世界には二人だけ
別れの時、船着き場には小舟が並べられ、多くの町の人が見送りに来てくれた。
「キーラ、マルタさん。元気でね」
ユキが涙を浮かべて別れを告げると、キーラがユキに抱きついた。
「いつでもサマルディアに遊びに来てね。それに……もしまた何かあったら手紙を送ってちょうだい。いつでも飛んで来るから」
ユキが笑顔でキーラを見る。
そのユキの言葉にアルスがギョッとする。
「ちょっと待てよ……」
アルスが口を挟もうとすると、ユキがアルスを睨みつけた。
「今度手紙を隠したりしたら、実家に帰らせていただきます」
ユキが言い切るとアルスが困惑した。
「実家って……」
「実家はエレノワ様の宮殿よ。この前大宮殿にいらした時に『手紙を隠されたんです』ってお話したらいつでも帰ってくるように言われちゃったもの」
アルスが目を丸くする。
「そんな事話すなよ!」
「話すわよ。今度キッチリお灸を据えてやろうっておっしゃってたわ。エレノワ様は怒るとすごーく怖いんだって」
ユキがニヤニヤとしてアルスの顔を覗きこんだ。
「そんな事はとっくに知ってるよ!」
言いながらもアルスはホッと胸をなで下ろしていた。
ユキの言う『実家』がこの世界で良かったと思ったのだ。
「ちょっと待ってー!」
一行が小舟に乗り込もうとしていると、ユキ達を呼び止める声が聞こえてきた。
「レオ!」
皆が驚いた顔でレオを振り返る。
大荷物を抱えたレオが、息を切らせてアルスの前に立った。
「お願いします! 俺も暁の宮殿に連れて行って下さい」
レオがアルスに深く頭を下げた。
アルスがマジマジとそんなレオに目をやった。
「俺、絶対役に立ってみせます。剣も格闘技も必死に訓練します! サマルディアについても勉強します! お願いします」
ユキも目をぱちくりとさせてそんなレオを見つめる。
アルスが後ろに控えていたモリに目をやる。
モリは微笑んでそれを見ていた。
「……わかった。お前を連れて行こう。モリに預けるから必死に食らいつけよ」
レオが満面の笑顔でアルスを見上げた。
「ありがとうございます!」
そしてレオがユキの顔を見つめた。
「行こう、ユキ」
アルスは手が包帯で巻かれているので、ユキの腰にそっと手を添えた。
船がレハルドを出港した。
まだ嵐の海域は凪いでいて、たくさんの海鳥が海面を滑るように飛んでいく。
ユキは相変わらず薄い衣の装いで甲板からそれを眺めていた。
「ユーキ」
明るい声で呼ばれ、ユキが振り返った。
「レオ……あなた家族はいいの?」
「いいの。いいの。寧ろ大賛成だってさ。うちサマルディアにも縁があるし、ふらふらしていた次男が立派な仕事に就くとあっちゃあ、手放しで喜んでるよ」
それを聞いてユキが笑う。
「キーラはいいの?」
ユキが聞くと、レオがムッとした顔をした。
「そこで何でキーラが出てくんだよ!」
「いや……だって仲良しさんだし」
「ほんと酷い女だな!」
レオが横を向いて拗ねているのでユキはクスリと笑った。
「笑うなよな!」
口を尖らせてレオが微笑むユキの顔を見た。
海風に舞っている黒髪の一筋がユキの白い頬に貼りついている。
レオがそっとユキに手を伸ばすと、その間にアルスが割って入った。
「レオ……お前少しでもユキにちょっかい出したら、箱詰めにしてレハルドに送り返してやるからな。……いや、寧ろもうここから泳いで帰れ」
アルスはレオを連れて来た事を早くも後悔しているようだ。
「そんなの無理に決まってるじゃないですか」
レオがそんなアルスにホクホク顔で言い切った。
それが可笑しくてユキは笑い出す。
「モリ、こいつをどっか違うとこに括り付けておけよ」
「えー!? 勘弁して下さいよお」
