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第1話:あの一瞥を、記憶から消し去ることができたなら。

 

 キーンコーンカーンコーン!


 授業の終わりを告げるチャイムが、校舎全体に響き渡る。


 多くの生徒にとっては、待ちに待った放課後の始まりだ。


「部活の前にデラックスブリトーなんて食べるんじゃなかった……!」


 自分の運気と、この底なしの食欲が恨めしい。


 誰もいない廊下に、僕の焦った足音がバタバタと響く。


「完全に遅刻だ! 急がないと!」


 僕は奥歯を噛み締め、さらに足の回転を速めた。


(この部の部長として、模範となるような熱意と厳格さを示すのが僕の義務なんだ!)


 心の中でそう自分に言い聞かせる。


 下校途中の生徒たちの怪訝な視線をかわしながら、中央廊下を全速力で駆け抜ける。


 しかし、中間地点を過ぎたあたりでアドレナリンが切れ、残酷な現実が頭をよぎった。

 僕は急ブレーキをかけた。上履きが床と擦れてキキーッと鋭い音を立てる。


「……」


 一匹のハエが目の前をぷーんと横切る中、僕は呆然と立ち尽くした。


(というか、なんで僕はこんなに焦っているんだ……? 遅刻したところで、誰かに怒られるわけでもないのに。本当にその通りだ)


 僕は残された尊厳のすべてを吐き出すかのように、深いため息をついた。


 静まり返った廊下の真ん中で、絶対的な孤独のオーラが僕を包み込む。


(僕の所属している部活は……部員が僕一人しかいない。部長であると同時に、この学校の演劇部における唯一の生き残りなんだ)


 その通り。僕は幽霊部員のいない幽霊部で、部長、会計、用務員、そして唯一の役者を兼任している。

 この大急ぎのダッシュには、一ミリの合理性もなかった。


 それでも壁の時計を見上げる。一人だけの部活だとしても、せめて形だけでもちゃんとしておきたかった。


 僕は再び走り出し、旧校舎の角へと向かった。


(あと一分はある!)


 このペースを維持できれば、部室の鍵を開ける時間にはちょうど間に合うはずだ。

(この角を曲がれば、すぐ――)


 廊下の角をドリフト気味に曲がろうとしたその瞬間、反対側からパニックに満ちた悲鳴が空気を切り裂いた。


「イチカ、危ないっ!!」


「え?」


「え??」


 ガッシャーーーン!!


 衝突は避けられなかった。

 絵に描いたようなラブコメのテンプレ通りの正面衝突だ。


 体がぶつかり合い、書類やプリントが宙に舞う中、まるで時間がゆっくり進んでいるように感じられた。

 僕たちは完全に真逆の方向へと吹き飛ばされた。


「痛っ……!」


 僕は床に無様にひっくり返り、打った頭をさすった。


 激突の衝撃のせいで、デラックスブリトーによる胃の痛みなんてどこかへ吹き飛んでしまった。

 身体を起こしながら前方を見ると、一人の女子生徒が床にへたり込んでいた。

 彼女もまた茫然自失といった様子で、散らばった書類をかき集めようとしている。


「あうっ! ご、ごめん、本当に申し訳ない……」


 せめて紳士らしくあろうと、僕はすぐに手を差し伸べながら謝罪の言葉を口にした。


「いえ、違うの、私の不注意で――」


 彼女は言葉の途中でピタリと動きを止めた。


 僕は好奇心から、思わずその顔をのぞき込む。

 彼女の顔に視線が焦焦を結んだ瞬間、驚きで全身の血が凍りついた。


 そこにいたのは、イチカだった。僕の幼馴染だ。

 あの事件が起きて、関係が……複雑になってしまう前までは、普通に話せていた相手。


「……」


 イチカは床に座り込んだまま何も言わず、その瞳で僕を真っ直ぐに射抜いてきた。


(うわぁ……! なんであんなに憎しみのこもった目で僕を見てるんだろ?)


