第2章-紅の姫君-
自作同人ゲーム用に書き下ろしたシナリオです。
制作ブログ→http://synthesize2.blog44.fc2.com/
初めての長編作品なので未熟な点も多々ありますが、よろしくお願いします。
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異界の化け物との遭遇に、恐れを隠せない花梨。
一方、砌は貴弘にある決意を打ち明ける。
「私も荒川君と一緒に戦わせてください」、と。
そしてまた、彼は3人目の少女と出会う。
砌と花梨の親友、病弱の少女。
――― 瀬田 あつみ(セタ アツミ)―――
あつみの学園復帰を祝って、歓迎会を企画する四人。
その日の放課後、貴弘はあつみと偶然出くわす。
極端な反応をするあつみに、貴弘は次第に好意を持ち始めていた。
そして夜。特訓を開始した砌とともに、彼は戦場へと戻っていく・・・
夜のうちに空を覆っていたらしい。
その日の朝は、薄い雲のはった何となく憂鬱な天気だった。
「・・・・・」
ゆっくりと体を起こす。結局一睡も出来なかった。
「一ノ瀬と花梨・・・今日は登校してくるのか・・・?」
きっと登校してくるだろう。そうやって、昨日のことを忘れようとするのではないだろうか。
日常は何も変わっていない。自分たちの住む世界は何一つ変わっていないのだ、と。
だとしたら、俺も行かなくては。唯一事情を知るものとして、俺には彼女たちの日常を守る義務があるだろう。
もそもそ、と制服に着替え始める。
「・・・?美々子の姿が見えないな」
いつもならこの時間は夢の中なのだが・・・、珍しいこともあるんだな。
「とにかく、今は学校に行かないとな」
「おはようございます」
「おっはよう、貴弘!」
まだ人影がまばらな教室に、一ノ瀬と花梨は、やはりいた。
「・・・あ、ああ。おはよう」
妙にぎこちなく挨拶を返してしまう。
「貴弘は傘持ってきた?今日の午後から雨だって、天気予報で言ってたよ」
一見、何事もなかったように振舞っているが・・・。
「あ、あの・・・」
考えていると、不意に声を後ろから声をかけられる。知らない声だ。
「ん?誰だ?」
「あ、あの・・・始めまして・・・」
振り向くと、見慣れない女生徒がひとり、申し訳なさそうに立っていた。
「そういえば、貴弘は会うの初めてだよね。彼女は瀬田 あつみ(せだ あつみ)ちゃん」
「ちょっと病気がちで、荒川君が転校してきた日の前日から、学校を休んでいたんです」
二人に紹介され、赤面してしまう瀬田。
「ど、どうぞ、よろしく・・・おねがいします」
「ああ、こちらこそよろしく」
とりあえず無難に挨拶をしておく。
「と、いうわけで。今日からあつみも一緒にご飯食べるから」
「私たちいつも一緒にお昼ご飯食べてたんですよ」
「やったね貴弘!これで両手プラス片足に花だよ」
そうか、両手プラス片足に・・・
「なんだそりゃ!?花梨、お前本気で言ってるのか?」
「うん。・・・なんで?よく『両手に花』って言うじゃない」
ねえ、と一ノ瀬に同意を求める花梨。
「ま、まあ女の子が二人のときはそういうかもしれないけど・・・」
「だからって、何で三人のときは『両手プラス片足に花』なんだよ。第一、片足に花ってどういう状況だよ」
予想していなかった質問に、キョトン、とする花梨。
「え?どういう状況かって?」
「そう。実際にやって見せてくれよ」
どう考えたっておかしいだろ、「片足に花」って。
「え、えと、あの・・・」
「花梨、ここは大人しく負けを認めた方がいいんじゃない?」
まったく蚊帳の外の瀬田と、嫌な予感がするのか、花梨をとめる一ノ瀬。
「うん、と、・・・こんな感じ?」
おもむろに、その健康そうな足を水平になるまで上げ、つま先をくいっくいっ、と曲げる花梨。
「・・・なにが?」
「いや、だから。足に花持つとしたらこんな感じ?」
・・・この場合、やらせた俺が悪いのだろうか?
「や、やめなよ花梨。はしたないよ」
花梨の奇行を一ノ瀬が慌てて止める。
「だってだって!貴弘がやれって言ったんだよ?」
「いいからいいから。とにかく足下ろして」
依然として上がったままだった花梨の足を、グイグイと下ろさせようとする。
「あ、ごめん。・・・と、とにかくっ!実演したんだから文句ないでしょ?」
不敵な笑みをする花梨。
「まあ、なんというか・・・マヌケだよな」
そんな花梨に、俺は率直な感想を返す。
すると花梨は、カァァ、と顔を赤くしてしまった。
「・・・ふんっ、いいんだよ別に。どうせこれやるの貴弘だし」
勝手に決めないでくれ。ていうか、実際にやったら、だれか一人を足蹴にすることになるんじゃないのか?
それを聞き、咄嗟に止めようとする一ノ瀬。
「ダメだよ、はしたない。第一、荒川君がやったって・・・。あれ?・・・いいかも」
いや、いいくない。いいくない。なんなんだその間は。
「えと、その・・・先生来たよ」
「わ、わあ!!」
突然背後から声をかける瀬田。俺は思わず大声を出してしまう。
「あ、・・・ご、ごめんなさい」
「せっかくいいところだったのに。しょうがない、また後でね」
「では、またお昼に」
みんなそれぞれの席へ向かう。俺も自分の席に着くことにした。
「んん――――!!やっぱり、ご飯は見晴らしのいい所で食べたほうがおいしいよね!」
ぐぐー、と体を伸ばし、満足げな花梨。
「そういえば、一番最初にお昼を屋上で食べようって言い出したの、確かあつみだったよね?」
ふと、思い出したように一ノ瀬が言う。
「え?・・・ま、まあ・・・うん」
予期していなかった問いに、少し戸惑いながらも答える瀬田。
「私、この村が好きだから。村を見渡せるこの場所で、花梨や砌と一緒にお昼を食べたいなって、思ったの」
「・・・・・」
さっきまでとはまったく違う雰囲気の瀬田に、思わず見入ってしまう。
「・・・あ、もちろん、今は荒川君も・・・ですよ?」
いつもの雰囲気に戻り、おたおたし始める瀬田。
「おうおう、モテモテですねぇ。妬いちゃうなあ、もう!」
花梨が俺の背中をバシバシ、と叩く。
「や、やめろよ花梨。瀬田が困ってるだろ」
瀬田は顔を赤くして俯いてしまっている。
「砌の次はあつみか。っは!と、いうことは、次は私!?お兄さんもやりますねぇ。私はい・つ・で・もOKだからね」
妙にしなを作る花梨。もしかして色仕掛けのつもりか?
・・・いつでもOKねぇ・・・。
「さあ、おふざけはそれくらいにして、そろそろお昼食べようよ」
様子を見ていた一ノ瀬が提案する。
「そうね。じゃあ、お昼にしましょう。ほら、貴弘もお弁当出して」
「わかったよ。そうせかすな」
さっさとしなをつくるのをやめ、俺の弁当箱を覗き込む花梨。
・・・まったく。「花より団子」とはこのことだな。
「今日はあつみもいるし、楽しみです」
「え・・・そんなことないよ・・・」
各自、それぞれのランチを広げる。俺はもちろん、典子さんの愛情(!?)たっぷりの特製弁当だ。
「うわ〜、相変わらず貴弘のお弁当は凄いね。これ作ってるの、やっぱりお母さん?」
と言いつつ、いい感じに半熟な卵焼きをひょい、と摘んでぱくっ、と食べてしまう花梨。
「・・・おい、花梨。なんで俺の卵焼きばかり狙うんだ?」
転校初日と同じ事をやられて、思わず聞いてしまう俺。
「まあまあ、元々私たちのお昼は、みんなのお弁当を共有して、自由に食べていたんですよ」
花梨の奇行について説明を加える一ノ瀬は、ちゃっかり花梨の弁当をつついている。
「元々って・・・。昨日までは普通に食ってたじゃないか!」
「今日はあつみが来たから、元々のスタイルに戻すの。今から」
わかった?というふうに、花梨がこちらを見る。
・・・納得できん。
「あ、あの・・・」
その時、背後から声。このパターンは。
「!!瀬田か!?」
がばっ、と背後を振り返る。予想通り、そこには瀬田がいた。
「え、ええ・・・。その、よかったら・・・わたしの卵焼きを・・・えと、どうぞ・・・」
可愛いサイズの弁当を、おずおず、と差し出す瀬田。
「え?貰っていいのか?」
「あ、はい。・・・もし、よかったら・・・ですけど」
瀬田は顔を真っ赤にして、上目使いでこっちを見ている。
「あ!私が狙ってたのに!あつみの卵焼き!!」
「な!花梨お前、俺の卵焼き食べたじゃないか!だからこれは俺のだ。・・・じゃ、ありがたく貰うぞ。サンキュ」
「え、そんな。・・・お口に合うかどうか」
瀬田の弁当箱から卵焼きを一切れ貰い、口に運ぶ。
・・・もぐもぐ、もぐもぐ。・・・・!!
「あつみの料理はとってもおいしいので、きっと気に入りますよ」
う、うまい!!これはもしかしたら、典子さん以上かもしれない!
「うまいよ。この弁当、自分で作ったのか?」
「は、はい。いつも自分のお昼とかは自分で作ってます」
「あーん、もう!こうなるんだったら、貴弘の卵焼き食べるんじゃなかったーー!」
もしかして、瀬田の料理を頂戴するために、今日から弁当を共有しよう、とか言い出したのか?
