2025年 春 偏差値57.6
満開の桜が、今の俺には酷く残酷に見えた。
俺は山田太一、18歳。
この春、受験した大学すべてから「不合格」の通知を突きつけられた、正真正銘、ピカピカの浪人一年生だ。
なぜ失敗したのか。
理由は明白だ。身の程もわきまえずに理想を追い求めすぎた。
現役時代の志望校は、大阪大学工学部。滑り止めには同志社、さらには「ワンチャンあるかも」という淡い期待を抱いて慶應義塾大学にも突撃した。
しかし、現実は甘くない。
昨年10月、最後の指針となった河合塾全統記述模試の偏差値は57.6。対する阪大工学部の偏差値は60.0。判定は、どこをどうひっくり返しても「E」だった。
結果は、惨敗。
東京までわざわざ「お上りさん」をしに行った慶應も、同志社も落ちた。
現役志向が強く、浪人が流行らないこのご時世に、あえて玉砕を選んだ俺は、端から見れば「受験を拗らせた学歴厨」に映るのかもしれない。自覚はある。
けれど、一度きりの人生で、悔いの残らない高みを目指すことが間違っているとは、どうしても思えなかった。
「浪人覚悟で、挑戦させてほしい」
そう言った俺に、両親は頷いてくれた。浪人を許さない家庭も多い中、この環境には感謝しかない。だからこそ、期待を裏切った申し訳なさが、重く胸にのしかかっていた。
そんな傷心の俺に、耳元で悪魔か天使か分からない声を囁いたのが、山本先輩だった。
先輩は二浪の末、この春、見事に長崎大学医学部への合格を勝ち取った人だ。
「太一。お前なら、もう一年頑張れば、医学部に行けるかもよ」
一瞬、耳を疑った。
先輩はこの一年で偏差値を10上げたという。「俺ができたんだから、お前にもできる」――その言葉は、阪大工学部を再受験するつもりでいた俺の脳を、文字通り直撃した。
医学部。
そのワードが頭をよぎったことは、過去に何度かある。医師という職業に魅力も感じていた。
けれど、国立医学部は東大レベルの秀才が集う場所。私立は数千万という学費がかかる別世界。あそこは「すこぶる頭のいい奴」か「医者の子供」が行く聖域だと、端から眼中になかった。
──凡人で、サラリーマンの息子である俺には、縁のない場所だ
だが、先輩の言葉に背中を押されるようにして調べてみると、ある事実に突き当たった。
国立医学部の中でも、いわゆる「下位層」とされる大学の偏差値は62.5。
……それは、俺が玉砕した大阪大学工学部の偏差値より少し上の数値だった。
「場所さえ選ばなければ、どこかの国立医学部に手が届くかもしれない」
そう気づいた瞬間、身体の奥底からどろりとした欲望が鎌首をもたげた。
人間とは業の深い生き物だ。手が届きそうだと分かった途端、猛烈にそれが欲しくなる。
(医学部に行きたい)
そう、思ってしまった。
けれど、すぐに自問自答が始まる。
普通、医学部を目指す連中というのは、幼少期に命を救われた経験があるとか、代々続く医者の家系だとか、もっと崇高な理由を持っているものではないか。
浪人一年目の春になって、突然「医学部に行く」と言い出すなんて、不純すぎるのではないか。
だが、一方で医学に対する興味は本物だ。学びたいという意欲はある。
世の中には、単に「成績が良いから」という理由だけで医学部を選ぶ奴だっていると聞く。
ならば、この「学びたい」という小さな火種は、十分な受験資格と言えるのではないだろうか。
葛藤の末、俺の心は決まった。
学歴への執着か、それとも新たな夢への目覚めか。今の俺にはまだ分からない。
ただ、2025年の春。
「俺は、医学部を受ける」
その決意だけが、浪人生活のスタートラインに立つ俺の、唯一の道標となった。
◇
浪人が決まった俺が、まず直面した壁。
それは、「どこで一年を過ごすか」という環境選びだった。
選択肢は大きく分けて三つ。
一つ、自宅で一人戦う「宅浪」。
