55 再びコータルへ
翌日は朝から大雨だった。
こちらの世界に来てから雨に降られたことがなかったアランは、久しぶりにゆっくり体を休めるようにカルア達に言って、自分ももう少しカルアの柔らかさに耽溺しようと思ったが、ふとコータルの件を思い出して仕方なく体を起こした。
「コータルで残してきた用事にケリを付けなきゃいけないのを思い出しちゃった。カルアはゆっくりしてて」
そう言って部屋を出て行こうとして、カルアに睨まれた。
「あの・・・。ボクは何か奥さんを怒らせることをしましたか?」
「別に・・・」
「明らかに怒ってますよね、カルアさん?」
「いいえ」
「あの・・・。ボクはこういう場合どうすればいいんでしょう?」
「お一人で行こうとされるからです」
「でも、この雨だし。カルアに風邪を引かれると、ボクが困るから」
「馬車があります」
「で、一緒に行くんですか?」
アランはカルアに無言で睨まれて観念した。
「じゃ、テムジンに馬車の用意をさせて」
「かしこまりました、だんな様」
輝くような笑顔になって、カルアは部屋を出て行った。
馬車じゃ時間がかかり過ぎるんだけどな・・・。
ま、今更言っても仕方ないけど。
寂しかったのかな、カルア・・・。
馬車の支度が出来たとテムジンからの伝言があって、アランがロビーに降りて来ると、そこには既に軽装に着替えたカルアが待っていた。
いつの間に着替えたのかと考える間もなくアランは馬車に押し込まれて、続いてカルアも乗り込んだ。
留守番をすることになったネロンガとナタリアに、くれぐれも伝書ツバメを見逃さないように言いつけてから、マルタを呼んで馬車に乗るように言いつけた。
「私もご一緒するのですか?」
「そうですよ。あなたはだんな様とあたしの世話をするのが仕事でしょう」
「かしこまりました。でも、この格好では・・・」
そう言いかけたマルタを視線で制したカルアは、
「急な用事の時は、却って小間使いの格好の方が役に立つ場合があります。そのままお乗りなさい」
と言って、強引にマルタを馬車に引き上げた。
「テムジン、出してください」
「かしこまりました、奥様」
馬車はアランの意思を措いて動き出した。
「あのさぁ、カルア」
「なんでしょうか、だんな様」
「コータルまで行くには2日かかるんだけど・・・」
「存じております」
「途中どこかで泊まるか、野宿しなくちゃいけなくなるんだけど、そんな用意してないでしょ?」
「だんな様のカバンにご用意が入っておりますので、あたしは何の心配もしておりませんよ」
すべてを先読みされて、何も言い返せなかったアランは、奥さんの掌で踊らされているってこういう状態なんだろうな、などと考えていた。
すべてを自分で決めてすべて自分で行動する必要がなくなったことに、アランは少しばかり寂しさを感じたが、これから先のことを考えるとこういう状況に慣れていかなくてはいけないことも、十分に承知していた。
「テムジン、辺境伯邸に寄ってくれるかな」
「かしこまりました、男爵閣下」
「辺境伯邸に何かお忘れ物でもございましたか?」
マルタが少し慌てたように聞いてきたので、アランは安心させるように笑って言った。
「そうじゃないよ、マルタ。これから行くところの情報と紹介状を書いてもらおうと思ってね」
「それでは、タランテロード公爵家に向かわれるのですね、だんな様」
「ははは、カルアは何でもお見通しだね」
「では、私は何をすれば・・・」
マルタが困ったように体を縮めたので、カルアが微笑んで安心させるように言った。
「マルタはだんな様のお仕事に直接関係することはありませんから、安心なさい。その代り、だんな様が戻られた時に心安らぐ雰囲気を作ってくれればいいのですよ」
「かしこまりました、奥様。それでよろしいのでしたらお任せ下さい」
キャビン内でそんな会話が進行しているうちに、馬車はデイマークス辺境伯邸に到着した。
跳ね橋を渡って、門衛の騎士に馬車の持ち主を確認されたテムジンは、
「いつまでもそんなことをしてるようじゃ出世はないな、あんた」
と嫌みを言って通過した。
慌てて追いかけようとする騎士を、もう一人門衛に立っていた騎士が追いすがって引き留めた。
腕を取られて引き戻された騎士は、
「何をする。勝手に通しては我々の任務に支障があろう!」
と怒ったが、引き戻した騎士の方は既に顔色を青くして震える声で言った。
「男爵閣下も紋章をお作り下さればこんなことにはならないものを…」
「放せ、貴様!」
「バカ!リード名誉男爵閣下の馬車だぞ。しかも辺境伯閣下御自ら贈られた馬車を知らんとは、貴様こそ職務怠慢だぞ!」
「えっ…」
絶句して固まった騎士は、自分の運命を考えて絶望の色を顔に貼り付けた。
「怒らせると、2万人の犯罪組織を壊滅させるほどの方だからな・・」
「オレはもうダメだ。短い生涯だったなぁ…」
後ろでそんな会話が進行していることも知らずに、馬車は騎士団本部の前に横付けされて、御者台から飛び降りたテムジンが本部の建物に入って行った。
取次の騎士から用件を聞かされたサイマール副団長は、マルチネス団長を通すことなく独断で辺境伯の都合を聞くために本邸に向かった。
マルチネス団長は、デュケリの事件の後も精神的に不安定な状態が続いていて、今日も出仕はしているものの机の前に座ったきり何事にも興味はないといった風情で、窓の外を眺め続けていた。
