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44 動き始めると・・・

 カルアに呼び止められて振り返ったマルタは、自然とカルアの正面に立つのを避けてその横顔を見る位置に素早く移動した。


 そんな訓練など受けたことはなかったのだが、不思議とそこに立ってカルアの言葉を待つのが一番良いと思えた。


「はい」


「あなたにお世話をお願いする方がもう一人いらっしゃいます。ついて来て下さい」


「かしこまりました」


 カルアはマルタを連れてシングルの客室に向けて歩いて行った。


 歩きながらカルアは、


「マルタさんは身体障碍者の介護経験をお持ちですか?」


 とマルタに問いかけた。


「専門的な知識はネロンガさんに劣りますが、一通りのことは出来ます」


 と答えた彼女に、カルアは更に


「8人の中でただお一人の女性ですから、おそらくはあたしの世話を目的にだんな様があなたを呼ばれたんだと思います。けれど、今は少し事情が変わってもう一人お世話をしていただかなくてはならなくなりました。ここがその方の部屋です」


 と言って、ドアをノックした。


 そこは、一人で移動することも儘ならないナタリアでは従者部屋の2段ベッドは勝手が悪いと、アランが特に彼女の為に用意した部屋であった。


 ノックに応えて


「お入りください」


 と声がしたので、カルアはマルタを伴ってナタリアの部屋へ入って行った。


 部屋の中では、夜着から普段着に着替えたナタリアが、杖を頼りに立ち上がって備え付けの椅子に座ろうとしているところだった。


 起きたばかりで全身の筋肉がまだ目覚めていない状態のナタリアは、懸命に一歩を踏み出そうとするのだが、力を掛けた杖が震えて上手く移動できていない様子だった。


 さっとカルアの脇からナタリアの横へ移動したマルタは、力をうまく伝えられずに震える杖を握るナタリアの手に自分の手を重ね、杖が安定したところで肩に手を置いて、そのまま2歩3歩と誘導しながら最後は上手にナタリアを椅子に座らせた。


「あの、この方は…?」


 疑問を口にしたナタリアにカルアが


「マルタさんとおっしゃいます。だんな様があたし達の世話をお願いするためにロマンダリアから呼ばれた方です」


 と説明した。


「マルタと申します。リード総統と奥様の下女として参りました」


「まぁ、それは遠いところを・・・」


「ご覧になった通り、障碍者の介護も一通りお出来になるようなので、ナタリアさんのお世話もお任せしようかと」


「それではマルタさんの負担が増えてしまいますね。私はネロンガさんにもお世話になっていますから、どうしても女性のお力をお借りしたい時にお願いするというのはどうでしょう」


「そのあたりは、これから追々様子を見て決めることにしましょうか」


 ナタリアの部屋を出た2人は、次にアランとカルアの部屋に向かった。


 続きの間付きの部屋は広く、リビングや応接間としての一部屋目と奥の寝室に別れている。


 カルアはリビングのソファに座って、マルタにも座るように促したが、彼女はそのままカルアの座っている脇に立ったままでいた。


「ここがだんな様とあたしの部屋です。普段は誰も入れることはないのですが、あなたがだんな様とあたしの世話をして下さる方だと思って入っていただきました。」


「失礼します」


カルアの言葉を聞きながら、マルタは視線を部屋の中に走らせて大凡どこに何があるかを確認すると、すぐにお茶の用意を始めた。


 これまで使われることのなかった部屋に備え付けの小さな竈に火を起こし、薬缶を掛けてから陶器の急須に茶葉を入れ、湯が沸くのを待つ間、視線をカルアに戻して次の言葉を待った。


「だんな様は、おそらく今日にはこの宿を出て次の目的地に向かわれる予定だったと思います」


「はい」


「でも、あなた方がいらっしゃったので、1日2日はこのままここであなた方のお疲れが取れるまで滞在を延ばされるのではないかと思います」


「はい」


「そうなった場合、その間マルタさんにはこのリビングで寝起きをお願いすることになると思いますが、エキストラベッドを一台入れていただかなくてはなりませんね」


「男爵様と奥様さえよろしければ、このソファをお借りしてここで眠らせていただきたいのですが」


「良いのですか、それで」


「はい」


「では、毛布をお借りしなければいけませんね」


 立ち上がろうとするカルアを止めて、マルタが言った。


「それも私がいたします。奥様は男爵様のことだけをお考え下さいませ」


「どうも、身分不相応な立場というのは慣れませんね」


 カルアは苦笑した。










 レストランに入って行ったアランとガイルが席に着くと、すぐにシェフがやって来た。


「おはようございます、リード男爵様。お目覚めはいかがですか?」


「目が覚めたらいきなり従者が増えててビックリしてます」


「それはそれは…。では、朝食をお持ちしますが、奥様の分はどうなさいますか?」


「カルアの分は、ここへ来た時で」


「かしこまりました」


 その後、アランは朝食を、ご相伴にあずかることになったガイルは2度目の朝食を、それぞれ取りながら打ち合わせを行った。











 ガイルはロマンダリアの王都ケスの一角に縄張りを持つトライスの下っ端だった。


 元からの悪だった訳ではなく、些細な借金を形にいつの間にか奴隷にされて悪事の片棒を担がされる日々だった。


 旧暁の花園がアランに潰された時、ガイルはすぐに警備兵の駐屯地に自首して出た。


 簡単な取り調べを受けたが、彼と同じように自首して出た者は数千人に及んだため、警備兵も軍の調査部も首都ケスの役所も隣接した町や村の役場も、すべて機能が停止するほど混雑してしまったので、違法な奴隷契約の下での軽微な犯罪歴と、逃亡の意志が無いことを確認されると、すぐさま放免されてしまった。


