22 レディ・ベアトリクス・カーライル
クレイトンからステラを運んだ時と同じくらいの時間をかけて、ウォーレス伯爵夫妻は王都へ到着した。いよいよ間近になった建国祭を控え、普段は地方にいる領主達をはじめ、国内外からの観光客も一斉に集まっていることもあり、王都はさらに活気付いている。
ウォーレス伯爵家の王都の別邸は貴族たちが居を構える一画にある。
ステラが生まれ育ったクレイトン家の領地は王都に近いので、都自体は初めてではない。しかし高位貴族の自邸に赴く機会などなく、こういった地区に足を踏み入れるのは初めてだ。祖母の形見の宝石を公爵夫人に譲った時も、実際には祖父が応対してくれたのでこちらに来たことはなかったのだ。
伯爵邸は領地のそれに比べればかなり小さいが、王都の中にあっては平均的な大きさだ。しかしそれでいて、落ち着いた品の良さを感じさせる堅牢な建物だった。
「……旦那様。残念です」
「私はほっとしている」
レディ・ベアトリクスが今も公爵夫人の所に行って不在だと聞かされて、ようやくお会いできると意気込んでいたステラは出鼻をくじかれた。反対にネイサンとアランは見るからに安堵の息を吐いている。
何やら先方でどうしても外せない準備の最中だそうで、手が空かないからこちらから出向いてほしいと伝言が残されていた。
「顔を見せたらすぐ帰るぞ」
「旦那様、そんな訳には」
そんなことを言いながら、軽く緊張しつつ公爵邸を訪ねることになる。
ふんだんに花が飾られ、磨き上げられた美しい家具調度に囲まれた応接間。にこやかに出迎えてくれた公爵夫人はステラに娘にするような抱擁をくれ、ネイサンには大きくなったと子どもにするように頭を撫でた。
優雅なソファーで完璧なお茶を振舞われくつろいでいると、ミスター・ノックスがレディ・ベアトリクスを案内して応接間に入ってくる。
「随分と来るのが遅かったですこと。全く、年寄りを待たすものじゃありませんよ」
独り言にしては大きく呟きながら、カツカツと杖の音を響かせて近づいて来る彼女を迎えるために立ち上がったステラは、そのまま言葉を失くした。
眉間にシワを寄せたネイサンが、自然な動作でその背中にステラを庇う。
「お祖母様、ご挨拶ですね」
「貴方からはどうなのです、ネイサン」
「――ご無沙汰しております。こちらが私の妻のステラで……」
祖母の口撃から守ろうとしてくれていたネイサンが、少しだけ体をずらしてステラの顔を見えるようにする。その背中をそっと押して脇に出たステラは、そのまま駆け出してレディ・ベアトリクスに抱きついた。
勢いに押されてよろけた背中をミスター・ノックスがさりげなくフォローする。
「なんですか、行儀の悪い娘だこと」
「ええ、ええ、そうですわ。お会いしたかったです、ミセス・フロスト!」
「は!?」
予想しなかった展開に驚いたまま固まるネイサンと、その光景を満足そうに眺めて紅茶のカップを優雅に傾ける公爵夫人。口ではあれこれ言いながら非常に嬉しそうなレディ・ベアトリクスと、その首元に抱きついて離れないステラ。
同行したアランもケリーも目を丸くして立ち尽くしている。昼下がりの公爵邸はまるで芝居の一場面のようだった。
「その目で見ても分からないなんて、情けない。嫁をもらって少しは成長したかと期待したのに」
まだ涙ぐむステラを隣に座らせて頭を撫でながら、ちらりと孫息子に目線をやる。
説明を求めるなり嘆かれたネイサンは苦い顔で黙り込む。後を引き取ったのはアランだった。
「あの、ですね。レディはウォーレス伯の大奥様だってことは隠してずっと『ミセス・フロスト』としてクレイトン家と懇意にしていた、ということですか?」
「隠していたなどと言われるのは心外ですね。改めて言う必要がなかっただけのこと。それに当然ジェームズは知っていましたし、第一、ミセス・フロストというのはこのステラがつけた名前ですよ」
覚えのないことを言われてステラが首をひねる。聞くと、レディ・ベアトリクスの真っ白な髪を見て『霜のようだ』と喜んだらしい。自分もそうなりたい、と言って祖父を困らせたとも。そしてそのまま呼び名が定着したのだった。
「覚えていませんわ」
「小さかったですからね、そんなものでしょうとも」
「どうりで探っても出てこないわけだ……」
遠くを見て呟くアランを勉強が足りないと一蹴して、この結婚の経緯を話す。
「ステラとネイサンを、というのは急に出た話ではなかったのです。ただ、どちらも両親が突然亡くなりましたしね」
「私はずっと『お前には婿を取る』とお祖父様が」
「ええ、ジェームズが貴女を手放したがらなくて、本当にそうなるところでした。こっちはこっちで勝手に婚約するし、またそれがとんでもない相手でしたし」
