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39 人材確保・・・出来るといいな。

 スラム街の一角にある人身売買組織のアジトの一室で、ガムロア・デュケリは恐ろしさに震えていた。


 自分は何という軽率な行動を取ってしまったかと、もう何千回となく繰り返した自問自答を、また一から始めた。


 アラン・リードという成り上がりの女房が、これまで多くの女を毒牙にかけて各国に売り捌いてきたこの男にも見たことがないほどの美形だったことが事の始まりだった。


 デュケリが人身売買に手を染めたのは、もう15年も前のことになる。


 当時、騎士団で大きなしくじりを起こしたこの男には、事件をもみ消して自分の評価に瑕が残らないように画策するために、大金が必要だった。


 デイマークス辺境伯という人物は、磊落に見えて細かいところによく目が届くうえに独特の嗅覚を持つ人物だった。


 それ故、デュケリの引き起こした事件は、表沙汰になると非常にまずいことになる。


 発端は、極ありふれた迷子の捜索依頼だった。


 自分たちが住み、自分たちの手で守り、自分たちが忠誠を尽くす主が統治する町で、住民たちの信頼を得るべく、騎士となって経験の浅い者には、まず町のあらゆることを知る為と称してよくこういう依頼が回って来た。


 迷子の捜索には、簡単なマニュアルが用意されていた。


 首都ナンバサに比べれば遙かに小さな町であるから、小さな子供が立ち寄りそうな場所や迷い込みそうな路地は大体決まっていて、大抵はそういうところを探すと目的の子供の身柄を確保することが出来た。


 ただ、若いデュケリが担当した事例は少しばかり特殊で、捜索願が出されたのはグルリアの有力者の妾が産んだ子で、嫉妬した本妻が子供を隠してしまったという、痴情のもつれが大きく関わる事件だった。


 結果的にはその子供の居場所はすぐに分かったものの、身柄を確保することが難しい状況だった。


 精神的に追い込まれた本妻が狂気に憑かれた結果、子供を殺そうとして刃物を振り上げたところにデュケリが突入したのだが、本妻と揉み合ううちに彼女の持っていた短刀を奪ったまでは良かったが、その際勢い余って刃物が子供の目を掠めて視力の大幅な低下を招いてしまうこととなった。


 結果的に見れば、無事ではなかったものの子供の身柄は確保され、親元に返された。


 しかし、妾の父親が孫の目を返せと騒いで、辺境伯に訴え出るという騒ぎに発展してしまった。


 町の有力者は、この騒ぎを起こした本妻を離縁して、妾を妻に迎え入れることに決めたから、辺境伯に訴え出ると騒ぐ男は、妾の父親ではなく有力者の息子の外祖父という立場になってしまった。


 男を黙らせるには大金が要る。


 しかし、新米騎士の俸禄で外祖父に差し出す大金が用意できるはずもなく、鬱々と日を過ごすうちに人身売買組織に誘いを掛けられ、その仲間に堕ちてしまった。


 以来、デュケリは組織の密偵という立場で、騎士団の副団長という地位にまで上った。


 グルリアだけに留まらず、デイマークス辺境伯領内の騎士団の動きは組織に筒抜けとなって、やりたい放題の悪事を重ねてきたのである。


 今回も獲物は人数に任せて一気に攫うつもりだった。


 目撃者であるはずのスラム街の住人達は、脅しとはした金で黙らせるはずだった。


 だが、現場に居て一部始終を見ていたデュケリは、目の前で起こった事に恐怖して歯の根が合わぬほど震えた。


 それは文字通り、瞬殺であり虐殺だった。


 成り上がりが飼っているケームが突然現れて、容赦なく仲間の首を一瞬で引きちぎった。


 そこには何の躊躇いも容赦もなく、もしあの場にデュケリが姿を露わにしていたら、間違いなく自分も殺されていただろう。


 そう思うと、恐ろしさに体の自由が奪われた。

 

 どうやってアジトのこの部屋に帰って来れたのか思い出せないが、それでもここに居れば命だけは助かると本気でそう思っていた。


 そう、本気で思っていたのだ。










 辺りが暗くなる頃、南の方角からガルーダが騎士団の本部へ帰って来た。


 ガルーダは右足に一人の男を掴んでいた。


 一度臭いを覚えた相手は、どこに潜んでいようとガルーダにとっては狩ることに問題はない。


 スラム街の住人すら逃げ出すほどの廃屋の地下に潜んでいたその男は、家が壊される衝撃と轟音で我を失ったところを簡単に掴まれ、ここまで運んで来られたのだ。


 騎士団本部の玄関先に放り出されたその男を一瞥して、マルチネス団長はアランに言った。


「あとは騎士団が責任をもって尋問の上、処罰いたします。名誉男爵閣下におかれましては、今回の捕縛に多大な貢献をしていただきましたこと、感謝の念に堪えません。今後は名誉男爵閣下にご指導いただいたことを模範とし、より一層の精進を重ねてまいります」


 団長の発言は、どこかこの場にそぐわないちぐはぐ感が否めなかったが、精神的に衰弱している現状ではこれが精一杯であろうと思い、アランは苦笑をかみ殺しつつこれを聞き流した。










