復讐の炎と追悼の雨
数分で、地獄は静寂に包まれた。
空に覆い被さる黒雲から大粒の雨が降りしきり、一人立ち竦む俺の体を冷やす。戦闘で急激に火照った体には良い心地だった。
俺を除いて、周囲にはただの一つも動くものは存在しなかった。視界が開けたことで、俺はあるものを発見する。
それは、丁度シュンが粉々に砕け散った、その場所に浮かんでいた。
「……あれは」
光る、玉。シュンが消えてしまった場所に浮かぶ、バスケットボール大の金色に光り輝く玉。一見して質感は液体、いや気体に近い。
何やらシュンの思念を感じて、俺は足を運んだ。近寄ると、その光の玉は暖かな熱を発していて、それに当てられた途端じわりとまなじりに滲むものがあった。
そっと手を伸ばす。触れた瞬間それは無数の泡となって消滅した。俺の手の平に不思議な暖かさが伝わった。
間もなく目の前に出現したパネルのメッセージを読んで、俺はその玉の正体を知った。
それはシュンの遺産だった。
彼がこの一ヶ月貯め込んだルビー、アイテム、武具の所有権が全て俺に移行したことがメッセージパネルには記されていた。彼の冒険が否応なしに結末を迎えてしまったことを再認 識し、抑えようもなく嗚咽が漏れた。
恐らく、これが俺の流す最後の涙になるだろうと思った。幸いにして、涙は雨が誤魔化してくれる。
気の済むまで泣いた後、俺はヒヒの大群からドロップしたアイテム類を確認した。どれもこれも見たこともない高ランクアイテムばかり。その中の一つに興味深いものを見つけ俺はスクロールを止める。
マテリアル化実行。俺の手の平にストンと収まったテニスボール大の純白の玉。見た目が《閃光玉》と酷似していることから、これも同系統のアイテムであると予想される。
名称、《転移玉》。説明文曰く、マッピングが完了している地点、つまりは一度でも訪れたことがある場所に一瞬で移動できるアイテムであるらしい。非常に便利だ。五つほどドロップしていたので迷った末使ってみることに決めた。
使い方は二通り。音声認証による方法か、マップを開いて場所を細かく指定する方法。今回は前者を試してみる。
「転移、セントタウン住宅区、自宅前」
詠唱は上手くいったのだろう。ヘッドホンを付けているみたいに、脳内に直接軽やかな電子音が鳴った。スキル発動の時と同じ、認証音だ。
間もなくして、大量の鈴を鳴らしたような荘厳な旋律が響き、俺の全身がクリアブルーに発光を始めた。光量はどんどんと増していき、視界が青白く塗り潰される。
雨の音が一瞬聞こえなくなったかと思うと、また同じように聞こえてきた。湿った砂の臭いから、馴染み深いセントタウンの匂い。俺は我が家の玄関先目の前に立っていた。
初めての転移の感動など味わえるべくもなく、俺は突然目前に迫ったその時にひどく狼狽した。
母に合わせる顔がない。俺はしばらく扉の目の前で立ち往生を続けた。こんなことなら、歩いて帰ってくるんだった。
いつまで立ってもドアノブに手をかける踏ん切りがつかないでいた俺は、ふと、家から灯りが漏れてこないことに気づいた。まだ寝る時間には早く、シュンや俺の帰りを待たずして母が寝るとは余計に考えにくい。
胸に嫌な予感が去来して、たまらず扉を押し開いた。中は真っ暗で、そして母はそこにいた。
玄関から中に入ってすぐの所。靴を脱ぐスペースから一段高くなったところに座って俯いていた。俺の騒がしい帰宅にも驚く素振りを見せず、生気を失った様子の母はゆっくりと顔を上げた。
そのやつれきった表情を見て俺はいたたまれない気持ちになった。振り乱された髪の毛が顔にかかるのを無造作に払ってから、母の顔にようやく一握の安堵の色が滲んだ。
「セツナ……ああ、セツナ……!」
そうして、すがるように俺に抱きついてきた。いつも頼もしかった母の頭が、実は俺の頭より低い位置にあったのだと初めて知った。
母は、シュンが死んだことを既に知っている。彼女の様子を見ればそれは明らかなことだった。
「……ごめん、母さん…………俺、シュンを守れなかったよ…………」
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父が、帰ってきたらしい。
母が嗚咽混じりに何とか俺に伝えた内容の全てだ。父シンジは俺が家を空けている間にこの家に転移し、俺達三人の無事を確認しに帰ってきたのだ。
結果、家にいるのは母のマキだけだった。
