2話-④ 魔導士の血
腕に熱が帯びていくのを感じる。
血液と逆流して、身体に異物が混じり込んでくる。そんな不思議な感覚だ。
それでも目を閉じて、無心であるよう努めた。
暗闇の中で、熱を手繰り寄せる。
まるで綱渡りをしているかのような感覚だ。少しでもバランスを崩すと、暗闇に急降下してしまう気がした。動いていないのに、汗がじんわり滲み出てくる。
「はい。もういいですよ」
スゥスの合図で、僕は深く息を吐きながら、握っていた彼女の手をそっと離した。
そしてゆっくりと、目を開ける。
セウル地区で捜査を終えた僕たちは、廃墟の一角に身を潜めていた。
ロッシュ中尉の班を倒してしまい、すぐにでもセウル地区から離れるべきだったが、そうはいかなかった。
ロッシュ中尉とのいざこざで、僕が魔力をほとんど使い果たしてしまったのだ。
まるで全力疾走した直後かのように、息が切れ、身体が鉛のように重かった。
何でも普通の魔導士は体力と同様に、時間が経てば魔力が回復するらしい。だが僕の紋章には、その機能がない。だから魔力が無くなれば、こうして他者から譲渡してもらう必要があるらしい。
僕が昏睡状態のときに、ネユさんに雷の魔力を分け与えてもらったときと同じように、スゥスの魔力を分けてもらわなければならなかった。
見た目に反して、集中力と気力が必要な作業だ。
「これが魔力の譲渡ですか」
「はい。これでベルアさんは私の魔力分の風魔法も使えます」
「……」
僕は自分の掌を見つめる。
やはり何度言われても、全属性の魔法が使えるなんて、現実離れしている。ましてや自分の能力だなんて到底信じられなかった。
そして魔力を貰い受けるということは、その人の魔力を奪うということだ。僕がもらった分、スゥスは魔力を消費したとこになる。
いつも通りの無表情だが、明らかにスゥスに疲れの色が見えていて、肩で息をしている。
「もしかして、スゥスの魔力も残り少なかった?」
「ええ、というか私はもともと魔導士の平均以下ですよ」
「へぇ、なんか意外だな」
そもそも魔力量が人によって変わること自体、僕には初耳だった。考えれば個人差があるのは当然のことだ。
だけど僕の勝手なイメージだけで、スゥスは全ての能力値が最高値にあると決めつけていた。
「なんかすごく申し訳ないことをしている気分だ」
「早急に私やネユ以外に魔力を譲渡してくれる人を見つける必要がありますね」
「え、でも僕はまだ魔導士として生きていくと決めたわけじゃ……」
「魔法が安定して使えるようになるまでは、それなりの魔力が必要ですよ」
「それも、そうか」
スゥスの言葉に、僕はしぶしぶ納得するしかなかった。
けれど、このまま二人に魔力を頼りっきりでいるわけにはいかない。
魔力を譲渡してくれる魔導士なんて、そんな簡単に見つかるものなのか?
まず事情を一から説明しなければならない。
そもそも魔力の譲渡という概念がないのだから。その上、相手には魔力を分け与える見返りがない。僕がもともとゲヌスだと分かったら、協力どころか即座に拒絶されるに決まっている。
「そんな人見つかるかな?」
「最悪の場合は、民間人を襲って奪うしかないですかね」
スゥスが涼しい顔でさらりと、とんでもないことを口にした。
「いや、いやいやいや! 流石にそれは駄目でしょ」
思わず声を張り上げる。
本当に憲兵だよな? この子。
それじゃあ、まるで強盗だ。
「いくら生きるためとはいえ、それはさすがに……」
前例はないだろうが、何らかの罪に抵触してしまう気がするし。
「冗談ですよ。ただ、それほどまでに魔力の確保は重要ということです」
「……そうは思えない顔してたけど」
ずっと無表情だから、判別が難しい。僕は半ば呆れながら、ため息をついた。
「それにしてもどうして魔法が使えたのでしょうか」
スゥスが僕の腕をじっと観察しながら、不思議そうに首を傾げる。
「それは僕もよく分からないよ……」
僕も自分の腕を見下ろして、ため息をついた。
昨日あれだけ必死に訓練をして駄目だったのに、今日は何の前触れもなくあっさりと発動した。
不意に起こった出来事だから、準備もしていないし発動しようと意識したわけでもない。必死だったのは間違いないけれど、ただそれだけとは思えない。
まだこの力には、分からない事が多そうだ。
「とりあえず目的は達成しましたし、ネユのところに戻りましょうか」
「え、ロッシュたちを放っておいても大丈夫?」
僕は思わず彼女を見上げた。憲兵たちをそのままにしておくなんて、何か後を引きそうな気がしてならない。
「死んだ訳じゃありませんし、大丈夫ですよ。それに、何とかするのはあちらの仕事です。私たちが戻れば、捕まるだけですから」
スゥスは楽観した口調でそう言った。
僕が歩けるまでに回復すると、行きと同じように馬車と徒歩でネユさんの自宅に戻った。
規制エリアからの脱出は驚くほどあっさりしていた。まだロッシュ中尉の件が騒ぎになっていないようだったのは幸いだ。
「ネユの言うとおり、注射針が見つかりましたよ」
スゥスはセウル地区で採取した物証をネユさんに手渡す。
「……なるほど、ありがとうございます」
注射針を確認したネユさんの表情が曇る。まるで自分の予想が的中してしまったことを悔いるかのようだった。
「これがテロと関係があるんですか?」
僕が訊ねると、ネユさんは軽く頷く。
「ええ、おそらく。見ていてください」
ネユさんはそう言うと、ガラス皿の中に注射針を置く。
それから机の上に置かれていた緑色の液体を垂らすと、その液体はじわじわと青色に変化していく。
「これは……?」
「魔導士の血液に反応する薬品です」
「えっと、どういうことですか?」
色が変化したということは、この注射針に魔導士の血液が付着していたということらしい。
しかしどうしてゲヌスの居住区であるセウル地区に?
