61 誤算
グリザの馬車は、2頭立て6人乗りである。
特に急ぎの用でない限り、使用人が馬車を使う必要が生じた場合にはこれを使う。
アランが決めたルールではないが、自然とそういう風になっていた。
だからレオもグリザの操る馬車に乗って王都へ向かった。
馬車でコータルから王都までは半日の距離であったから、午前中に出ればとにかくその日の内には王都に入ることは出来た。
しかし、貴族の屋敷に用があって尋ねる場合、日も落ちて暗くなってから訪いを告げるなど言語道断の所業でしかない。
さすがにレオも執事の息子として生まれ、これまで短いながらも執事としてデイマークス辺境伯家で仕事をしてきた経験から、その程度の常識は持っていた。
但し、翌日の朝一番に訪ねるために王都での宿泊を何処にするかという問題を除いては、であったが。
貴族の代理人として執事が貴族の屋敷を訪ねる場合、相応の服装が必要になる。
主人である貴族の体面を汚さない為であることはもちろん、自分自身の値打ちを安く見積もられない為でもあった。
特にどこかへ転職する意思はなかったとしても、それは当然執事として身に付けておく常識であったし、行く行く自分が仕える貴族の下で筆頭執事などの役職に就いた場合の他家からの印象操作という意味も含まれていた。
レオは、自然と身についているそれらの常識に縛られることを嫌う傾向にあったが、今回の用件は話が別だった。
この程度の用をキチンと熟せない様なら、おそらくリード名誉男爵は自分を不要と判断するのは間違いないだろう。
着の身着のままで飛び出して来たは良いけれど、自分がリード家の執事であることを証明する術が、渡された手紙だけというのはかなり心許なかった。
世の中にはメッセンジャーボーイという子供たちがいて、そういう少年たちでもこの手紙を渡すだけなら用が足りる。
これは、まず服装をどうにかしないと、タランテロード公爵邸の門を叩くことすらかなわないと、レオは王都に着いてから初めて思い至った。
これまで接してきた経験から、リード名誉男爵の肩肘張らない生き方に憧れを抱いて彼の下で働くことを志願したのに、そのことが却って足枷になって自分の主の評価を貶めかねない状況に、ため息をつきかけた。
確かにアラン・リード名誉男爵であれば、軽装で訪れて用件を伝えることも可能だろう。
しかし、これから向かう先は、デイマークス辺境伯と国内の貴族の派閥を二分する超大物である。
そんなことが許されようはずもない。
現在のレオの手持ちの現金は、3ブーイ2シュルのみである。
これだけの資金で貴族に仕える執事の服装を揃えることは不可能だ。
それだけは間違いない。
どうしよう…。
大見得を切ってリード名誉男爵の下を出て来たからには、せめてメッセンジャーボーイ並みの仕事くらいは熟して帰らなければ、口すらきいてもらえないだろう。
今の自分の服装を鑑みて、レオは最大限に知恵を働かせて言い訳をあれこれ考えた。
そして、ついに馬車の中で夜を明かしたことに気付かず、朝を迎えた。
王都は流石に国王が坐す都だけあって、様々な職種の者がいる関係上こんな夜明けでも食べ物に困ることはない。
金さえ払えば、四六時中開いている食堂でも、常に焼きたてを店頭に並べているパン屋でも、スープだけを飲ませる屋台でも、どこでも好きなところで食事ができる。
グリザは勝手を知った王都の裏道に小さな店を構える、テイクアウト専門のスタンドで魚のフライを買ってきた。
それを御者台で食べ終わった頃、そろそろいい時間だと思ってキャビンに声を掛けると、中でレオという新参の自称執事が真っ赤に充血した目を腫らして、ブツブツと独り言を呟いていた。
「レオさん、もう公爵家へ行っていいかね?」
「・・・・・・・・・・」
「困ったダンナだな、まったく」
「・・・・・・・・・・」
「もう馬車を出しますよ」
「・・・・・・・・・・」
それから程なくして、グリザの操る馬車はタランテロード家の門前に到着した。
「レオのだんな、公爵様のお屋敷に着いたよ」
「・・・・・・・・・・」
「ダメだな、こりゃ」
グリザは、詳しいことは分からないものの、レオの持っていた男爵からの親書を取り上げて宛先を見た。
そこにはタランテロード家家令殿 と書かれていたので、仕方なくそれを門番の私兵に見せて取次を頼んだ。
アランからの親書を受け取った門番は、それがどういう人物からの手紙か分からないまま玄関で若い執事に託して、返事を待った。
普段であれば、たっぷり2時間は待たされる、見ず知らずの人物からの手紙の取次が、その日に限ってたった15分で返事が戻って来た。
そのことにも驚いたが、さらに門番を驚愕させたのは、家令自ら玄関に出てきてどんな人物がこれを持って来たかを尋ねたことだ。
普段なら洟も引っ掛けられない身分の差がある自分にものを聞く家令の慌てた様子に、これは徒ならぬ用件であったのではないかと勘違いした門番は、グリザの容貌を克明に語って、逆に家令の心を安んじさせた。
家令は、腰の軽いアラン・リード名誉男爵ならば、自ら親書を持って来てタランテロード家の反応を見ているかもしれないと危惧したのだが、それは杞憂に終わった。