後ろに控えているはずのケリーが大きく頷くのが分かってしまうのがなんとも言えない。ネイサンの眉間は深く刻まれたままだ。
「では、勝手にこの婚姻を結んだのは?」
「事前に結婚の話などしたら、相手が誰であれ貴方が頷くわけがありません。違いますか?」
「……お祖母様の彼女に対する最初の仰り様は、随分なものでしたが」
「『私が目を掛けている娘』などと言ったら、伯爵家の敷地だって跨がせなかったでしょうに」
ぐ、と言葉に詰まるネイサンの脇では、アランがニヤニヤしながら頷いている。クレイトン卿の遺言の件はどうだとネイサンは食い下がった。
「ジェームズが亡くなったちょうど一年後の日を期限に、貴方たちが正真正銘の夫婦になるか、離婚するかどちらかがはっきりしたら、遺された最後の一通が開封されることになっていました。このことを知っているのはジェームズと私と、事務方のボイド親子のみ。
何も言わず形から入らせたのは――まあ、私から言わせれば、愛しい孫娘を置いて逝く年寄りの最後の足掻きですよ。自力で惚れさせてみろ、とのね」
「お祖父様ってば」
「結婚の継続か、離婚か。それが決まるまでは私も会ってはいけないと、ジェームズに約束させられました。先入観の無い中でお互いを知るようにと」
婿を取るにも気にいる相手が見つからず、病床でようやくネイサンに妻合わせる事が一番だと気付いたが、そのまま渡すには些か不満だったらしい。
若くして重要な機密を扱う伯爵家を継いだ友人の孫。能力的には十分に認めているが、その姿勢が心配でもあった。
周りとの関わりを断ち、自分にできる成果を最速で出すことのみに邁進する。まるで伯爵家も一緒に終わらせようと生き急いでいる姿が、かつての自分と重なった。
守るべき誰かが――しなやかな強さを持つ孫娘が側にいれば、変わるのではないかとも。自分が妻に会って変わったように。
疎遠だった甥にくれぐれも他言無用と言い含め、領地を継がせることにした。経験不足ゆえ手腕は拙いだろうが、機会を得られずにいただけで公に働く能力と気概はあるし、敏腕の事務方と残した人脈で上手くやれるだろうと算段したのだった。
「そうでしたか……叔父様も驚いたことでしょうね」
「降って湧いた話ですからね。私も時々顔を出しますが、まあ、何とかやっているようですよ……何ですか、ステラ。そんなに人のことを見て」
離れたとはいえ、クレイトンは大事な故郷だ。叔父の評判は悪くないと聞いてステラは安堵した。
ミセス・フロスト……レディ・ベアトリクスと向き合う。
「私、これからは『おばあさま』ってお呼びできるのですね」
「孫娘から他の呼び方など許しませんよ」
はい、と笑顔で頷くステラに満足そうにするレディ・ベアトリクス。それをしげしげと見つめるネイサン。
「……貴方まで何ですか、ネイサン。言いたいことがあるなら口に出して言いなさい」
「いえ。同じように言われているはずなのに、何故こうも印象が違うのかと」
「心根の差でしょうね」
「まあ、おばあさま。旦那様はとてもお優しくていらっしゃいます。おばあさまと同じですね」
同じ顔で言葉に詰まる二人を前に、にこにこと幸せそうにお茶を飲むステラ。アランはそっとケリーの側に行き耳打ちをする。
「あれっていつも?」
「ステラ様ですので」
「ネイサン、勝てそうにないな……」
「勝ち負けではないでしょう」
かつてのクレイトンでのお茶会も似たような感じだった。
ぽんぽんと言葉の応酬をする当主と客人。そして最終的に柔らかな爆弾を落としていく孫娘。
「本当に、貴女って人は。そんなところまで祖母にそっくりなのだから……」
親友を想って白髪の貴婦人が呟くところまで。懐かしくも温かい光景にケリーは目を細めた。
しばらくはそうして、公爵夫人も交えて歓談していたが、二杯目のお茶が空いたところでステラはふと思い出した。
「ところで、何かお支度の途中とか。お手伝いできることはありますか?」
「ええ、それですよ。なんですか、いつまでもそんな辛気臭い服ばかり着て。ウォーレスの新しい奥方がその恰好では私の顔も立ちません。第一、ジェームズも嘆きますよ」
さすがに喪服は着なくなったが、まだアクセサリーも着けず、服の色味も抑えたものばかり選んでいた。ネイサンも黒服ばかりなので、似合いといえば似合いだが、確かに華やかさには欠ける。
「そうでしょうか。でも、私、」
「あの人は貴女が身綺麗にしているのを殊の外喜びましたからね。ネイサンも甲斐性なしと言われたくなければ、妻に服の一枚も贈りなさい」
「え、あの、たくさん、たくさんクローゼットに」
「それはそれ、これはこれです」
そう言って連れていかれた別室では、色とりどりの服と布地と宝飾品がこれでもかと並べられていた。
そこで新しい祖母と公爵夫人の手によって、ステラはしばらく着せ替え人形になったのだった。




