ナファフィステア視点◆出産◆
最初は気のせいかと思っていたけど、痛みが強くなり、さすがにこれはと侍女リリアに伝えた。「陣痛が来たかも」と。
医師からはいつ出産してもおかしくない状況だと告げられていたので女官達の動きは素早い。女官達はテーブルや椅子を移動させ湯を沸かし白いシーツなどを準備する。とはいえ王妃付き女官達には出産経験者はおらず緊張感がいやが上にも高まっていく。
すぐに女医二人と助手三人が駆けつけ、騎士達は部屋から追い出された。
その頃には私は気分的にも全然余裕がなくなってきていた。痛みが強くなる。これからもっと強くなるらしい。
テーブルに並ぶ医療用具は少なくて、点滴なんてないし、輸血も当然ない。心拍数とかを測る医療機械も何もなくて、不安が押し寄せてくる。
今からでも首切って日本に強制送還された方がお腹の子は無事に産まれるんじゃないだろうか。そんなことを考え、医療用ナイフから目がはなせない私に、いつも診てくれている女医さんが小声で話しかけてきた。
「すべて順調です、王妃様」
「そう」
「私達はみな故宰相トルーセンスにより選ばれた者です。王妃様、故宰相と交わされた約束を覚えてらっしゃいますか?」
故宰相との約束。それは、もしものときは私ではなく子供の命を優先すること。故宰相トルーセンスと最後に会った時、前王妃の手紙と引き換えに交わした約束。宰相トルーセンスはすでに亡くなったけれど、王宮内に彼の意志を継ぐ人はちゃんと残してくれていたらしい。さすがは故宰相。
「覚えて、いるわ」
「今もその約束をお望みですか?」
「ええ」
「承知いたしました。必ず王妃様のお望み通りに……もちろん、もしもの場合ですが」
女医さんはしっかりと私の目を見て微笑んだ。もう一人の女医さんも助手の人達にも覚悟と笑みがあった。侍女リリアも、他の女官達も事情は知っているのだろう。余計なことは口にしなくてもその目が語っていた。心配ありませんと私を励ますように。
この場に陛下付き医師や王宮医長がいないのは私の望みをかなえるために謀られたことなのだ。その責任は誰かに課せられるに違いない。ここにいる誰かか、大なり小なり全員に降りかかるのか。それを知らぬふりをしてここにいる彼女達は、みな並々ならぬ覚悟でここにいる。
私は女医さんに言葉を返した。
「お願いね」
彼女達を巻き込んでいるとわかっていても、我が子を最優先する私はひどい人間だと思いながら。断続的に痛みがきて、出産が近いことを感じていた。決断しなければならない。
ここで産むのか、死んで日本へ帰るのか。
女医さんは王宮にきてからずっと私を診てくれていて私の健康状態はよくわかっている。それに、ここにいるのはあの故宰相トルーセンスが王族誕生のために選んだ人達だ。覚悟を決めてここにいる。最高の人材と出産環境に違いなく、日本の馴染みのない病院へ私が瀕死状態で運び込まれるよりはマシではないのか。
私は日本への未練を断ち切った。この国で、産もう。
覚悟を決めたが、それはそれこれはこれとばかりに私はさんざん悪態を吐き呻くこと十数時間の後。
「王子様ご誕生です。おめでとうございます、王妃様」
「おめでとうございます、王妃様」
女医さんはぐったりしている私の胸に我が子を抱かせてくれた。我が子は赤くて、思ったほどには小さくない。しかし、立派に泣いて動いている指や手足はやはり小さくて。金色の毛にすっとした鼻筋がどこか陛下に似てるような気がした。
難しい顔をして胸を探るように小さな手足を懸命に動かしている姿はぎこちなく頑張っていて、何とも言葉にならない。ただただありがとうとの感慨と、痛みと疲労に浸っていたのだけれど。その喜びと安堵の満ちた室内は無粋な侵入者によって打ち壊された。戸口から険しい顔をした王宮医数名が入ってきたのである。
「王妃様、王子様ご誕生おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「ありがとう。何故、貴方達がここに?」
私はさも迷惑そうに彼等に尋ねた。貴方達を呼んではいないのだと邪魔なのだと態度で示すために。疲労困憊しているから態度には相当現れているはず。
しかし、王宮医達は自分の主張をはじめた。
「我々は王宮医として王妃様の出産には万全の体制で臨む予定でありました。ですが、そこの医師らの独断で扉を封鎖するなどという暴挙に出たため私どもは外で待機するしかなく」
「それは彼女の独断ではなく私の指示です。彼女は私が信頼する私の主治医。貴方達他の王宮医も信頼できる医師であることは私もわかっていますが、やはりいつも診ている彼女以外だと落ち着かないので中には誰も入れないようにしてもらったのです。出産に向け、私も気が立っていたので」
