40 これからのこと、考えなきゃ
「あの・・・、雇用と仰いましたか・・・?」
当惑の表情を浮かべて、ナタリアはカルアに聞き返した。
「はい。アラン・リードのたっての希望です。だんな様の下で働くにあたってご希望があればお伺いします」
「希望と仰られても…。私は一人で歩くことすら儘ならない身です。そんな者に何をお望みでしょうか?」
カルアとナタリアの遣り取りを黙って見ていたアランが、ふと思いついたように問いかけた。
「ナタリアさん、あなたは冒険者協同組合で仮帳簿の記載の仕事をしているそうですね」
「・・・はい・・・」
貴族というのはもっと厳めしいものだと思っていたナタリアは、アランがリンゴの値段でも聞くような何の衒いもない口調で自分に話し掛けたことに、身構えていた体の力がスっと抜けて行くのを感じた。
「ボクは、これから世界中を旅して周るつもりなんですよ」
「はい?」
この人は突然何を話し始めたのか、とナタリアは正直にそう思った。
だが、理解が追い付かない頭で、それでも男爵様の言葉を聞き逃すまいとその口元を見つめた。
「それでね、あちこちで狩りをしたり物を売ったり買ったりすることもあると思うんですけど、そういうのの記録ができればいいな、と思うんですよ」
「はぁ」
「だからね、そういうことが出来る人に傍に居て欲しいな、って思ったんですけど、おかしいですか?」
おかしいですかと問われて、そうですねとはとても言えないナタリアは、なんと答えて良いものか頭を必死に働かせた。
「では、私が男爵様の下で働くということは、私も世界中を旅して周るということですか?」
「そうなりますね」
「仰ることは分かりますが、私は男爵様もご存じの通り、一人で歩けもしないのに、どうやってご一緒しろと・・・」
「馬車もありますよ。もっともあれだって貰い物なんですけど」
アランの誘いに消極的な否定の言葉を口にするナタリアを見ていて、自分の身と重ねて考えていたカルアは、遠慮がちに問いかけた。
「ナタリアさんはお一人で暮らしていらっしゃいますが、ご家族はどちらにいらっしゃるのですか?」
それを聞いたナタリアの表情が一瞬歪んで、すぐに元に戻った。
「家族と呼べる者はおりません」
その言葉に怨嗟の感情が混じっているようだと感じたカルアは、更に言葉を続けた。
「それはもしかして、あなたの足が・・・」
「えぇ、そうです。私は生まれつき足が悪くて。ものごころがついた時には、貧民屈の障碍者が身を寄せ合っているこの家で生活していました」
「それは・・・」
「えぇ、私は歩けないから捨てられたんです。実の親に」
ナタリアにとっては思い出したくもない過去だろうが、涙も見せずに淡々と身の上を語った。
ナタリアの一番古い記憶は、3歳の頃の事。
歩けない彼女は、何処へ行くにも細い腕だけを使って床を這って動くほかなかった。
幼い子供の体力では杖を頼りに歩くことも出来ず、床が汚れていようが汚かろうが、そこをゆっくりゆっくり這うことでしか移動できなかった。
そのため、トイレが間に合わず、常に下半身に汚物を付けたまま生活していた。
共に暮らす障碍者たちも、ナタリアの面倒を見てやりたいと思ってはいても、自分の体の自由が利かないために手を差し伸べてやることも出来ない日々だった。
彼ら障碍者たちも幼少期はナタリアと同じ日々を過ごしてきて、そういうところに関しては諦めるしかないと思っていた。
劣悪な生活環境にあって、たまにナタリアのような捨て子が拾われてくることもあったが、その多くは幼い命を全うすることなく死んでいった。
みな、ここを出たくても出て行けない者達が身を寄せ合って暮らすしかないのだ。
けれど、今、ナタリアの前に手が差し伸べられた。
縋り付いてでも、その手を離したくない気持ちと、役立たずと罵られて捨てられるのはイヤだという気持ちが、ナタリアの中でせめぎ合っていた。
その葛藤が躊躇いを生み、救いの手を掴むことが出来ないでいた。
「では、とりあえずあなたにして欲しいことをお見せしましょうか」
カルアがそう言って、席を外した。
「ボクは、細かいことをきちんと整理する能力に欠けてるらしくて・・・」
アランは、今、現在の各口座の残高をきちんと把握していないことを例に挙げ、ナタリアにもう一度協力を頼んだ。
その態度は、どう見ても雇用主が使用人に取るものではなかったから、ナタリアとしては返答に困った。
「だからね、雇い主とか使用人とかじゃなくて、協力者って関係でお願いしたいんですけど、ダメですか?」
ついにナタリアは笑いを堪え切れなくなって、吹き出した。
「リード男爵様、それでは誰も言うことを聞きませんよ」
「そう、なの?」
「えぇ、貴族様はもっと傲慢なくらいが丁度いいですわ」
2人が会話を通して少しお互いの垣根を低くしたところに、カルアがネロンガを連れて戻って来た。
「ナタリアさん、彼はネロンガといって、だんな様の従者です。これからあなたと一緒に働く者ですから覚えておいて下さい」
「この人、あの時の女の人じゃないですか」
「ナタリアさんはあなたも知っているように足がご不自由ですから、あなたに介添えをしてもらおうかと」
