奥がチリチリと灼けるような痛みが走った。
ザガン。ザガン。──ザガン……!!!
俺から一夜にして全てを奪ったザガンを許してこれからもこの街に留まり続けられるほど、俺は大人ではなかった。一刻も早くゲイルを切り刻みたくて仕方なかった。
頭の中で、俺は何度も何度もゲイルを殺した。何度も何度もソーマを刺した。それでも心は、晴れるどころか血が滲み広がるようにどんどん暗く塗り潰されていく。
殺そう。殺しに行こう。奴らの泣き叫ぶ顔が見たい。シュンが死んでアイツらが生きているなんて有り得ない。絶対にあってはならない。死ぬべきだ。苦しみながら死ぬべきだ。そして奴らを殺すのは、他でもない俺の使命なのだ。この剣と、あの炎で、俺が──
「セツナ」
冷え切った俺の手を、温かい小さな手が包んだ。黒く冷たい感情のほとぼりが冷め、我に返ったように俺は母を見つめた。
母の濡れた瞳は真っ直ぐ俺を射貫いていた。俺は何か喉に詰まるものがあって、言葉に窮する。
「……セツナ、お願い…………どこにも……どこにも行かないで…………」
絞り出された湿っぽい声に胸がキリキリ締め上げられる。
母親という生き物は本当に不思議だ。俺の考えていることなどお見通しだとでも言うのだろうか。
「…………行くよ」
俺はそれでも、そう言った。言わねばならないと思った。母が馬鹿を見るような目を見張る。驚き呆れて声も出ないという様子だ。
ここに残って母を支えることこそが俺の役目であるということが、決して分からないわけではない。シュンが死に、父もこの状況では、母の傍にいてやれる存在は俺をおいてもう他にいない。
けれど、俺のこのどうしようもない暴力衝動はならどうすればいい。
ああ、そうだ。俺は救いようのない人間だ。ザガンを皆殺しにできるなら、この愛すべき母親が悲しみに暮れても構わないとさえ思う。ゲイルの耳障りな高笑い。神経を逆撫でする、ソーマのあの達観的な目。そしてシュンの最期の姿が、脳内で矢継ぎ早に明滅する。
頭を掻きむしりたくなる衝動。
「…………許せるわけねえよ……ッ!!! 俺がこの手で殺すんだ、あいつらを一人残らず!!」
「そんな、馬鹿なこと……言わないの! お母さんを一人にしないでよ、セツナ……お願い…………!」
母の目に映る俺は、きっと弟の死を受け入れきれず気のふれてしまった可哀想な人間なのだろう。自分でも少し冷静に立ち戻ってみるといっそ滑稽なほどだ。
ひ弱なゲームオタクだった息子が、たった一人で仇討ちの旅に出ると言うのだ。これ以上の親不孝はあるまい。
その一方で、体の内側で煮えたぎる高熱の感情が、既に抑えの効かない段階にまで達していた。
「……いつまでもガキ扱いすんなよッ! 俺は強くなったんだ! これからどうすれば最短でもっと強くなれるのかも俺には分かる! この世界は俺の土俵なんだよ、アイツらにだって……絶対負けねぇ……!」
俺の言葉のどこが癇に障ったか。母の顔付きが、一気に鬼の形相になった。
「──笑わせるんじゃないよハナタレが!!! ケント君にも勝てたことないんでしょうが! それにあんたが例えどれだけ強かろうが、こんな広い世界に一人で飛び出して生きていけると思ってんの!? 米の炊き方すら知らないくせに!!」
全身が熱を帯びる。どうして分かってくれない……──どうして分かってくれないんだ!
内側から漏れ出した蒼い炎が、オーラのように俺を包んで母を威嚇した。
「飯は腐らないからいくらでも買いだめできるんだよ! んなことも知らないのか! なにも知らねえくせに……無理とか決めつけんなよッ!!」
母は明確に怯んだ。炎に対してだ。だが俺は、俺の剣幕が彼女を押しているのだと錯覚した。生まれてこれまで逆らえなかった強い母も、この世界でなら俺に逆らえやしないと思い上がった。
「明日にでもここを出る! 止めたかったら止めろよ! レベル1の腕力でできるもんならな!」
「ちょっと、セツナ……」
母の言葉を卑怯にも聞こうとはせず、俺は途中の食事を残して逃げるようにリビングを飛び出した。
意識をリビングから背け、階段を駆け上がる。自室に飛び込み、扉を閉めると俺はそのまま扉を背に座り込んだ。
「……くそ」
雨はいつの間にか上がり、窓から月光がカーテン越しに差し込んで、俺の部屋は薄い銀色の光で照らされていた。
どれくらい放心していただろうか。やがて俺は這うような足取りでベッドへと向かった。マットに腰掛け、自分のステータスやスキル、今日の戦利品などを再確認しようとウィンドウを展開する。
こうして仇を殺す算段をつけているのが、多分今俺が一番楽でいられる手段なのだった。耳鳴りがするほど静かな夜は、どこからともなく人々のすすり泣く声が聞こえてくるようで。
変わり果てたセントタウンの夜が更けていくのを意識の外で感じながら、俺は朝まで復讐の段取りを考えて過ごした。
いつくるだろうかと内心ビクビクしていたが、結局最後まで母は訪ねてこなかった。




