3話-④ 再会
数時間後、僕たちは倉庫の屋根の上から、バロセア港の様子を伺っていた。
海の香りと波の音だけが、暗闇に溶けていく。港には灯りひとつなく、月明かりさえも雲に隠されていた。
ネユさんから借りた真っ黒な研究着は、狙い通り夜の闇に同化している。
港は巨大なコンテナが数えきれないほど並び、碁盤の目のようになっていた。
死角だらけのこの場所は、隠れるのにも、逃げるのにも最適だ。秘密裏の取引を行うにはうってつけと言えるだろう。
かつてテロの舞台となったこの港は、今も封鎖されている。民間人の立ち入りは禁止されており、調査もすでに終わっているはずだ。
つまり、エリア内にいる人物がいれば、それは敵だと思っていい。
今のところ、人影は見当たらない。
僕は広大な港を見渡しながら呟いた。
「それにしても二人って……」
広さを目の当たりにして、恐れを抱かずにはいられない。たった二人で、この広大な港を監視するのは無謀に思えた。
「出入り口は限られていますし、落ち合う場所も分かりやすいところにするはずなので、見張る場所はそれほど多くないですよ」
スゥスは屋根の棟に腰かけて、随分とリラックスした様相で声をかけてくれる。こうした任務に慣れているのだろう。
「それにもし本当に、取引が行われるのだとしたら、ベルアさんのもう一つの課題を解決するかもしれませんよ」
「もう一つの課題ですか?」
「ええ、推理通り魔導士の協力者がいるとすれば、現場に現れるはずです」
「えっと、そうかもね?」
スゥスの言いたいことが分からず、曖昧に応える。
「つまりそいつらを倒してしまえば、魔力を奪いたい放題です」
スゥスの眼光が鋭くなり、獲物を狩る眼に変わった。
「え、本気で言っているの?」
驚嘆の声をあげるが、スゥスは表情を崩さない。
「ええ、もちろん。相手は犯罪者ですから、民間人から奪うより罪悪感はないでしょう?」
たしかにスゥスの言う通りだけど、倒せるという前提があまりにも軽すぎる。
ゲヌスの身体能力があるとはいえ、使いこなせていない魔法で、本物の魔導士に太刀打ちできるだろうか。
「ベルアさんって自信がないというか、自己否定をよくしますよね」
「え?」
まるで心を読まれたみたいでドキッとする。
「ゲヌスの引け目もあるでしょうが、本質は少し違いますね。お兄さんの影響ですかね?」
「うん。そう、かもしれない」
僕はドギマギとしながら、応える。あまり考えたことはなかったが、言われてみれば、当たっているかもしれない。
「優秀な兄だったから。親にもよく見習いなさいって言われたよ。働き先の魔導士にも目をかけられて、好待遇で働いていたみたいだったし」
兄のことは心から尊敬していた。それでも、自分が彼と比べられるたびに、いつしか卑屈な気持ちが積もっていった。それが今の自己否定につながっているのかもしれない。
「分かりますよ。自分にも姉がいましたから」
「え、そうなの?」
でも今の話の流れだと……。
「スゥスも自信がないってこと?」
「そうですね。意外でした?」
スゥスは面を食らっている僕を見て、クスリと笑う。
「それは、まぁ意外かな」
「私が豪快な魔法を使わないのは、魔力が少ないというのが第一ですけど、性格も起因しているんですよね」
「へぇ、そうだったんだ」
「だからもし使いたい魔法があるなら矯正した方がいいかもしれませんよ。まだ間に合うと思うので」
スゥスは落ち着いた声で、軽やかにそう言った。
異変があったのは、バロセア港で張り込みをし始めてから数十分後のことだった。
「何か動きはありましたか?」
耳元の機械が赤く光り、スゥスの声が聞こえてくる。思わずビクッと体が反応する。
僕は深呼吸をして胸を落ち着かせ、手元にある機械を操作する。
これは以前ネユさんが話していた無線機だ。四角い箱と、耳元に付ける機械で離れた場所にいても会話できるというものだ。
「いや、誰もいないよ」
僕は耳に装着している機械に手をあて、応える。
「見かけたら、手筈通り即座に制圧をお願いします」
「わかった」
スゥスとの通信が終わり、スイッチを切る。
スゥスはどこで密会が行われても対処できるように、港の中央で待機している。
対して僕がいるのは港の入り口付近だ。
万が一、取引された血液を持って逃げられた場合にフォローするのが役割だ。
とはいえスゥスが逃してしまうことなんて、よほどのことがない限り大丈夫だろう。
そんなことを考えていると、突然、真下の通りで明かりが灯った。
慌ててしゃがみ込み、慎重に様子を伺う。
見ると一人の男が、キョロキョロとあたりを詮索するように歩いていた。
身のこなしからみて、どうやら見張りのようだ。何度も立ち止まり、周囲に気を配っている。
どうみても怪しい。
まさか今日、バロセア港で密会が行われるのか?
