18.
濃い。
濃すぎる。
……いや、別にいつの間にか部屋から消えていたメイドたちの個性の話ではない。
鏡に映った自分の、この"顔"の話だ。
「……ナリアッテ、これ、どうかな?」
文句を言えば彼女たちの努力を否定することになりそうで、一度は飲み込んだ。
だが、あまりの違和感に言葉が漏れる。
鏡の中には、陶器というよりは"塗りたての漆喰"のような、血色のない顔をした見知らぬ女が立っていた。
「ルイ様、とっても素敵ですわ。本当にお美しい……」
ナリアッテは、こちらが気圧されるほどの眩しい笑顔で溜息をついた。
……複雑だ。正直、複雑すぎる。
彼女の目は本気で輝いているが、私の感性は全力で"ノー"を突きつけている。
「ナリアッテ、お世辞でも嬉しいよ。ありがとう」
とりあえず、引きつりそうな頬を無理やり動かして社交辞令を返しておく。
現代社会で培った営業スマイルが、まさか異世界の桃色の部屋で役に立つとは思わなかった。
「お世辞だなんて、滅相「あ、夕食って……」」
ナリアッテが何かを言いかけ、自分の声と重なった。
ナリアッテ何言いたかったんだろ。
「ごめん、重なったね」
「いいえ、構いませんわ。それより……どうかされましたか?」
「夕食っていつ頃なのかなと思って。少し、外も暗くなってきたし」
窓の外を見れば、燃えるような夕日が地平線に沈もうとしている。
空の色が、この部屋の壁紙と同じ禍々しいまでのピンクから、深い群青へと溶け落ちていく。
夕食の定刻にはまだ早い気がして尋ねると、彼女は申し訳なさそうに微笑んだ。
「思ったよりもお仕度が早く整いましたので、少しお時間が余ってしまいましたね。迎えの者がくるまで、お茶でも飲んでこちらで少し、お寛ぎください。では、少し席を外します。お茶の用意をしてまいります」
ナリアッテは優雅に一礼して部屋を出ていった。
桃色の部屋に、1人残される。
先程までの騒がしさとはうって変わって音一つない空間となる。
静寂が訪れると同時に、私は再び鏡の前に歩み寄った。
……やっぱり、これ、ダメだ。
耐えられない。
我慢しようと思った。
だが、鏡を見るたびに「誰だお前は」と問いかけたくなる衝動に勝てない。
メイドたちの腕は一流だった。
それは認める。
だが、致命的な問題があったのだ。
「……黄色人種の私に、白人用のファンデーションを塗るのは、無理があるだろ」
そう。ベースの色が根本から違うのだ。
彼女たちは、この城の貴婦人たちが尊ぶ"透き通るような白さ"を再現しようとしたのだろう。
だが、私の肌色には浮きすぎて、まるで死人の仮面を被っているような不気味さが漂っている。
うわっ。
心の中で「ごめんなさい」と1秒だけ謝り、私は行動を開始した。
窓際にある棚の上の実用一辺倒の鞄を取りに行く。
ヤバ、このドレス思ったより歩きにくい。
スカートを手で引き上げ歩く。
くっ、ムダに広いなこの部屋。
たどり着き、ガサゴソとカバンの中の小さいメイク道具用ポーチを取り出す。
ビバ、"携帯用メイク落としシート"。
異世界にきた持ち物の中にこれを入れていた過去の自分を褒め称えたい。
あるいは、これをカバンに詰め込んだ瞬間の自分の直感に感謝したい。
異世界でもメイク落としシートは正義だ。
ははっ。
シートを滑らせ、拭き取るたびに、塗り固められた"偽物の白"が剥がれ落ちていく。
重苦しい層の下から、ようやく見慣れた自分の肌色が戻ってくる。
ファぁ、この瞬間が好き。
あ、時間ない。
落とした後は、自分の道具でフルメイク……
といっても、気合もへったくれもない、5分もかからないナチュラルなものだ。
でも一応いつもよりは力を入れてみる。
ただ、自分の肌の色に馴染むオークル系のトーンを選び、目元に少しだけ、意志を宿らせるためのラインを引く。
顔色をよく見せるチークを乗せた。
マスカラはふき取ってないのでメイドさん仕様のままにしている。
あとは苦手な眉を髪色と瞳の中間色のものをのせていく。
最後に眉マスカラで仕上げる。
ヤバ、友達に見られたら怒りそうな仕上がり。
いやだって急いでいたし、と心の中で言い訳した。
よし、これでようやく"私"になった。
多分。
鏡の中の女は、ドレスこそ着ているが、紛れもなく"多田 琉生"だ。
……この国には、私と似た肌の色の人間はいないのか。
メイドさんが用意してくれた化粧品のラインナップを思い出す。
抜けるように白い肌から、褐色の肌まで、グラデーションは豊かだった。
だが、私のような黄色をベースとした色味だけが、すっぽりと抜け落ちていた。
これは、生存戦略において致命的な"目印"になり得る。
もし城を出て市井に紛れることがあっても、私の肌の色はそれだけで"異邦人"であることを叫び続けるだろう。
トラブルを避け、静かに暮らそうとしても、この色が障害になるかもしれない。
これ、下手したら命に関わるやつじゃない?
