92 執事さんご到着
チャーバント人達の大移動は、大きな混乱も無く粛々と進行していき、およそひと月35日をかけて終了した。
毎日のように新しい国土へ到着する国民の為に住宅用の資材を運び続けたケーム達も漸く荷役から解放されて、思い思いの生息場所へと帰された。
大凡の区画割りに従って建てられている住宅は、職人の数が圧倒的に足りないこともあって、そのほぼすべてが各個人の自作であった。
元々が国を構えるにふさわしくない土地に無理やり建てた国だから、庶民の暮らしもそれに似て質素なものであった。
国民の平均的な暮らしの中心となる家の概念も生活に沿ったものだったから、アランの目から見れば掘立小屋に毛の生えた程度のクラスの住宅に、満足はしていないながらもそれなりに納得して住んでいた。
新しい国土に移った当初、本当に何もない荒野を目にしてもそのことに不満を口にする者達は驚くほど少なく、ほとんどの国民がこんなものかと納得したような顔をして家を建て始めてた。
ただ一点、チャーバント人の目を釘付けにしたことがあったのは、集落の中心にある行政庁舎の建設予定地と、その脇にあった井戸であった。
これまで喉から手が出るほど欲して叶わなかった水が潤沢にあるという事実は、国民すべてにとって、今後の生活に希望の火を灯す効果があったことだけは間違いなかった。
アランの部下たちがエビの養殖事業に使うための中継池を作っている傍らでも徐々に家が建ち始め、規模は小さいながらも村や町が形成されていったが、それと同時に井戸を掘って溜池を作る技術も伝播していった。
すべてのことを最終的にチャーバント人だけで行わなければならないことは、チャーバント人自身が一番よく理解していたことだったから、齎された恩恵を余すところなく活用するために、彼らは貪欲に技術と知識を吸収していった。
余りある水資源を潤沢に使って、荒地にこれでもかというほどの散水を繰り返した結果、半月ほど経った頃から何もなかった荒野に草が芽吹き始めた時、チャーバント人達の朧げな希望は確信へと変わって行った。
「これで小麦の生産に道が付きました。後は我々の努力が実を結ぶのを待つだけです」
王太子は仮設王宮の一室でアラン・シュネーデルン・トロイジャール・リード公爵と会見してそう述べた。
「ここまではボクの主導でやってきましたが、これですべての権限を殿下にお返しすることが出来ますね」
そう言って、アランは微笑んだ。
「元来、勤勉で粘り強く、機転の利く国民性を持った我々チャーバント人の真価を発揮できる時が来たと思っています。このご恩はチャーバントという国が続く限り未来永劫忘れません。ありがとうございました」
「いや、それほど大袈裟に感謝されると、ボクとしても居た堪れないというか恥ずかしいというか」
「何を仰いますやら。チャーバント中興の大恩人でいらっしゃる公爵殿には何かお返しをと考えてはいるのですが、我々の手元には今何もありませんので恥ずかしいのはこちらの方です」
「では、今のお言葉だけ頂戴することで、ご恩返しは後の楽しみに取っておくことにしましょうか」
そう言うと、アランはチャーバントの王太子がこれ以上気を遣わないように会談を打ち切るべく立ち上がる姿勢になった。
すると、慌てて王太子がアランの手を取って席に戻し、傍に控えていたメイドに目配せをした。
メイドはすぐにドアを開けて出て行くと、恐らくは部屋の外に控えていたと思われる5人の男たちが入って来た。
「この者達は私の父に仕えていた執事たちです。僭王の横暴を止められなかったことを悔いて致仕していたところを探し出してきました」
「ふむ・・・、それが?」
「おそらくは私に仕えよと命じても彼らの矜持が許さないところがあると思います」
「なるほど」
「しかし、執事としての能力は決して他国の者には劣っていないものと自負しております。彼らの今後の為にもお連れ下さいませんか」
「殿下のお気持ちは分かりました。しかし、彼らの意志はどうなんでしょうか」
「それは既に確認を済ませております。ジャヌレ」
ジャヌレと呼ばれた男は、許しを得るように王太子に一礼した後1歩前に出て口を開いた。