コンテナの上を伝い、気付かれないように、ゆっくりと後を追う。
音を立てたりして応援を呼ばれたら、すべてが水の泡だ。二度とここでは密会が行われなくなるだろう。それどころか僕らが『ヴェデリア』の存在を嗅ぎつけていることもバレてしまう。
一瞬で仕留める必要がある。
僕は闇討ちする機会を窺いながら、慎重に追跡を続けた。
しばらくして、男が通路の中央で立ち止まった。
……今だ!
僕は屋根を蹴り落下する。その音で男が僕の方を見たが、もう遅い。
一直線で男の上空から襲撃し、勢いそのままに、頭部に一撃を喰らわせる。
そして僕の着地と同時に、男は声を出す間も無く、地面に突っ伏した。
よし、これで一人目。
思っていたよりも簡単そうだ。
しかし、次の瞬間――。
「……っ!?」
体側から、強烈な力に襲われる。一息つく暇もない。
突然のことで、なすすべなく弾き飛ばされ、倉庫の壁に背中から叩きつけられた。
「ぐはっ……」
一瞬、呼吸ができなくなり、膝をつく。
衝撃で無線機がコロコロと転がっていった。
気づけば全身がびしょ濡れだった。前髪から水が滴り落ちる。
僕は痛む背中を支えながら立ち上がり、攻撃を受けた方向を注視する。
すると間髪入れずに、何かが僕の身体を包み込んだ。
――み、水?
「……もがっ!?」
口鼻に水が入り込んできて、呼吸ができなくなる。
気づけば、僕は球状の水に閉じ込められていた。水の流れが強くて、思うように身体を動かせない。
暗闇から現れた男の手のひらから、水魔法が放出されている。
「何者だ?」
男の低い声が微かに聞こえる。
すぐ近くに仲間がいたとは。完全に不意を突かれた。男は訝しげにこちらを見つめてくる。
そのとき、耳元からこぼれ落ちた無線機が赤く光る。スゥスからの通信の合図だ。
「ん?」
男が機械に気づき、近づこうとする。
まずい。
スゥスとの通信を聞かれたら、作戦が台無しだ。スゥスにも危険が及ぶ。
そんなことを考えている間にも、呼吸がどんどん苦しくなる。
必死にもがいても、まるで意味がない。水がまとわりついてくる。
くそっ、何とかして脱出しないと……。
残りわずかだけど、仕方ない。
僕が拳に力を込めると、腕に紋章が浮き出る。そして男に向かって思い切り突き出した。
すると突風が巻き起こり、水を蹴散らした。そして男に突風が直撃すると、壁まで飛ばされ激突し、そのまま動かなくなる。
ようやく水の牢獄から解放され、僕は地面に崩れ落ちる。
「ぷはぁ……はぁ……」
荒い息を整えながら、周囲を確認する。他に見張りの姿はない。
ほっと胸を撫で下ろす。
「ふぅ」
気を緩めた瞬間、僕はがっくりと膝をつく。
やばい。
ただでさえ残っていた魔力が少なかったのに、さっきの風魔法でほとんど使い果たしてしまった。スゥスからもらった風魔法はそれほど多くはない。
僕は何とか這って倒れた男まで寄っていくと、手をかざし、呼吸を整える。
すると腕が熱を帯びて、、体の中に暖かさが満ちてくるのを感じた。どうやら魔力の譲渡は成功したようだ。
段々と呼吸も落ち着き、体が軽くなってくる。これで僕はこの人の水魔法も使えるようになったはずだ。しかもこの人は魔力を奪われたことでしばらく動けないだろう。
相手が悪人とはいえ、魔力を奪う行為にはどこか罪悪感がつきまとい、落ち着かない。
しかしそんな思いも束の間、倒れた男の服装を見てギョッとする。暗がりでしっかりと見ていなかったが、男は憲兵の制服を着ていた。
……どういうことだ?