私の判断に何か問題でも?というように彼等に言葉を返した。
いつも私を診てくれている女医さんは、おそらく王宮医の中ではあまり地位が高くないのだろう。彼女は地方神殿の出だと聞いた事があるので、出自的に王宮内での地位は低いに違いない。
そんな彼女に後ろ盾のない出自の怪しげな妃を押し付けていたのだろうに、私が妊娠して王妃になった途端、私の担当の医師を彼女から別の医師にかえられかけたことがあった。もちろん、私は受け入れはしなかったが。
そんな経緯があり彼等を私が快く思うはずもない。故宰相の人選はそんな事情を知っていたためなのか、それとも神殿出から王宮医にまでなったその類稀な医術の腕を見込んでのことなのか。
「そ……そうでございましたか、王妃様。ですが、」
私の言葉に引かず、王宮医達はじわじわと近づいてくる。嫌な感じ。
私は眉をひそめて侍女リリアを見やると、リリアは王宮医達の前に立ちはだかった。
彼等は当然のように憤りを表に出しリリアを睨め付けるが、リリアはそんなことくらいでは動じない。リリアの横に女官も並び、私との間に壁をつくる。あからさまに、これ以上先へは行かせない、と。
王宮医もさすがに女官達に乱暴な真似はせず、そこから私に話しかけてきた。
「王妃様、王子様ご誕生とのこと、我々は殿下の様子を確認し、陛下に報告せねばなりません。すみやかに我々に診断をさせていただきたい」
強い口調でそう言った。
陛下への報告のために、ね。
「今は必要ありません。後で彼女達の報告を訊きなさい」
「私が診断すると不都合なことがあるのですか? 陛下は私の報告を待っておられるのですぞ」
「下がりなさい。彼女達が全てを診てくれています。今、貴方達が診察する必要はありません。もし貴方が自分で診察しなければ陛下に報告できないというのなら、陛下には彼女から報告してもらいましょう。私は疲れているので休みます」
「王妃様っ」
「聞こえませんでしたか? 王妃様はとてもお疲れです。今すぐ退室してください、王宮医長」
食い下がろうとした王宮医達を侍女リリアが遮り、外へと促した。もちろん彼等は従いたくなさそうだったのだが、王妃様はお疲れですと再度繰り返し、リリアと女官達は彼等を強引に引きずり出してしまった。彼女達は、意外に力強いらしい。
それにしても邪魔な人達だった。おかげで疲れと痛みが増えた気がする。
しかし、胸元の我が子は場の空気など知らぬ顔でもにもにしていて、これは大物になると早くも親バカな気分だった。
「王妃様……陛下への報告でございますが……」
「あぁ、元気な男の子が産まれたと報告するのよね? 他に何か必要なことがある?」
「王子様の臀部にある青アザのことを報告しなければなりません」
青アザ?
我が子のお尻を見ると、そこには立派な蒙古斑。別に痛くはないはずだが、色が色だけに痛々しくは見えるかも。なので陛下には説明しておく必要があるのだろう。
「王子様はそのアザに痛みを感じてはおられないようですし、手足も問題なく動いてらっしゃるのですが、今後どのような痛みや症状が現れるかわかりません。王宮医長は乳幼児の病には詳しくないので論外ですが、乳幼児の病に詳しい医師を知っております。すぐ連絡を取りたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
原因不明の病気扱いされている気がする。蒙古斑を、知らない? 蒙古……という単語は紛れもなくアジアンをさしている。ということは、ヨーロッパ系な子供に蒙古斑はないのだろうか。
「この青アザは私の国では『蒙古斑』と呼ばれるもので子供には普通にあるものなんだけど……この国の子供にはないのかしら?」
「『蒙古斑』? 青アザがあるのが普通なのですか?」
「えぇ……」
女医さん達だけでなく助手の方もみんな驚いている。やはりこの国の子供に蒙古斑はないらしい。
私も出産経験があるわけじゃないから詳しくはないけれど、蒙古斑は知っている。子供の間に消える人が多いが、稀にずっと残ることもあるとか。しかし、病気でもなんでもなかったはず。現に我が子は痛がる素振りなど全くなく、元気そう。
「陛下にも心配しないように説明しておいて。『蒙古斑』は私の国の子供には普通にあるもので病気ではないわ。将来この子が大きくなって、この子に子供ができたら、その子にも『蒙古斑』が出るかもしれない。その子に出なくても孫に出るかも。だから、『蒙古斑』について誤解されないよう、後々の王宮医に伝わるように記述を残しておいてくれる?」
「承知いたしました、王妃様。必ず」