「ええ、そうですよ。あつみの料理は花梨にとって、一日の楽しみの一つなんです」
「じゃあさ、あつみの唐揚げ貰ってもいい?」
めげずに次の目標を確保する花梨。
「うん、・・・いいよ」
「・・・・・」
そうして、俺たちの昼休みは賑やかに過ぎていく。
やがて、全員あらかた食べ終わったところで、急に瀬田が席を立った。
「あの、私・・・お薬を飲まないといけないので」
そして、階段のほうに歩いていく。
不意に静かになる一同。
やはり、昨日のことについて、なにか言ったほうがいいのだろうか。陰陽師としてだけではなく、友達としての荒川 貴弘として。
「・・・えーと、花梨に一ノ瀬、俺の話を聞いてくれるか?」
二人ともビクッ、と体を震わせ、ついに来たという顔でこちらを見る。
周りに人がいないことを確認する。
「まず、俺のことから。・・・俺は、まさかと思うかもしれないけど、俗に言う「陰陽師」ってヤツだ」
二人は静かに、こちらをじっ、と見つめる。
「俺はこの村には、あるものを調査するために来たんだ。それには昨日の『アレ』も含まれるんだけど・・・」
「・・・うん、あの『化け物』のことでしょ?」
・・・化け物か、確かに間違ってはいない。
「そうだ。アレは『鬼』と呼ばれるものの一種で、たまに人の負の「気」が集まって発生することもあるが、ほとんどの場合、今俺たちがいる世界とは別の世界から、やってくる」
一ノ瀬と花梨は、その瞳を驚きの色に染めながらも、真剣に俺の話を聞いてくれている。
否定したいが、昨日のことがあった以上、認めざるを得ない、だから少しでもその「認めたくない現実」について知りたい、といったところだろうか。
「・・・それって要するにアレが「地獄」から来たってこと?」
「それはわからない。だけど、まあ俺達の想像を超えた世界、ってことだけは確かだ。そして問題は、なんらかの原因でこの村がその「別の世界」と部分的に繋がってしまった、ということだ」
そこで一旦言葉を止め、二人の様子を伺う。
花梨の不安そうな瞳と対照的に、一ノ瀬の眼差しは何かを決意したように、強い。
「だが、その溢れた鬼どもを退治するために俺がいる。一ノ瀬や花梨はもちろん、村人の誰にも危害が及ばないようにする。だから・・・」
だから、安心していい、とか、もうかかわらないほうがいいとか―――
言うべきことがたくさんありすぎて、結局俺はそこで言葉を切ってしまう。
「・・・貴弘は、一人でその鬼と戦って、大丈夫なの?平気なの?」
正直、俺だけでは力量不足は明らかだ。が、ここで心配させるようなことを言ってもしかたがない。
「もちろんだ。・・・だからこのことは、誰にも話さないでくれ。無用な混乱は避けたい」
「・・・ん、わかった。貴弘がそう言うなら・・・でも、私たちにできることがあったら、何でも言って。協力するから」
花梨は昨日のことがあった今でも、「友達」として俺に接してくれる。
「・・・ああ、そのときは、頼む。一ノ瀬も・・・」
「荒川君は、今日は神社に来ますか?」
それまで黙っていた一ノ瀬が、俺の言葉をさえぎる。
「え・・・ああ、行こうと思ってるけど・・・」
教文さんとも、いろいろ話さないといけないしな。
「じゃあ、そのときに聞いて欲しいことが・・・」
「ご、ごめんなさい!・・・お待たせした・・・みたいで・・・」
薬を飲むと言って席をはずしていた瀬田が、こちらへ駆け寄ってくる。
「・・・えと、まだご飯・・・食べてるんですか?・・・お昼休み、終わっちゃいます・・・けど・・・?」
「ん?まあ・・・な」
そのとき、瀬田の言うとおり、昼休みの終わりを告げるチャイムが、鳴った。
その後は、一ノ瀬や花梨もいつもと同じように過ごしていた。極度の混乱や悲観的になってはいないようだったし、ひとまず安心といったところか。
そして、その日の授業が全て終わる。
・・・とりあえず、このまま直接一ノ瀬神社に向かうことにするか。昼休みに一ノ瀬が言いかけたことも気になるしな。美々子も、たぶんそこにいるだろうし。
俺は、ただ長く続く田舎道を、一ノ瀬神社に向かう。
いつ見ても、見事なもみじだな。
風もないのにもみじが降り続ける境内を、本堂に向かって歩く。
見えてきた本堂の、その縁側に、いつものように一ノ瀬は座っていた。
「・・・・・」
一ノ瀬は俺を見つけると、ふっ、と微笑んだ。
「こんにちは、荒川君。こちらへどうぞ。祖父がお待ちです」
立ち上がり、俺と教文さんがいつも話をするのに使っていた部屋を示す一ノ瀬。
・・・?なんかいつもの一ノ瀬と違うような?
「・・・・・」
一ノ瀬の後について部屋に入る。
「やあ荒川君。・・・まあ座って」
「え、あの・・・」
俺はチラ、といまだ部屋を出ない一ノ瀬を見る。
今この村が置かれている状況は昼休みに話したし、第一俺は一ノ瀬を巻き込みたくない。この場にいない方が良いのではないだろうか。
「今日は砌からも君に話があるのだよ。昨日、私が知りうる全ての情報を砌に話した。その上で、砌が考え、決めたことだ」
一ノ瀬が、「黄泉の門」や「邪悪なる存在」のことを知った上で、決めたこと?
「まずはそれから話そうか。砌」
はい、と返事をした一ノ瀬が、俺の方に向き直り、正座する。
「お願いです。私も荒川君と一緒に戦わせてください」
・・・!!
「え!?教文さん、これは一体!?」
「砌が自分自身で考え、決めたことだ」
教文さんは自分自身にも言い聞かせるように、しっかりした口調で言った。
「しかし!!」
「荒川君。・・・私の話を聞いてください」
一ノ瀬は静かに、力強く言う。そのいつもの一ノ瀬からは考えられない気迫を感じた俺は、大人しく話を聞くことにする。
「私は、小さい頃から普通の人よりも多くのものを、見ることが出来ました」
一ノ瀬はとつとつ、と話し出した。
「実は、荒川君がこの村に来る以前から、漠然とした不安を感じていました。村の日のあたらないところには、黒い何か得体の知れないものが満ち、村の動物達が姿を消しました。・・・そんなとき、荒川君。貴方が現れたのです」
俺は思わず唾を飲み込む。
「猫の式神を連れた貴方は、私の、この村では何か起こっているのではないか、という不安を決定的なものにしました。もしかしたら、この不安の元凶なのではないか、と思ったほどです」
・・・学校で初めて会ったときの、あの態度にはこういう理由があったのか。
「でも、荒川君が逆に、この村に起こっていることを解決するために来たことを知って、なにかお手伝いできないかってずっと考えていました。そして昨日、私は覚えていないのですが、私の力で、あの鬼を撃退したのでしょう?だから・・・」
一ノ瀬は一度俯いてしまうが、すぐに顔を上げる。
「だから、私も荒川君と一緒に戦わせてください。少しでも、私にできることがしたいんです」
一ノ瀬が本気であるか、などという問いは、まさに愚問だ。
「・・・話を聞いているならわかっていると思うが・・・はっきり言って、今の状況はこちらにとってかなり不利だ。勝てる保障なんてどこにもないし、「黄泉の門」や「邪悪なる存在」に勝つには、最悪命をかけなければならない。・・・それでもか?」
「はい。覚悟は出来ています」
即答する一ノ瀬。その瞳には、昼休みに見た、決意の色が再びうかんでいた。
「神主殿はそれでも・・・?」
「ああ、私は砌の意志を尊重する。それにね、いざというときには荒川君、君が砌を助けてくれると、信じているからね」
そんなこと言われたら、断る理由がなくなってしまうじゃないか。
「身勝手なことを言っているとはわかっている。だが、君がしようとしていることは、一人では難しいことは明らかだ。そして、砌には君を助けることができる力がある。・・・これは誰にでもできることではない」
くやしいが、私にも、ね。と教文さんは付け加える。
「・・・・・」
「お願いです。私、頑張りますから」
いくら民間人を巻き込みたくないと言っても、俺が負けてしまえば、この村の住人はおそらく全滅してしまうだろう。そういう意味では、すでに彼らは今回のことに、強制的に巻き込まれていると言える。
俺が負けたら、全てが息絶えてしまうのだ。
「・・・わかった。一ノ瀬、よろしく頼む」
ぱっ、と顔を上げる一ノ瀬。
「はい!がんばります!」
「・・・・・砌」
教文さんは、ああ言いながらも、その表情はどこか複雑そうな色をしている。
「約束ですよ?嘘だったら、今度こそ一ノ瀬家に代々伝わる一撃必殺の秘術を百回プレゼントなんですから」
・・・もしかして、それがあれば万事解決しないか?
「その秘術は、人間にしか効かないよ。それに効力を発揮するには、かなり複雑な条件が合わないといけないしね」
かなり複雑な条件?
「そう、最たるものは、この術は自分が好意を抱いている相手でないと効果を発揮しない、という条件だね。・・・この条件のおかげで、この秘術はめったに使われない。使われないほうが良いに決まっているがね。そもそも、実在しているのかさえわからないんだ」
実在していても、そんな矛盾した条件をクリアできる人間はそうはいないだろう。一ノ瀬家秘伝だし。やっぱり、そうそううまくはいかないものだな。
「ふむ・・・じゃあ、一ノ瀬は、自分の『気』を操ることができるのか?」
今回のような異界のものを相手にするには、自分の『気』を操り、武器として使えなければ話にならない。異界のものには、実体のある現代兵器は効果がないからだ。
「えと、おじいちゃんに昨日から、お札の使い方を教わっていますが・・・」
「いや、基本的なことだけだよ。私たちは結界などの、受け身の術しか使えないものだからね。攻めの術や詳しいことは、君のほうから教えてやってほしい」
・・・ホントに大丈夫だろうか?
「早速今日から荒川君のお供をしたほうが良いだろう。時間がないからね。もうすぐ日が暮れるし、実戦で体得するしかないだろう」
そのとき、玄関の方から声。
―――誰だ!?
「こんばんはーー!!誰かいませんかーー!!」
がくっ。
「このまったく緊張感のない声は・・・」
「おじゃましまーす。こんばんは、教文さんに砌さん。・・・貴弘さんもいたんですか?」
予想を裏切らず、美々子が襖を開け現れる。
「も、ってなんだも、って。それより、今日は遅いんじゃないか?」
「何言ってるんですか。今日は貴弘さんが帰ってから行こうと思って、わざわざ一度民宿に戻って待ってたんですよ?」
ぷう、と頬を膨らませる美々子。
「そ、そうだったのか。それはすまなかった」
「そうですよ、もう。それで、今日はなんですか?」
くるり、と砌の方に向き直り、猫耳をぴこぴこさせる美々子。
か、変わり身が早い・・・。
「ええ、今日は桜餅を買ってあります。みんなで食べましょう」
さっきまでの張り詰めた空気はどこへやら。一瞬にして部屋全体がリラックスムードだ。
美々子、おそるべし。
「そうだね。真夜中まではまだ時間があるし。お茶にしようか」
いいのだろうか。こんなにのんびりしていて・・・。
「荒川君。確かにこれから私たちは命を賭けた戦いに臨む。だけど、だからこそ必要以上の緊張はほぐしておいた方が良いと思うよ。あまり緊張し過ぎていても、体が動かなくなるだけだからね。・・・さてと、私も準備を手伝うかな」
「あ、私も手伝いますーー」
台所に向かう教文さんの後を追う美々子。二人の会話が聞こえてくる。
「いやいや、命様は向こうでお待ちください」
「そんな『命様』なんてやめてくださいよ。私はただの使い魔なんですから」
答えながら、ネコミミをぴこぴこさせる美々子。
・・・確かに『命様』は似合わないな。
「しかし、私の数十倍は生きてらっしゃる。年上の方は敬われるべきですよ」
「そうですかー?にはは、なにか照れますね」
なんか面白くない。それに俺、教文さんとうまくやってるよな・・・?
「はい。おまちどうさまです」
お盆に桜餅を満載した一ノ瀬が言う。そのあとにお茶を搭載した教文さんが、そして美々子が続く。
「さあ貴弘さん!食べますよー!」
ちなみに、結局美々子は何も運んでいないのだった・・・。
昼の面影など微塵もなくなった、夜。
暗闇に染まった「負の気」がその濃度を増し、よりしつこく身体にまとわりつく時間。
その日の探索は、一ノ瀬の特訓初日ということもあり、村の周辺を捜索することにした。
「そういえば一ノ瀬」
「はい?何でしょう」
隣を歩く一ノ瀬に聞く。
「一ノ瀬は、術式について、どのくらい知ってるんだ?」
まずはこれを知らないと、特訓のやりようがない。
「本当に基本的なことだけです。でも、もう一度教えてもらえると、助かります」
つい昨日まで一般人だった一ノ瀬にとっては、確かにすぐに術式を理解することは難しいかもしれない。だが、昨日の一ノ瀬を見る限り、自分の『気』を操り、戦えるようになれば、心強い味方になるのは間違いない。
「そうだな。じゃあ、まずは『気』について説明しようか。『気』というのは、体の中に流れる『精神的なエネルギー』のことだ。別に体の中で、化学反応によって作られるわけではないから、主に精神の強弱や体質によってその大小は変わる。・・・ここまではいいか?」
こくん、と頷く一ノ瀬。
「そして、この『気』を自然の物体に送り込んで、自然には起こりえない現象を起こすのが『術式』だ。これには教文さんたち神主が得意とする守備力重視のものや、昨日俺が使った対象の攻撃力を上げるものなど、すでにかなりの種類が編み出されている。熟練者ならなにも使わずに、対象に直接自分の『気』を送り込めるが、俺のような新米は自分と『気』を送り込む対象の間に、スムーズに『気』を送るための「媒介」が必要だ。これはまあ、西洋魔術でいう杖や水晶みたいなものだな。これらは「媒介」のほかに、術者の『気』を増幅させる『気力増幅器』みたいな役割もあるから、後者の理由で、熟練者が使う場合も多々ある」
そこで一呼吸おく。ここからが長いんだよな・・・。
「そこで、俺たち陰陽師が一般的に、この媒介に使用するのが『札』だ。『札』は紙と筆さえあれば簡単に作れるし、個別に効果を変えることも出来る。基本的に使い捨てなのが欠点だけどな。『札』はそれに描く言葉の「言霊」によって、「気力増幅器」の役割を果たす。『札』の使い方としては、自分の『気』を『札』に流し込めばいいんだけど、まずはそこからだな。さっきも言ったけど、『気』というのは精神的なものだから、目に見えない。だからイメージするしかないんだ。イメージとしては、『札』を自分の一部にして、そこに自分の中の『気』を集中させるというか・・・すまん、なんか上手く説明できない」
俺はポリポリ、と頭を掻く。
その様子に、いままで一語一句聞き漏らすまい、と黙って聞いていた一ノ瀬がくすり、と笑う。
「実際に出来る人は、そういうものかもしれませんね」
「とにかく、まずはこれが出来ないと先に進めない。この辺を回り終わったら、神社に戻って特訓しよう」
「はい、わかりました」
「貴弘さん貴弘さん。なにかカマドウマの鳴き声が聞こえませんか?」
こいつ、やけに静かだと思ったら・・・そういえば、カマドウマって鳴くのか?