僕は目の前で突っ伏している憲兵を見て困惑する。
見回りの憲兵か?
いや、そんなものがないことは確認済みだ。
ゲヌスと魔導士が手を組んでいることは想定していたが、よりにもよって憲兵が絡んできているとは。
しかも、憲兵の顔には見覚えがある。
口元にチョビひげを生やした、壮年の男性だ。
たしか、ロッシュ中尉が倒れた後に、憲兵を取り仕切っていた人物だ。ロッシュ中尉の部下に違いない。
なぜこいつがこんなところに?
僕が目をぱちくりさせていると、背後から物音が聞こえた。誰かが近づいてくる音だ。
慌てて転がっていた無線機を回収し、物陰に身を隠す。
「ベルアさん、大丈夫ですか? しばらく応答がなかったですけれど……」
耳元でスゥスの声が響く。
「すみません。少し立て込んでいました」
僕は息を整えながら、目の前の状況を簡潔に伝える。
「スゥス、やっぱり魔導士も絡んでいるみたい。それもロッシュ中尉の部下だ」
「ロッシュ、ですか!?」
さすがのスゥスも無線機の向こうで驚きの声を上げる。
「まさか彼が絡んでいるとは」
「そっちはどう?」
「人影が増え始めました。どうやら取引は今日行われるみたいですね。タイミングを見計らって突入するので、そちらも暴れてください」
「了解」
通信を終え、僕は無線機を握りしめた。スゥスが突入するまでに、少しでも数を減らさないと。
拳を固く握り、静かに深呼吸をする。
すると、後方から声が聞こえてきた。
「おい、大丈夫か?」
見ると、気絶して倒れているちょびヒゲに、別の憲兵が駆け寄ってきていた。
「あっ……」
そういえば慌てていて、倒したちょびヒゲを隠すのを忘れていた。
まぁいいか。まだ僕の姿を見られた訳じゃない。距離をとったまま倒せばいい。
「よし!」
僕はさっき手に入れた水魔法を使ってみることにした。
腕に力を入れ、思い切り、突き出す。
だが、その瞬間、突風が吹き荒れ、周囲の倉庫の窓ガラスが割れる音が響いた。
「しまった!」
またスゥスからもらった風魔法の魔力だ。
しかも盛大に外れてしまった。
「うぉ、なんだ!?」
男が音に反応して視線を逸らした隙を突いて、僕は素早く距離を詰める。そして顎に掌底を叩き込むと、男は声を出す間もなく気絶した。
そして例によって、手をかざし魔力を頂戴する。
「ふぅ、危ない」
何とか魔法は出るようになってきたが、どの魔法が出るのか制御できないのでは、実戦では役に立たない。
今は暗闇かつ不意打ちをしているから倒せているけど、向き合って戦闘になったら、絶対にやられている。
とはいえ、この魔法の譲渡はかなり便利だ。
魔力を奪えば、体力を削いだのと同義だから、しばらく立ち上がってくる心配もない。簡単に無力化できる。
「この状況には、向いているかもしれないな」
スゥスから提案されたときは困惑したが、案外理にかなっていることを実感する。
そのとき、先ほどの音が響いた影響で、徐々に人影が集まり始めるのを感じた。
「やってやるか……!」
こうなったら、もう隠れる必要はない。僕は大きな音を立てて地面を蹴り、現れた憲兵やゲヌスたちに向かって飛び込んだ。
そして手当たり次第に見張りの憲兵たちを倒していく。
見張りの中にはゲヌスも混じっていた。おそらく『ヴェデリア』の構成員だろう。
それぞれが何人か固まって行動しているそれぞれ数人ずつ固まって行動しているが、統制が取れているわけではない。
場を混乱させるのは容易だった。憲兵には力で、ゲヌスには魔法で対応する。
そいつらを矢継ぎ早に倒しては、魔力を奪って行く。
