94 常設軍
自分に向かって拝跪の姿勢を取ったまま動きを止めた犀人族の男に、アランは困惑していた。
犀人族の置かれた状況はアランも重々承知していたし、出来るならば何らかの助力が出来ればいいとは思っていたが、アランの思いは少し別のところにあった。
犀人族の花売りを1人2人助けたところで、問題の根本的な解決にはならないだろう。
それでは人助けというよりは自己満足の域を出ない。
もっと大きな視野を持って犀人族という種族全体に出来ることは無いかと考えていたのだ。
犀人族全部を助けるって言ってもなぁ。
ボクは神様じゃないから、そんなこと出来る訳もないし。
でも、何か出来ることは無いもんかな。
「まぁ、まずは顔を上げてよ」
「はっ」
「名前を、もし良ければだけど、名前を教えてくれるかな」
「はっ。カンダス33世陛下の近衛隊長アスカリンガ4世の孫、カスミドール・アスカリンガと申します」
「カスミドールだね。で、ボクに何をしろと?」
「我ら犀人族は国が滅んでより50年余り、様々な国に場所を求めて生きて参りましたが、建国の夢未だ覚めやらずいつかは再びカンダスの国を建てるべく努力して参りました」
「うん」
「しかし、時の流れは非情なもので、共に夢を抱いていた仲間も既に多くがこの地を去りました」
「うん」
「我々とて、もう見果てぬ夢を見ることには疲れました故に大言壮語を吐くつもりはありませんが、せめてカンダス33世陛下の末裔たるジャスミン様の身を守ることだけはこの身に代えても果たしたく思っております」
「それで」
「で、ございますれば、現在カラサイテルめの迫害にお遭いになっていらっしゃるジャスミン様を助け出し、どうにかその身に危害が及ぶことを避けたいと…」
「で」
「ジャスミン様は本日、このカズーどもに追われて逃げられて以来消息が分からず、我らも必死の捜索をしておりますが未だ行方が知れません」
「ふーん」
「もし万一カラサイテルめに捕えられていれば今頃は・・・」
「じゃぁ、ボクがカラサイテル伯爵の手からジャスミンを保護したら、カスミドールは何を返してくれるかな」
「それは…。」
カスミドールと名乗った男は、苦渋の決断を下すかのように眉間に皺を刻み、そして血を吐くように言葉を続けた。
「我々には既にお渡しできる宝とてなく、差し上げるべき何物もありません。出来得ることはこの身を以て公爵閣下にお仕えすることのみ」
「なるほど。でも、カスミドール自身はそれでいいとしても、カスミドールの仲間はどうかな?」
「は?」
「だから、カスミドールはそれでいいとして、ジャスミンを戴く仲間は全員がそう思っている訳でもないんでしょ」
「これは異なことを。落ちぶれたとはいえこのカスミドールは、カンダス33世陛下のお傍近く侍っていたアスカリンガの裔にございますれば、ジャスミン様を共に戴く仲間全員を以て公爵閣下にお仕えするようにいたしましょうぞ」
「カスミドールの気持ちはよく分かったよ。じゃ、ついて来てくれるかな」
「はっ、何処なりとも」
アランは、そのままカスミドールを連れてメイド達が憩う焚火のそばに近づいて行った。
そこはタカジル達が宴会をしていた場所からは馬車を挟んで反対側だったため、宴会の輪の中でカスミドールが口にした血を吐くような誓いの言葉も届いてはいなかった。
黄色い声を上げて燥ぐメイド達の中にあって、1人口を開くことも無く周りの様子を楽しそうに見ている少女が居た。
カスミドールは、その姿を目に留めるが早いか、一気に駆け出して少女の前に膝をついて頭を垂れた。
「ジャスミン様におかせられては、お怪我も無くご無事で何よりでございました」
「カスミドール、皆さんが驚いていらっしゃるわ。もっと落ち着きなさい」
「はっ」
「リード公爵閣下のおかげでこの身は無事でした。あなたからもお礼を」
「御意」