「命さん、周りの様子はどうですか?」
「はい。今のところ異常なものは感じられません」
「そうか・・・じゃあ神社に戻ろう。一ノ瀬の特訓をしないとな」
その後一ノ瀬神社に戻った俺たちは、しばらく一ノ瀬の特訓に付き合い、民宿「花月」に戻ることにした。
「今日も見つけられませんでしたね。『黄泉の門』と『邪悪なる存在』」
「花月」へ向かう道で、美々子が言う。
「そうだな。もうそろそろ動きがあってもいいと思うけどな」
昨日の鬼は、おそらく『黄泉の門』から溢れる『気』から自然発生した、いわば「イレギュラー」的な存在だろう。でなければあそこで俺たちを襲う理由が見当たらない。
「あんなに強力な鬼を、意識せずに生み出すほどの膨大な『気』を、一体どんな方法で隠しているんでしょうね」
問題はそこだ。その方法さえわかれば、こっちから打って出られるし、姿が見えるから、対策も立てやすいだろう。
しかし、その方法が皆目見当つかない。
俺だって、荒川家の跡取りとして、いままでその道のエリートになるための修行を積んできている。
・・・しかし、わからない。
この世界のものでないものが、この世界に存在するということは、それだけで何かしらの痕跡は残してしまうものだ。ましてやあんなに強力な『気』を隠し通すことは、並大抵なことではない。
「一体どんな方法で隠れているんだ?陰陽師が見当もつかないなんて、ありえるのか?」
「貴弘さん、貴弘さん」
深く考え込みすぎて、独り言を言っているのに気付かない俺の服を、美々子が引っ張る。
「もう着きましたけど?」
見ると、いつの間にか「花月」に到着していた。
「ああ・・・そうだな」
俺は考えるのを中止して、民宿の扉をガラガラ、と開ける。
玄関では、典子さんが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、荒川さん。今日はお夜食をお作りしましたので、良かったら召し上がってください」
典子さんが夜食を作ってくれるなんて・・・この五日間で初めてのことだ。まあ、単に俺が頼まないからなのだが。
「もちろん頂きます」
「はい、でしたらこちらへ」
「典子さん。もしかして、本当に作ってくれたんですか?」
先を歩く典子さんに、何事か話しかける美々子。
「ええ、もちろんです。他ならぬ美々子さんのお願いですからね。腕によりをかけましたよ」
「わぁーー♪楽しみですっ♪」
うきうき、と軽やかにステップを踏む美々子。
・・・おい、なんか嫌な予感がしてこないか?
そしてついに、いつも食事をする食堂に到着する。
その中央のテーブルに広がる料理は・・・
「はい。ジンギスカンです」
「やったーー!ジンギスカン!ジンギスカンですよ貴弘さん!!」
乱舞する美々子。
・・・そう、なにを隠そう、ジンギスカンは美々子の大好物なのだ。
―――ジンギスカンとは、もともと成吉思汗と書き、蒙古帝国初代皇帝チンギスハンのことである。今に言うジンギスカンは、その昔、ジンギスカンが戦いの際に軍勢を鼓舞するために、野外で羊肉をあぶり焼いて兵士に食わせた、という伝説から「ジンギスカン」とよばれるようになった、いわば「ジンギスカン料理」とでも呼ばれるべきものを略したものである―――
「なにぼうっとしてるんですか、貴弘さん?」
はっ!しまった。夜食にジンギスカン、というあまりの理不尽さに、つい現実逃避してしまった。
「・・・これ、夜食ですよね?」
「はい、連日の激務でお疲れでしょうから、スタミナをつけて頂こうかなと。それに、美々子さんが荒川さんもジンギスカンが大好き、と言っていたので・・・」
で、夜食にジンギスカン、ですか。・・・美々子やつ。
「はーやーくー!早く食べましょうよ貴弘さん!ジンギスカンが悪くなっちゃいますよ!」
まあ、せっかく典子さんが作ってくれたんだもんな。すこし頂くか。・・・明日の胃袋が心配だが。
さっさと自分の席に座り、羊肉を焼きはじめる美々子。
「おぉー、新鮮なお肉ですねぇー♪おいしそうです♪♪」
・・・あれ?この村って今は外界と隔離されてしまっているんじゃ?
「実は商店街のお肉屋さんに頼み込んで、最後の一匹だったのを譲って頂きました」
と言ったって・・・この状況じゃあ羊肉はかなりの貴重品だろうに。っていうか『一匹』?
「いえ、いつもの倍積んだらアッサリ譲ってくださいました」
・・・倍?それってもしかして、組織のお金??
「貴弘さん!食べないなら全部食べちゃいますよ!」
美々子から殺気がみなぎっているのがわかる。どうやればジンギスカンが関わるだけでこんなに血の気を多くできるのか。まったく謎だ。
結局、美々子はなかなか箸の進まない俺を叱りながら、ちゃっかり俺の分のジンギスカンを半分以上食らい尽くした。
美々子にこんな恐怖を感じたのは初めてだ。これが最初で最後であることを切に祈る夜だった・・・。
その後、最後の羊肉を食らってもまだ足りない、と喚く美々子をなだめて風呂に入れさせ、俺も風呂に入って床についたのは、次の日の出まであと数時間、という頃だった。
漆黒を極めた暗闇の中で、俺はぼんやりと『黄泉の門』とそれを守る『邪悪なる存在』について、考えてみる。
・・・いくら昨日の鬼が奴らの意思と関係なく、勝手に俺たちを襲ったものだとしても、奴らがいつまでも大人しくしているとは思えない。なにも異常がないからといって、安心するのは早い。
いや、むしろすでに敵はなにか手を打っていて、単に俺たちが気付いていないだけなのかもしれない。そうすると、敵はすでに俺たちを『敵』と判断したことになる。この村には俺や神主達という抵抗勢力がいる(奴らの眼中に入っているかは別として)から、俺や彼らに気付かれないように、なにか行動しているのではないだろうか。理由はなにか、と聞かれれば、奴らが俺たちを過大評価しているか、単に奴らの気まぐれとしか考えられない。
奴らが本気になれば、この村を消すことなど造作もないことだからだ。
「・・・こんなこと、いくら考えても意味ないか・・・」
とにかく、明日からはもっと周りに注意を払おう。
目を閉じる。今日も騒がしかったからか、眠りはすぐに訪れた。
同時刻―――
また、人がひとり、食われた。
赤く濡れた唇を規則的に動かし、新鮮な生肉を味わう。
ばきばき、ばきん。くちゃくちゃ、じゅ、じゅ。ごくん。
その租借する音は、長い廊下に木霊し、やがて満ちる暗闇に溶けていった・・・。
「ぐうぅうぅぁあ・・・胃がぁぁあぁ・・・気持ち悪いぃ」
朝一番に感じたものは、俺の胃の辺りから蔓延する、極度の胃もたれだった。
「貴弘さぁん。胃が、胃がぁ。ムカムカしますぅぅうぅ――。はふぅ」
俺と同じように悶絶する美々子。量から言えば俺の3倍のジンギスカンを食べているわけだから、当たり前だ。
「うぅ、とりあえず着替えはしとかないと・・・」
昨日のような奇跡は二度は起きず、今朝もやはり遅刻ぎりぎりの時間だ。遊んでいる時間はない。
立つこともおぼつかないので、這って制服までたどり着く。すると、ガラリ、と襖が開いた。
「やっぱり胃もたれには、キャベ○ンが良いと思いますよ。というわけで、はい、どうぞ」
典子さんは突然現れたかと思うと、呆然とする俺に医薬部外品を手渡し、現れたのと同じように、突然襖の向こうに消えた。
・・・とりあえず、飲んでみるか。このまま地面を這いずって学校に行くわけにはいかないしな。・・・一応、典子さんに感謝しよう。
「どうしたんですか?顔色が良くないようですが・・・」
心配そうに俺の顔を伺い見る一ノ瀬。その心使いが素直にうれしい。
「貴弘、もしかして変なもの食べた?落ちていたものを拾って食べたとか」
俺の苦悶の表情を、半分面白いものを、半分ご愁傷様、といった感じの目で見ている。
「さ、さすがにそれはない、ぞ」
あながち外れてもいないが。
「ふーん。まあ、貴弘ならそうやって一日唸ってれば、明日には楽になってるんじゃない?」
「え?楽になる?・・・ってどういうこと?」
花梨の言っていることが、イマイチ理解できていない一ノ瀬。俺もだけど。
そんな一ノ瀬の問いに、花梨はこう答える。
「こう、コロッ、と?みたいな」
おい、死んでないかそれ。
この歳で黄泉の世界に行く気はない。いつつ・・・ツッコんだらまた胃が・・・。
「え・と・・、あの・・・」
もうおなじみの、背後からの声。
「おう、瀬田か。おはよう・・・」
振り向きながら笑いかけてやる。その笑顔は引きつっていたが。
「えう・・・あの・・・その・・・これ」
瀬田はおずおず、と手を差し出す。その手には、赤と白の錠剤が何粒か。
「・・・赤と白のつぶつぶ?なんの薬だ?」
「・・・えあ・・・その・・・ふく・・・うの・・・」
相変わらずどもってしまう瀬田。・・・しかし、それだと先に進めないのだが・・・。
「たぶん、あつみがいつも携帯している、痛み止めだと思います」
見かねた一ノ瀬が通訳してくれる。正直ありがたい。
「そうか・・・いいのか?」
瀬田はボッ、と顔を赤くしたかと思うと、コクリ、と頷いた。
「じゃあ、遠慮なくいただくな」
瀬田の手から錠剤を取り、水なしで飲み込んでしまう。
「水なしは危ないですよ。薬が喉に張り付いちゃうんですから」
俺の様子を見ていた一ノ瀬が注意する。
「ああ・・・まあ、気を付けるよ。それより、よくこんなもの持ってたな。おかげでたすかったけど」
小さな錠剤のケースをしまおうとしていた瀬田に感心する。
「え?・・・え、え・・・じ、実は・・・」
「ほら、昨日も言いましたよ。あつみは、今ちょっと体の調子が悪いんです」
またもや一ノ瀬が通訳する。そういえば昨日言ってたかもな・・・。
「痛み止めの薬を持ち歩くなんて、そんなにひどいのか?」
それを聞くやいなや、慌てて否定するように手を振る瀬田。
「い、いえ、最近は落ち着いてきて、その、なんというか、・・・ごくたまに、痛くなることとかがあるから・・・」
それは大丈夫なのか?・・・今まで一度も倒れたことのない俺にはわからないのかもしれないが。
「う、うん。・・・ありがと」
「え?なにか言ったか?」
「う、ううん。・・・なんでも・・・ないです・・・」
「?」
今、確かに瀬田が何か言っていたような・・・。
「ちょっとおふたりさん。お取り込み中すみませんが。・・・先生、来てるよ?」
花梨の指差す先には、今まさに教卓にたどり着こうとする担任の姿があった。
「わ、いつの間に!花梨サンキュ。瀬田も、早く自分の席に戻った方がいいぞ」
「・・・え、う、うん」
体を反転させ、早足で自分の席へ急ぐ瀬田。
「・・・・・」
瀬田を目で追いつつ、俺も席へ着席する。
「よかったです。ホントに」
隣の一ノ瀬も瀬田を見ながら、俺に言った。その表情は、とても嬉しそうだ。
