63 取引
2班のリーダーのカイネルが、内装に必要な資材を満載した馬車を連ねて上屋へ戻って来た。
そこからの工事の進捗ぶりは目を見張るものがあった。
わずか1日で板壁にクロスを張り、ドアを取り付け、作り付けのベッドにクッション材を付け、2階の工事が終わった。
アランが余りの進行の速さに目を丸くしているところへ、アスワン商会からの使いがご足労を願いたいと言ってきた。
どこまで連れて行かれるのかと思いつつテムジンに馬車の支度を命じると、その必要はないと言われて向かい側の倉庫群へ連れて行かれた。
そこは上屋を利用し始めた時から知ってはいたが、まだ新しい建物には使われた形跡がなく、単に建てられはしたものの使い道に困って放って置かれた感がありありと残る倉庫群だった。
全部で15棟の建物が、とんでもなく広い敷地にバラバラに配された倉庫群は、使い方さえ間違わなければ立派なベースに成り得るものと考えられた。
「もしかして、コレが会頭にお願いしていたものの答えですか?」
現在改装中の上屋は、背後に川が控えている分だけ敷地に制限があったが、向かい側の倉庫群はそうではない。
敷地の奥行きが川沿いと比べて桁外れに広く取ってあった。
15棟の倉庫は、各々大きさに微妙なバラつきがあるものの、すべてが上屋よりも大きく、最小の建物でもその1.5倍はあるように見えた。
敷地総てを見渡すと、デイマークス辺境伯邸を遥かに凌駕する広さを持った上に、交通の便は最高であった。
ただ一点、王都から国王の行幸があった際には、上屋と倉庫群を隔てる幹線道路が使えなくなると言うデメリットはあったが、倉庫群の裏側にも幹線道路ほどではないにしろそれなりの広さの道路が走っていて、不便さを感じることはなさそうだった。
「これをどうしろと・・・?」
「はい。会頭が申しますには、お借上げいただくも良し、お買い上げいただくも良し、リード男爵様のお心のままに、とのことでございます」
「買取りっていってもなぁ・・・。で、とりあえず聞いてみるけど、この敷地全部と倉庫15棟合わせていくらで売ってくれるの?」
そこで初めて、アスワン商会の使いの者の横に立っていた男が口を開いた。
「4.500リュアンでは如何かとの申し越しでございました」
「よ、4.500リュアン!?」
「えっと、そのぅ…、お高かったでしょうか?」
男は慌てたように言い繕おうとしたが、アランはその間を与えずに言った。
「まぁ、それは実際に見てみないとなんともねぇ…」
アランは使いの者の反応を見て、まだいけると踏んだものの具体的な数字を口にすることはなかった。
「あまり口外するなと言われておりましたが、男爵様ですので特別にお知らせしますと、これらの倉庫はスヘルデン商会と申します王都でも指折りの商人の持ち物にございまして」
キター!
現在絶賛交渉中のスヘルデン商会の地所が目の前に横たわっていたとは、と口まで出かかった言葉を慌てて飲み込んだアランは、男に言った。
「4.500リュアンですよねぇ。もう少しキリのいい額なら考慮に値するかとは思いますが、4.500リュアンですか。うーむ、4.500ねぇ…。」
「あの、おいくらなら?」
「わざわざおいで頂いた方をこんなところで立ち話で帰らせるのも何ですし、ちょっと中を拝見してもいいですか?」
「もちろんでございます」
男は持っていた鍵で門扉を開き、敷地の中を案内しながら1棟1棟扉を開けて中の様子を見せてくれた。
恐らくは当代の会長が仕入れて来た品物を保管する目的で建てたと思われる倉庫は、それぞれ中に入れる品物ごとの特徴を活かして管理できるような工夫の跡が見て取れた。
スヘルデン商会の内情を知っているアランならではのことではあったが、その工夫はリード男爵家が目指す方向性とも合致していて、使い勝手が悪くないと考えられた。
「ありがとうございました。それではちょっと上屋の方で詳しい話を聞きたいので、ご一緒していただいてもよろしいですか?」
「もちろんでございますとも。持ち主の方から、リード男爵様には出来得る限りの便宜を図るようにと申し付けられておりますので、何なりと仰って下さいませ」
そこで、男を案内してきたアスワン商会の使いを返し、道を渡って上屋の中に入って来たアランは、男に分からないようにカルアに目配せをして、指を4本立てた。
それを見たカルアはアランの意図を理解したように一旦奥へ引き返し、2階の事務所スペースに向かって階段を上がっていく2人を見送ってから、ナタリアとコニーとマルタを連れて階段を登って行った。
4人は人数分の飲み物を持ったコニーを先頭に、アランと男が談笑しているところへ入って行った。
そこはすでに解雇されたレオのために切り取られた区画だったが、こんな時のためにとベッドと机を取り払って応接用に長椅子を並べた部屋に様変わりしていた。
男は、飲み物を持って入って来たコニーの美貌に目を奪われて、一瞬言葉を途切れさせたが、懸命に理性を振り絞って話に戻ろうとして次に入って来たマルタの可愛らしさに目を奪われて喋ることを忘れてしまった。
アランが気にせず目の前のスヘルデン商会の土地と建物について話していると、帳簿類を抱えたナタリアが入室して、またもや男の視線がそちらに奪われた。
構わずに話を続けるアランは、適当に話題を変えながら喋り続けて男を本来の用件に引き戻そうとしたが、最後に入って来たカルアの比較するべき対象が見当たらないほどの美しさに、男はついに沈黙してしまった。
「お仕事ご苦労様です。アラン・リードの妻、カルア・ソネット・リードと申します。お見知りおきを」