「あの人のあんな顔は、初めて見た」と母はか細い声で言った。
父の話の中で母に理解できたのは、父がゲームマスターの権限を敵(母はそう表現していた)に乗っ取られ、俺やシュンの安否は愚か居場所さえ関知できなくなってしまったこと。そしてそれを確認してほしいとお願いされたこと。
母は父に言われるがままに、慣れないながらも何とかマップ画面を開いた。しかし、フレンド追跡機能を使っても、シュンの居場所だけは隅々どこを探しても見つからなかった。
可視状態にしたそれを父が横から一目見て、そして目を伏せた。「すまない……」と振り絞るようにそれだけ言って、父は外に飛び出したという。恐らくは、いまだ生き残っていた俺を助けに向かったのだ。
母は父を追って外に出たが、既に父の姿は見当たらず、途方に暮れて玄関の前に座り込んでいたらしい。そこに俺が帰ってきた。どうやら父とは入れ違いになってしまったらしい。
かける言葉が見つからなかった。ただ、俺の当たってほしくない仮説が的中していたことは確かだった。
ゲームマスターの権限と言えばこの世界の全てと言って良い。アイテムや通貨の出現バランスはもちろん、モンスターの攻撃パターンにステータス変化、フィールドの気象設定やプレイヤーの健康状態に至るまで、全てを文字通り思うがままに書き換えられる。
神の力に等しいその権限は、悪しき者の手に渡れば恐ろしい惨事を引き起こす。今回のように、ゲームバランスを度外視した凶悪なモンスターをフィールドにばらまいたり、街区での抜刀、攻撃を可能にしたり……《死》という名の状態異常を追加したり。
HPを0にしたプレイヤーが現実世界でどうなるのかは想像もしたくない。一体どのようにして、隕石にさえ耐える装甲に包まれて横たわる人間を殺すのか。
専門家でもない俺には考えもつかないが、何しろこれだけの壮大な仮想世界を疑似実現したハードカプセルだ。然るべき知識のある者が悪用すれば、一変して中の人間の命を奪えるだけの凶器に変えることも可能なのかも知れない。
例えば──ハードそのものを、内蔵電力の全てを解放することで起爆する、とか。あまりにも素人丸出しの妄想だったのでこれ以上は考えるのを止めた。
俺と母は、しばらくの間互いの傷を舐め合うように抱き合っていた。随分久しぶりに感じる母の温もりは俺に安らぎを与え、傷ついた心を僅かながら癒やした。
やがて、どちらからともなく夕飯にしようということになり、俺達は食卓について母が予め用意していた夕飯を食した。冷めた料理を胃に収めながら、隣の空席を見つめる。
つい昨日までここに当たり前に座っていたシュンは、もうこの世のどこにもいない。
食べ終わるかというところになって、数時間前のそれとは一変して静かなメロディーが街中に流れた。運営からの放送だと悟る。
声の主はシュウではなく、シンジだった。
『世界は、理想郷ではなくなりました。全て私の責任です』
彼の第一声に、俺は胸の痛みを覚えずにはいられなかった。一ヶ月前、自信に満ち溢れていた彼からは想像もつかない、弱々しい声。それでも気丈に振る舞おうとしている声。
『本日の午後六時半頃、およそ百名を超える武装集団にアルカディア本部、《レガリア》は襲撃を受け、管制へのアクセス権、及びGM権限を盗まれました。武装集団は囮で、その隙にマスターアカウントをハッキングされた形です。侵入経路は不明。五重のセキュリティを突破して私から全権限を奪えた理由も不明』
惨状を、最大の失態を一から説明するのはプライドの高い彼にとって身を切るような苦痛であるに違いなかった。
『セキュリティは全てコードを変更されて掛け直されており、もう手出しのできない状況です。 手がかりは去り際に彼らが名乗った《ザガン》というギルド名……これのみと言っていいです。我々は現在全従業員総出でザガンの捜索、及びシステム復興を全力で進めています』
全従業員と言えど、アルカディアは十人弱の非常に小さなゲーム会社だ。こんな広大なフィールドからそんな手がかりとも言えない手がかりを頼りに捜索なんて不可能だろう。ただでさえシステム復興に大半の人数を割かねばならないのに。
続いて父は、ザガンによってこの世界はどのように変えられてしまったのか、それについて恨めしそうに語った。
それは大きく三つ。その中でも最大の改変点は──危惧した通り、《死》という概念の新装だった。