「・・・何がだ?何がそんなに良いんだ?」
「あつみですよ。昨日荒川君と始めて会ったときから、本当に楽しそうです」
思わず瀬田の方に顔を向けてしまう。彼女は既に席に着席し、じっ、と正面を見つめている。
「・・・そうか?・・・まあ、一ノ瀬が言うならそうなのかも知れないが・・・」
以前の瀬田を知らない俺には、違いなどわかるはずもない。しかし、一ノ瀬は断言した。
「はい、もちろんです。ですから・・・」
一ノ瀬を見る。一ノ瀬は顔をうつむき加減にしていた。
「だから、友達としてでかまいません。私たちと同じように、彼女とも接してくませんか
?」
一ノ瀬はなんだか深刻な顔をしているが、俺にはその理由がわからない。瀬田はどう見たっていい奴だ。そんな彼女を拒否するなんて、俺はしないし、する気もない。
「・・・そうですか、よかった・・・」
俺の答えを聞いて、一ノ瀬は一瞬顔を上げ、そして安堵したように微笑む。
「なにをそんなに・・・」
「こら荒川!!いつまでもよそ見してるんじゃない!!」
先生が教卓に着いても意に介さず、話を続ける俺たちにたまりかねた先生が怒鳴った。
「え?なんで俺だけ?」
「目に入ったからだ!わかったらさっさと教科書を開け」
そ、そんな理不尽な・・・。
ちら、と一ノ瀬を見ると、彼女は「ごめんなさい」というふうに顔の前で手のひらを合わせていた。
「ところでさっ、せっかくあつみが学校に来て全員揃ったんだからさ、なにかしようよっ!」
いつも通り屋上で、もうお馴染みのメンバーで弁当を食べていると、突然花梨が言い放った。
あまりに唐突だったので、俺たちは反応するのに一瞬遅れを取ってしまう。
その遅れを理解していない、と取ったのか、花梨はもう一度繰り返す。
「ねえ、せっかくだからさ、みんなでなにかしようよ」
「・・・いや、わかってる。それはわかるが、するってなにを?」
「え?うーん、砌はなにがいい?」
何も考えずに言い出したのか、一瞬考えたあと、結局一ノ瀬に振る花梨。
「うーーん、せっかくのあつみが学校に来たお祝いなんだから、あつみがしたいことをするのがいいんじゃないかな」
ふと、みんなの視線が瀬田に集中する。もちろん赤面する瀬田。
「え?・・・ええ!?・・・えと」
「あつみがしたいこと、なんでも言ってよ」
花梨のこの言葉に、一生懸命考えをめぐらす瀬田。しかし、なかなか考えがまとまらないようだ。
「・・・まあ。俺たちに出来ることならなんでもいいと思うぞ」
なぜかチラチラ、と俺ばかり見る瀬田に、俺の意見を言う。
「え?そ、・・・そうかな・・・じゃあ・・・」
「じゃあ、なに?」
花梨が身を乗り出す。俺と一ノ瀬も瀬田の言葉に意識を傾ける。
「・・・じゃあ・・・」
突然すっ、と指を指す瀬田。その先は。
「・・・山?」
それはフェンスを越え、その向こうに見える山々を指していた。
「・・・えと、うん・・・喜井山。・・・一度・・・登ってみたい・・・な」
上目づかいでみんなの様子を見る瀬田。
俺にはどれが喜井山かわからないが、見たところどの山もあまり高くない。
「まあ、登れないこともないと思うが・・・二人はどうだ?」
一ノ瀬と花梨に同意を求める。二人は当然のように、首を縦に振った。
「もちろんオッケーよ。喜井山なら、中腹ぐらいまでなら日帰りも余裕だし」
「ここ数日天気も良いですし、きっと楽しいと思います」
「よし。満場一致のうえ、可決だな」
自分の意見が通るとは思っていなかったのか、驚く瀬田。
「・・・え?いいの?・・・」
「もちろんよ!あつみがしたいことしよう、って言い出したの私たちなんだし。それに、お金もかからないんだから最高じゃない!」
「では、いつにしますか?荒川君は、都合が悪い日とかあります?」
ポン、と手を打ち合わせた一ノ瀬が、俺に向き直る。
・・・いままでの傾向から、鬼が昼間に出現する可能性は低い。だったら、一日くらいは大丈夫だろう。
「いや、特にない・・・」
「やったー!じゃあ決まりっ!!」
俺の返答を聞き終わるかいなや、弾けるようにジャンプする花梨。なにげに高いし。
「じゃあさ、早速明日休みだし、行っちゃおうよ!」
「・・・え?・・・あ、明日?」
思いついたように言い出す花梨。
「そうだね、いいかもしれないね。荒川君とあつみは?どうですか?」
「俺は構わないけど」
「・・・わ、私も・・・大丈夫、です・・・」
顔を真っ赤にしながら答える瀬田。その指がありえないくらいに組まれている。
「そうと決まったら、早速四人で明日の予定を考えよう!」
こうして、俺たちは唐突に山登りをすることになった。一ノ瀬たちは山登りには慣れている様子で、明日の準備話している。が、俺は山登りに関してあまりいい思い出がないので(この村に来るまでの山道含め)、正直あまり気乗りしない。
そんな俺が、なぜ山登りをすることに、あっさり賛成してしまったのか。
・・・なんでだろ?
やることのない俺は、そのことについて少し考え始めた。
・・・・・
結局、本格的な俺の参入はないまま、話し合いは終わった。
そして放課後、俺は村唯一の薬局でア○エ軟膏を買おうか、真剣に考えていた。
明日の山登りの準備である。一ノ瀬たちは「何も必要ない」と言うが、やはり備えあれば憂いなしというし、応急セットぐらいは揃えておこうと思ったのだ。
一通りの薬品を買い揃え、俺は薬局を出る。外はもう夕暮れだ。冬が近づいているからというのもあるだろうが、俺がこの村に来てからの日没時刻の早まりかたは異常だ。おそらく『黄泉の門』と『邪悪なる存在』の仕業だろう。奴らとしても、やはり夜の時間が長い方が活動しやすいのだろう。
しかしいくら膨大な『気』を持っているからって、自然現象に干渉するなんて・・・。
思わぬところでこれから立ち向かう敵の強大さを感じ取ってしまい、しばらく呆然としてしまう。
「・・・あ、あのぅ・・・」
バッ、と勢い良く振り返る。このパターンは・・・。
「やはり瀬田か。どうしたんだこんなところで?」
制服姿の瀬田はビクリ、と体を硬直させていた。
「え、・・・いや、あの、・・・・その」
必死に言葉を話そうとするが、まるでわからない。俺の振り向きのショックが瀬田をパニックにしているようだ。
「急に振り向いてスマン。とりあえず謝っておく。・・・だからまず落ち着け」
俺は瀬田の肩をポンポン、と叩く。もちろん俺は落ち着かせるためにやったのだが、何故か一層顔を赤くする。そんな顔を見ていると、不意にカップラーメンが食べたくなってきた。そういえば最近食べてないな。
「・・・あわ、あわわ・・・・あわわゎわゎわわ・・・」
なんかやばそうな声が聞こえてくると思ったら、瀬田が自分の発した熱で茹で上がってしまうのではないか、と思えるほど顔を朱に染めていた。
「わっ!すまん瀬田!大丈夫か!?」
俺はバッ、と瀬田から離れる。瀬田の頭から湯気がぷしゅう、と立ち昇っているように見えるのは気のせいか?
「・・・ぅん、あわ・・・あわわ・・・・だい、じょう・・・あわ」
ついに臨界点を超えたのか、瀬田はパニック状態になってしまった。・・・人間の脳は自分の体温でオーバーヒートしない・・・よな?
「と、とにかく、ここは人目につく。あそこの公園に行こう」
俺は瀬田の手を取り、近くの公園に急ぐ。
瀬田はこくり、と頷き、俺に引かれるままになっていた。
「はあ、はあ。ここなら大丈夫だろ」
さっきの状況は、はたから見たら女の子を困らせる最低男にしかみえないものな・・・
そんな状況から抜け出すために、瀬田を半ば強引に引っ張って此処に移動したわけだが・・・
「瀬田も大丈夫か?」
後ろの瀬田に振り返る。
「はあ、はあ、はあ・・・だいじょ、う・・・ぶ・・・」
言葉とは裏腹に、膝からガクン、と崩れる瀬田。
「瀬田!!」
俺は全力で両手を差し出し、なんとか地面に着く前に瀬田の体を引き止める。
「はあ、はあ、はあ!・・・ほ、ほんとに、大丈夫・・・だから・・・」
真っ青なその顔は、俺に抱き止められたと知ると一瞬真っ赤に染まったが、すぐに真っ青に戻る。
「と、とにかく、ベンチに座って休もう。な?」
瀬田に肩を貸しながら近くのベンチに移動する。どこにでもある、普通のベンチだ。瀬田を先に座らせ、隣に俺も座る。
「はあ、はあ・・・ふう、はあ・・・」
ゆっくり深呼吸する瀬田。顔色も多少良くなったようだ。
「大丈夫か?あまり無理しないほうがいいぞ?」
「・・・う、うん・・・」
「今日はもう休んだほうがいい。なんなら家まで送ろうか?家、この近くか?」
俺は先に立とうとするが、不意に右手が引っ張られた。
見ると、瀬田が右手の裾を掴んでいる。
「瀬田?」
「大丈夫。もうちょっと休めば大丈夫だから。だから・・・」
引っ張られるまま俺は再びベンチに座る。すると瀬田がそっ、と寄りかかってきた。
「・・・だから、もう少しだけ、こうさせてください・・・」
「お、おう。それぐらいなら朝飯前だぜ」
普段は大人しい瀬田の、突然のイニシアチブに動揺する俺。それはわけのわからない返答となって現れた。
「・・・ありがとう・・・」
瀬田の顔がほんのりと上気しているように見えるのは、果たして夕焼けのせいだろうか。
・・・しかし、いくらパニックを起こしていたとはいえ、少し走ったくらいで倒れてしまうなんて。
瀬田の病気は、俺が思っている以上に深刻なのかもしれない。
しかし、だったらなぜ瀬田は学校に来ているんだ?せっかく治っていたのに、今俺が走らせたから再発した?いや、それぐらいだったら、まだ入院が必要なはずだ。
思考の袋小路に入り込んだ俺は、すぐ隣に問題の張本人がいることを思い出し、答えを仰ぐことにする。
「なあ、瀬田・・・」
「・・・すう・・・すう・・・」
隣の瀬田からの返答は、安らかな寝息だった。疲れて寝てしまったようだ。
「・・・まあ、いいか」
きっと杞憂だろう。こんな安らかな寝顔が出来るなら。
俺は空を見上げる。赤から紫、そして漆黒へと空の色が移ろいでいくのを、じっ、と見ていた。
しばらくして、普段の調子を取り戻した瀬田を見送った俺は、そのまま一ノ瀬神社に来ていた。もちろん美々子とも合流済みだ。というか、俺より先にここにいた。
「はぐはぐ。いやーそれにしてもこの桜餅はおいしいですねぇ!」
「ふふ、それは良かったです」
例によって一ノ瀬の用意した和菓子を嬉々として頬張る美々子と、その様子を楽しそうに見ている一ノ瀬。
「・・・・・・」
なんだかさっきから一向に進展がないのは気のせいか?少なくとも、美々子が桜餅を消費している限り、いずれ桜餅がなくなるはずなのだが・・・。
「・・・では、荒川君」
小一時間の後、ようやく一ノ瀬がこちらに向き直る。美々子はまだ食べているが。
・・・数量無制限?
