2話-③ ロッシュ中尉
「き、緊張したぁ」
スゥスの後に付いていっただけだが、憲兵に抵抗感がある僕としては、近くにいるだけで精神的に消耗してしまう。しかも僕がしていることは、実質的には不法侵入だ。
いや、それはそうとして……。
「……もしかしてスゥスって偉いの?」
僕は改めてスゥスの軍服姿を上から下まで眺める。
「いえ、大した事はありません。憲兵の肩書きなんて飾りのようなものですから」
そう言うとスゥスは軍服の袖についている幾つかの勲章を見せた。
そういえば他の憲兵にはついていなかったものだ。少将というのはかなり上の階級らしい。
ネユさんといい、あまりに見た目と実像がかけ離れている。
まさかこの小柄で可愛らしい少女が、そんな偉い人だったとは……。
とはいえ、ぼんやり考え事をしていると、それだけで憲兵に目を付けられかねない。
僕は気を落ち着かせて、辺りの様子を伺う。
「…………」
思わず、目の前の光景に息を呑んだ。
規制エリアの中は、先ほどまでよりも目を背けたくなる惨状だった。
崩壊した建物の瓦礫四方八方に積み上がり、煤や灰がこびりついている。かつて人で賑わっていたことなど、忘れさせるくらいに、面影がない。
あの時は火で覆われていて、よく分からなかったが、こうして見ると、想像を超えた被害の大きさが目の前に広がっていた。
憲兵が規制するエリアは、セウル地区の半分ほどを占めている。中が憲兵だらけだったらどうしようかと思ったが、2、3人の集団がポツリポツリといる程度だ。
瓦礫をどかして採掘したり、黒焦げの木材を採取したりしている。
彼らもネユさんと同じように、捜査に使うための物証を集めているのだろうか?
そんな彼らを横目に、スゥスはどんどん奥へと進んでいく。
「くれぐれも目立たないようにお願いします」
スゥスが改めて小声で注意を促す。
「わかった。それで僕らはこれからどうするの?」
「爆発があった場所に向かいます。ネユに物証の採取を求められているので」
「了解」
僕は軽く頷き、スゥスの後に続いた。
さらに進むにつれて、徐々に崩落した建物や瓦礫が徐々に減っていく。
おそらく爆発の威力が大きくて、その残骸すらも、なくなってしまっているのらしい。があった形跡すらない荒野が広がっていた。
こんな状態で何か手がかりになるようなものなんて残っているのだろうか。
「この辺りが地区の中心地ですか?」
「はい。僕の家もこの辺りです」
僕は少し息苦しさを覚えながら、スゥスを案内しながら進む。
正確な位置までは分からないが、僕の家があった場所は、ほんの少し瓦礫が残っているだけで、他には何もない。
壁も屋根も、家具すらも、すべて消え失せていた。
「こんな近くで爆発したのに、よく無事でしたね」
「ちょうど出かけてたんです」
僕は短く答えたが、それ以上の言葉は出てこなかった。
ここに家族がいたら――。
たぶん助からなかっただろう。そんな考えが頭をよぎり、胸が押しつぶされそうになる。
「ベルアさん。瓦礫をどかしてもらっていいですか?」
スゥスの声が現実に引き戻してくれる。
「えっ、あぁはい」
僕はスゥスの言う通りに瓦礫を持ち上げる。スゥスはその下に潜り込んで、何かを探しているようだ。
「ありました」
出てきたスゥスの手には小さな針が握られていた。
「なんですか?それ?」
「さぁ。ネユに言われただけなので」
スゥスは軽く肩を竦めるだけで、詳しい説明はしない。
こんなので本当に真犯人とやらがわかるのだろうか。
「おや、スゥス少将ではありませんか」
すると突然、前から歩いてきた男性の憲兵に声をかけられた。後ろに部下らしき憲兵を、数人引き連れている。