そんなこんなで私の部屋は王妃付き騎士達すらもシャットアウトな女の世界と化していた。
私は乳母にアドバイスをもらいながら新米ママとして頑張ろうと思ったところで睡魔に敗北。目が覚めれば王子様王子様、そしてまたバタンと睡魔の繰り返し。
そんなこんなで、いつの間にか夜。
「まだ開かぬのかっ!」
と怒鳴り声にうとうとから覚醒させられた。陛下の声だ。
陛下の存在をすっかり忘れていた。
陛下にも息子の健康状態は届いているはずだけど。陛下にとっても初めての子だから、早く会いたかったのか。
しかし、あの陛下が無理やり入ってこず外で悪態をついてるなんて。産まれる前なら女官達が止めても入ってきていただろうに、どうしたのだろう。
「王妃様、お目覚めでございますか? ただいま陛下がいらっしゃっておりますが、いかがなさいますか?」
侍女リリアが耳元で囁いた。
陛下の次に私だったはずだけど、この部屋の中は完全に私を最優先してくれている。私と私の息子を守っているのだ。中だけでなく外では王妃付き騎士達が守ってくれていて、今この部屋は私の城らしい。
「陛下だけならいいわ」
私の言葉に侍女リリアから女官へと指示が流される。乳母から眠そうな息子を渡され、肌に室内の緊張を感じた。王宮医長達が入ってくるのと、陛下がくるのとではみなの緊張感が全く違うらしい。
女官が開いた扉から陛下はするりと入ってきた。巨大な割に身のこなしがとても滑らかなのには時々驚かされてしまう。
しかし、その顔はとても不機嫌そうだった。外での怒鳴り声もなく黙ったままなのが不気味さをいや増している。
「ナファフィステア」
陛下は大きな両方の手を差し出してきた。息子を渡せというのだろう。全身から不気味な空気を滲ませながら。
首もまだ座ってない赤ん坊の抱き方、わかっているの? 私はおもいっきり不信な目で見返してしまった。
そのため、私のベッドサイドでの沈黙の睨み合いが勃発。
「王妃様」
控え目な囁きは侍女リリアが発したものだった。ふと周りを見れば、リリアだけでなく皆困ったような顔をしている。
見るからに不機嫌な顔をした男性に我が子を預ける気にはならない私の気持ちは、誰にも理解されないらしい。
陛下が国王陛下であり、この子の父親だからなのだろう。しかし、父親だとしてもはじめての我が子を前にしてこんな顔をしてる人に大事な大事な我が子を預けるのは、と葛藤につぐ葛藤を繰り返し。
「陛下、赤ん坊の抱き方を知っているの?」
「知っておる」
「本当に? 大丈夫なんでしょうね?」
「……」
「王妃様」
リリアの再囁きに、私はしぶしぶ息子を陛下の腕に預けた。が、少しでも不安を感じたらすぐに息子を奪い返すべく息子の様子を息を詰めるようにして見つめ探ろうとしたのだが。
その不安というか警戒心は、すぐに霧散した。
腕に抱き上げた子に向ける陛下の表情をベッドから見上げていると、普段は知ることのない微かな変化をも感じることができたから。
陛下の大きな身体に息子はとても小さすぎて、その大きな手には柔らかすぎるようで。陛下は息子を持て余しているように見えた。青い目を細めて、息子を見つめる。その口元は奇妙に引き締まり、不機嫌そうにも笑いをこらえているようにも見える、よくわからない表情を浮かべていた。
もしかして、陛下が緊張している?
息子を見つめる陛下に、私はそう直感した。
「顔は陛下に似ているでしょう?」
「そなたに似ているのではないか?」
「え? どう見ても私には似てないでしょう」
「いいや、似ている」
「絶対に陛下似よ。私には全然似てないわ」
私に似たら残念男子になるから勘弁して欲しい。このまま陛下に似て育てばジェイナスのような美少年になるかもしれず将来は超有望間違いなし。
「余に似ておるか?…………わからぬな」
似てるか似てないかに真剣な顔をする陛下は新鮮だった。陛下に似ているというたびに嬉しそうな顔をしている気がする。陛下のいつもと違う反応に、私の方が狼狽えて落ち着かない。大きな身体が、息をも詰めているような慌てているような、それでいて真面目な顔を保とうとしていて。陛下のつくる空気が静かな興奮となって私へと降ってきた。私がはじめて母になったように、陛下もはじめての父になったのだから、陛下が慌てるのも戸惑うのもおかしくはないけれど。そんな陛下を感じるのは妙にそわそわしてしまう。
「この子の名を決めた。名はヴィルフレドだ」
「ヴィルフレド、ね」
「……」
「何?」
「ヴィルフレドだ」
「ヴィルフレドでしょ?」
「ヴィルフレド、だ」
「だから、ヴィルフレド、でしょ」
「………」
何なの? 何よ、その痛いものを見る目は?