時計を見ると午後六時。特訓開始の時刻だ。
「よし、まずは術式の基礎を練習したあと、村の探索に行こう」
はい、と一ノ瀬は返事をすると、部屋の隅に置いてあった手提げ袋を手に取る。特訓に使う道具類をまとめて準備しておいたようだ。
「ほら、美々子。いつまでも食ってると置いてくぞ」
「ふぁふ、ふぁってくらはいよー(あう、待ってくださいよー)」
俺が脅すと、美々子は慌てて食べるのを止め俺の方に来ようとする。
「・・・・・」
しかし、はっ、と何かに気付いたように立ち止まった美々子は、未練がましく桜餅を振り返った。
「・・・・・にゃ♪」
そして懐に桜餅を忍ばせる。よほどおいしかったらしい。
「・・・済んだなら行くぞ」
「にゃっ!!」
俺が既に先に行っていると思っていたのか、ビクリ、と体を振るわせる美々子。
「こ、これにはわけがありましてですね、あの、その・・・」
「わかった。わかったからさっさと外に行くぞ。一ノ瀬が待ってる」
神社の裏手では、既に一ノ瀬が特訓の準備を終えていた。教文さんの姿もある。
「遅かったですね。なにかありましたか?」
髪を後ろでまとめた一ノ瀬がこちらに気付く。
「まあ、ちょっと、な。一ノ瀬、アレは用意できてるか?」
「はい。あそこに」
一ノ瀬が指し示す先、そこには・・・習字セット。しかし半紙はない。
「・・・ああ、わかった」
・・・この際贅沢は言ってられないもんな。
それを確認した後、ようやく今日の特訓内容を説明する。
「今日から本格的に術式の基礎のひとつである「札」を媒介にした術を練習しよう」
こくん、と頷く一ノ瀬。そして質問する。
「でも、札がありませんけど・・・。どうするのですか?」
「その心配はない。これから一ノ瀬に用意してもらった習字セットで作成する。札の作成は、一日二日では習得出来ないから、とにかく札の扱い方だけマスターするようにしよう。質問がなければ、俺は練習用の札を作るから、ちょっと待っていてくれ」
俺は一ノ瀬が用意した習字セットの前に座り、懐から細長い紙を取り出す。札に使われる標準的なサイズの紙だ。
そこに術を施す。術といっても、紙の表面に、その術式が発動したときの効果などを説明した文と図形を織り交ぜた紋様を描き、そこに『気』を送り込むだけだ。
なので、練習用札の作成は簡単に終わる。まあ、簡単といっても、札に描く紋様は術によって違うので、それを覚えなくてはならないし、気の送り方もコツがいるので、初心者にとってはやはり難しいだろう。慣れればそんなことはないのだが。
「一ノ瀬、これに『気』を送り込んでみてくれ」
札を受け取った一ノ瀬は、はて?、と首を傾げる。
「『気』を送るのですか?この札に?」
「そうだ。一度やってみてくれ」
そう言われた一ノ瀬は、右手の親指と人差し指で札をつまみ、じ、と見つめる。
・・・そのまま動かない。術式も発動しないようだ。
「・・・わかった。一ノ瀬、ちょっとやめて貰っていいか?」
札をじ、と見るのをやめ、こちらを向く一ノ瀬。
「これから札に限らず、なにか人や物なんかに『気』を送り込むときのコツを伝授するから、良く聞いてくれ。・・・まず、『気』を送り込むときは、あまり力まないでリラックスすることが大切だ。そしてイメージするんだ。『気』は目に見えないものだから、それを移動させようとするときには、必然的にイメージするしかないわけだが、逆に言えばイメージ次第で簡単に扱うことも出来るというわけだ。で、そのイメージなんだが・・・」
俺も札をつまみ、目の前にかざす。
「あまり自分の『気』を流し込むことを意識し過ぎないで、指先がなんとなく暖かい感じぐらいの意識でいると、徐々に指先に『気』が集まってくるのがわかると思う。集まったら、今度はその気をそっと押し出すイメージで、ゆっくり札に流し込む。そうすれば自然に札に『気』を流し込めるハズだ」
「・・・はい、やってみます」
再び札をかざし、今度は目を瞑る一ノ瀬。
「・・・指先が、だんだんと・・・温かくなって・・・集まったら・・・押し出す・・・」
今俺が教えたことをぶつぶつ、と呟きながらひとつずつ実践していく。
「押し出す・・・自然に・・・押し出す・・・」
一ノ瀬の顔に一瞬力がこもった瞬間、札から火が噴出す。術式が発動したのだ。
「え?わ、きゃ!?」
突然のことに驚く一ノ瀬。手をぶんぶん、と振っている。
「札を放せ一ノ瀬!そうすれば止まる!」
俺の声が届いたのか、ぱっ、と手を放す一ノ瀬。すると火は収まった。
「はあ、はあ・・・ビックリしたぁ」
肩で息をしている一ノ瀬。ほんのり涙目だ。
「でも、成功だ。やったな」
正直、一発で成功させるとは思っていなかったので、俺も驚いていた。
「成功・・・私、やったんですか?」
「ああ、ちゃんと火が出ていただろ?あの札はああいう術式なんだ」
あんなに激しく噴出すようにした覚えはないのだが。俺の手違いか、それとも・・・
一ノ瀬を見る。彼女は自分がしたことが信じられない、という感じで自分の手のひらを見つめている。
「もう少し加減を練習しよう。ある程度コツがつかめてきたら、今夜も村の見回りに行こう」
一ノ瀬ははい、と返事をすると、新しい札を取って特訓を再開した。
・・・そういえば美々子はなにしているんだ?
さっきから姿の見えない美々子を探す。すると、境内の隅に丸まっている姿が。
「なにをしているんだ、あいつは?」
そー、と気付かれないように近づいてみる。が、うっかり砂利を踏んでしまった。その音に振り返る美々子。
「・・・にゃ・・・」
その手には桜餅がひとつ。そして口の周りにはあんこが付いている。
「・・・お前って奴は・・・」
「にゃははは・・・ごめんなさい・・・」
一ノ瀬の特訓もある程度済んだので、俺たちは村の見回りに行くことにする。
今夜は以前に調査した、村はずれの廃病院にもう一度行くことにした。
美々子の話によれば、俺たちが調査した後にも、人が消え続けているらしい。
あの時は特に何も感じなかったのだが・・・、もう一度調査が必要なようだ。
「一ノ瀬。一ノ瀬はあの廃病院について、なにか知ってるか?」
真っ暗な道を、懐中電灯で足元を照らしながら歩いている一ノ瀬に聞く。
暗い夜道を、陰陽師の礼装を着た若い男と、巫女装束の少女と、ネコミミ装備の見た目幼女が、皆手に懐中電灯を持って歩いているのはかなり異様だ。
「うーん、詳しいことはあまり知らないのですが。あの病院は元々大戦中に作られた、軍施設のひとつだったらしくて、昔は色々な実験なんかしていたようですよ。でも、大戦が終わったあと、しばらくは国営の病院として利用されていたようですが、今はもう使われていません。私もここにお世話になったことはないです」
そんな情報は初耳だ。しかしこの建物、とても戦前に立てられたとは思えないのだが・・・。
「実は二十年ほど前に、再び医療施設として使えるように全面改装されたらしいのですが、何故か、結局使われないまま放置されているそうです」
以前この病棟の中で見た霊たちは、ただ単に病院で病死したとか、事故で助からなくて死んでしまった患者の霊だと思っていたが、もしかしたらそんな簡単なものではないかもしれない。
「とにかく、入ろう。なにかわかるかもしれない」
前回と同じように、正面玄関から中に入る。
「このあいだ調査したときには何もなかったが、人が消え続けている以上、この病院にはなにかあると考えたほうがいい。危険な事態になったら、一ノ瀬はすぐに逃げるんだ。いいな?」
「・・・はい、わかりました」
まだまともに術式の使えない自分が、戦闘に加わっても足手まといになるだけと理解しているのか、一ノ瀬は素直に頷いてくれた。
病院内は前回来た時と変わらず、人気はまったくない。そしてやはり真っ暗で静かだ。耳を澄ますと霊たちの苦しそうな呻き声が聞こえてくる。
今回は慎重に、一つ一つの部屋を見て回ることにした。
「でも、なんでいつもここでしか人を消さないんでしょうね」
ふと、美々子が言う。
「どういうことだ?」
「だって、まるで自分の居場所を教えてるようなものじゃないですか。こんなことするのは、よほど頭が悪いかそれとも・・・なにか罠があるのか」
確かに、それはありえるかもしれない。用心するに越したことはないだろう。
周辺の警戒を強めるよう美々子に言おうとした、そのとき。
「シッ、貴弘さん。『負の気』です」
美々子が咄嗟に身構える。
「奴か?」
「いえ、まだわかりませんが、かなり強い『気』です」
ついにおいでなすったか。そう思った。
「発生源はこの病院内なんだな?」
コクリ、と頷く美々子。
「・・・よし。様子を見てこよう。一ノ瀬も後ろについて来てくれ。ひとりは危険だ」
病室を出ると、そこには確かに微かな『気』が感じられた。
美々子は強い『負の気』と言っていたが・・・。力を抑えているのか?
暗い廊下を懐中電灯の明かりだけを頼りに、慎重に進む。
微かに感じ取れる『気』を辿っていく。時が止まったように静かな病院の中では、遠くで落ちる雫の音さえ良く聞こえる。その音だけが、今この時が止まっていないことを示していた。
ひとつの扉の前で美々子が振り返る。そこは一階の奥にある、重病患者用の病室だった。
俺は頷くと、扉に何の術式がかけられていないのを確認し、一気に踏み入った。
咄嗟に四方を見渡し、敵の姿を探す。しかし・・・
「・・・なにもいないぞ?」
病室には「邪悪なる存在」どころか、幽霊の一人もいなかった。
「え?おかしいですね、確かにここだったのに・・・」
美々子は目を閉じ、もう一度『気』の出所を探る。
「!!貴弘さん!外です!」
「くそっ!俺たちに気付いて逃げたのか!!」
俺は廊下に飛び出し、『気』の残滓を探る。しかし、まったく感じ取れない。
「命!」
「だめです、私にも感じ取れません!」
完全に気配を消したか。しかし早くしないと逃げられてしまう・・・。
「しかたがない。二手に分かれよう。俺は右を探すから命と一ノ瀬は左を頼む」
「「はい、わかりました」」
命と一ノ瀬は同時に返事をすると、病室から向かって左、正面玄関の方に向かって走り出す。
「深追いはするなよー!」
遠ざかる二人の背中に忠告する。その後ろ姿はあっという間に夜の闇の中に消えてしまう。
その姿を見届けると、俺は病院の奥に向かって走り出す。まだ遠くには行っていないはずだ。
一つ目の角を曲がる。いない。次の角へ。
体全体を使ってうまくスピードを調節しながら、角を曲がる。その奥を見るとチラリ、とだが人影が見えた。どうやら外に出る気らしい。
「逃がすかっ!」
俺は一気に加速をつけ、人影が入った角を曲がる。
しかしそこは行き止まりだった。
「!いない?」
真っ暗な室内にはやはり何の気配も感じられない。しかし引き返そうとしたその時、
「ごめんね、荒川君」
背後から声。そして同時に後頭部に鋭い痛み。
「っぐう!」
「おやすみ、坊や」
静かな、冷え切った声。まるで氷が喋っているような声だ。
「き、君は・・・まさ・・・か・・・」
振り返ることも叶わないまま、俺の意識は遠のいていった・・・。
「・・・ひ・・・さん・・・ひろさん・・・」
「くん・・・らかわく・・・しっかり・・・」
う・・・ん、なんだこの声は・・・?