 行く宛てもなく、身に付けた技能もなく、まともな職歴もないガイルは働き口が見つからず、意気消沈していたところを暁の花園の下っ端時代に顔見知りだった男に誘われて、慰問団の荷物運びの職を得た。


 それは正確には職と呼べるものではなく、ただ慰問団の日々の活動の補助をすれば寝るところと食べる物を支給されるに過ぎない待遇でしかなかったが、とりあえずそれで糊口を凌ぐことは出来たので、それを自分の仕事とガイルが位置付けただけのことだった。


 慰問団というのもアランが即席で思いついた部門で、これまで国や町に迷惑をかけてきたお返しに、楽器が多少出来る者、歌が多少歌える者、芝居のセリフが噛まずに言える者、その他何らかの芸と呼べそうなものを身に付けた者を寄せ集めて作った適当なものだったのだが、犯罪者の更生に一定の理解を示してくれたロマンダリアの王宮に招待されて、一通りのことを見せただけなのに寸志という名目で謝礼を賜ることが出来た。


 これ以後、暁の花園の慰問団はロマンダリア王室のお墨付きということで、引く手あまたの状態となって今日に至っていた。


 その猫の手も借りたい状態の慰問団から、荷物運びのリーダーに昇格していたガイルを、アランは引っこ抜いてきたのだ。


 荷物運びとは云うものの、リーダーともなれば次の公演先に先乗りしてその地の勧進元との交渉や団員たちの宿泊先や食事の世話など、一切の雑用を熟さなければならなかった。


 それを引き抜いたのである。


 伝書ツバメのもたらした一報が慰問団に知らされた時、総統は鬼だという怨嗟の声が満ち溢れたことを、アランは知る由もなかった。









 アランは、次の目的地であるコータルの町の地図と、そこへ至る道を詳細に描き出した道路地図を広げて、ガイルに細々とした指示を出した。


 すべてを飲み込んだガイルに、


「何人いればいい?」


 とアランが訊くと、即座に2人と答えたガイルは、その2人の名前を挙げた。


「カッサムとデリスがいれば、当面の活動に支障はないでしょう」


「了解。ところで、コータルまでは何日かかりそう?」


「さて、オレも初めての土地で何とも言えませんが、この地図を見る限り4日あれば往復できるかと」


「ふーん、じゃ、向こうでの仕事も含めて6日の時間を与えるから、ちょこっと行って調べて来てくれるかな?」


「かしこまりました」


「それとね、ネロンガを付けるから、商業者協同組合へ行って最速の馬が引く4頭立ての6人乗りの馬車をすぐに用意してもらうように手配してもらって」


「あの、ネロンガってヤツ、そんなに押しの強い男には見えなかったですが」


「まぁ、ネロンガの押しが強いんじゃなくて、彼が一緒に居ることで誰の用で来たかが分かるってことかな?」


「総統、いえ、男爵様、ここでも何かやらかしたんですか?」


「人聞きの悪いこと言わないでよ。ちょっと頼み事しただけだよ」


「はぁ?」


「ま、行けばきっと便宜を払ってくれると思うから」


「そうですか、男爵様がそう仰るなら」


「じゃ、疲れてるとは思うけど、馬車が用意できたらその足で頼むね」


「はっ!」


「余談だけど、3人のうちで御者の経験がある人って居るの?」


「いえ、オレを含めて誰も・・・」


「そう、じゃ、ちょっと待ってね」


 そう言うと、アランはレストランの給仕の女性に頼んで、テムジンをレストランに呼んでもらった。


 レストランに入って来たテムジンは、彼がこの場所に居るのが場違いだと一目で分かるほど緊張して動きにいつものキレがなかった。


 ぎくしゃくして、歩くたびに右手と右足が同時に動き出すその様子は、たちの悪い田舎芝居のようだった。


「テムジン、わざわざ来てもらったのはお前に聞きたいことがあったからなんだけど、今ってちゃんとしゃべること出来そう?」


「も、もちろおんであります。男爵閣下のご下命とあらばどこへなりとも…」


「いや、何処へなりとも行ってもらっちゃ困るんだけど」


「で、なんのご下問でありましょうか?」


「テムジンの知り合いで、信用できる御者はいないかな?」


「それであれば、2名ほど心当たりがありますであります」


「その人たちとすぐに連絡って取れる?」


「はっ、デイマークス辺境伯閣下のお邸に出入りの馬車を担当する者達でありますから、今すぐにでも」


「えっ、それって、辺境伯閣下のお抱えってこと?」


「いえ、出入りの馬車を御するのが仕事でありますので、どこにも召し抱えられてはおりませんであります」


「そんな仕事があるんだね、へぇ~」


「では、すぐにでも呼んで来るであります」


「うん、頼むね、テムジン」


「はっ、お任せ下さいであります」


「さてと、これで御者も都合がついたみたいだし、後はよろしくね、ガイル」












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