27 人と会うだけで新しい服が要るとは・・・。
昨夜の夕食のボリュームに比較して、朝食はごくシンプルなものだった。
サラダもオムレツもベーコンもソーセージも、頼めばいつでも出してくれはしたが、基本となるセットはパンと飲み物に限られた。
いつでも遠慮するなと言い続けているせいか、食事などの好みは分かって来たので、アランは妻の為にベーコンエッグとソーセージのソテーを追加した。
肉類を取らないと、日に日に元気がなくなっていくカルアを見ているのが辛くて、食事の度に肉系のアラカルトをつい多めに注文してしまうアランは、
「こんなにたくさん誰が食べるんですか!」
とカルアに怒られながら、それでも彼女の幸せそうな顔を見るのが大好きだった。
朝食後、昨夜二人で話した服装の件をオーナーに相談すると、そんなことならお易い御用とばかりに二つ返事で引き受けてくれた。
その際、庶民が貴族の館を訪れる際に注意すべきことは、服装ではなく言動だとも教えてもらった。
確かにそうかもしれないが、最低限の礼儀として擦り切れた作業着で貴族の前に出るのはやはり控えるべきだろう、とアランは思ったままを口にしたが、それを聞いても尚オーナーは自信ありげな様子で頷くと、
「昼食までには用意しておくので、ご安心下さい」
と再度請け合ってくれた。
基本的に内助の功に徹するカルアではあるが、豹人族の女性である以上人族のアランなどよりは余程身体能力が高いレベルにある。
じっとしてストレスを溜めるくらいなら自由に体を動かしていればいいのにと、思ったままを口に出したせいで、最近は特に用事のない時間帯に外へ出て何やら体を動かしているらしく、汗を浮かべて戻ってくるとすぐにシャワーを浴びる習慣が定着しつつあった。
おそらく今日は、デイマークス辺境伯の招待で領主の館へ行くことになるために、いつもの日課は熟せないと判断したカルアは、使いの騎士が来るまでの時間を使ってガルーダと鬼ごっこのような遊びをしていた。
窓からそれを眺めていたアランは、段々カルアが恐ろしく思えてきた。
自分は、ほんの3歩でガルーダに追い詰められてしまうのに、カルアは余裕をもって10分以上逃げ回っていた。
どーやったら、あんなに逃げられるんだろ・・・。
獣人の身体能力が凄いのか、単にボクが鈍いのか。
ペットボトルの水がないボクは、単なる木偶の坊ってことか。
使いが来るのはおそらく昼食後の早いタイミングだと踏んでいたカルアは、夫の昼食を準備するためにガルーダとのお遊戯を終えてシャワーを浴びに部屋へ戻って来た。
身支度を整えたカルアが、シェフにコールドミートやちょっとしたサラダを用意してもらって部屋に持って帰ってくると、アランはサイドテーブルに置いた事典を前にして舟を漕いでいた。
やはり早朝のガルーダとの長距離飛行で疲れたのかしら、と優しく笑ったカルアは、大物を3頭も狩ってきたことを知らなかったので、
「昼食はどうなさいますか、だんな様?」
と声をかけた。
知っていればそのまま寝かせておく配慮も当然できたのだが、言わなかったアランの自業自得で眠い目を擦りながらロースハムに齧り付いた。
カルアと二人きりのまったりした時間を過ごしているところへ、頼んでおいた服を持たせた客室係と一緒にオーナーがやって来て、辺境伯からの使いが来ていると教えてくれた。
アランにそう告げながらも彼は、辺境伯から使者が来るとはこの客の正体は一体何者かと素早く頭を回転させることも忘れなかった。
もし、辺境伯と親しい間柄であるなら、対応を間違えると命取りに成りかねない。
今夜からオーベルジュとしての誇りに掛けて料理の質を上げようかと悩んでいると、それを見透かしたようにアランがぽつっと呟いた。
「辺境伯とは今日が初対面になる予定ですよ。だから、そんなに肩肘張って考えなくてもいいと思うんですが」
「はぁ?」
間抜けな声だと自分でも思ったが、それが宿の主人の本音だった。
「辺境伯に呼び出される理由については、今のところ不明です。もしかしたら、ボクに用事じゃなくてカルアを妾にって話かも知れないし」
ほんの冗談のつもりで言ったアランの言葉に、カルアの身体がピクっと撥ねた。
「あたしが一緒に行くとマズいことになりそうなんですか?」
「いや、だから冗談だよ冗談」
ケンポート・フォン・アルカリック・デイマークス辺境伯の出自は、カスマンド建国に功績のあった貴族序列第一位、タランテロード公爵家の傍流であった。
7代前に公爵家の次男だったコアニュートが別家を立てることを許され、デイマークスを名乗って現在の領地を拝領した。
以来、デイマークス一族は、南の国境線を守ることを自らに課してきた。
初め侯爵家であったデイマークスの家は、辺境伯と名乗りを変えて現在に至るが、それ以後カスマンドでは侯爵と辺境伯が序列同位と見做されるようになった。
