77 囮
ケスガイゼという国は、元々豊かな森林と起伏の緩やかな草原が続く実り豊かなところだった。
事典によれば、獣人族の先祖を辿るとどの種族も最終的にはケスガイゼの森林か草原に行きつくらしい。
獣人族の住む岩山地帯の北側の土地はすべて肥沃な土壌と温暖な気候に恵まれているため、様々な人種が混在していたらしい。
中でも岩山地帯に棲み付いたドヴェルグという種族はモノ造りに優秀な才能を持っていて、素材となる鉱石や貴金属、生き物の素体といったものを手に入れるために段々と草原へと進出していった。
一方、太古以来の姿を留めたままの大森林には、森の民と呼ばれたエルフという種族が暮らしていた。
エルフは鉱石や貴金属、生き物の素体といったものから非常に効果の高い薬品を抽出していたが、より良い素材を求めて大森林を出る機会が増え、やがて草原へと進出していった。
共に資源を求めて南と北から草原地帯へ進出していったドヴェルグとエルフは、やがて資源争奪のための争いを繰り返し、互いに相手方の姿を見かけると理由の如何を問わずに戦いを始めるようになってしまった。
ドヴェルグもエルフも、互いに相手を不倶戴天の敵と見做し合い、やがて種族の存亡をかけた大戦争へと発展してしまったのだが、どちらも相手方の生存圏に侵入してゲリラ戦を展開し、ことのついでに非戦闘員である一般人を捕虜として連れ帰って、男は見せしめとして殺して死体を曝し、女たちは慰み者として男たちの性欲の捌け口とされた。
終わりの知れない種族間の争いの中で、何処から流れて来たか知れないものの皆の耳目を集める噂が立ち始めたのはいつの頃だろうか。
慰み者にされて捨てられた女たちが奇妙な子を産んだ。
産み落とされた子供たちは母親には似ても似つかぬ醜い姿をしていた。
それは、ドヴェルグの間にもエルフの間にも同じように起こった。
ドヴェルグにせよエルフにせよ、種族的特徴として長い寿命を誇っていたのだが、反面独り立ちには長い時間を必要とした。
通常であれば、ドヴェルグで50年、エルフでは120年を成人までに必要とする。
双方ともに1人で立って歩くだけでも最低5年はかかるのが普通だが、その噂の子達は生まれてわずか3月で立ち上がり、6月で言葉を覚えるのだという。
ある者は気がふれ、ある者は肢体が不自由となって捨てられた女たちが、満足な食料もないままに産み落とした子供たちは、全身獣のような毛を生やしその毛に見合った耳と尾を持っていた。
考えられないほどの速さで成長する子供たちは、やがて自力で食料を得る術を身に付け、生まれ落ちた場所に集落を作るようになっていった。
彼らは皆、恐ろしいほどの身体能力を持ち、五感が非常に鋭敏で、加えて環境への適応力も図抜けていた。
はじめ、小さな集落が点在するだけだった忌み子達は、やがて特有の感覚を発揮して仲間を見つけては糾合し、ついには無視できないほどの勢力を持つに至った。
ドヴェルグもエルフも噂の類は聞き流していたのだが、いざ自分たちが忌み子の集団から攻められ追い詰められて、初めてその脅威に気付いたがすでに手遅れであった。
恐ろしいまでの身体能力は、ドヴェルグの槌や斧の攻撃を易々と掻い潜り、エルフの放つ矢を軽々と躱して、その爪が敵の急所を抉り、牙が敵に止めを刺した。
やがて、ドヴェルグたちが岩山地帯から駆逐されて北上し、エルフも大森林へと追い返された。
事典の記載を読み終えて、アランは隣に座る絶世の美女の顔をまじまじと見つめてしまった。
カルアは、これまでとは色合いの異なった夫の視線に気付くと、不思議そうに問いかけた。
「あたしの顔に何かついていますか、だんな様」
「い、いや、いつも綺麗だなと思って、さ」
「それはありがとうございます。でも、だんな様の雰囲気がいつもとは違うように思うのですが、これはあたしの気のせいでしょうか」
「え、いや、その、さ。カルアが居てくれて幸せだな、って改めて思ったんだけど」
「あら、それは奇遇ですね。あたしもだんな様に拾われた身がこれほどの幸福を享受して良いものかと、常に自問自答を繰り返しているんですよ」
「・・・・・そうなんだ、やっぱりよく似てるんだ、ボクらって・・・・・・・」
「えぇ、ですから、いつまでもお傍に置いて下さいませ、だんな様」
「あぁ、それはもう、もちろんだよ。カルアに居てもらわないと生きていけないから、ボク…」
同じキャビンに座っているマルタとコニーは、また始まったかと少しうんざりしていたが、そんな態度は微塵も見せずに寝入ったふりをして時間を潰していた。
マルタとコニーの忍耐力も限界に近づいた頃、テムジンが御者側から小窓を開けて問いかけて来た。
「男爵様、集落が見えてきましたが、このまま進みますか」
それまで溶けかけたアイスクリームのように甘くネトネトだったキャビン内の空気が、その一言でキレイさっぱり消え失せた。
「様子を見たいから、適当なところで停めてくれるかな、テムジン」
「畏まりました」
元は華麗な装飾を施されていたであろう大きな建物の前の広場に停められた馬車からアランが降りると、すかさず後続の馬車からゲルジン達4班のメンバーがその身を護衛する形で配置に着いた。
ここでも起伏に乏しい地形は変わらず、遥か先の巨大な門の姿が一望できたが、先の村ほどに荒廃は進んでいないようで、戸を閉め切ったあばら家からはアラン達を凝視する視線が痛いほどに感じられた。