二つ、河合塾や駿台予備校などの大手予備校。
三つ、医学部受験に特化した「医学部専門塾」。
まず検討したのは医学部専門塾だ。
噂によれば、そこは手厚い指導で合格を請け負ってくれるらしい。だが、資料を調べて指が止まった。
授業料、年間五〇〇万円以上。
「……無理だろ」
思わず独り言が漏れた。
うちは普通のサラリーマン家庭だ。いくら浪人を許してくれたとはいえ、親に「五〇〇万出してくれ」なんて口が裂けても言えない。
即、却下。
次に宅浪。
これはもっと無理だ。たった一人で一年間、誘惑に負けず机に向かい続ける自信なんて、これっぽっちもなかった。
そもそも、だ。
俺には、高三の時に得た「手痛い教訓」がある。
実は現役時代、俺は『自学自習こそが最強』というフレーズに惹かれ、「授業をしない」という謳い文句で有名な武田塾に通っていた。
医学部を勧めてくれた山本先輩と知り合ったのも、この塾だ。
そこで俺は、自分なりに必死に勉強した。
参考書をボロボロになるまで解き、スケジュールを管理した。
だが、その結果として辿り着いたのは、あまりに残念な事実だった。
――俺に、自学自習は無理だ。
暗記中心の文系科目なら、それでいけるかもしれない。
しかし、数学や物理・化学といった「理解」を求められる教科は話が別だ。
難解な参考書を読み解き、数式の裏にある本質を自分の力だけで理解する。
その作業には、圧倒的な読解力……もっと言えば、天性の「地頭の良さ」が必要だった。
凡人の俺が一人で本を眺めていても、それはただの「分かったつもり」の積み重ねにしかならない。
やはり俺は、人から教わらないと、壁を突破できないタイプの人間なのだ。
となれば、消去法で「予備校」一択。
問題はどこに行くかだが、例の山本先輩に相談したところ、
「俺は、一浪の時、河合塾に通ってたけど、あそこ、悪くないよ」
と、軽いトーンで言われた。
実際に国立医学部に受かった人間が「悪くない」と言っている事実は重い。
「河合塾の医系コース……ここにするか」
俺はパンフレットを握りしめた。
理解できないなら、理解させてくれるプロの元へ行く。
凡人には凡人なりの戦い方があるはずだ。
◇
予備校は決まった。
となれば、次は避けては通れない、人生最大の「交渉」が待っている。
親になんて話すか、だ。
浪人を許してもらった直後に「やっぱり医学部に行きたい」なんて言い出す息子。
普通なら「いい加減に現実を見ろ」と一蹴されてもおかしくない。
俺は夕食の席で、心臓の鼓動を抑えながら切り出した。
「俺……国立の医学部に行きたいと思ってる」
その瞬間、食卓に沈黙が流れた。
父さんも母さんも、箸を止めて絶句している。
まさか、このタイミングでそんな言葉が飛び出すとは思ってもみなかったのだろう。まさに寝耳に水だ。
……怒られる。
そう身構えた俺だったが、返ってきたのは意外な反応だった。
「……医学部。そうか」
案外、すんなりと了承してくれたのだ。
実は、母さんは現役の看護師だ。
医療現場の過酷さも、やりがいも知っている。だからこそ、医療の道を志すこと自体には理解があったらしい。
「医者を目指すのは、悪くない選択だと思うわよ。太一」
母さんの言葉に、胸のつかえが少しだけ降りる。
ただし、と、父さんに釘を刺された。
「一浪までだぞ。」
うちは一般サラリーマン家庭。
それは、ぐうの音も出ないほどに「ごもっとも」な意見だった。
だが、話はそれだけで終わらなかった。
「なんなら、私立の医学部も受けていいぞ」
……え?
今度は、俺の方が絶句する番だった。
私立医学部。
国立ほどではないにしろ、偏差値はトップクラス。
そして何より、合格したあかつきには、六年間で数千万円という莫大な学費がかかる。
本当に大丈夫なのか?
うちって、そんなに金持ちだったか……?
