29 辺境伯閣下、もっと足元を・・・。
しばらく呆けたように考え事をしていたらしく、背後から声を掛けられていることに気付くのが遅れてしまった。
振り返ると、アランの晩餐用の衣装と思われるタキシード風のものを手にした二人のメイドが、泣きそうな顔をして呼びかけていた。
「ごめん、考え事してたみたい」
「良かった・・・。アラン・リード様のご衣裳のご採寸をさせていただきますので、こちらへお越し下さいませ」
窓際から部屋の中ほどに連れて来られた彼は、メイドたちの為すがままに服を脱がされ、新しい服を着せられて、あちこちを引っ張られたり抓られたりしながらも、わりと短時間で必要な採寸を終えたらしい二人のメイドに、元の楽な服を着せてもらった。
「これにてご採寸は終了しました。奥様のご採寸は今暫くお時間を拝借しなければいけないようですので、またお楽になさっていて下さいませ」
一人で過ごす時間を有効に使おうと、部屋の中に控えるメイドさんに、馬車に置いてきた私物を持ってきてもらうことにした。
もちろん、いつものショルダーバッグである。
いくらなんでも、正装した右肩に使い込んだショルダーバッグはいただけないだろうと思って、部屋が分かった時点で持ってきてもらうつもりで馬車のシートに置いて来てあった。
間もなく、笑顔と小さな犬耳の可愛いメイドさんがバッグを届けてくれたので、さっそく今日の本当の用件を調べるために事典を取り出して、ペットボトルの水を一口飲んだ。
事典を開いて、デイマークス辺境伯という項目を探すと、ちゃんと見出し付きで出ていた。
しばらく無言で読んでいたアランは、時折ペットボトルを口に当てて、
「ホントはプライバシーに関わる問題だから、これ以上は忍びないんだけどね」
とか、
「なるほど、大銀猪が元凶ってことなんだ」
或いは、
「あの時代がかったものの言い方をする変な僧兵おじさんって、やっぱり腹に一物あったんだ・・・」
「こういうことは、本来当主であるケンポート・フォン・アルカリックさん自身がもっと気を配らなきゃいけないよね」
「でも、それが出来ないほど優秀な人材に恵まれてないってことも否定できないけどね」
などと小声で呟くようにコメントしながら読み進めて行った。
やがて一通り読み終わったところに、続きの間からカルアがやっと解放されたと言わんばかりの顔で出てきた。
「だんな様はもうお済みになったんですか?」
「うん。っていうか、ほんの5分で終わったよ。今はカルアが終わるまでの時間で情報を整理していたところ」
「いいですね、男の方は。身支度も簡単で済みますし」
自慢の妻の恨みがましい目をスルーして、メイドさんにお茶を2つ頼んだアランは、カルアを窓際に連れて行くと、メイドさんにさも仲良く睦言を語らうような姿勢を見せながら小声で語りかけた。
それは、アランの背丈とカルアの耳の位置の関係から、ちょうど妻を抱きしめているように見えてしまうだろうという計算の上での行為だったが、部屋の隅からメイドさんの溜息のようなものが聞こえたので、計画は成功だと見て良さそうだった。
「今日呼ばれたのは、グルリアの町の構造とも縁のある話だったよ」
窓際に連れて来られた上にいきなり抱きすくめられ、耳元に吐息のような小さな声で何かの注意を与えられていることは理解できたものの、カルアとしては膝の力が抜けて行くのを止めることが出来なくて、アランの胸に体を預けるような態勢になったまま恥ずかしさに悶えていた。
「あ、あ・・・、だんな様そんなに・・・」
期せずして発せられたカルアの声の効果は絶大で、お茶を持って入ってきたメイドさん共々、部屋付きのメイドさんもそそくさと逃げ出していった。
「これでしばらくはゆっくり話ができそうだね」
肩を抱いたままソファへ歩いて行こうとしたアランは、彼女の膝が震えているのを見てやり過ぎたかと思ったが、肩に回しているのと反対の手をカルアの膝の後ろに回して一気に抱き上げた。
横抱きのままカルアを抱えてソファへ歩きながら