不自然というか異物感があった。
「おそらく注射針を使って、ゲヌスの体内に魔導士の血液を投与していたのでしょう」
「……へ?」
ネユさんの口から出たその言葉に、僕は耳を疑った。
というよりも何を言われたのかも、よく分からなかった。
ゲヌスに魔導士の血液を投与?
一体何のために?
「どういうことですか、それ……」
「実は研究の結果、ゲヌスに魔導士の血液を投与すると、魔法を使えるようになることがあることがわかりました」
「……!?」
僕は驚きに言葉を失う。そんな事実、聞いたこともなかった。
「つまり僕みたいなことになるんですか?」
「はい。ただしベルアさんの紋章のような安定した方法とは違います。血液が適合する可能性は極めて低いです。成功するのは10回に1回程度。それにたとえ成功しても、細胞が徐々に崩壊していき、衰退していきます。投与した者の寿命はせいぜい数週間でしょう」
ネユさんが淡々と告げる言葉たちに、僕の背筋が寒くなる。
「そんなの……」
魔法を使えるようになるにしても、代償があまりにも大きすぎる。
「まぁ、それでも失敗するよりはマシですけどね」
「失敗すると、どうなるんですか?」
数週間で死んでしまうよりも重い代償?
僕は息を呑んで、ネユさんを見つめる。
「爆発を引き起こします。街を一つ吹き飛ばすほどの」
ネユさんが珍しく、苦々しい表情で口を開く。
「……爆発」
察しの悪い僕でも、その言葉の意味がわかった。
街が一つ無くなるほどの爆発。
それは、つまり……。
「セウル地区のテロや、これまでのテロは、その血液投与が原因ってことですか?」
「そう考えて間違いないでしょうね」
「……っ!」
ネユさんの躊躇いのない肯定に、僕は絶句した。
あまりにも非人道的で、想像を絶する方法だ。
たしかにこの手法によるテロなら、発覚するリスクがかなり低いだろう。しかしあまりにも理不尽なギャンブルだ。リスクが大きすぎる。
「信じられないのは分かります。私も実証実験でここが爆発するまでは半信半疑でした」
ネユさんが遠い目をして呟く。
実証実験って……。
今朝の爆発は、それが原因か。どおりで爆発して成功と言ったわけだ。
「現場の状況なども分析して仮説を立てましたが、3件とも同じ手口でテロが行われていると考えられます」
「やはりテロは組織的な犯行でしたか」
スゥスが納得したように頷く。
「ええ、こんな捨て身のテロは1人では行えません」
血液が適合せずに、爆発すれば死んでしまうギャンブル。
2人のいう通り、単独でできるものではない。組織で行なっていることは明白だ。
しかもゲヌスしか行えない手口。
ということは……。
「テロの実行犯は『ヴェデリア』ということですか?」
「そうでしょうね。彼らの他に、こんなことを行える組織はありません」
「問題は、なぜセウル地区でそんなことをしたのか」
スゥスが唸る。彼らの目的が判らない。
3回目ともなると、そのリスクは周知の事実のはずだ。ゲヌスが行ったテロなのであれば、セウル地区で行うはずがない。過去2回と同様に魔導士への被害が拡大するところの方がいいに決まっている。
いったいなぜ、セウル地区を選んだのか。
1つの謎を解決したが、さらに大きな謎が立ちふさがった。
僕は困惑しながら注射針を睨み付ける。緑色だった薬品は、完全に青色になっていた。