「リード公爵閣下には初めて御意を得ます。チャーバント王宮にてご奉公しておりましたジャヌレと申します」
「あぁ、キミが5人の代表ということでいいのかな」
「はっ、先王陛下には筆頭執事としてお仕えしておりました」
「ふむ。で、チャーバントを捨ててボクに付いて来ることはご家族も承知の事なのかな」
「執事は一代奉公でございますれば、私に家族と呼べる者はもうおりません。係累を辿れば或いはそういう者も見つかるかと存じますが、現在は独りでございます」
「他の皆もそうなのかな」
そうアランが残りの4人に問いかけると、全員が目で頷いた。
「ははは、そうか。で、ボクに仕えることに抵抗はないんだね」
「我が祖国チャーバントを僭王から解放していただいた御恩は、皆骨身に沁みて感じておりますれば」
ジャヌレが再び5人を代表してそう答えた。
「分かった」
アランは王太子に向き直って改めて礼の言葉を口にした。
「実はボクには信頼できる執事と呼べる者が居りません。成り上がり者の悲しいところで、まだまだ人材に窮している所でしたので有り難い申し出に感謝いたします」
「我々にはまだ、こういう形でしかお礼をすることが出来ません。受け取っていただけてこちらこそ感謝申し上げます」
チャーバント王太子とアランの会見は、終了した。
既に養殖池の建設にも目途が付いた現時点では、養殖したエビの売却先を模索しているところであった。
アランは、5人の執事を譲渡してもらったことに感謝して、この養殖事業を期限付きでチャーバント王室に貸与することにした。
元来が勤勉な国民性を持つチャーバント人であれば、コツコツと各国を回って得意先を増やすことも難しくはないだろう。
いずれこの草だけが勢いよく繁る元の荒地からも、小麦などの収穫が確保できれば国家としての体裁も整ってくることはほぼ間違いない。
その時点で養殖事業をアランに返すも、チャーバントで買い取るも判断は相手に任せることに決めたアランの目は、既に次を見据えていた。
5人の鼬人族の執事を連れて帰って来たアランは、自分のテントの前に近侍たちを集めると彼らを紹介した。
「チャーバントからボクに付いて来てくれた執事達だ。これから雑事も増えるだろうから彼らの手腕に期待する部分も多いと思うんだ。みんな仲間になったからには協力してね」
アランの気の抜けたような訓示を聞きつつも、ジャヌレ以下の執事たちは眉ひとつ動かすことも無くその場に佇立していた。
「ルネ」
「はい、公爵様」
「今からキミはジャヌレの配下に組み入れる。執事のイロハを叩き込んでもらう事。いいね」
「分かりました」
「じゃ、ジャヌレ、ルネの面倒をよろしく」
「かしこまりましたお館様」
「お、お館様って、ボクのこと?」
「はい。お館様におかれましては、名誉男爵の位から階梯を駆け上がるがごとくにご出世あそばされましたが、既にその身は獣人族の中にあっては余人に代えがたいご身分にお成りあそばされておりますれば、お屋敷こそございませんがお館様とお呼びするのが妥当かと存じます」
「へぇ、貴族ってそういう呼ばれ方を喜ぶんだ・・・」
「すべての公達がそうとは申し上げられませんが、そうお考えになる方が多いことは事実でございます」
「なるほどねぇ、まぁボクはどう呼ばれてもいいから好きにしてくれたらいいけど」
「かしこまりました」
そう言うと、ジャヌレはルネを振り返ってその姿かたちをチェックするように頭からつま先までを順に見下ろしていった。
「お館様、これは仕込みがいのある者を配下に下されましたこと感謝申し上げます」
それを聞いて、アランやカルアは微笑んだが、コニー以下のメイド達の顔が僅かに引き攣っていた。
「ボクの常識は貴族の範疇から外れてる部分も多いと思うから、その都度指摘してもらえばいいとして、ジャヌレには執事長になってもらいたいんだけど、いいかな」
「これはご丁寧なお申し出でございますが、お館様におかれましては私などにご斟酌の要はございません。こうせよとお申し付けになればそれで良いことでございます」
「じゃ、そういうことで」
「御意」
一同が解散した後も、ジャヌレはアランの傍を離れることは無く、常に影のように控えていた。