白髪混じりの髪は、ビッチリと骨格に沿って流れている。
シニカルで意地の悪い笑みが張り付いており、目尻や眉が下がっているせいで、人を小馬鹿にしているような印象を与える。歳は四十代くらいだろうか。。顔のあちこちに刻まれた皺がその年齢を物語っていた。
その顔を見て、僕の胸に嫌な記憶が蘇る。
セウル地区にいた頃、何度か目にしたことがある。間違いない、こいつは――。
「お久しぶりです。ロッシュ中尉」
スゥスが抑揚のない返事をする。
彼はセウル地区の警備の統率を任されている憲兵。ロッシュ・ナーバル中尉だ。
セウル地区に住む人なら誰もが知っている憲兵だ。もちろん、それは決して良い意味ではない。
彼とその部下の憲兵たちは、特に職権乱用がひどいことで有名だ。
白を黒と言いくるめる冤罪は日常茶飯事。粘着質な取り調べや不当な逮捕を繰り返し、ゲヌスたちから忌み嫌われていた存在だ。
僕や家族も何度か目をつけられて、連行されそうになったことがある。
「部下を引き連れて、何の用です?」
ロッシュはヒゲを弄りながら、僕の方にチラリと目をやる。
思わずキャップを目深に深く被り直した。
僕のようなゲヌスの顔をいちいち覚えていないだろうが、正体が露見するのではないかと緊張が走る。
「テロ現場の検証調査ですよ」
「立ち入りを許可した覚えはないのですがね」
「そんなものは必要ないはずです」
「本来ならね。しかしスゥス少将、あなたは別ですよ」
ロッシュの目が鋭く細まり、語気が強くなる。それでいて口元はニタニタと笑みを浮かべている。相手を見下した高慢な物言いだ。
僕は二人のやりとりを後ろから眺めることしかできない。
「あなたは以前から、ゲヌスに対して擁護する発言が目に余る」
「何が言いたいのですか?」
「ゲヌスをひいきするために、証拠をでっち上げるのではないかと危惧しているのですよ」
「……っ!」
僕は息を呑む。思わず声を上げそうになったが、辛うじて抑えた。
こいつはテロのことなんて、どうでもいいに違いない。ただ徹底的にゲヌスを嫌っているだけだ。
魔導士では珍しくもない。むしろよくいるタイプだ。ゲヌスも、そしてゲヌスに関わる人間も偏見で悪だと決めつける。
そして、どうやらスゥスもその偏見の矛先に含まれてしまっているらしい。
悪意のある挑発的な言い方だが、スゥスは動じる様子はない。むしろ冷笑を浮かべて言い返した。
「ふっ、自らが計画していないと考えつかないような発想ですね」
「何だと?」
ロッシュがピクリと眉を動かし、表情を変える。
「セウル地区での背信行為。私の耳にも入ってきています。必要以上の取り締まりは、もはや裁量の範囲を超えていますよ。ほどほどにしておいたほうが身のためかと」
彼女の冷ややかな言葉に、ロッシュの顔が引きつる。
周囲の憲兵たちの間にもざわざわとした動揺が広がる。
「何のことだか……」
「心当たりが無いようであれば、今、あなた方が関わった数々の冤罪を、一つひとつ申し上げたほうがよろしいですか?」
スゥスの言葉に、ロッシュの取り巻きの憲兵たちがざわざわとどよめき始める。
ロッシュの笑みは消え失せていて、眉をピクリと動かす。
「しかし現にあなたはこうして素性の知れない部下を率いているじゃないか!」
「……っ!」
突然矛先を向けられ、思わず僕は体を強張らせる。
スゥスに言い返せない腹いせで、僕に標的を変えたのが見え見えだった。なんて矮小なやつだ。
「貴様。名と所属は⁉」
「彼は私の部下で……」
「貴方には聞いていません」
スゥスが助け舟を出そうとしてくれるが、ロッシュはそれを封じ込めるように鋭い声を張り上げた。