天女の微笑も斯くやと思わせる笑顔でカルアが挨拶すると、男の意識はすでにカルアの美貌の虜となっていた。
そこでアランは、金額を提示して決断を迫った。
「マルカスさんは、スヘルデン商会からこの件に関しての全権を委ねられているんでしたね。3.000リュアンでは如何でしょうかね?」
その金額を聞いて、カルアは「まぁっ」と言いつつ手を口に当て、ナタリアは「えっ」と言って目を見開き、コニーとマルタは我関せずとばかりに笑顔をマルカスという男に大安売りで提供した。
マルカスは、これまでの人生でこれほどの美女に囲まれて過ごした経験など一度もなく、故に気持ちが天に舞い上がって下りて来なくなってしまっていた。
だから、アランに提示された3.000リュアンという金額が妥当なものかそうでないかの判断など遠に付かなくなっていた。
だから、そこで安易に返事などすべきではなかったのだが、コニーが何かの拍子にコクンと一度頷いたのに釣られて、マルカスも「うん」と返事をしてしまった。
「まぁ、こんな破格でお取引を願えるなんて、夢のようですわねだんな様」
「そうだね、カルア」
「マルカス様がとてもお優しい方で良かったですわ」
「ホントにホントに。こんな大口の取引を即断できるなんてすごい勇気も持ち合わせているしね」
「なんとお礼を申し上げてよいやら、困ってしまいますわね」
「今日はマルカスさんに十分楽しんでもらえて良かった」
そのあとの実務的な契約は、その場で間髪を入れずにナタリアが用意していた契約書にサインすることで、正式に向かいの土地がスヘルデン商会からリード男爵家の所有に変わった。
数時間後、土産を持ちきれないほどに渡されたマルカスは、特別にテムジンの操作する馬車で王都のスヘルデン商会へと送り返された。
アランが新たに手に入れた土地と建物の用途を考えていると、リード男爵家のお仕着せの執事服に身を包んだルネがやって来て、これから王都に向かいますと報告してきた。
タイミング的にはこれ以上ないほどの巡り会わせに、アランは笑みが零れるのを止められなかった。
王都での滞在を1日延長して、メインストリートで商売をする他の店のことも見て回って来るというルネを、まずは落ち着いてよく聞けと諭してから、アランは本題を切り出した。
「いいかい、ルネ。これから行くところは、キミも一度見てきたように王都でも指折りの老舗で大きな商売を展開しているスヘルデン商会だけど、もう生き延びるだけの余力を持っていない状態なんだ」
「それは先日の調査でも薄々感じてはおりましたが、それほどまでに窮迫しておりましたか」
「うん。それでね。話の流れの中でいいから、スヘルデン商会そのものを買い取れないか見てきて欲しいと思ってるんだよ」
「それはあまりに壮大なお話ですが、資金的な面での保証はございますか?」
「それは尤もな質問だけど、今このタイミングでスヘルデン商会に乗り込むと、きっと面白いことが起きると思うよ」
「面白いことと仰いますと?」
「今立っているこの土地なんだけど、今日スヘルデン商会から買い取ったんだ」
「へっ! 失礼しました。それはまたなんとも早手回しな・・・」
「だから、今スヘルデン商会の会長の手元には、現金で3.000リュアンが収まってるけど、そこをちょこっと突いて欲の皮を刺激してやるとどうなると思う?」
「それはまぁ…。町の噂では、実務能力は欠片もないが、大きな夢を見て法螺を吹かせたらカスマンド一だとか」
「そういうこと。手持ちの現金を増やすお手伝いをしましょうか、とか言って話を持ち掛ければ、おそらくコロッと靡いて来ると思うから、出来るだけ買い叩いて安く仕入れて来てくれないかな」
「承知しました。力の及ぶ限り努力してご主人様の希望に沿う結果を持って帰ります」
「うん、頼んだよ」
ともすれば重圧に押しつぶされそうな顔つきで馬車に向かって歩くルネの後姿を見ながら、アランは3班の男を手招きして呼び寄せた。
「アスワン商会から戻って来てもらったのは他でもないんだけど、今の話、聞いてたよね」
「はい、ご主人様。私はルネ殿のバックアップに回れば宜しいですかな?」
「うーん、バックアップで済めばいいけど…。」
「では、私が前面に出て交渉をまとめても構わないと?」
「きっとそうなると思うな、ルネのあの様子じゃ」
「では、王都で偶然落ち合った風を装って近づくという事で宜しいですかな?」
「ま、その辺は任せるよ。恐らく今のヘルスデン商会の会長なら、お金の匂いを嗅がせるだけで大丈夫だよ、きっと」
「では、ご主人様はヘルスデン商会の買い取り額を如何程とお見積りでいらっしゃいましょうか?」
「うん、そこなんだけどね。35.000リュアンが妥当かな・・・」
「お言葉を返すことをお許しいただけるなら、それはあまりにも過大評価かと」
「そうかな?」
「支店もすべて売却したうえで、仕事を切り回す使用人もいない状態では、10.000リュアンでも高い買い物と言えるかもしれません」
「そこまで値切れるものかな」
「スヘルデン商会の売りは、今ではネームバリューだけでございましょう。物を売るという基本が出来ておりません以上、買い叩くのは容易なこと」
「ふーん」
「それに、現在の会長は世間知らずのお坊ちゃまですから、店の価値に恐らくは気付いておりますまい」
「なるほどね」
「こういう輩は、えてして現金の魔力からは逃れられないものでございます」
「だから、どんと現金を見せてってことかな?」
「ご明察でございます」
「まぁ、とにかく任せるから、ルネをよろしくね」
「承知いたしました」