これまで何かあるとアランの方から目的の人物の元へと出向いて行ったのが、これ以降思いつくと同時に歩き出そうとするアランを後ろから声を掛けて留める光景が頻繁に目撃されるようになった。
その度ごとにアランは苦笑してジャヌレに用を頼んだが、そのうち両者ともに呼吸が合って来たようで阿吽の呼吸とまではいかないものの不要な行動が減って行った。
その後、チャーバントでの雑用をすべて終えたアラン一行は、シャーメシルに拠点を作ることに精を出すガイル達と合流するためにカナソワに向けて出発した。
だが、そのまま東に向けて進めば国境を越えてシャーメシルに入って行けるのに、何故かアランは進路を南に向けさせてわざわざ虎人族の国メヌラへと入って行った。
これまでも何度かメヌラ国内を通過したことのある一行は、見慣れた街並みを通って王宮を見渡せる広場に着いた。
そこには小さいながらも独立国であることの気概を示すモニュメントが多数置かれていた。
初代国王であり、建国の英雄とされる虎人族のブロンズ像は雄々しく逞しく、像でありながらもカリスマ性を感じさせる趣があったし、その隣に配されたブロンズ像は、女神をも凌ぐかと思われるほどの美貌の女性を象っていた。
「これが建国の英雄メヌラ1世と王妃カリカンサの像ですね」
「何度か遠目には見たことがあったけど、近くで見ると凄い迫力だね」
アランとカルアは互いに感想を述べ合いながら馬車の窓から像を見上げていた。
アランの乗る馬車には御者としてテムジンがいて、同乗者として執事長のジャヌレ、メイド長のコニー、そしてカルア付きの護衛兼メイドとしてマルタがいた。
メヌラは小国であり、ロマンダリアとカスマンドという大国に挟まれる位置にありながら、出入国には特段の規制というものが無かった。
先日アランの手によって解放されたケスガイゼとの国境線が続く南への街道に沿って進むと、一行も経験した通り国境線が複雑に入り組んでいて何度も出入国を繰り返すことになったのだが、ケスガイゼでは入国に際して入国税を、出国に際しては出国税を徴収されたにもかかわらず、メヌラにおいては簡単な身分の証明だけで出入りが自由に行えた。
但し、これが荷物を持った商人であった場合は多少扱いが異なってきて、物品税が課せられる関係でかなりの負担を強いられることになるのだが、両大国間を安全に通行しようとするとどうしてもメヌラを通って行くことが必然の策となるようで、商人たちは多少の出費は安全対策として受け入れていた。
しかし、自由な出入国にはどうしても招かれざる通行者も顔を出すようで、先日も鹿人族の国デンシュラーを抜けてロマンダリアへ入ろうとした折りに助けたエビの養殖業者を襲っていたと同種の者達がそこここに見受けられた。
「あれは犀人族だったよね」
アランはあの時そう教えてくれたカルアにもう一度確認するように話しかけた。
「えぇ、そうですね。でも、あの時の男たちとは違って、胡散臭いところは見られないように思いますけど・・・」
「うん、それはボクもそう思ったよ」
「何か目的を果たすためにメヌラに居るような感じですね」
「うん・・・。ジャヌレは犀人族について何か知ってる?」
そうキャビンの隅で影になっている執事に尋ねると、影は知り得ることをアランに教えてくれた。
「犀人族の国だったカンダスはデンシュラーとシャーメシルの間に存在した小国でございました。国内にこれといった産業がないことと元来屈強な体躯を持つ種族でございましたので傭兵を生業としておりましたが、長らく戦乱がございませんでしたので傭兵の需要も減る一方でございましたが、遂には国を捨てて他国の軍隊に士官するために出て行く国民が増え続けた結果国家としての態を成さなくなりました。そこに最後の国王カンダス33世の崩御も重なったことで消滅したと聞き及んでおります」
「へぇ・・・。それっていつ頃のことなのかな」
「私が聞いたところによりますと、およそ50年ばかり前のことになりましょうか」
「50年も前か・・・。なら、もう仕官した国に馴染んでしまっているね、出て行った人たちも」
「御意」