よく見るとカスミドールの目からは溢れるように涙が流れ、声も詰まりがちになっていた。
よほどジャスミンの無事が嬉しかったらしく、遂には声を上げて泣き始めてしまった。
「ちょっと、カスミドールってば。もぅ、いい加減にしなさい」
「これが喜ばずにいられましょうか。ジャスミン様の無事は我々すべての喜び。ここに居ない皆の分も喜んでいるだけです」
置いて行かれたアランもメイド達の輪の中に入ると、ジャスミンに優しく微笑みかけた。
「ジャスミンには良い仲間がいて幸せだね」
「はい、公爵様」
すると、カスミドールがバっと身を翻してアランに向き直り、そこで臣下の礼を取ると同時に心の底からの言葉を紡ぎ出した。
「ジャスミン様は我らの主たるお方でございますれば、仲間とはおこがましゅうございます。されど、先ほどの約定はこの身に代えても果たしますのでしばしの猶予をお与えくだされたく…」
「うん。じゃ、ボクが悪徳貴族を始末している間に仲間を集めておいてくれるかな」
「御意」
その夜、皆が寝静まってしばらくした頃、アラン一行のテントの周りで静かな闘いが繰り広げられていた。
いや、戦いというには些か語弊があっただろうか。
それは一方的な蹂躙であった。
翌日目が覚めて朝食の用意をすべく誰よりも先に動き始めた料理人のカリスは、目の前の惨劇の痕跡を見て叫びを上げた。
純粋に争い事が嫌いなカリスは、これまでまともに死体というものを見たことが無かった。
もちろん、家族の幾人かの葬儀には立ち会ったことは有るし、その際に遺体の埋葬もしたことがあったから、死体そのものを見たことがない訳ではなかった。
が、それにしてもそこらじゅうに散らばっている引き千切られた手や足、そして頭のない体や其処彼処に首が転がる状況は、カリスには刺激が強すぎた。
腰を抜かしてあうあうと訳の分からないことを口走っているうちに、初めの悲鳴で目覚めたタカジルがテントから飛び出して来て、絶句した。
そして、これだけの数の刺客を差し向けたカラサイテル伯爵という男に哀悼の祈りを捧げてすぐに止めた。
推定で30人を超える人数を刺客として送り込んで来た伯爵は、今頃誰も戻ってこないことに焦りを感じていることだろう。
そう思うと少し溜飲の下がる思いがしたが、死者への冒涜はすべきではないと考え直して、タカジルは4班のメンバーを起こして一面に散らばる死体を片付け始めた。
犀人族のカスミドールは、ジャスミンが眠るテントの前で見張りをしていたが、いつの間にか眠ってしまったようで、誰かが上げた叫び声でふと我に返って立ち上がった。
そして、虎人族の男たちの物言わぬうつろな目をした首を発見して、事情を悟ると同時に、やはりリード公爵というお方は何があっても敵に回してはならないと固く心に誓った。
粗方テントの周りを片付けた4班のメンバーは、使い物にならなくなっているカリスを担ぎ上げて彼のテントへと運ぶと、タカジルはその足でアランのところへ報告に向かった。
「やはり昨夜のうちに刺客が放たれていたようです。ケームの爪から逃げ延びた者が居るとは考えにくいですが、とりあえずカラサイテル伯爵の身辺に探りを入れて来ますので報告をお待ち下さい」
そう言うと、数歩進んだところで何かを思い出したように振り返り、アランに気の毒そうな顔を向けて呟いた。
「しばらく奥様のお作りになるものを召し上がっていただかなくてはならなくなったようです」
キョトンとした顔でアランが何の事かと問いかけると、タカジルは一言理由を述べて立ち去った。
「第一発見者はカリスだったようです」
1日の始まりと同時に最初の楽しみでもある朝食を食べる愉悦を奪われたアランは、タカジルの呟きに気が付くと同時にカラサイテル伯爵に対して殺意にも似た怒りを覚えていた。
短い付き合いの中でもその事に敏感に気が付いたジャヌレは、本日の面会に際して対応を間違うとメヌラもチャーバントの二の舞になる恐れがあることを忠告することにした。