「このままでいいから聞いて」
と言って今夜予想されるデイマークス辺境伯とのやり取りを話し始めた。
一通り注意すべき事柄についてレクチャーを受けはしたものの、カルアの頭は半分霞がかかった状態だったので、
「難しいことはだんな様にお任せします」
とだけ言って、下を向いてしまった。
着替えの時間まではまだしばらく間がありそうだったので、もう少し詳細について策を練っておこうと思ったアランは、
「カルア、膝を貸して」
と言うなり、彼女の膝を枕にしてソファに横になって考え事を始めた。
『いきなり何するんですか!』
そう叫びそうになったが、アランの顔から笑みが消え、眉間に縦皺が浮かんでいるのを見たカルアは、喉元まで出かけた言葉をそのまま飲み込んで、優しく自分の夫の髪を撫で続けた。
暫くそうして夫の髪を愛おしそうに撫でていたカルアは、今、自分の膝を枕に知恵を絞っている人が、祖国ロマンダリアの救国の英雄であり、最愛の夫であることに、体の芯が蕩けそうになるほど幸せを感じていた。
初めて会った時から、ただの一度も自分に嘘を吐いたことがない人。
初めて会った時から、自分をとても大切に扱ってくれた人。
初めて会った時から、見返りも求めずに自分を守ってくれた人。
数え上げていくと、それはまだほんの少女だった頃に夢見ていた理想の人そのものの姿にどんどん近づいて行って、幼い胸に描いていた白馬の王子様と重なるのだった。
あたしは、この人に出会うために生まれてきた。
そう胸を張って言えるほど夫を愛している。
そう思って、ふと自分を見つめてみると、果たして本当に自分はこの人に相応しい女なのか、と不安が湧き上がるのを止められなかった。
出会ったのはランダリウムのスラム街だった。
破落戸達に追い回されて、着の身着のまま風呂に入ることも出来ずに逃げ回っていた頃だった。
もしかして、いや、きっと、あたしの体からは異臭がしたことだろう。
そう思うと、今でも顔から火が出るほどの恥ずかしさに身を苛まれてしまう。
でも、だんな様はそんなこと一言もおっしゃらなかった。
それどころか、初めて会ったばかりのあたしを、夢の様なホテルに連れて行って下さって、体が沈み込みそうな柔らかいベッドで眠らせて下さった。
見返りとして差し出せるものなど、この体しかなかったというのに、それさえも要求しては来られなかった。
あたしが初めてだんな様のものにしていただいたのは、きちんと妻としてみんなに紹介されてからだったけれど、男の人って、その・・・、そんなにガマン出来るものなのかしら?
そしてとんでもなく高価な指輪もいただいた。
祖国ロマンダリアに真の平和を齎して下さっただんな様。
あたしはホントに何をお返しできるのだろう。
これから先、だんな様にはもっともっと相応しい女性がいっぱい現れることでしょうね。
その時、あたしはだんな様の隣に立っていられるのかしら…。
今日だってこんな貴族のお屋敷に招待されて、見たこともないような美しいドレスを着せられて、あたしにはそんな値打ちなんか無いのに。
どんどん考えが深みにはまっていって、ついには身動きできないほどに体を締め付ける不安と焦燥。
そして最後には息も出来なくなるほどの虚脱感が襲ってくる。
やはりだんな様にはあたしなんかよりもっと相応しい女性が・・・。
そう考えたところで、いつも自分を救い上げて下さる、だんな様の一言。
『カルアは、ボクが選んだ人だから』
そしてカルアは、ようやく自分を取り戻す。
あたしは、この人に出会うために生まれてきたんだ。
あぁ、あたしは、この人の為に生まれてきたんだ。
遠慮がちにドアをノックする音で我に返ったカルアは、自分の膝に頭を預けたまま眠ってしまったアランを見つめ、そして小さく返事をした。
「はい。お入り下さい」
そうっと何かを確かめるように入って来たメイドたちは、ソファで寛ぐアランとカルアを見て、安心したように言った。
「お召し替えの時間です」