「ここはまだ、チャーバントの被害を受けていないみたいですな」
ゲルジンが話しかけるのを聞きながら、アランはあばら家の群れの後ろにある畑を見つめていた。
「もう収穫の時期なんだろうけど、まだ刈り入れはしていないみたいだね」
二人が何気ない風を装って会話するところに、武器というのもおこがましいような錆びた鍬や鉈を手にした男たちが恐る恐るといった態で近づいて来た。
代表者と思しき兎耳の壮年の男は、やはり痩せて顔色も悪く歩く速度もそれほどではないにも拘らず足元が覚束ない様子であった。
「チャーバントの鬼どもめ!」
そう声の限りに叫ぶと、一斉に武器を振り上げて走り出したが、すぐに1人転び2人転びし、まともにアランの下へ駆け寄れた者は居なかった。
「チャーバントというのは、ここより南に下ったところにある鼬人族の国でしたね」
アランがさも不思議そうに問いかけると、叫びを上げた男が目を見開いてアランを見つめた後、それがチャーバントの国営盗賊が纏う装束とは似ても似つかぬ豪華な服装とアランの人族の容貌に腰が砕けてその場にへたり込んでしまった。
ここでもゲルジンが一歩前に出てアランの体を庇うようにしていたが、危険が去ったと判断して腰砕けの男に語り掛けた。
「こちらはカスマンドの貴族、アラン・リード男爵である。言いたいことがあればお聞き下さる方ではあるが、その格好ではオレとしても取り次ぐことは出来んぞ」
「こ、これはご無礼を・・・・・」
「今、チャーバントの鬼と聞こえた気がするんだが、何の事かな」
「いえ、それは…。もうお忘れ下さい」
すると、それまで黙っていたアランが、一言呟いた。
「武器を振りかざされて、鬼と罵られて、それを忘れろと言われてもねぇ」
兎耳の男に返す言葉などあろうはずもなかった。
ただ、へたり込んだ姿勢のまま俯いて、譫言のような繰り言を繰り返していた。
「もう、今日来るか明日来るかなのに、助けは何処からも来ねぇだよ」
それが毎年繰り返される略奪の時期なのだと、暗に男は示唆しているのかと思ったゲルジンだったが、足元の男からはそのような意図は感じられずただ悄然と項垂れているだけだった。
「チャーバントの盗賊団が、刈り入れ前に襲ってきたことはありましたか」
アランがふと思いついたように項垂れる男に問いかけた。
「そんなことは考えたこともねぇですだよ。あいつら、いつもいつもこの時期にワシらの収穫を奪いに来やがるですだ」
「それじゃ、畑が手付かずなのは意図してやったことではないんですか」
「貴族様にはお分かりにならねぇですか。もう3日は置いとかなきゃダメだで。まだ茎が青いもの」
「なるほど。それはいいことを教えていただきました」
そう言うと、アランは自分もしゃがみ込んで兎耳の男と目線を合わせて
「それではお返しに、ボクも収穫のお手伝いをしましょうか」
と付け加えた。
男はそれを聞くと慌ててアランを見つめたが、そこには邪気のないアランの笑顔があるだけだった。
「全部が全部、刈り入れできないってことはないですよね」
アランは、男の手を取って立ち上がらせると、畑の方を向いて言った。
「例えば、あの一番右端の畑なんか、もう刈り取りできそうでしょ」
ゲルジンに指示して、アランは同行している男たち全員を動員して刈り入れが出来そうな畑を順に収穫していった。
村の男たちにも手伝ってもらった結果、村の広場には小麦を詰めた袋が文字通り山積みされた。
「こんなこと言っちゃなんねぇかも知れねぇがよ、これで今晩にでもチャーバントから盗賊が来るだよ」
「チャーバントの国営盗賊団というのはそれほど大がかりなものなんですか」
「へぇ、あそこの王様の声掛かりだで。100人以上の集団がやって来るですだ」
「それが毎年続いてたんですか」
「へぇ、悔しいけどワシらにはなにも出来ねぇだよ。若い娘っ子を逃がすくらいしか…」
100人規模の盗賊団と聞いて、アランは早速準備に取り掛かった。
嫌がる村人を叱咤して無理やり収穫を始めたのも、謂わばその為の布石であった。
上空を旋回しながら自分に従っているに違いないガルーダに、
またお遊戯の時間だから、仲間を連れておいで。
と呟いて、村の男たちに向き直った。
「ここまでひどい被害に遭っていながら、王様は何もしてくれないんですか」
アランの当然の疑問に、男たちを代表して老人が答えた。
「都じゃ、もっとひどい目に遭ってるらしいだよ。だから、こっちに軍隊を送ることも出来ねぇだ」
「それじゃ、王都に現れる盗賊団は凄い数なんですね」
「ケスガイゼの軍だって弱いってわけじゃないはずなんだけどもよ、襲ってくるのがチャーバントの国営盗賊団だもの。10.000人以上の集団が町中に火を付けて回ったそうだよ」
「それはひどいですね」
「火事から逃げようとする若い娘っ子を片っ端から掴まえて行ったんだと」
「はぁ?」
「だから、都にゃもう娘っ子はいねぇらしいだよ」
「それはそれは…」
ふつふつと怒りが湧き上がるアランの雰囲気に、常に近侍しているゲルジンでさえ無意識のうちに1歩2歩と後退していた。
「ゲルジン、村の人たちと一緒にボクらの馬車も隠してくれないかな」
「それは構いませんが、盗賊が来るのではありませんか」
「だからだよ。仲間に被害が出るといけないからね」
そう言ったアランの顔は、すでにいつもの温和な表情ではなく、獲物を前に舌なめずりをする虎のように恐ろしかった。