辺境伯の喫緊の課題としては、グルリアを含む南部国境地帯に度々姿を現して、少なくない被害を出している盗賊団の処分に関する問題があった。
とにかく、神出鬼没なのである。
カスマンドもロマンダリア同様、南部国境地帯に明確な線引きは行っていない。
獣人族も含めて人が住める環境ではないため、国境線の策定には重きを置いてこなかった歴史があって、そこに盗賊団が目を付けたという次第である。
ソーン大草原の北側に延々と続く岩山地帯は、極め付きの不毛の土地である。
であるが故に、どんな生物が生息しているかという調査も、どれほどの規模で岩山が続いているかの測量も全くの手付かずで、今回のように盗賊団が跋扈しても、地図さえ作られていない状態では討伐軍を出すことも出来ないでいた。
総面積3.200.000平方サリと目されるソーン大草原の生態系は、凄絶なまでに草だけが生える土地である故に、その大部分が動物の生息できないエリアである。
周辺諸国は大規模な調査を行うことが出来ないために、未だ知られていないことであるが、ほんの何か所かオアシスの如くに水を湛える泉が存在する。
泉の周りには、当然ながら草以外の植物の群落があって、中には果実をつける木もいくらかあった。
木が生える場所の一帯はそこだけの生態系を生み出していて、小動物や鳥の姿も見られた。
たまたま生態系が充実した場所では、大型の動物が現れることもあったが、それらも含めた食物連鎖の頂点にあったのが大銀猪である。
イノシシは雑食である。
故に、草だろうが木の根だろうが小動物であろうが果実であろうが、口にできる物はすべて胃袋に収めてしまう。
オアシスの存在を知っていれば、そこに住むこともあるいは可能かもしれないが、完全に孤立した生活を余儀なくされることは必至で、過去にそういう種族がいたかどうかは当然のことながら定かではない。
たまたま獣人族の国々で何らかの罪を得て大草原へ逃亡した犯罪者の一部がオアシスの存在を知った時、そこを棲家として盗賊に堕ちて行くのは自然の成り行きであったと言うしかないだろう。
盗賊が盗賊団になっても、大銀猪と遭遇すれば勝ち目はない。
およそすべての種族が持つ武器が通用しない硬い皮膚と桁違いの攻撃力を誇る牙、そして何よりその機動力の前には盗賊たちも大銀猪のエサに過ぎない。
アランがガルーダに乗って大銀猪を狩ったのは、大草原の中央部に近いもっとも標高の高い辺りであった。
事典の表記に従えば、そこは地下の凍土層までの表土が最も厚いところであり、故に大銀猪が巣穴を掘ってさえまだ凍えるほどの寒さを感じなくて済む場所だった。
大銀猪は母系の大家族を形成するため、ボスであるメスの力が強いとどんどんグループ内の生息数が増えていくのだが、それに伴って巣穴もどんどん拡張されていく。
1頭のメスが頂点にあるうちにそのボスが産んだ子、更に孫、ひ孫・・・と何世代にも亘る家族たちが各々の都合のいいように巣穴を掘り、広げ、更にその子たちが巣穴を掘り、広げることを繰り返した結果、アリの巣のように成長して、半径1サリを誇る規模の巣に500頭を数える大集団が生息するようになった。
さすがにそれだけの数が集まると、エサの確保も重要な問題として浮上したのだが、たまたま風上から漂ってきた獣人の臭いを捉えた1グループがそれを捕捉・追跡した結果、距離的に大銀猪の一日の行動範囲ギリギリのところにオアシスと獣人の盗賊たちのアジトを発見した。
大銀猪たちは、初めのうちこそオアシスに生息する小動物や果実などをエサとしていたが、衰弱死して捨てられていた奴隷の肉を食べたことを切っ掛けに人肉の味を覚えてしまった。
以後、ソーン大草原で最も安全であったはずのオアシスは、常に大銀猪の脅威に曝されることとなった。
盗賊団の首領は、背に腹は代えられず新しいアジトを構えようと、方々に手を延ばしてオアシスを探したが、利用可能な場所はどこもみな、既に他の盗賊団に占拠されていた。
グルリアをはじめとして、デイマークス辺境伯の領地にある町を稼ぎの場としていたそれらいくつかの盗賊の集団は、以後大銀猪に追い立てられた盗賊団によって、あるいは殲滅されあるいは吸収されて、ついに一人の首領が統率する大盗賊団へと変わっていった。
それまで散発的に町を襲撃しては撃退されることを繰り返してきた盗賊たちの動きが、ある日を境に恐ろしいまでに統率のとれた動きを見せるようになった。
被害額もこれまでとは比較にならないほどの規模に至ってしまった中で、解決策を模索していたデイマークス辺境伯は一人の人物の名を知った。
それは、ロマンダリア政府より救国の英雄として称えられた一人の男。
彼が今、幸運なことにグルリアに滞在中であるという噂を聞きつけた辺境伯は、藁にも縋る思いでその男と連絡を取ろうと躍起になっていた。