「貴弘さん!貴弘さん!!」
「荒川君!しっかりしてください!」
目蓋を開けると、美々子と一ノ瀬が心配そうに俺を覗き込んでいた。美々子にいたっては額と額がくっつきそうなほど近い。
「命?それに一ノ瀬・・・痛っ!」
起き上がろうとすると、後頭部に鋭い痛みが走った。そうだ、俺は・・・。
「ダメですよ、まだ動いちゃ!怪我をしているんですから、ちゃんと寝ていないと」
美々子に再び布団に寝かされる。一ノ瀬が薬と水を持って来てくれた。
「ここは・・・一ノ瀬神社?」
「そうです。荒川君、あの後病院で倒れているのを私たちが見つけて、急いで家まで運んで来たんです。・・・どうぞ、痛み止めです」
何粒かの錠剤を渡される。俺はそれを一緒に渡された水と一緒に流し込む。
「目が覚めたようだね、荒川君」
神主が廊下から姿を現す。その手には湿布が摘まれていた。
「本当は医者に診てもらわなければいけないのだが・・・現状ではこれが精一杯なんだ。許してほしい」
神主が俺の頭に湿布を貼る。ヒヤリ、とした感触を後頭部に感じた。
「っつ・・・大丈夫ですよ。これでも頭だけは固いんで」
「そうですっ。貴弘さんは小さい頃、鬼ごっこをしているときに、鬼を交代したい一身で、友達の登っていた柿の木を頭突きでなぎ倒したんですから。頭の硬さは私が保証します」
ふふん、となぜか自慢げに胸を張る美々子。なぜお前が自慢げなんだ。しかし、今思い出すとなかなか壮絶な話だよな。子供のときから逞しかったんだなぁ、俺。
「とにかく無事でよかったです。倒れている荒川君を見つけたときにはどうなるかと思いました」
一ノ瀬が柔らかく微笑んでくれる。
「心配かけてすまないな。今回は完全に油断していた」
俺が謝ると、一ノ瀬はふるふる、と首を横に振った。
「いいんですよ。それよりも何か食べますか?おかゆ作ってきますよ」
立ち上がり、台所へ行こうとする一ノ瀬。それを神主が引きとめた。
「いいから、おかゆは私が作ろう。砌は明日に備えて寝なさい。喜井山にハイキングに行くんだろう?」
神主も立ち上がると、一ノ瀬を自分の部屋に向かわせようとする。
「で、でも・・・」
「命様も、明日に備えてぐっすり休んでください。少なくとも、今日はもう襲ってはこないでしょう」
「え?しかし・・・」
ちら、と一ノ瀬と美々子が同時にこちらを見る。
「休んどけよ。俺はもう大丈夫だから」
俺にこう言われた以上、引き下がるしかない一ノ瀬と美々子。
「わかりました・・・では、おやすみなさい」
「くれぐれも無茶しちゃだめですよ」
大人しく自分の部屋へ向かう一ノ瀬。美々子も一緒の部屋に寝かせてもらうことにしていたので、一ノ瀬の後について大人しく部屋を出て行った。
「では、私はおかゆを作ることにするかな。荒川君は大人しく寝ているんだよ?」
そう俺に言い残すと、神主も部屋を出て行った。
・・・言われなくても、今はとてもじゃないが動く気にはなれなかった。
病院で俺を襲った犯人について考えていたからだ。
・・・なぜ、なぜなんだ。なぜ、あいつが。
そう、俺はもう、犯人の正体に気づいていた。ただ、信じられないのだ。
犯人は確かに「荒川君」と俺の名前を読んでいた。だとすると、かなりの手がかりになるわけだが、それは同時に犯人が俺の知り合いであるということにもなるのだ。
そしてあの声は、いつもとは感じが180度違うが、確かに・・・。
頭の痛みがひどくなってきた。後頭部がズキンズキン、と痛い。
俺は神主には悪いと思いつつ、もう一度眠りにつくことにした・・・。
目覚めると外は既に明るく、今が朝であることを告げていた。
「ん・・・もう朝か・・・」
ゆっくりと体を起こす。痛みはもうほとんどない。
「ふぁ・・・この天気なら今日のハイキングも大丈夫そうだな」
布団から起き上がろうと手を動かす。
ふに。
「・・・・・・は?」
右手に何かの感触が。見てみると・・・。
――― 一ノ瀬がいた。
どうやら昨日教文さんに自分の部屋に行かされた後、教文さんが眠った隙に起き出し、今まで俺の側にいてくれたらしかった。右手はその頬に触れていた。
「!!」
俺は咄嗟に右手を離す。頭は突然の事態にパニックを起こしかけていた。
「あ、一ノ瀬。これはその、違うんだ、ていうか、はは、天気がいいなあ・・・」
もうなにがなんだかわからないが、必死に弁解する俺。
「すー、すー・・・んん・・・」
一ノ瀬からの返事は安らかな寝息だった。どうやら寝ていたらしい。
「・・・はあ???。なんだ、寝てたのか」
つい安堵の溜息をついてしまう。なんだ、寝ていたのか。
一ノ瀬は本当に安らかな顔をして眠っている。布団に覆いかぶさっている上半身が規則正しく上下している。
気分が落ち着くと、今度はわざわざ戻ってきてくれた一ノ瀬に対する感謝の念が湧き上がってきた。
「そうか・・・一ノ瀬だって疲れていたはずだもんな・・・」
早朝の柔らかな光が、一ノ瀬の顔を照らしている。そのせいか、いつもより無防備に見える。
一ノ瀬にとって昨日のことは、実際に戦闘はなかったとはいえ、初めての実戦だ。緊張からくる精神的な疲労はかなりのものだったろう。
しかし、こうして一晩中側にいてくれた。
「・・・ありがとな、一ノ瀬・・・」
一ノ瀬の艶やかな黒髪に触れようと手を伸ばす。そのとき、
ガラッ。
「貴弘さーん、ごはんですよー。そろそろ起きてくださーい」
美々子が突然襖を開ける。俺は慌てて伸ばした手を引っ込め、なんでもない顔を作った。
「お、おう。もう起きてる。すぐに行くから、先に行っててくれ」
「わかりました」
美々子はすっ、と廊下の右手に消える。ほっ、と胸を撫で下ろす俺。何で俺こんなに挙動不審なんだ?別に美々子に一ノ瀬が一緒にいるところを見られたって、ちゃんと説明すれば済むことじゃないか。
「あ、それと」
ひょこっ、と顔だけ襖から覗かせる美々子。
「なんでそこに砌さんがいるんですか?」
ドキッ。
「え?ああ、これは昨日の晩、看病していてくれたのさ」
「ふーん。そうなんですか」
心なしか美々子の視線が痛いんだが・・・。
「とにかく、ごはんですから。早く来てくださいね」
今度こそその場を離れる美々子。普段の生活の中で、あんなに鋭い視線を向けられたのは
初めてだ。
「・・・なんでだ?」
しばらくそのことについて考えていると、一ノ瀬が目覚めたので一度部屋に戻し、俺は顔を洗うことにした。
「さあーー!今日は待ちに待った喜井山ハイキング!」
花梨が既に今日何度目かわからない「宣言」をした。ちなみに俺が集合場所である学校に着いてから、まだ十分ほどだ。
「それにしてもあつみったら遅いですね。なにかあったのかな」
心配そうに言う一ノ瀬は私服姿だ。もちろん俺も花梨も私服だが、巫女装束の印象がある一ノ瀬の私服姿は新鮮だ。
「あ!来たよ。あーつーみー!!こっちこっち!」
花梨が手を振る。その先には瀬田がいた。
「はあ、はあ・・・ごめん・・・おそく・・・なっちゃって・・・」
急いできたのか、瀬田の息は荒い。
「いいよ、そんなことは。それより大丈夫?少し休む?」
一ノ瀬が瀬田に駆け寄る。俺はその様子を黙ってみていた。
「なにぼーっ、としてるのよ」
肩をばんばん、と叩かれる。花梨だ。
「そ、そうか?」
「朝からそんな調子じゃあ、これからの山道楽しくないよ?もっとテンション上げて!ね?」
花梨は朝っぱらからそのテンションを維持するつもりなのだろうか。信じられん。
「んん、・・・大丈夫。・・・ちょっと息が・・・上がっちゃっただけ・・・・だから」
「本当に大丈夫?」
「・・・うん」
「じゃあ楽しいハイキング大会、開始!」
瀬田の無事を確認すると、花梨は高らかに宣言した。
喜井山は、村を囲む山々の中でも比較的低い部類に入る山だ。
しかしそれゆえに気軽に登山が可能で、よく村の人々が気晴らしに登っているそうだ。小学校の遠足などでも登るそうで、子供達の遊び場にもなっているらしい。
今はもう紅葉の盛りも越え、どことなく色彩を欠いているが、それはそれで俺たちの目を楽しませてくれる。
花梨と一ノ瀬は登りなれているのか、獣道よりちょっとマシな程度の山道をためらいもなく登っていく。時折立ち止まって俺と瀬田のペースに合わせるくらいだ。
「瀬田は喜井山には登ったことないって言ってたっけ?」
俺は隣を歩く瀬田に声をかける。瀬田の表情はつらそうというほどではないが、決して楽そうではなかった。
「・・・え?・・・はい、そうです・・・」
「どうして?」
「私は・・・生まれつき、体が・・・弱かった・・・ので」
瀬田は恥ずかしそうに顔を俯けてしまう。しまった、失言だったか。
「あ、すまん、別に深い意味はないんだ・・・」
「違うんです。その・・・今はもう元気になって、それでこうやって・・・」
瀬田が顔を上げる。そこには恥ずかしさの中に、確かな喜びが浮かんでいた。
「みんなと一緒のことができる。それがうれしいんです」
「・・・・・・」
「あつみー!貴弘―!もうすぐだから頑張ってー!」
先を進む花梨が俺達に呼びかける。いつの間にか距離が離れてしまっていた。
「さあ、俺達も行こうか」
「・・・はい」
俺と瀬田は舞い散る落葉を踏みしめ、歩を早めた。
「うーーん、気持ちいいですね!」
「ほんとほんと!今日来て正解だったね!」
丁度お昼ごろにたどり着いた中腹の休憩所からの眺めは、まさに絶景だった。
「うわ、これはすごいな・・・」
「ふふ、でしょでしょ?ここからの景色は村で一番きれいなんだから」
花梨の解説を聞くまでもなく、俺は景色の美しさに圧倒されていた。
「さあ、時間も丁度良いですし、お昼にしましょう」
一ノ瀬が提案する。その手には既に弁当箱が握られている。
「いいね、お腹もすいたし。あつみも!ご飯だよ」
俺と同じように景色に圧倒されていたのか、じ、と村を見下ろしていた瀬田は花梨の声にはっ、と顔を上げる。
「う、うん・・・」
一ノ瀬のところに行くと、既にビニールシートが敷かれていた。各々それに座る。
「さーて、みんなお待ちかねの、お弁当お披露目大会の時間です!まずは砌から!」
花梨を司会として、いきなりお披露目大会なるものが始まる。・・・みんなお待ちかね、か?