あっさり着替えが終わったアランと、着替えとメイクに時間をかけたカルアは、執事に先導されてダイニングホールへと入った。
そこには、20人が一度に食事が出来るほどのテーブルがあって、4人分のディナーがセッティングされていた。
まずゲストであるアランとカルアが先に席に着き、それを見計らったかのようなタイミングで、ホストであるデイマークス辺境伯夫妻が席に着いた。
長い長いテーブルの、端に片寄った位置で食事をすることに多少の違和感を否めなかったが、艶やかな夜会服に身を包んだ栗色の髪の辺境伯夫人の笑顔には、そういった些末事を忘れさせる効果があるように、いつの間にかメニューを追って出される料理に目を奪われ、それに合わせて提供されるワインの芳醇さに時間を忘れたアランとカルアだった。
素晴らしい食事を提供してくれた辺境伯にお礼の言葉と、この料理を担当したシェフに賛辞を贈ったあと、食後のシェリー酒と軽いデザートに干し無花果のような菓子を摘まみながら、
「さて」
と辺境伯が発言すると、申し合わせていたかのように夫人がカルアを誘って立ち上がった。
「カルアさん、私のご自慢の陶器の皿のコレクションをご覧に入れたいわ。いいでしょ、あなた」
「あぁ、あまりしつこくするんじゃないぞ。お前は陶器の皿の事となると我を忘れるところがあるからな」
「分かっていましてよ。今日はほんの一部だけ。自慢の逸品だけを御覧に入れるつもりですのよ」
「アラン・リード殿、構わんかね?」
「えぇ、よろしくお願いします。まだ陶器の値打ちも分からない我々ですので、後ほど妻から話を聞くのを楽しみにしております」
「ではご機嫌よろしゅう」
一幕の茶番が終わって、シェリー酒の瓶だけを残して人払いをした辺境伯は、おもむろに話し始めた。
「昨日、キミに無礼な態度を取ったカマス・デリカムのことだがね・・・」
「えぇ、彼はお父上の代からの家臣でいらっしゃるとか」
「知っていたのか?」
「詳しくは・・・。でも、僧服に身を包んだ集団がグルリアの町中を歩き回る姿は、町の者たち皆が承知していますよ」
「そうか、そうだろうな・・・」
当たり障りのないところから話を始めようとした辺境伯の目論見は、いきなり頓挫した。
主導権を握られては、これからの話の展開に修正が必要になるかと警戒したが、先を促すようなアランの身振りでそのまま話を続けることが出来た。
「最近、グルリアを含めた私の領地を荒らしまわる盗賊団の質が変わって来たように思えてな・・・」
「それはどういう風に?」
「犯行に計画性があるというか、統率力が上がったというか、つまりは捕縛に向かう騎士団の裏をかくような行動が目立っておる」
「それはお困りですね」
「追跡しようにも、国境の岩山を越えて逃げられては、後を追う術もないのが現状だ」
「なるほど・・・」
「そこで・・・」
キミに力を貸してほしい、と続けるつもりだった辺境伯は驚きと衝撃で凍り付いたように固まった。
「カマス・デリカムと、僧兵集団を疑ったことは?」
「・・・・・・・・!」
「彼らが辿った道筋や、訪れた商店や倉庫は、その後6日以内に盗賊の被害に遭ってはいませんか?」
血の気が失せるとは、正にこの事かとばかりに、辺境伯の顔面が蒼白になった。
「待ってくれ」
「彼らが出歩いていたのは昨日ですね」
「あぁ・・・」
「彼らはボクを見つけることを目的に町に下りたのではないでしょう。たまたまそこにボクとカルアがいて、館では閣下がそのような話をされていた、と考えれば如何ですか?」
「そんな・・・、そんなことが・・・」
「彼らの行動記録を洗い直してみることをお薦めします」
「・・・・・・・・・・」
しばらく沈黙が続いたが、それを破ったのは辺境伯の方だった。
「今夜のディジェスティフはこれで終わりだ。明日、いや明後日もう一度夕食を一緒にどうだね」
「喜んで。ただ衣装を用意したいものですから、一度町へ戻らないと・・・」
「それには及ばん。すべてこちらで用意する」
そして、アランとカルアの辺境伯邸延泊が決定した。