ロッシュの目配せで、部下の憲兵たちが僕とスゥスを取り囲むように動く。
「とにかく私の許可なしで、セウル地区の捜査は控えてもらおう」
ロッシュの言葉は、明らかに勝手な理屈だった。どうせ事前に申告しても許可する気はないだろう。そもそも僕らの居住区にずかずか入り込んできているのはそっちじゃないか。
僕の胸の中で、怒りが徐々に膨れ上がる。
「おい! 捕らえろ」
ロッシュが怒声を上げると、部下の一人が、スゥスの腕を掴んで拘束しようとする。
その瞬間、気づいたら僕はすでに足を動かしていた。
「……おい、止めろ!」
もう怪しまれるとか、目立つとか、そういう問題ではない。胸の奥底から煮えたぎる感情が抑えられず、僕は地面を蹴り、ロッシュとの距離を一気に詰める。
反射的に拳を握りしめたその瞬間、僕の腕が紫色に閃いた。
血液が巡るように腕全体が紫色に光りを放つと、熱を帯び始める。
そして雷鳴が響き渡る音とともに、ロッシュの身体が弾かれたように跳ね上がる。
「グアッ……!」
その音とともに、ロッシュは地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
「…………」
周囲の憲兵たちも、スゥスも、何より僕自身が呆然としていた。
やってしまった……!
これで魔導士だって認められた、なんて言っている場合じゃない。
憲兵たち十数人の目の前で上官を攻撃してしまうなんて。
昨日は決死の覚悟で訓練して出なかったのに、よりにもよって考え得る限り最悪の状況だ。
「……あ、あの」
僕がたじろいで周囲を見渡す。
憲兵たちが一瞬の沈黙を破り、どよめきが広がった。だがすぐに彼らの表情は険しくなり、臨戦態勢に入る。僕たちを取り囲むように位置を取り、逃げ道を塞いでいく。
「手を頭の後ろに置いて、跪け!」
憲兵のうちの一人が叫んだ。ちょびヒゲを生やした壮年の男性だった。ロッシュが倒れたのにも関わらず、すぐに指揮を執る。ロッシュに次ぐ役職なのだろう。ロッシュが倒れた今、指揮を取るのは彼だろう。
見渡すと、すでに十人近い憲兵が武器を構えている。逃げられる隙間はない。
もう誤魔化せる雰囲気じゃなくなってしまった。
もう一度、魔法を使うか?
いや、次も成功する保証はない。
それに、不意打ちだったからこそ通じたのだ。訓練を受けた魔導士相手に、初心者の雷魔法が通じるはずもない。もう雷魔法だというのもバレているだろうし。
とてもじゃないが打開できない。だからといって逃げることもできなそうだ。
考えている間にも、憲兵たちはじわじわと僕らとの距離を詰めてくる。
「早くしろ!」
ちょびヒゲが、再び声を張り上げる。
この人数を相手するのは、リスクが大きすぎる。時間をかけ過ぎて、応援を呼ばれてしまったら、それこそ終わりだ。
スゥスのように大人しくしておくのがよかったのかも知れない。
「くっ……」
渋々、僕が膝を地面につけた、その時だった。
ゴォッ――突如として、風が吹き抜けた。
この感覚、覚えがある。魔法の訓練の時と同じ、突風だ。
風圧で髪がなびいて、思わず目を瞑る。
そして目を開けたときには、僕を囲んでいた憲兵が全員バタバタと倒れていった。
そして中央では、何事もなかったかのように澄ました顔のスゥスが、ただ一人佇んでいた。
「……うっそ」
僕は呆然とその光景を見つめる。
相変わらず、速すぎる。
瞬きする間にもう終わっていた。
相手も訓練された憲兵のはずなのに。
応援を呼ぶどころか、声を出す間もなく全員倒されてしまっている。
「一旦ここから離れましょう。目撃者が増えたら面倒なので」
スゥスはいつもの涼しい表情でそう告げると、軽やかな足取りでその場を離れ始めた。