早急に、この国の歴史や人種分布を調べないと。
私の脱出・独立計画が頓挫する……
どんどん嫌な方向にいく重い思考に沈んでいると、ノックが響いた。
誰何し、ナリアッテだと分かり扉を開いた。
そこには戻ってきたナリアッテ、そして彼女を護衛するように隊長が立っていた。
「……おかえり」
いつもの調子で声をかけた。
だが、2人は扉の前で、まるで石像になったかのように固まってしまった。
ん?
首をかしげる。
「…………」
無言。
ナリアッテの手元のトレイが、わずかにカタカタと震えている。
え?
どうした?
1歩近づいてみると、なぜか2人とも、溺れる者が藁をも掴むような必死さで視線を彷徨わせている。
……あ、そうか。
メイクか!
やっぱり、あの伝統的な厚化粧じゃないと失礼だったのだろうか。
異世界には異世界の、宮廷には宮廷の礼儀としてのメイクがあるはずだ。
自分の独断でそれを台無しにしたのは、不適切だったに違いない。
……そんなに変だった?
いや、変なんだろうな、うん。
まいったな……
「あの、ナリアッテ。勝手に化粧を変えちゃったけど、まずかったかな?礼儀に反するなら、今からやり直すけど……」
焦って洗面台を指差した。
その瞬間、ナリアッテが弾かれたように声を上げた。
「と、とんでもありませんわ!あの、とても、とても素敵です!先ほどより断然……なんてことでしょう、先ほどのメイドを今すぐクビに……!」
「待て待て待て!落ち着け、ナリアッテ!」
不穏すぎる言葉に、慌てて彼女の両肩を掴む。
クビとか、そんな権限まで持っているのか彼女は。
というより、さっきまで絶賛していたのに、この手のひら返しは何なんだ。
「落ち着こう。あのメイドさんは悪くないんだ。単に私の肌の色に合う化粧品がなかっただけだよ。ね?隊長も、何とか言ってくださいよ!」
助けを求めて廊下に突っ立ったままの隊長に振る。
だが、隊長は「う、うむ」と、魂の抜けたような生返事を返すだけだった。
……様子が変だな。
怒ってるのか?
困ってる?
表情が変わらないからよく分からない。
その視線は、私の顔のあたりで落ち着かない。
廊下の奥にも窓があったので、そこから差し込む夕日が隊長の横顔を赤く染めていた。
耳の付け根が、夕日のせいか、妙に赤くなっている。
赤いな。
皮膚が薄いんだな。
まあ、いい。
今はとにかくこの場の空気を変えなければ。
「……とりあえず、お茶でも飲もうか。喉渇いたし、ね?」
私は2人を促し、ソファへと座らせた。
鏡の中の自分の正体。
そして、この国における自分の"異質さ"。
温かなお茶の香りが漂う中で、私は願った。
この装いが、嫌な予感のする晩餐会で、ナリアッテの言うところの私を守る"盾"となってくれることを──
それだけを、祈るしかなかった。
どうか、何事も起きませんように……