「この子の名は、ヴィルフレド、なんでしょう?」
「ヴィルフレドだ」
「だからヴィルフレドよね?」
「ヴィルフレド、だ」
「わかってるわよ。ヴィルフレドでしょ? ちょっと発音が違うくらい何よ」
「ちょっと? ヴィルフレド、だ。息子の名もまともに発音できなくてどうする!」
「グゥ……ビルフレド、ギルフレド、ヴィウルフレド……」
違う? 違うのね、全然。
陛下だけではなく、侍女リリアも目を見張っていた。
さっきまでの新米ファミリー感はどこへやら。私の味方、私のホームだったはずの室内は、今や完全アウェイな雰囲気である。
私のせいなの? だって仕方ないでしょう?
外国人の私がネイティブな発音できないのは今にはじまったことではない。
だいたい陛下、何だってそんな私が発音しにくい名前を選んだのよ!?
と憤慨するも、息子の名前は陛下だけでなく事務官達が調べに調べたくさんの候補の中から選び抜かれた大事な名前。これから私が何百、何千回と呼ぶだろう名前だ。母の私が正しい発音で呼ばなくてどうするというのも、わからないではない。
「ヴィ、ヴィルフレド」
「…………今日から発音の練習をせよ。ヴィルフレドにおかしな発音を覚えさせるわけにはいかぬ」
ムッとした。陛下の言うことはもっともだけど、今それをそんな言い方しなくてもいいでしょうに。
むっつり返事をせずにいると、陛下はベッドでほぼ横になっている私の胸元に息子をゆっくりとのせ、私の手を息子の背中へ運んだ。そして、私を見下ろし頬に触れる。
「疲れたであろう」
陛下は息子を見ていた時と同じ目で、私を見た。陛下はとても……まっすぐに私を見つめる。その青い瞳は何も語らない。黙ってただ私を見つめるだけ。冷たい色の瞳だけど冷たいわけではなく、暖かいわけでもない。上から見下ろしている割に威圧的でもなく、ただまっすぐな青い瞳。
「ええ、疲れたわ。とても」
「ゆっくり休むがよい」
私の頬を陛下の親指が滑り、離れた。
視線を上げた陛下はいつもの陛下の顔で。
「何かあればすぐに連絡せよ」
そう女官達に告げると、陛下は私に背を向けた。
陛下のために開かれた扉の向こうには陛下付き騎士達がいて、王妃付き騎士達もいて。無表情の陛下がそこにおさまる。それが王宮の日常。
私は胸の我が子の顔を見ながら扉が閉まるのを聞いた。
私は陛下にひどいことをするところだったのかもしれないと思った。もしも私が日本へ帰る選択していれば、陛下から子供と私自身を奪うことになっていたから。
私がいなくなっても新しい妃を迎えればいいと思っていた。私はそれなりに気に入られているけど替えのきく存在で、陛下は国王なのだからそれは当然のことなのだと。でも、そうなれば陛下は傷ついたかもしれない。とても、とても深く。
陛下の表情はさっぱり動かないし口にする言葉も多くはないけれど、だからといって陛下の感情が薄いというわけではない。
さっきの陛下は私を見ていた。王妃だからとかいう理由でははなく、私を、見ていた。あの陛下なら、私がいなくなったら、きっと傷つく。根拠はないけど、私はそう思った。
「陛下って……ほんと、暗いわよね」
「王妃様?」
「顔や頭脳、体型は陛下に似るのがいいけど、性格だけは私に似た方が楽だと思うわよ、ヴィルフレド?」
私は胸の我が子に言ってみたけど、いらぬことだと口に小さな手を突っ込まれてしまった。侍女リリアも私の発言には理解を示してはくれそうにない。
「ヴィルフレドの正しい発音を教えてちょうだい、リリア。次に陛下が来るまでにはマスターしておかないとね」
「はい。ですが、今はお休みください、王妃様」
侍女リリアは囁くように言った。陛下のいる間は抑えていたのだろう心配そうな表情を浮かべて。
私の様子は自分で思う以上にかなりボロボロに見えているらしい。実際、疲れてはいるのだけれど、私を見る皆の表情は悲壮感というか痛々しげで。相当ひどいのかもしれない。
「そうね。しばらく休むわ。この子が起きたら、起こしてちょうだい」
「はい、王妃様」
私は目を閉じた。我が子のためにも、早く回復しなくては。
やっぱり陛下は後回しなのよねと思いながら、意識はすぐに遠のいたのだった。