火、水、雷、風――すべての魔力を手に入れる。4つもあって、操れるのだろうか。また意図しない魔法を発動してしまいそうだ。
丁度、入り口周囲の見張り達を一掃した頃、再びスゥスから無線が入る。
「ベルアさん、緊急事態です」
スゥスの声は珍しく焦りを含んでいた。
「どうしたの?」
「取引していた人物が、バッグを持って二手に分かれて逃走し始めました。おそらく魔導士の血液です。今、片方は追っているのですが、もう一つは追い切れません」
「わかった、どっちの方へ逃げたの?」
「今、西側のコンテナの上を伝っています」
「了解。すぐ向かう」
僕はすぐさまコンテナに飛び乗り、港の西側へと向かう。
するとすぐにコンテナを飛び移りながら、逃走を図る人影を見つける。
回り込めば追いつけそうだ。幸い、待機していた場所が外寄りで助かった。
男はぐんぐんとスピードを上げていく。想定よりも移動が速い。おそらくゲヌス。『ヴェデリア』の構成員だ。
フードを被り、顔を隠しているが、男であることはわかる。右手にはアタッシュケースが握られている。間違いなく魔導士の血液だ。
あれを持ち出されると、再びテロが起きてしまう。
「あれを持ち出されたら、またテロが……!」
僕は焦燥感を押し殺しつつ、滑り込むように進行方向に立ち塞がった。
「止まれ!」
男は、僕が目の前に現れたことに一瞬たじろぐ。
しかしすぐにフードを目深に被り直すと、コンテナを蹴って加速し、僕の脇を走り抜けていく。
「は、速っ!」
ゲヌス並み、それ以上の速さだ。目が追いつかなかった。
それでも何とか反応して伸ばした手で、後方にある男の右足を掴む。
引っ張ろうとしたが、逆に男の勢いに引っ張られる。
その勢いで足がコンテナから離れて、宙を舞った。
そして二人ともバランスを崩してコンテナから転げ落ち、地面に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
受け身が取れず、全身に鈍痛が走る。それでも痛みに耐え、体勢を立て直して男に向かって駆け寄る。
「中身は血液か?」
問いかけるが、男は何も答えない。
しかしあの身のこなし。ゲヌスであることは間違い無いだろう。
それなら魔法で動きを封じるだけだ。
僕が魔法を放出すると、雷鳴が鳴り響き、放電が男に直撃した。男はガクッと膝をつく。
相変わらず、何の魔法属性が出るかはよくわからないが、今回は成功だ。
「よし……!」
近づいて捕らえようとした、その時だった。
男が即座に立ち上がり、手を振りかざすと、燃え盛る炎が襲いかかってきた。目の前が真っ赤に染まる。
「熱っ!?」
慌てて後退し、距離を取る。
男が魔法を使った――ゲヌスじゃないのか!?
あまりに突然のできごとに、僕は体制を崩す。
それを見逃さなかった男が、僕の脇腹を蹴り、再び逃げ出す。
「……うっ、待て!」
なんとか逃すまいと、再び手を突き出す。腕が熱を帯び、紋章を光らせながら風魔法を放つ。
だが爆風は狙いを外し、男のバランスを崩すだけに終わった。
その影響で、フードが脱げて、男の顔がチラリと見える。
右頬に大きなアザ。そして男と目が合った。刃物を突きつけられたかのような悪寒に、身体が硬直する。驚き果てて、まるっきり放心状態になった。そのまま受け身も取れずに、コンテナに叩きつけられた。
「がはっ!」
男は一瞬だけこちらを見つめた後、何も言わずに逃げ去っていく。
僕は目の前で起こったことが信じられず、放心状態のまま、僕は手に握っていたコートの切れ端を見つめた。
見覚えのある目だ。間違いない。 そしてかろうじて、漏れ出るように掠れた声が出た。
「……兄……さん?」