但し、依頼された要件に関しては、完璧なまでの配慮と手配りが為され、ハイデルフォール子爵の下にアランの配下の誰であれ訪れた時点で、売買契約が完了するほどの念が入れられた。
家令に渡された返書を手に、門番がグリザのところまで戻って来たのは、まだ馬たちの汗を拭き終わる前だった。
こんなに早く用件が済むと思っていなかったグリザは、門番から渡された親書を自らの懐にしまって、すぐにコータルへ取って返した。
昼前に上屋の前に馬車を着けたグリザは、役に立たない自称執事を放っておいて、自分の足で返書をアランに届けることにした。
ただ、アランの下に辿り着く前にカルアが気付いて声を掛けてくれたので、返書を彼女に預けて今回の仕事は終了したと思っていたのだが、馬車を車庫に入れて馬たちを頸木から外したところで、アランに声を掛けられた。
「お疲れ様、グリザ」
「とんでもない、そんなお言葉を頂戴するほどの用事じゃなかったですよ、男爵様」
「ところで、勝手にこの馬車に乗って行ったはずのレオって男を探してるんだけど、知らないかな?」
「レオのだんなですか? それなら、ほれ」
グリザが指さすキャビンを覗き込んで、アランは絶句した。
自称腕試しのために主替えを申し出た執事が、正体もなく眠りこけていたからだ。
「念のために聞くけど、レオは今回の用事で何をしてきたのかな。正直に答えてくれると有り難いんだけど」
それは暗に隠し事や庇い立てはするなという気迫が込められた質問だったので、グリザは仕方なく正直にすべてを答えた。
説明を聞いているうちに、アランの表情が厳しいものから呆れた様子に変わり、最後には侮蔑の表情まで窺えたことに、グリザは情けない思いに捉われていた。
自称執事だった男は、その場で解雇を申し渡されて行く宛てもなくトボトボと歩き出した。
レオが最初の曲がり角を曲がって姿を消した時、アランに呼ばれて馬車の影に隠れていた、4班に分類されたモノリスのメンバーのサカという男が、静かにその後を尾行していった。
アランにはルネの記憶は鮮明にあったものの、レオという男については、10日以上のデイマークス辺境伯邸での滞在期間中、数えるほどしか顔を合わせていないことを思い出して、何かキナ臭いものを感じ取っていたのでサカに後を着けさせることにしたのだ。
執事が一堂に会して行われた、アランの名誉男爵授爵の式典の折りにも、レオの姿はなかった。
馬車の拝領の折りにも、その姿を見た覚えはなかった。
ただ、デュケリの件が明らかになって、アランが騎士団本部に怒鳴り込んだ時には、場違いな男が居るなという程度であったものの、顔を見た覚えがあった。
すべてはアランの憶測に過ぎないものの、レオはそういう反面を持った男だと思って接することにしたのだが、たった1日で馬脚を露すとは考えもしなかった。
結局その程度のことしか出来ないから使い捨てられたのだろうが、カルアの蒙った被害を思うと、只で行かせるつもりなどさらさらないアランだった。
サカが出て行って10分ほど過ぎた頃、また1人4班の男が静かに歩き出した。
そして、その5分後にももう1人。
都合3人がレオの尾行の任に就いたのだが、これはアランの知らないことだった。
おそらく自分を探し始める頃だと判断したのか、4班を束ねる冒険者上がりのモノリスメンバーで、常に飄々とした雰囲気を漂わせていたゲルジンという男が、いつの間にかアランの隣に立っていた。
「尾行に3人着けました」
それだけ言うと、ゲルジンはアランの言葉を待つように静かにその顔を見つめた。
「ゲルジンも怪しいと思ってた?」
「いえ、サカを呼ばれた時点で何かあるなと・・・」
「サカはそういうのが得意なんだってね」
「得意というか、それ以外は平均以下ですな」
ゲルジンは押し殺した笑いと共にそう言って、アランの苦笑を誘った。
「そういうものなのかな、こういう特技って?」
「人それぞれですが、ことサカに関しては、尾行に失敗したことはありません」
「へぇ、そりゃ凄いね」
「だから、冒険者稼業では食っていけなかったんでしょうな」
「そういうもんなの?」
「冒険者の依頼に尾行というのはあまりない、というか滅多に無いですから」
「他は平均以下って言ってたけど」
「はい、武器の扱いはまぁ、初心者に毛が生えた程度ですか。だから魔物が出ても1人では対処できないでしょう」
「どこでそんな技術を身に付けたか知ってる?」
「私も詳しくは。ただ、やってみたら出来たと言っておりました」
それを聞いて、アランは堪え切れなくなって吹き出した。
「そういうのも、やっぱり貴重な特技だからね。ここでは大事にするつもりだよ」
「ありがとうございます。モノリスの中でも4班に属する者は皆、男爵様の下でないとご奉公出来ないでしょう。何せアクが強いですから」
ゲルジンは、笑いながらもどこか安堵の表情を浮かべているように見えた。
それは、冒険者としては半端な力しか持たない者たちが、個々の能力を活かせる終の棲家を、ようやく見つけることが出来たという笑いだったのかもしれない。