手を合わせるレオの首根っこを掴み、モリが船室へと歩いて行く。
後方でそんなやり取りを見ていたダーシンが、トーガに話し掛けた。
「あいつほんまに諦め悪いな」
「ホントですね」トーガが頷く。
「いっそレハルドに残った方が、よかったやろ。……近くにいれば中々忘れられんしな」
これにもトーガが頷く。
「皇子も懐が深いですよね。俺なら嫁に惚れてる男なんて絶対近づけたくないですよ」
「俺もわからんわ。高貴なお人は考える事はちゃうんかな」とダーシンが頭を捻る。
「そりゃあ、お前らなんかにはわからんさ」
二人の後ろからバトーが声を掛けた。
二人が直立する。その肩をポンポンとバトーが叩いた。
「ユキ様を守るためなら、あの方はなりふり構っちゃいないのさ。俺たちは保険なわけよ。あの小僧も含めてね」
バトーはアカンティへ向かう船上での、アルスの言葉を思い出す。
そしてダーシンの額にできた大きな傷跡を見た。
「これはいよいよ、俺たちもググン様の事を『女神マニア』だなんて笑っていられないな」
バトーはため息をついて笑った。
「俺、自慢じゃないですけど『女神の書』なんて一度も読んだ事ないですよ?」
トーガが真剣にバトーの顔を見る。
「俺なんて、手に取ったことも無いですわ。寧ろ本なんていつ読んだことか……」
ダーシンが眉間に指を当てる。
「本くらい少しは読めよ! 文武両道じゃないと女にはモテんぞ」
バトーが甘い笑顔を浮かべ、かぶりを振った。
甲板ではアルスとユキが一緒に水平線を眺めていた。
「ゆっくりできるのも今だけね。帰ったらまた凄く忙しいでしょ? そんな手じゃ物も書けないし今のうちのんびりしようね」
ユキが笑顔でアルスに話し掛けた。
「そうだな。ゆっくりしよう。ユキも戻ったら忙しいだろうしな」
ユキがアルスの顔をきょとんとして見つめる。
「…………結婚式の準備があるだろ!」
言われると一瞬目を見開き、ユキは小刻みに頷いた。
「そうなんだよね。忙しいのよ」
アルスが疑いの目つきでユキを見る。
「お前、今すっかりその事を忘れていただろ?」
ユキはぶんぶんと頭を横に振った。
「まさか! いくら私でもそれは無いわよ」
ユキの目が宙を泳ぐ。
キレイにその事は頭の中から消え去っていたのだ。
アルスがフッと息を吐き、笑ってユキの肩を引き寄せた。
「……あの……みんないるし……」
ユキの表情が少し強張り、目には『止めて』と書いてある。
「知ってるよ。お前を困らせたいんだよ」
そう言ってアルスはユキの顔の前に屈みこんだ。
ユキの右手はアルスのマントを掴んだまま、押しのけようかと一瞬迷った。
でもアルスの長い睫毛がフワリとユキの顔を撫でると、ユキの強張りは不思議なくらいに溶けて消えてしまった。
爽やかな海風に包まれて、世界にはアルスと自分の二人だけのように感じた。
ユキはゆっくりと瞳を閉じた―――――
――――完
ルーセント・ムーンシリーズを最後まで読んでいただきありがとうございました。シリーズは3部作で、これにて完結となります。
現在(2018年9月時点)新作の「ドラゴン・ストーン~騎士と少女と失われた秘法~」も連載しております。そちらもお時間ありましたら是非お立ち寄り下さい。
~あらすじ~
龍のうねりのようになった大地が自宅を飲み込んだ。18歳のアリューシャは寄宿学校から帰省する最中、道の向こうからその光景を眺めていた。そして土砂の波と化した大地に父親が投げ出される。
襲ってきたのはドラゴンストーンと呼ばれる石を占有する能力者。
追っ手から逃れようと、身を隠したアリューシャの先の見えない逃避行が始まる。
「賢者の石」「天上の石」ともいわれる「ドラゴンストーン」をめぐる冒険×ラブファンタジー。