「じゃあ行くよ、それっ」
なぜか勢いをつけて弁当箱のふたを開ける一ノ瀬。その中身は・・・
「うまそうじゃないか」
神主の家に育っただけあって、その内容は完璧な「和食」だ。焼き魚と一緒にエビフライが入っているような中途半端な弁当とは違う。そして梅干にきんぴらにひじきに浅漬けと渋いセレクト。思わず唸ってしまう。
「むむ・・・さすがだね、砌。次はあつみ!お披露目どうぞ!」
「え?・・・う、うん・・・す?、えいっ」
息を吸った後、やはり勢いをつける瀬田。弁当のお披露目ってそんなに勇気がいるものなのか?
弁当箱の中を覗いてみる。それは一般的な弁当と言えよう。ただし主食は米ではない。麦だ。
「おお、サンドイッチか」
少し大きめの弁当箱に入っていたのはサンドイッチだった。中身のセレクトは、卵、ツナ、トマト、ハムなど一般的だが、種類が多い。これだけ作るのは大変だったろう。
「はあ??。あつみもやっぱりすごいね。・・・貴弘に負けるのはシャクだから先に出しちゃお!エントリーナンバー3番、有坂花梨!行きまーす!」
バッ、とふたを開ける花梨。
「「・・・・・・」」
「・・・えーと、その・・・なんだ、これ?」
俺は花梨の弁当箱の中に満ちている赤い物体について問う。
「え?なにって、エビチリ」
「・・・エビチリ?」
あの中華料理の?
「そうだよ。ご飯はまた別にこっちにあるから」
はい。とタッパに入った飯を茶碗によそり、はい、と俺に差し出す花梨。他の二人はなんと言っていいか判断を迷っているようだ。無理もない。
「・・・なんでまたエビチリなんだ?」
「簡単だよ。私の得意料理なんだ、エビチリ」
当然でしょ?といった顔で俺を見る花梨。
「・・・・・・」
簡単か?どこの誰が花梨=エビチリが得意ってわかるんだ?
「さ、次は貴弘の番だよ」
「俺の弁当はいつもと同じだよ。ほら」
いつもより大きめの弁当箱の中身、そこには・・・
「わあ、今日は気合入ってますね!」
・・・どこの旅館の懐石料理でしょうか、これは。
「ていうか、あそこは旅館で典子さんは旅館の女将だったな・・・」
正直、すっかり忘れていた。今日の朝、着替えるために戻ったときに渡されたのだが、ハイキングに行くとは言っていない。きっと事前にこの情報をキャッチして、腕によりをかけてこの弁当を用意したに違いない。卵焼きもいつもの1.5倍だ。
情報の提供者は美々子か・・・
「よし!全てのお弁当が出揃ったところで、いただきまーす!」
その後の弁当争奪戦は、一言でいうなら『壮絶』だった。
「いいじゃんいつもより多いんだからさ。いただき!」
「あ!花梨お前人のばっかり取るな!お前のもよこせ!」
「ほーら砌、私特製のエビチリですよー。たーんとお食べ?」
「わあ、ありがとう花梨。あつみのサンドイッチもおいしいよ。特にこのタマゴサンドの味付けが絶妙だね」
「う、うん・・・実は・・・隠し味に、バニラ・・・エッセンスが・・・」
「あー!花梨俺の魚の煮物食べたな!返せ!」
「一足遅かったわね。それはもう帰らないの。あきらめなさい」
・・・まあ、騒いでいたのは俺と花梨だけなのだが。
昼のお弁当お披露目大会、もとい争奪戦を生き残り、山を降りたときには既に周りの景色はみな赤く染まっていた。
「・・・今日は・・・楽しかった・・・ですね」
学校までの帰り道で、隣を歩く瀬田が話しかけてきた。
「ああ、こんなに楽しかったのは初めてだ」
「ほんと・・・楽しすぎるよ・・・・・・」
「瀬田?どうした?」
瀬田は目を細め、辛そうな顔で少し先の地面を見つめていた。
「どこか具合が悪いのか?」
瀬田はふるふる、と首を横に振る。だったら一体・・・
「い、いえ・・・なんでもないんで・・・」
「こぉらー!!貴弘―!!」
足?
「ぐふっ!」
花梨の『助走つきドロップキック改』が顔面にヒット。仰向けにダウンする俺。
・・・なんで?
「あつみを泣かすたぁいい度胸じゃん?・・・血ぃ見るわよ?」
ポキ、ポキ。
「い、いや誤解だ!俺はなにも・・・」
「問答無用!成敗するよ!!」
そのとき、俺に襲い掛かろうとする花梨の肩に、そっと手が置かれる。瀬田だ。
「やめて、花梨。なんでもないの。荒川君のせいでもない。・・・だからやめて」
「本当に大丈夫?家まで送ろうか?」
心配そうに瀬田の顔を覗き込む一ノ瀬。しかし、瀬田はその申し出を断る。
「大丈夫。家までは・・・すぐそこだから。・・・ありがとう」
すると足早に道を行ってしまう。俺たちはその後ろ姿を見つめるしかなかった・・・。
その夜、俺と美々子、そして一ノ瀬は、再び例の廃病院に来ていた。『黄泉の門』の手がかりらしきものが他にない以上、当然といえば当然なのだった。それに、昨日の人影が村人の行方不明事件と関係があるのかもわかっていない。
「来るたびに思うんだが、この病院ってかなり村のなかで浮いてるよな」
真っ白い外壁を、着々と侵食しているツタ植物を見上げながら言う。
「そうですね、この村の建物の中では一番新しいですし、国の公共事業ということで、かなりのお金がかかっているみたいです」
「だから今でもある程度綺麗なんですね」
今日も俺達が来るであろうことは、昨日の人影もわかっているだろう。無意味に隠れたりせず、昨日と同様に正面玄関から入ることにする。
「おじゃましまーす」
と小声であいさつする美々子を先頭に、続いて俺、一ノ瀬という順番で中に入る。
病院の中は相変わらず暗いが、ところどころでは月明かりが差し込み、まるでぼんやりと発光しているようで薄気味悪い。
「とりあえず、昨日人影を見つけた病室に行こう」
あまり物がない廊下を奥へと進む。月明かりのせいで浮遊する埃が良く見える。
「今日も現れるでしょうか」
一番前を注意深く進みながら、美々子が聞く。
それは正直、五分五分だと思っている。それに昨日の人影が『黄泉の門』と関係があるのかもわからない。
それはそのまま、ここでこうしていることが意味のある行動であるのか、その確率だ。
単純計算で25パーセント。
俺は、正しい選択をしているだろうか。俺の選択如何でこの村は・・・
「ちょっと荒川君?大丈夫ですか?」
いつの間にか横に並んでいた一ノ瀬が、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
「なんだかこわい顔してましたよ・・・」
そして、一ノ瀬は怯えているようだった。そうだ、頼みの綱の俺が弱気でどうする。
「・・・すまん、一ノ瀬。なんでもない・・・」
そうだ、昨日の声は・・・空耳かもしれないじゃないか。きっと・・・
「美々子。どうだ?」
「もうすぐ昨日の病室ですが・・・今のところ何も感じられないですね」
キョロキョロ、と周りを見渡しながら慎重に進む。
だが、もし今日もこの病院にいるとするなら、こんなにすんなりとここまで進入を許すだろうか。
俺の胸に不安がよぎる。もし、他の場所に移動してしまっていたら。
そして、ついに病室に着く。見た目は何も変化はない。果たして中には・・・
「では、開けます」
美々子は扉の前でしばらく中の様子を探った後、俺たちに確認するように言う。
俺はただ頷き肯定の意を表すのと同時に、一ノ瀬に札を準備させる。
戦闘、開始だ。
美々子がドアノブを捻るのと同時に、中に踏み込む。一ノ瀬も一歩遅れて後に続く。しかし、
「・・・いない、か」
病室は、ただの病室だった。もちろん強大な『気』を持つ人影なんていない。
「うーん、逃げられましたかねぇ」
「かも、しれないですね」
がっかりした様子の美々子に対して、ほっ、とした様子の一ノ瀬。俺はといえば、どちらかといえばほっ、としていた。
・・・よかった。いなくて。
いたら、やはり戦闘になっていただろう。そうなれば、あの人影に攻撃しなければならない。あの人影はもしかしたら・・・
「汝らは、何者だ」
!! そのとき、声。
「誰だ!?どこにいる!?」
「貴弘さん、廊下です!」
慌てて廊下に飛び出す。そして廊下の奥、昨日俺が人影を追っていった角に。
昨日の人影が、立っていた。その表情は逆光でわからない。
「・・・わく・・・ん・・・げて・・・あ・・・ら・・・」
その人影はブツブツ、と何か呟いている。なんだ?なんと言っている?
「貴弘さん、下がって」
その隙に美々子が前に出る。一ノ瀬も後ろについたようだ。
「・・・らかわ・・・くんに・・・げては・・・やくあ・・・」
なんだ?なんと言っている?俺は耳を澄ませる。すると、
―――荒川君、逃げて、早く。
はっきり聞こえた。同時に背骨にぞわ、と悪寒を感じる。
「御珠上、命!!」
叫んだ瞬間、俺の目の前で閃光が瞬く。一瞬で距離を詰めてきた人影の斬撃を、命が防いだ光だ。
そして、その場にいる全員が、その顔を確認した。
人影は反動を使い後退する。その顔が月明かりの元、晒された。
「・・・嘘だろ。・・・瀬田・・・!!」
それは、瀬田あつみの顔をしていた。
「はあ、あなたたちは、妾と知り合いですか」
瀬田は俺たちを興味深げに観察する。
「あつみ?私よ、砌よ?いやだな、冗談はやめてよ」
「やめろ。今のあれは瀬田の人格じゃない」
瀬田に近づこうとする一ノ瀬を手で制する。すると瀬田はクス、と笑った。
「へえ、貴方頭の回転速いのね。そう、妾はこの小娘とは違う」
「・・・鬼」
真名を呼ばれた命は、瀬田を睨みながら告げる。
「え?なにが?」
未だ状況が飲み込めない一ノ瀬。しかし今は説明している暇などない。
「貴様、人鬼か」
「左様。妾は左大臣藤原斉彬が娘、紅姫」
人鬼。人間の身から深い悲しみや憎悪によって鬼になった者は、古くは菅原道真が祖と言われている。その後、立地条件から建築物の配置にまで、最も呪術を反映した平安京で急激にその数を伸ばす。そして何を隠そう、当時跋扈していた魑魅魍魎どもと共に、力をつけ出した人鬼に対抗するために生まれたのが、陰陽道の中でも「荒川流」と呼ばれる破邪の術式計百十四式である。
つまり、荒川家はこうした人間から鬼になった者、またはその霊を専門に繁栄してきたと言える。
「自分を裏切った主上を呪い殺し、我が15代当主を喰い殺してもまだ足りないのか」
そういう理由から、この人鬼「紅姫」についても、話には聞いていた。
「もう理由なんて忘れたわ。妾は、妾がしたいことをするだけ」
瀬田の顔をした紅姫は、人を見下したような目で、悠然と構えている。
「ねえ、あれは・・・あの人はあつみじゃないの?」
一ノ瀬はじ、と瀬田を見つめたまま、信じられない、という顔をしている。無理もない。
「・・・体は、おそらく瀬田のものだろう。実体なのかは釈然としないが・・・今表に出ている人格は、未だこの世に未練を残す人喰い鬼だ」
「人喰い、とはひどいわね。私はただ食事をしているだけよ。その対象がただ人の形をしているだけ」
瀬田の顔は笑っているが、紅姫の目は怪しく光っている。
「貴弘さん、もう我慢できません」
その瞳に確かな怒りと憎しみを湛えた命が、体を震わせている。
「待て、まだ紅姫を瀬田から引き剥がす方法が・・・」
「そうね、私たちに共存はありえない。こうやって話していること自体、無駄な行為と言えなくもないわね。わかってるじゃない、その使い魔」
「やめろ!命!」
瞬時に隠していた爪を引き出し、紅姫に飛びかかろうとする命。それを言霊で制する。
「ぐっ!・・・しかし貴弘さん!」
「なんだ、来ないの?つまらないわね」
紅姫は口を尖らせ、不満げな顔をする。
「そっちから来ないんじゃ・・・」
そしてその口を、ニヤリ、と大きく裂いた。
「こっちから行くわ」
その体が、消える。
「貴弘さん!!危ない!!」
叫ぶと同時に左前方でキィィン、という甲高い音が。
「くそっ!我が名、貴弘の名において律する!!御珠上 命!!奴を・・・」
奴を・・・?どうするのだ?