急に現実味がなくなって不安になる俺を見て、父さんが真剣な顔で口を開いた。
「いいか、太一。もしお前が私立の医学部に通うことになったらな……」
父さんの表情は、これまでに見たことがないほど険しい。
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……お父さん、ローソンでバイトしないといけないな」
「…………」
……余計に不安になった。
◇
後日、俺は河合塾へと向かい、入塾手続きを済ませた。
選択したコースは『難関国公立大医進コース』。
神戸大、大阪公立大、京都府立医大、滋賀医大といった、近畿圏の受験生にとっては泣く子も黙る難関校をターゲットにしたコースだ。
このコースに入るには、本来なら「入塾テスト」をクリアしなければならない。
だが、俺の現役時代のへっぽこ偏差値を提示したところ、なんと無試験での入塾が許可された。
「……え、パス?」
自分の実力を棚に上げて、逆に不安になった。
この程度の偏差値で通してしまうとは、このコース、実はガバガバなのではないか。
費用は年間で約一〇〇万円。
決して安くない。現役で合格してさえいれば、浮いていたはずの大金だ。
俺のわがままに文句一つ言わず、黙って銀行口座から振り込んでくれた親の背中が、いつになく小さく見えた。
この金を無駄にすることだけは、万死に値する。
さて、河合塾の開講は四月。
三月はまるまる一ヶ月の「空白期間」となる。
この一ヶ月をどう過ごすかが、一年を占う重要なファクターになる。
……それは、頭では分かっていた。
だが、二月末の国立後期試験まで戦い抜いた俺のライフポイントは、すでにゼロだったのだ。
「四月から本気出す。だから三月は許してくれ。オンとオフ、大事」
自分に都合の良い言い訳を並べ立てた。
SNSを開けば、高校の友人たちが卒業旅行でディズニーだの海外だのと浮かれている写真が流れてくる。
結局、俺は誘惑に勝てなかった。
三月、ペンを一度も握ることなく、遊び呆けた。
そして迎えた四月。
入塾早々、残酷な現実が俺を待っていた。
クラス分けテスト――サクセスクリニック。
この『難関国公立大医進コース』は、学力順に三つのクラスに分けられる。
最上位クラス、上位クラス、そして、標準クラス。
結果は、惨敗。
三月に遊び呆けていたツケは、想像以上に重かった。
俺が配属されたのは、一番下の「標準クラス」だった。
そこで俺は、恐ろしい噂を耳にする。
最上位クラスでも、国立医学部合格率は五割。
上位クラスで、二、三割。
そして我が標準クラスに至っては――。
「……一割、未満?」
愕然とした。
十人に一人も受からない?
はたと気づく。
このクラス、医学部コースとは名ばかりの『養分クラス』ではないのか。
塾の経営を支えるためのお客さん。
ヒエラルキーの底辺。
食物連鎖の最下層。
なるほど。俺のようなへっぽこ偏差値でも無試験で通ったわけだ。
最初から、俺は「食われる側」として期待されていたらしい。
のっけから、盛大に躓いた。
だが、座して死を待つわけにはいかない。
これからは、自戒の念を込めて、このクラスをこう呼ぶことにしよう。
『みじんこクラス』、と。
◇
標準クラスへと初登校した日。
俺が想像していたのは、誰もが鋭い眼光で机に向かい、ペンを走らせる音だけが響く「修羅の国」のような光景だった。
だが、現実は違った。
「久しぶり! お前もここだったんだ」
「マジかよ、また一年よろしくな」
教室のあちこちから、和気あいあいとした話し声が聞こえてくる。
数人のグループがあちこちで形成され、まるで高校の休み時間を切り取ったかのような光景。
予備校という場所では、「友達ができるかな」とか、あわよくば「彼氏彼女ができるかな」なんてことを気にする奴もいると聞く。
孤独に耐えられないのか、一年間を「ぼっち」で過ごすことを極端に恐れているのだろう。
だが。
浪人は、ぼっち上等。
俺は誰ともつるむつもりはない。
馴れ合いに来たわけじゃない、合格しに来たんだ。
俺は壁際の端の席を陣取ると、周囲の喧騒をシャットアウトするように単語帳を開いた。
しかし、耳に入ってくる会話から、ある事実に気づかされる。
「お前、〇〇中学だっけ?」
「そう、そこから上がって、結局現役はダメでさ」
飛び交うのは、誰もが知る有名私立の中高一貫校の名前ばかり。
どうやらここにいる連中の大半は、幼少期から「医学部に行くのが当たり前」という環境で英才教育を施されてきた、エリート予備軍のようだ。
それに対し、俺は。
偏差値も七十に届かない地元の公立高校出身。
なるほど。
ここでは、俺のような「普通」の人間こそが、圧倒的なマイノリティというわけか。
このアウェイ環境の中で、俺は、これから一年間、やっていくことができるのだろうか?
そんな不安と共に、俺の浪人生活はスタートしたのであった。




