第9話 監査報告
第9話 監査報告
五千万G落札の翌日。
迷宮都市アルトナは、その話題で持ちきりだった。
「聞いたか!? ラパンのドレス!」
「五千万だってよ!」
「公爵令嬢が買ったらしい!」
市場は熱狂していた。
だが。
鉄血の牙ギルド本部だけは、異様な静けさに包まれていた。
重苦しい空気。
酒臭い室内。
割れたグラス。
バルトロは机を拳で叩きつけた。
「ふざけるなァッ!!」
怒声が響く。
部下たちが震え上がった。
「たかが裁縫屋が! 草むしりが! 料理係が!!」
机の上には新聞が散らばっている。
そこに大きく載っていた。
『アトリエ・ラパン、公開競売にて歴史的落札』
バルトロの顔が歪む。
「なんでだ……!」
理解できない。
戦えないゴミどもだ。
自分が踏み潰してきた雑魚だ。
なのに。
なぜ上へ行く。
その時だった。
扉が開く。
「ギルドマスター!」
「なんだ!」
「ラパンが……来ています……」
バルトロの目が細くなる。
「……あぁ?」
数分後。
鉄血の牙本部応接室。
キースは静かに座っていた。
エミリたちも後ろにいる。
以前なら震えていた場所だ。
だが今は違う。
マルコも。
ルナも。
真っ直ぐ前を見ている。
バルトロは椅子へ乱暴に座った。
「で?」
唾を吐くような声。
「勝ったつもりか?」
キースは革鞄を机へ置いた。
「借金返済に来ました」
その一言で空気が止まる。
キースは金貨証書を取り出した。
「負債一千万G。契約通り、全額返済します」
バルトロの顔が引きつる。
「……っ」
「耳を揃えて」
キースは証書を机へ滑らせた。
静かな音。
だが、それは鎖が切れる音だった。
エミリが息を呑む。
終わった。
もう奪われない。
もう怯えなくていい。
バルトロは証書を睨みつけた。
「……調子に乗るなよ」
「乗ってません」
キースは淡々としている。
「これは契約履行です」
「クソが……」
バルトロが舌打ちする。
「だがなァ、所詮てめぇらは職人崩れだ! 戦えねぇゴミが!」
その瞬間。
エミリの眉がぴくりと動いた。
マルコも拳を握る。
だがキースだけは静かだった。
「そうですね」
「……あ?」
「あなたは、ずっとそう言っていた」
キースはもう一つ、書類束を取り出した。
分厚い。
異様な量だ。
バルトロの顔色が変わる。
「……それは何だ」
「監査報告書です」
空気が凍った。
キースは書類を開く。
「鉄血の牙の会計監査結果になります」
「なっ……!?」
エミリたちも驚いた。
キースはずっと集めていたのだ。
証拠を。
数字を。
逃げ道を塞ぐために。
「まず二重帳簿」
紙が机へ置かれる。
「正規帳簿と裏帳簿の差額、およそ三千二百万G」
「ま、待て……」
「さらに架空発注」
別の書類。
「存在しない素材業者への支払い。資金洗浄ですね」
バルトロの額から汗が落ちる。
「下請けギルドへの強制契約。違約金による拘束」
エミリの顔が強張る。
自分たちがされたことだ。
「さらに粉飾決算」
キースは冷たい目を向けた。
「赤字を隠すため、死亡冒険者の装備を資産計上している」
沈黙。
空気が張り詰める。
その時だった。
重い扉が開く。
「ギルド連合査察局だ」
フェルド。
さらに後ろには武装騎士。
税務監査官までいる。
バルトロの顔が真っ白になった。
「な……なんで……」
「通報を受けた」
フェルドは冷たく言う。
「内部監査資料も提出済みだ」
キースは静かに席を立った。
「監査は大事ですよ」
「き、貴様ァ……!」
バルトロが立ち上がる。
椅子が倒れた。
「最初からこれが目的だったのか!?」
「いいえ」
キースは首を振る。
「目的は、職人を守ることです」
「ふざけるなァ!!」
怒号。
だがキースは動じない。
静かに、真っ直ぐ言った。
「あなたは職人をゴミと言った」
工房で。
市場で。
ずっと。
「だが、あなたの利益は、その“ゴミ”の搾取で成り立っていた」
バルトロの顔が歪む。
「違う……!」
「違いません」
キースは書類を指差した。
「あなたは職人の技術で利益を得ていた」
「黙れ!」
「なのに価値を認めなかった」
「黙れェッ!!」
バルトロが剣へ手を伸ばす。
その瞬間。
ガシィッ!!
腕が止められた。
「なっ……」
騎士団長ガレスだ。
深緑のラパン製防護服を着ている。
バルトロが目を見開いた。
「お前……!」
「残念だったな」
ガレスは低く笑った。
「この“職人の服”、かなり丈夫だ」
周囲の騎士たちも剣を抜く。
逃げ場はない。
フェルドが告げた。
「鉄血の牙ギルドマスター、バルトロ」
冷たい声。
「横領、脱税、恐喝、違法契約、粉飾決算の容疑で身柄を拘束する」
「やめろ!! 俺は最強ギルドだぞ!!」
バルトロが暴れる。
「戦えるのは俺たちだ! 職人なんざいくらでも替えが――」
その瞬間。
ルナがぽつりと言った。
「だから潰れたんだよ」
静かな声だった。
だが重かった。
バルトロが固まる。
マルコも前へ出る。
「俺たち、道具じゃない」
エミリは真っ直ぐバルトロを見た。
もう怯えていない。
「人です」
沈黙。
騎士たちがバルトロを連行していく。
怒鳴り声が遠ざかる。
やがて静寂が落ちた。
フェルドは深く息を吐いた。
「……恐ろしい男だな、お前は」
キースは肩をすくめる。
「普通の監査ですよ」
「普通の監査で大手ギルドは潰れん」
「潰れるだけの問題があったんです」
フェルドは苦笑した。
窓の外では、朝日が昇り始めている。
鉄血の牙の看板へ光が差し込んだ。
だがその赤い牙は、もう以前のような威圧感を持っていなかった。
エミリは静かに呟く。
「……終わったんですね」
キースは答えた。
「ええ」
そして少し笑う。
「ここからが、本当の再建です」