 その日、オーベルジュ・ド・グルリアへ帰る馬車の中は、アランとカルアの二人しかいなかった。


 アランの雰囲気を恐れて近づこうとしなかったネロンガは、無理を言ってテムジンと一緒に御者台に乗ったまま宿へと帰り着いた。


 玄関を入って、客室と従者部屋へ別れる時に


「そんなにボクが怖かったら、ロマンダリアへ帰るかい?」


 と尋ねたアランに対して、ネロンガは必死に食い下がった。


「とんでもねぇ。オレの仕事は総統と姐さんの使いっ走りと決めたんだ。何があってもついて行きますよ」


 その目は、幾分瞳孔が開いているようだったが、知らぬ顔をしておいてやることにしたアランは、


「明日も外に用事に出るからね」


 と念を押して部屋へ戻った。


 続きの間で着替えたカルアが化粧を落とし、結い上げていた髪を下ろしてアランの横に座った時、彼は既に夢の国へ旅立った後だったらしく、大きく舟を漕いでいた。


「そんなにお疲れだったのですね、だんな様。あたしは今日、怖い思いもしましたけど、だんな様の愛情に包まれて本当に幸せでした」


 小さな声で呟くようにそう言ったカルアは、アランが好きな膝枕に彼の頭を乗せた。










 朝食をゆっくりと噛みしめて嚥下したネロンガは、いつもの雰囲気に戻ったアランとカルアが仲睦まじくパンを分け合う姿を見ながら、ほっとしていた。


 総統が火のように激怒するのは姐さんの身に何かあった時と決まってるけど、昨日のあれは凄かったなぁ、と一人合点していたネロンガだが、アランの視線が自分の方に向けられた時には、決まって条件反射のように首を竦めるクセがついてしまった。


 普段は木偶の坊が服を着て歩いているようなアランにとって、カルアの存在は秘書であり妻であり母のようであった。


 女にとって夫から母に接するように甘えられる心境は、決して嬉しくはないが、さりとて全くそういう雰囲気を見せないというのも、自分に対して壁を作られているようで、これまた嬉しくない。


 アランが新たに別の女性を娶ると決めたのなら、その時は潔くその女性と彼の寵愛を分け合うつもりのカルアであったが、夫が母に甘える様に自分に接することで二人の時間を独占できるのなら、それも一つの戦略かと考える自分がいて、少し躊躇いを覚えることがあった。


 つらつらと考え事をしながらアランの様子を見ると、今日の彼の頭は寝癖がとれていなかった。


 いつもなら朝は必ず顔を洗った後、手渡したタオルで顔を拭いている間に彼の髪を手櫛で梳かしているのだが今日はそれが間に合わなかったのだ。


 昨夜、ソファで膝枕をしたまま寝てしまったカルアは、朝、足の痺れで目が覚めた。


 疲れて眠っている夫を起こしてベッドへ行くように促すのは簡単なことだが、何故か昨夜はそれが躊躇われた。


 膝に置いたアランの頭を愛おしく撫でながら、同時に指で髪を梳いてそこから立ち上る彼の匂いを嗅いでいるうちに、いつしかカルアも座ったまま眠ってしまったらしい。


 目覚めた時、指に絡まったままのアランの髪をやさしくほどいて、もう一度指で髪を梳かしたのだが真っ直ぐには戻らなかったらしい。


 今朝のカルアは、アランの洗面の世話をしている暇がなかった。


 いつもの通りアランより先に目覚めたものの、今日も外出する予定があったので自分の髪を整えることに忙しかったから、つい夫の寝癖を取ることを失念してしまっていた。


 昨夜、結い上げた髪を下ろしたままにしていたツケは大きくて、しっかりブラッシングして昨日のクセを落とすところから始めないといけなかったカルアは、朝食までの時間を使ってなんとかいつもの真っ直ぐな髪を取り戻した。


 一歩外に出れば、自分はリード名誉男爵夫人である。


 夫だけでなく、自分の容姿や服装の兼ね合いにまで気を使わねばならない身になった事を痛感していた。


 アランの隣にある時には、カルアの一挙一動までが彼の評価の一部となる。


 そのことを忘れては、共に外出などとても出来なかった。


 それが面倒だと思う反面、貴族とはそういうものだと納得する自分もまた、確かに居た。










 ナタリアの住まいへ向かう馬車の中で、昨日の事件の余韻がどれほど残っているかと心配していたカルアだったが、スラム街でも最も貧しい障碍者の多く住む一角に再び降り立った時、そこの雰囲気が昨日の事件の前とほとんど変わっていなかったことに、かなりとまどってしまった。


 スラム街とはそういうところだと知っていたカルアだったが、そうしないと生きていけない環境であることもまた事実だとあらためて知らされた気分だった。


 昨日訪ねた廃屋同然の建物のドアを軽くノックして、再び顔を出した右半身に麻痺がある老婆に訪いを告げると、全く何事もなくナタリアの元へと通された。


 そう、自分は貴族だから。


 だから、この老婆は自分を警戒して、決して昨日の事には触れない。


 それがこの町で生きるコツだから。


 この人たちもどうにかしてあげたいと思う。


 でも、実際には何もできない自分にもどかしくて腹立たしい気分になるだけ。


 カルアは、そこで気分を切り替えて、ナタリアに向かって挨拶をした。


「おはようございます、ナタリア・ハメルスさん」


「おはようございます・・・、あの・・・、お名前を伺っていたとは思うのですが・・・」


「ではあらためてご挨拶させていただきます。私はカルア・ソネット・リード。アラン・リード名誉男爵の妻です」


 驚いて、朽ちかけたマットレスの上で身を起こしたナタリアに、カルアは更に言った。


「こちらがアラン・リード名誉男爵閣下です。今日はあなたを雇用するために参りました」













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