 心の中で冷や汗が流れる。

 沈黙の時間が、まるで永遠のように長く感じられた。


 二人とも、指一本動かせない。


「……」


 イチカは一言も発しない。


 ただただ、床の上から僕をじっと睨みつけ続けている。


(現実問題として……彼女は僕を嫌っている。でも、それでいいんだ。僕は彼女に対して何の恨みもないのだから)


 結局のところ、過ぎ去った過去はもう変えられない。


 僕は唾を飲み込み、この凍りついた空気を破ろうと適切に謝罪を試みた。


「あの、イチカ……本当にすまなかった――」


 もう一度、彼女に向かって手を伸ばそうとした時、僕の動きが完全に止まった。

「っ!?」


 僕の目は限界まで見開かれた。


 ショックからまだ立ち直れていない彼女は、スカートが激しく乱れた状態で、その足が完全に露わになっていたのだ。


(やばい! 顔が火を噴きそうなくらい熱くなっていくのが分かる!)


 一瞬にして熱が頬へと駆け上がる。自分の顔が真っ赤に燃えているような感覚だ。


(気づかれませんように……どうすればいい? クソ、どうなってるんだ!)


 イチカのスカートの乱れ方は、完全にアウトだった。


 これはどう言い訳しても言い逃れできないピンチのシチュエーションだ。

 もしこのまま凝視してしまったら、人生が最悪の形で終わる。


 僕は大慌てで視線を逸らした。

(あそこを見ちゃダメだ!)


 僕は廊下の天井へと視線を向け、床の上の彼女の肢体以外のものへ必死に意識を集中させようとした。


(なんて紳士失格な行動だ! 絶対に変態だと思われたに違いない!)


 脳細胞をフル回転させ、変質者だと思われずにこの誤解から抜け出す方法を必死に模索する。


 どうにか理性を叩き起こし、ゆっくりと首を彼女の方へと戻した。


 今度は絶対に下を向かないよう、彼女の瞳だけに視線を厳格に固定する。


「イチカ……本当にごめん! 怪我はない!?」


 できる限り誠実で、落ち着いた声を意識した。

 僕のこの声が、彼女の明らかな敵意を少しでも和らげてくれることを願いながら。


「……」


 イチカはやはり答えない。


 冷徹で、何を考えているのか読み取れない表情を崩さないままだ。


「ほら、手伝うよ」


 少しでも状況を挽回しようと、僕は少し前屈みになった。


 彼女を立ち上がらせるために手を伸ばしたが、その時にはもう、彼女は自分で荷物を拾い集めていた。


 僕の差し伸べた手を完全に無視して、彼女は床の上の所持品を自分の力だけで猛スピードでまとめ始めた。


「……」


 無言の拒絶は、胸が痛くなるほどだった。

 僕はきまり悪そうに、ゆっくりと手を引っ込めた。


「イチカ、すまない。僕の不注意だった。その……」


 もう少しマシな謝罪の言葉を紡ごうとしたが、冷え切った空気のせいで言葉が喉に引っかかって出てこない。


「……」


 彼女はノートの束を胸に抱え込むようにして、ぎこちない動作で立ち上がった。

「ふん」


 彼女は小さく鼻を鳴らし、僕から遠ざかる。


 一度も振り返ることなく背を向け、遠ざかっていく彼女の急ぎ足の足音だけを廊下に残して、僕は一人取り残された。


 イチカの背中が廊下の奥へと小さくなっていくのを、僕はただ見送るしかなかった。


(あのイチカが……一体どうして……。でも、口数の少ない女の子っていうのも、どこかセクシーだと言わざるを得ないな)


 僕は不意に顔を赤らめた。慌てて頭を振った、その時――


「ちょっと!」


「わあっ!!」


(うわああ! 誰かに見られてた!?)