この件に関してはメヌラの現国王は何ら与り知らない事ではあったのだが、アランから食事の楽しみを奪ったことが国家の安寧を脅かすほどに恐ろしいことだと仄めかすことは、今後にとっても大切なことだと気付いたのだ。
アランは、決して食通でも食道楽でもない。
それは、彼の周りに侍る者達総てが知っていた。
ただ、アラン自身が美味しいと感じたものを欲しいだけ食べることが好きなだけだった。
これを止められるのは、現状においてはこの世でただ1人、カルアだけであったが、このところの忙しさを鑑みて彼女も夫の楽しみを奪うことを良しとしなかった。
メヌラ国王との面会を果たす前に、アランはカスミドールに犀人族のうちジャスミンに忠誠を誓う者達を集めるように命じた。
今すぐに全員とはいかないまでも、昼頃までには大方の者達を連れて参上しますと答えて、カスミドールは駆け出して行った。
その後、昼食が終わって暫くした頃になってタカジルが戻って来たので、今度はカラサイテル伯爵の動向についての報告を受けることにしたのだが、それは至極あっさり終わってしまった。
カラサイテル伯爵は、昨夜放った30人の刺客が1人たりとも戻って来ないことを異常に恐れているらしく、今日になって自分が刺客を放った相手がアラン・シュネーデルン・トロイジャール・リード公爵であることに気が付いた後は、誰も傍には近づけなくなったらしい。
その後、何らかの動きがあることを期待して伯爵邸の付近で張り込んでいたが、只の1人の出入りも許さない厳戒態勢の中では情報を得る手立てがなく、仕方なしに帰って来たということだった。
「まぁ、いわゆる小心者ということでしょうか」
「さぁね、でも、小心者だからと言って許すつもりもないけど」
「引き続き張り込んではいますが、目立った動きがあるとも思えませんやね」
「とりあえず、メヌラの国王の方が先だね。こっちをつつけば勝手に動きが出て来るんじゃないかな」
「そうですな。それを待って、もう一度報告に上がります」
「うん、よろしくね」
タカジルが去るのを待っていたかのように、今度はカスミドールがアランの元へと駆け寄って、ほぼ全員が揃ったと伝えて来た。
カスミドールに先導されて、メヌラの王宮を望む広場にやって来たアランは、その人数に絶句した。
どう少なく見積もっても、そこには2000人の犀人族の精鋭が整列していたのだ。
各々が何も言わずに立っているだけで威圧感を与える犀人族の屈強な男たちが2000人である。
すわ、政変かと思わせる雰囲気を醸し出すその光景は、しかし意外にのどかな風景でもあった。
確かに犀人族の成人男性の体躯は雄々しく逞しい。
が、今彼らが手にしているのは薔薇であり菊であり百合だった。
各自が1輪ずつの花を持ってジャスミンの無事を祝う気持ちを表していたのだが、その違和感たるや半端なものではなかった。
アランは、その光景を目に焼き付けながら、苦笑を必死で堪えていた。
こいつ等にはやっぱり花よりは武器を持たせた方が絵になるよね。
そんなことを思いながら総勢2000人の男たちの前に立ったアランは、開口一番言った。
「ジャスミンはボクが保護している」
男たちは、それを聞くと怒号と間違わんばかりの大声を上げて、全身で喜びを表現した。
そして、アランは更に続けて言った。
「ジャスミンと共に歩むものは一歩前に。己の人生を追求したいものは咎めないからこの場を去れ」
大凡10を数えるほどの時間沈黙していたアランは、その場から去った者が居ないことを確認して更に一言付け加えた。
「我が名はアラン・シュネーデルン・トロイジャール・リード公爵である。我が陣営に与する者は右手を上げよ」
すると、一堂に会した犀人族の精鋭たちは大声を上げて右腕を空に向かって突き上げた。




