7-1-7 神器の記憶
小桜は新たに鍛え直された小太刀──千早宗近を携え、再び須佐神社を訪れた。社の境内は相変わらず厳かな空気に包まれ、木々のざわめきさえ、心なしか二人を迎えているように聞こえる。
「よし……」
小桜は一度深く息を吸い、刀を奉納台へそっと置いた。
その瞬間、境内の空気が震えた。
木々が一斉にざわめき、どこからともなく風が吹き抜ける。拝殿の奥に掛けられた古びた注連縄が、ギシギシと音を立てて揺れた。
「……何?」
小桜が身構えた、そのときだった。
足元から、じわりと冷気が這い上がってくる。
「八雲立つ~、風の行方を~、問うもまた~」
どこか上機嫌な、かすれた歌声が耳元に響いた。
智絵里がびくりと肩を震わせ、慌てて周囲を見回す。しかし、人の姿はどこにもない。
「どこ? 誰かいるの?」
「……上だ」
グラビティウムが静かに告げた。
二人が見上げると、神社の拝殿の屋根に、いつの間にか一人の男が座り込んでいた。
髪も髭も伸ばし放題の、どこか野放図な雰囲気を漂わせた初老の男だった。ぼさぼさの髪が風に揺れ、垂れた髭が顔の半分を覆っている。右手には瓢箪を握り、男は何事もなかったかのように、くいっと酒を飲んでいた。
「ぐぅ……ふぅ……。なんだ、またお前らか」
「スサノオノミコト様!」
男は眠たげな目を小桜へ向け、片手を上げると大きくあくびをした。
「で、その剣は? もしや……草薙の剣か? これはまた、随分と洒落た装いになったもんだな!」
豪快に笑いながら、スサノオは屋根から軽々と飛び降りた。地面に降り立つと、千早宗近を手に取り、しげしげと眺める。
「神の刀として鍛え直してもらいました。銘は千早宗近です」
「ふふ……相変わらず、人間は面白いことをするのう。まるで新しい命を得たかのようだ。悪くない」
スサノオは刀身を眺めたまま、満足そうに鼻を鳴らした。
「それで、あなた様にお願いがございます」
小桜は一歩前に出た。
草薙の剣を打ち直したことで、形は取り戻した。しかし、かつて神器として振るわれていた力の多くは、まだ失われたままだった。その力を取り戻すために、ここまで来たのだ。
「この刀に、草薙の剣の記憶を蘇らせることはできませんか?」
真剣な眼差しで尋ねると、スサノオは刀身を見つめたまま、しばらく黙っていた。
やがて、静かに頷く。
「ふむ……確かに、神器としての記憶を呼び覚ませば、元の力を取り戻すことはできるだろう」
小桜の胸に、わずかな希望が灯った。
しかし、スサノオは続けた。
「だがな。草薙の剣を手にし、振るったのは俺ではない」
「え?」
「俺が見つけたものではあるが、使い手は別にいる──ヤマトタケルだ」
その名に、小桜も智絵里も息を呑んだ。
「じゃあ、ヤマトタケル様のもとへ行けば……」
「そう簡単な話ではない」
スサノオは苦笑しながら、刀を小桜へ返した。
「俺にも、あいつの居場所はわからん。なにせ、白鳥になって全国を飛び回っているからな」
「白鳥……」
智絵里が肩を落とした。
「そんなの、どうやって見つければ……」
すると、グラビティウムが淡々と口を挟んだ。
「伝承によれば、ヤマトタケルは滋賀県の伊吹山で荒ぶる神と戦い、敗れたとされている」
スサノオはその言葉に興味を示し、目を細めた。
「ほう……。ならば、刀を持って因縁の地に赴けば、あるいは何かが起こるかもしれんな」
小桜は刀を握り直した。
「伊吹山……行ってみます」
「そうか」
スサノオは満足そうに笑った。
「いいだろう。せいぜい、気をつけるんだな」
二人はスサノオに一礼し、伊吹山へ向かうため、須佐神社の鳥居へ向かった。
そのときだった。
「おい、待て」
低く響く声に振り返ると、スサノオが後ろから歩いてきていた。酒のせいか、先ほどよりも頬が少し赤い。
「草薙の剣を助けてくれた礼だ」
そう言って、彼は千早宗近の刀身を指差した。
次の瞬間、刀身から淡い光が広がった。
小桜が目を見張る間に、光は刀を包み込み、やがて漆黒の鞘を形作った。銀の金具には八雲の文様が浮かび、柄には深緑の糸が巻かれている。鍔には、風を思わせる細やかな意匠まで刻まれていた。
「これで、見た目だけは神刀らしくなったな」
スサノオは満足げに笑った。
小桜は刀を手に取る。新たな鞘と柄は、不思議なほど手に馴染んだ。
「ありがとうございます、スサノオノミコト様」
スサノオは無造作に手を振り、再び瓢箪を傾けた。
「さあ、行け。白鳥は気まぐれなものだ。追える時に追わねばな」
小桜と智絵里は深く一礼し、鳥居をくぐっていった。
二人の姿が木々の向こうへ消えると、スサノオはゆっくりと空を仰いだ。
「八雲立つ 風の行方を 問うもまた──」
その口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「影の如くに 消ゆる白鳥」
呟いた言葉は、風に紛れて消えていった。
やがて、そこに立っていたはずのスサノオの姿も、木々のざわめきに溶けるように見えなくなっていた。
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