「へへへ、まっかして下さいよ。これはオレの本職じゃないですか!」
「では、だんな様、商業者協同組合グルリア支部へ口座残高の確認に参りましょうか」
「うん、そうだね」
「今日もリボンを結んだ彼女が居ればいいですね、だんな様」
あ、リボンちゃんの名前聞いてなかった・・・。
だから、睨まないで、カルア~。
ナタリアの横に付いて彼女の歩こうとする意思を尊重しながら、疲れたと見ればすぐに肩を支える姿勢は、ネロンガのしてきた介護の経験を如実に表していた。
こいつ、本気で心を入れ替えたんだな、と感心して見ていたアランは、ふと思いついたものの実現の可能性が限りなく低そうな問題をネロンガに相談してみるか、と考えてみた。
車椅子があれば、ナタリアだって、もう少し行動の範囲が広くなるだろう。
家具である椅子と車椅子では、同じ座るという動作でも用途が違う分、必要な性能が変わって来る。
その辺は、職人と暁の花園の介護経験者とナタリアたち障碍者が話し合って、問題点を洗い出して解決に向かっていけばいい。
幸いなことに、この世界には馬車があって車輪を作る技術があった。
車輪を作る技術は正確な円の形を知っているということだから、これは他にも応用が利きそうだな、などと考えているうちに馬車の前に着いていた。
「テムジン」
カルアが声をかけると、テムジンが踏み台を扉の下に置いて、さっと扉を開いた。
すると、何も言わなくてもネロンガが先に馬車に乗り込み
「ナタリアさん、背中を向けて下さい」
と言ってナタリアの腋に両手を差し込んだ。
どうするのかと見ていると、テムジンがナタリアの膝の下に彼女の杖を入れて、それでナタリアの両足を浮かせた。
タイミングを見計らうようにしながら、さっと二人がかりでナタリアを馬車の中に引き上げた。
六人乗りの馬車には扉が左右に二枚ずつ、4枚付いている。
座席は向かい合わせの形に付いていて、そのうちの御者側のシートに進行方向と逆向きになる形でナタリアとネロンガが座っている。
アランとカルアが続いて馬車に乗り込むと、
「どうしましょう。貴族様より先に私などが乗り込んでしまって・・・」
と、ナタリアが恐縮したが、一人で乗れない馬車に従者が乗せたのだから、それは主人であるアランの意志だとカルアが説明した。
そう、そうそう、その通りなんだよ。
なんでボクにはこういう上手い説明ができないかな・・・?
やっぱりカルアが居なきゃ、ただの木偶の坊か、ボクは。
「ナタリアさんくらいの女の人なら、オレ一人で乗せられるんだけどね。貴族様の使用人だから、それらしく2人で乗せてみたけど、こっちの方が楽でしょ」
「あの、私はまだ・・・」
「では、商業者協同組合へ向かって下さい、テムジン」
「かしこまりました」
大型のウーサ種2頭が引く馬車は、スムーズに走り出してすぐに速度を上げた。
馬車をひくことを目的に改良された馬ならではの力強さと持久力で、町の南端からグルリアを半周するようなコースで商業者協同組合に向かったアラン達は、車内で商業者協同組合の口座について少し説明を加えた。
現在でも毎日少しずつ残高が減っていること。
これはロマンダリアのホテルの使用料と、カリン母娘に必要だと判断された場合の出費が加わるために、どれほどの金額が減っているのか分からないこと。
そして、ホテルが引き落としを毎日行っているのか、6日ごとなのか10日ごとなのか、それも不明なこと。
それらすべての説明を、滞りなく終えたカルアに感心しながら、ふと不安が甦ったアランは小さな声で呟いた。
「ボク、ほんとにここに居てもいいのかな?」
商業者協同組合の車寄せに馬車を停めたテムジンは、出発の時と反対の要領でネロンガと二人で器用にナタリアを下ろすと、馬車を駐車スペースへ走らせた。
中に入る時、建物の構造の関係でやたらと階段が多いことに初めて気づいたアランは、バリアフリーなんて発想はまだまだ出て来そうにないな、としみじみ感じた。
扉を開けて、ナタリアの歩く速度に合わせてゆっくり進むと、車寄せに高級な馬車が停まったことに気付いた案内係の女性職員がすっと寄って来た。
「商業者協同組合グルリア支部へようこそ。本日はどのようなご用でしょうか、奥様」
そう言って、案内係はカルアに向かって丁寧にお辞儀をした。
「私どもの主はこちらの方です。以後気を付けて下さい」
カルアはそう言ってアランを振り返り、
「だんな様、組合員証を」
と言ったので、案内係の女性は不審な顔をしながらもアランから特別組合員証を受け取って一瞥した瞬間に棒立ちになった。
どういう仕組みになっているのか全く不明だが、アランに付与された肩書や称号、または地位といったものが組合員証には表示されるようになっている。
だから、案内係は名誉男爵という爵位を見た瞬間に自分の人生の終わりを予見した。
「あ・・・、あうぅ・・・、あのぅ・・・」
「あなたでは埒が開きそうにありませんね」
そう言って案内係の手からアランの組合員証を取ると、そのまま口座担当の5番の窓口へと歩いて行った。
「だんな様のお気に入りのリボンの彼女、今日もいますよ」