「命さん!!」
紅姫の斬撃に押し負けた命が廊下の壁に叩きつけられる。
「・・・奴を・・・捕らえろ!!」
むくり、と体を起こした命は、頭上に振り下ろされた第二撃を、右に跳んでかわす。
「ほら、どうしたの?そんな命令じゃあ、言霊の力が弱すぎるんじゃあないの?」
紅姫は命を追って斬撃を繰り返す。その手に持っているのは・・・小刀か?
確かに言霊の力は、その言葉の強さに比例する。要するに言われたらショックな言葉ほど強いということだ。特に生死に関する言葉は言霊の力が群を抜いて強い。
俺がいつも命を律するときに「切り裂け」などの強烈な言葉を使うのはこのためだ。
「命!!なんとか瀬田の体を傷つけずに、紅姫だけを瀬田の体から引きずり出せ!!」
「し、しかし一体どうやって・・・」
ただでさえあまり言霊の力を得られていない命は、紅姫の連続攻撃に対し成す術がない。
「やめて・・・!!やめてあつみ!!」
まだ炎の術式しか使えない一ノ瀬も、命と紅姫が接近戦をしている現状では、成す術がない。そして、なにより、
体は、瀬田のものなのだ。
「くそっ!!一体どうすれば・・・」
「ははは!ほらほらどうしたの?」
ひたすら斬撃を繰り返す紅姫。それは単純な直線の往復だが、敵の体が瀬田である上に、力の足りない命は徐々に追い詰められてしまう。
「きゃっ・・・!!」
そしてついに、斬撃の反動を殺しきれず、窓のガラスに叩きつけられてしまう。
「命!!」
外の暗闇に消えた命からの返事は、無い。
「・・・つまらないわね」
しばし暗闇を見つめていた紅姫は、命が戦闘不能になったと判断すると、次は俺に照準を合わせる。
「本当に、つまらないわね」
一気に距離を詰め、俺の喉元に小刀を突きつける。
「荒川君!!」
一ノ瀬が咄嗟に身を乗り出す。
「おっと、あなたはじっとしていて」
紅姫は顔だけを動かし、一ノ瀬を睨みつける。
「!?え、か、体が!?」
霊的耐性がまだ充分身についていない一ノ瀬は、あっさり紅姫の呪いにかかってしまう。
「さて、あなたはどうするの?」
顔をゆっくりと俺に向きなおす紅姫。その瞳には明らかに瀬田とは違う光が宿っている。そしてその頬には・・・眼球・・・か?
「・・・そこまでこの体が大切?」
俺がなんら抵抗をする様子を見せないでいると、痺れをきらしたのか、紅姫がゆっくりと小刀の切っ先を移動させながら、言った。
「だったら・・・こうしてあげる」
紅姫は小刀を逆手に持ち直し、自分の左手、つまり瀬田の左手に突き立てる。
「やめろ!!」
「ははは!あなたがぐずぐずしているから、大事な大事な体が傷ついちゃったわよ?」
紅姫は楽しそうに目を細める。事実、楽しんでいるのだろう。しかし、その瞳からは・・・涙?
心底楽しそうに笑う瞳から一筋の涙が流れ落ちていた。
・・・もしかしたら、まだ瀬田の意識が残っているのか?
「瀬田!!目を覚ませ!!瀬田!!」
瀬田の意識を呼び覚まそうと、名前を叫び始める。
「瀬田!!頼む、瀬田ぁ!!」
「・・・興ざめだわ。まったく」
紅姫は腕から小刀を引き抜くと、俺の左腕に突き刺した。
「ぐ・・・瀬田、瀬田!!」
焼けるような痛みが走るが、かまわずに叫び続ける。
「次は・・・ここかしら?」
続いて右腕、左足。しかし、それでも俺はかまわずに叫び続ける。
「瀬田!!目を、覚ましてくれ・・・!!瀬田!!」
すると、あきれた、と呟き、紅姫が攻撃の手を止める。
「何言ったって無駄よ。いい加減あきらめたら?」
「はあ、はあ・・・なんでそんなことがわかるんだよ」
「なぜって・・・妾と一体になることは、この小娘が望んだことだからよ」
当然のことを言うように、紅姫は言った。
「そんなこと・・・あるわけないだろう。なにより理由が無い」
「あるわよ。この子もう死んでいるもの」
・・・な、に?
「だから。この小娘は三日前の夜、急激なショックによって、死んでいるの」
「二日前の・・・夜?」
それは俺が瀬田とはじめて会った日の・・・夜ってことか?
「そう。その日を境に、今まで生きることをあきらめかけていたこの子が、急に生に固執し始めた。心拍数は跳ね上がり、代謝も増加し始めた。でも、そのことは今まで死に向かっていた体にとっては、急激なショックでしかなかったみたいね。次の瞬間、この娘は死んだ。生きようとして死んだなんて、皮肉ではあるわね」
紅姫はくすくす、と笑う。俺はいまだ事実が理解できない。いや、認めることができない。
「まあ、この小娘の病気の原因である、妾たちが言えた義理じゃあないけどね。その時、今までこの小娘の中に潜んでいた鬼を通して、語りかけたの。「あなたを生き永らえさせてあげる」ってね。生に固執し始めた小娘はもちろん私の話に乗ったわ。妾が人を生き返す秘術を提供するかわりに、小娘はその体を差し出す、という取引にね」
瀬田は生まれつき体が弱いと言っていた。今の紅姫の話からすると、瀬田は何らかの理由で生まれつき体の中に鬼を宿していた、ということだろうか?
鬼が人の体内に侵入すること自体、まずありえることではない。そして『悪性の気』の塊である『鬼』が体内に存在するということは、それだけで人体にかなりの悪影響を及ぼす。
つまり今紅姫が言った話は、瀬田が死んでしまった『原因』が、瀬田を生き帰させる『救世主』になる、ということだ。
「そんな胡散臭い取引、信じられるわけないだろ」
「でも小娘は応じた。そこまで強く「生きたい」と願っていたのね。それに事実妾は二日間この小娘を生かした。それはあなたが一番理解しているでしょう?もちろん、それ相応の報酬は貰ったけどね」
相応の、報酬・・・?
「一日生きるごとに、人間一人」
―――最悪の、事実だ。本当に、最悪だ。
「この小娘は「生きよう」とする意思が強かったから、前に使った男よりも長く持った方ね。おかげで充分な『気』が回復できたわ」
紅姫は唇に指を当て、朱をひくようにゆっくりと移動させる。いままで飲んだ生き血の味を思い出しているようだ。
「そこまでして何をしたかったのか、妾には関係のないこと。でも、さすがにそのためだけに関係のない人を喰い殺し続けることは、小娘にとってはかなりの負担だったようね。今夜になってついに完全に妾に支配されたわ。妾としてはそれが狙いだったから、そうでないと都合が悪いのだけど」
そして「お話はここでおしまい」と言った。
「もうすぐ死ぬ人間に話したって時間の無駄だものね。早めにあなたを殺して、ゆっくり味わうことにするわ。人一人食べ尽くすのって、意外と時間がかかるのよ」
再び左手で俺の肩を押さえ、右手のナイフを高く掲げる紅姫。
「なにか言い残すことはある?特別に聞き届けてあげるわ」
そのとき、俺は傷口からの出血と、信じられない事実のショックによってほとんど頭が働いていない状態だった。しかし、そんな状態でも言わなくてはならないことが一つだけある。
「せ・・・だ。瀬田・・・そんな、鬼に負ける・・・な」
ぴくり、と紅姫の顔が引きつる。
「・・・そう。じゃあ、さようなら」
小刀が、真っ直ぐ俺の左胸目がけて、振り下ろされる。
「あつみ!!」
最後の気力を振り絞り、叫ぶ。
その瞬間、紅姫の瞳が見開かれた。そして、小刀は肘を中心にし、勢いをとどめることなく円弧を描いた。
「・・・ぐふっ・・・な、なぜ・・・!!」
小刀が瀬田の腹に突き立っている。そこからはドクドク、と鮮血が溢れていた。
紅姫の動きが、止まった。
「・・・今だ!」
俺は右手に忍ばせていた札を全力で振り抜き、瀬田の頬に取り付いている眼球を切り裂く。
「き、貴様・・・!!よくも・・・」
瀬田の頬に寄生していた低級の鬼が溶解し、瀬田の瞳から怒りと殺気が消えていく。
・・・初めに気づくべきだったのだ。
人間から鬼になっていたとはいえ、紅姫は平安時代の人間、つまり既に『霊』になっているのだ。その紅姫が死亡した瀬田の体、つまり『死体』に直接憑依することは不可能だ。
そこで紅姫は、生まれつき瀬田の体内に潜伏していた『低級の鬼』を媒介として、瀬田の体に憑依し、同時にその鬼を使い瀬田の肉体を管理、活動させていたのだ。
この橋渡し役の『低級の鬼』を倒せば、紅姫と瀬田の繋がりは断たれ、瀬田は紅姫から解放される。
「この娘・・・を・・・殺すと、言うのか・・・」
しかし、それは同時に、瀬田は生を保つことができなくなるということ。それはつまり、
瀬田の死を意味していた。
瀬田の瞳から完全に紅姫の光が消えた。
「瀬田・・・、すまない、すまない・・・!」
俺は、俺の上に覆いかぶさるように倒れる瀬田に、謝る。
「・・・なんで荒川君が謝るの?」
ゆっくりと顔を上げる瀬田の口元は、血で真っ赤だった。
「これは私のわがままが・・・招いたことなんだもの。むしろ荒川君が・・・がんばってくれたおかげで・・・私はこれ以上関係の・・・ない人たちを、犠牲にしなくて・・・すむ・・・」
「わかったから・・・!!わかったから黙ってくれ!!」
瀬田の息は荒い。その息は、紅く染まっているように見えた。
「私が・・なんで・・・死んでしまっても、・・・たとえ・・・鬼に魂を売っても、・・・・・・生きようと・・・した・・・か、聞きた・・・い?」
瀬田はいたずらっぽく口で笑みを作る。しかしその瞳には涙が溢れ、既に焦点はずれていた。もう見えていないのもしれない。
「・・・ただ、私の想いを伝えたかった・・・一目見てわかった・・・私の・・・大切な人に・・・」
「瀬田・・・!!お願いだ!!もう・・・やめてくれ・・・」
「・・・私の、わがまま、また・・・聞いてくれる?」
瀬田の傷口を手で押さえるが、次々に溢れる鮮血を留めることは不可能だった。
――――・・・貴弘・・・くん・・・って・・・呼んで・・・いい・・・?――――
「ああ・・・もちろんだ・・・もちろん・・・」
瀬田はもう顔の表情すら動かせないのか、瞳だけで笑った。
「・・・さ・・・最後に・・・あ・・・つみって・・・よん・・・でくれ、て・・・うれし・・・かっ・・た・・・」
「これからいくらでも呼んでやるよ!だから・・・だから・・・最後なんて・・・言うな・・・」
強く瀬田の体を抱きしめる。
「あつみ!あつみ!あつ・・・み・・・!!」
瀬田の瞳にはもう、光は無い。
「あつ・・・み・・・あつみ―――!!!」
瀬田から返事が返ってくることはもう、無い・・・