「レンジ、大丈夫?」


「な、なんだ! サキか」


「『なんだ、サキか』ってどういう意味よ? 女の子を特別に感じさせる方法、よーく知ってるじゃない?――」


 サキはドラマチックに唇をとがらせた後、一歩前に踏み出して僕の顔を覗き込んできた。

 そして、彼女の目が丸くなる。


「ちょっと待って、一体どうしたの!? 顔がトマトみたいに真っ赤じゃない!」


「あっ!」


(やばい! 彼女に気づかれた!?)


「なんでもない! 僕はただ……その……怒ってるんだ! そう、怒ってるんだよ! うおおおーっ、めちゃくちゃ腹が立つ!!」


「あー、さっきの、文字通りレンジを跳ね飛ばしていったあの子のこと?」


 サキはフンと鼻を鳴らし、腕を組みながらイチカが去っていった方向を睨みつけた。


「ったく。信じられない。どこまで失礼なわけ? せめて『ごめんなさい』くらい言っていくべきでしょ」


 サキは僕のプリントを拾うのを手伝うために腰を落とした。


 僕はまたしても衣服の誤解を生まないよう、慌てて視線を逸らす。


「いや……僕にも非があるんだ。いいんだよ。彼女が僕を嫌っているのは知っているから」


「え? あなたを?」


 彼女は可愛らしくクスッと笑った。


「もー、レンジって私が知る中で一番優しい男の子なのに! 誰があなたのことを嫌えるっていうの? 女の子に嫌われるなんて、よっぽどハレンチなことでもしたんじゃないの?――」


 彼女はまた楽しそうに笑いながら、不意を突くような悪戯っぽい視線を僕に投げかけてきた。


(なんで僕、また赤くなってるんだ?)


「は、ハレンチ!? な、何言ってるんだよ! 僕がそんなことするわけないだろ!」


(な、なんだよ、彼女は!? 一体全体どうしちゃったんだ!?)


「あはは! 冗談だって、落ち着いて!! 分かってるよ、ちょっとからかっただけ」


「今はそういうの、勘弁してほしいんだけど……」


 僕は呼吸を整えようと、別の方向を向いた。


「それにしても、やっぱりあの子は失礼だと思うな。一体何が気に入らないのかしら?」


 サキは両腕を組んだまま、頬をぷくっと膨らませて可愛らしい不満の表情で虚空を見つめた。


 それから、その顔にイタズラな笑みが浮かぶ。


「もしかしたら、下着のサイズがきつすぎるんじゃない?」


 彼女はケラケラと笑い声を上げた。


「っ!?」


 顔がさらに沸騰していくのを感じる。


(なんでわざわざ、そんなワードを口にするんだよ!?)


「わあ、また真っ赤になってる」


 彼女が僕の額に手を触れてきた。

 彼女の顔が、僕の顔からわずか数センチの距離に迫る。


「ぼ、僕は大丈夫だから!」


(女の子の手って、みんなこんなに柔らかいものなのかな……。ああ、この冷たくて心地いい感触を、もう少し感じていたかった……)


 僕がそう思った瞬間、彼女はパッと手を引っ込めてしまい、僕はかすかな喪失感に囚われた。


「とにかく、私も部活に遅れちゃう! 体調が悪いなら保健室の先生に診てもらいなよ。あ、それからレンジ?」


「え?」


 サキは歩みを止め、振り返りながら、再び唇をとがらせて悪戯っぽく微笑んだ。


「今日はもう、他の女の子とぶつかっちゃダメだからね? 私、嫉妬しちゃうかもしれないから」


 そう言い残して彼女は笑いながら走り去り、僕は廊下の真ん中で完全にフリーズしてしまった。


(し、嫉妬……!? ……あ、そうだ! 演劇部! 完全に大遅刻だ。まあ、誰も気づかないだろうけど……)


 僕は演劇部の部室へと足を急がせた。


 部員が自分一人だけであることの最大の利点は、一日中そこで漫画を読んでいられることの他に……

 遅刻したところで、誰からも文句を言われないということだ。


本日もお読みいただき、ありがとうございました!


「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、


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