筆頭執事にリード名誉男爵の来訪と、辺境伯への面会の要請があったことを伝えて返事を待つ間、サイマール副団長は昨日のパーティの余韻の残る玄関ホールを見渡して時間を潰していた。
然程の時間も経たないうちに筆頭執事が戻ってきて、サイマールに面会の許可と謁見室への案内を指示すると、直ちに取って返して謁見室の準備に戻って行った。
サイマールは、取次の騎士の頭越しに自ら馬車に赴いて、扉の外からアランに謁見室への案内をする旨を伝えた。
馬車はそれを合図に本邸に向けて動き出し、長い車寄せの勾配をゆっくり登って正面玄関に横付けされた。
フロックコートを身に着けた執事が扉を開けて、まずはカルアの手を取って馬車から下ろしたのは前回と同じだったが、今回は忘れることなくアランが降りるのを待って邸内に案内してくれた。
謁見室は前回馬車を贈られた時に入って以来だったが、その時同室していたマルチネスが今は隣に居ないことに、アランは時の流れを感じていた。
辺境伯邸で目的を果たしたアランは、その足で休む間もなくコータルへの道を進んでいった。
デイマークス辺境伯は、タランテロード公爵家への紹介状を書くことを初め渋っていたが、今回の事件の規模の大きさと初めに人身売買組織の壊滅に向けた行動を起こしたのが自らの領内の事件だったことを考慮して、極めて前向きにではなかったが、アランの身分と自分との関係を記した上で、公爵への紹介状を用意してくれた。
その上で、アランに今回の事件の犠牲者への哀悼の意と、被害を蒙った公爵自身への見舞いの言葉を託してきた。
勢力が拮抗する貴族同士の関係は一筋縄で行くようなものではないことは、アランも重々承知していたつもりだったが、これほどに回りくどい手順を踏まなければ挨拶一つできない慣習には心底辟易した。
これは何もカスマンドだけに限った話ではないだろうし、貴族制度に由来した弊害であって、何もデイマークス辺境伯とタランテロード公爵の間だけに出来した特殊な事情という訳でもない。
それ故に、アランはデイマークス辺境伯の態度を責める気持ちにはなれなかった。
同時に、まだ見ぬタレンテロード公爵をもまた、特に非難しようとは思わなかった。
特に今回は、タランテロード公爵は被害者である。
実際に被害にあったのは執事でありメイドであり下男下女であったが、公爵が蒙った金銭的被害と名声の失墜は測ることの叶わぬ大きさでもあり、これから先これらを取り戻すのにどれだけの時間と費用が必要かを思うと、眩暈を感じざるを得ないアランであった。
アランが一人物思いに耽る姿を見て、カルアはこれから赴く先が一筋縄ではいかぬ相手であることを改めて感じ取っていた。
「テムジン、急ぎます。出来る限り早く馬を走らせて下さい」
いつにないキツイ口調に、テムジンは普段はほとんど使うことのない鞭を馬たちに浴びせて、急ぎの意思を伝えた。
馬たちもテムジンの気持ちを察したかのように、速足を駆け足に変えて一気に速度が上がった。
この調子で走り抜けることが出来たなら、一日行程を縮めることが出来ると感じたテムジンは、振り返ってキャビンにいるマルタにその旨を伝えた。
元来、ウーサ種の馬は体格が大きいだけに持久力にも優れていて、速度では悍馬に及ぶべくもないものの、それを除けば断然に早い種でもあった。
いきなり速度が上がったことを感じたアランは、カルアの気遣いに感謝するとともに、妻の存在感の大きさに感動していた。
もし自分一人で行動していたら、今頃はすでにコータルでメイドたちを保護していただろうし、王都でタランテロード公爵との面会も済ませていただろう。
しかし、それでは自分に従う者たちが育たない。
それはすぐに影響が出ることではないだろうが、やがて真綿で首を締めるようにアランの行動を阻害し、大きく羽ばたくことにも障害となって来るだろうと思った。
自分一人で出来ることなど嵩が知れている。
それは今回のコータルでもイヤというほど味わった感情だった。
だからこそ、自分の意を汲んで率先して動ける仲間を育てなければいけない。
それが例え、今は遠回りだと思えても、やがて来る未来に花を咲かせる木を育てるように、愛情を持って接し、時に叱り、時に褒めるといったことを繰り返しながら焦ることなく時間をかけて取り組まなければいけない、最大の課題だと理解していた。
アランのショルダーバッグの中身は、時間の影響を受けないことに気が付いていた。
そこで、ロマンダリアに入る前にガルーダが狩った大羊の片腿の燻製を引っ張り出して、それで昼食を済ませた。
「だんな様のカバンは魔法のカバンだと伺っておりましたが、何が入っているかまでは存じませんでした。この前のバーベキューセットといい、この燻製といい、反則ですね」
笑いながら言うカルアにペットボトルの水を勧めながら、マルタの方を見たアランは、いつも両頬を隠すように下ろしている髪をアップにまとめていることに気付いて、その顔の可愛らしさに驚いていた。
「いつもの髪形もいいけど、髪をまとめて上げると大人っぽくていいね、マルタ」
幼いころからの悩みの種だった痘痕がいつの間にか消えていたマルタは、それがアランのペットボトルの水の効果だとは知らずに、素直に礼の言葉を口にした。
「お褒め頂いたと思ってよろしいですか、男爵様」
「もちろんだよ。マルタがこんなに大人っぽかったなんて知らなかったんだし」
キャビンの中の雰囲気は、陰鬱な雨を感じさせないほど暖かく、そして何より明るかった。
御者台のテムジンは、そのことが御者としてなにより嬉しく、また誇らしかった。




