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 今までにないほど、アランが心の底から謝って、許しを乞うているのがわかるから。

 結局、そんな彼を分かってしまうから。


「もう嫌よ……」

「シズ……?」

「もう二度と、宇宙なんか行かせないわ」

「うん……安心して。もう行かないよ」


 まだ二十代のアランには、さっそく二回目の宇宙飛行を期待する声がメディアを通じて人々の間で高まっているらしい。

 それを受けてもそう言い切るアランが信じられず、自分で言ったというのにシズは訝しげな目で見てしまう。だって嘘みたいじゃないか。宇宙に行くのが夢だったのなら、何度でも行きたいのではないか。


「見下ろした地球は溜息が出るほど綺麗だった。静かで、青くて、いつまでも見ていたいくらい。――でもシズがいないんだ。同じ景色を見れない。空気を吸えない。話すことも触ることも出来ない。だから行かないよ。一人じゃあ、二度と行かない」


 ――もしあるとしたら、二人の結婚記念日に宇宙旅行とかいいんじゃない?


 ようやくへらりと笑ったアランが、でも冗談を言っているようにも聞こえなくて、どんな顔をしたらいいのかわからない。

 そんなシズの頬を指先で何度か押しながら、アランはしみじみと続けた。


「で、思ったんだ。宇宙と地球っていう距離だからこんなにも必死になって考えたけど、今までだって俺がシズに対して酷かったのは同じだったよなぁって。置いてって、一人にしてた。俺が寂しいときにシズも寂しいんだって、わかっているようで、わかってなかった」

「……すごい進歩に聞こえるんですけど」

「そう? うん、まあだから、もうあんまり心配かけないようにする。リハビリが終わって、うるさいインタビューやら会見やら報告やら済ませたら、間違いなく日本に戻る。ちゃんとシズの側で暮らすから。そのとき、俺と結婚してくれる?」


 金色の前髪がふわりとシズの鼻先を掠めて、こつりと額同士が合わさった。至近距離で窺ってくる灰色の目は何でか恐る恐るという感じで、一度目のプロポーズとやらはどこに行ったのかとシズは首をひねった。


「いいよ」

「……ほんと? 子供も産んでくれる?」

「うん」

「後で撤回なしだよ」

「宇宙帰りは疑り深いな……。わかったって。アランと結婚するし、アランの子供を産むよ。一緒に老いて、同じ墓に入る。これでいい?」

「うん……うん、ありがとう。――で、気になってたんだけど指輪どこやった?」


 すいっと掬い取られたシズの左手薬指に、婚約指輪は嵌っていない。

 泣きながらシズに抱きつかれたときからアランは気付いていたが、気になって不安になっても言い出せなかった。


「ああ、金魚鉢の中」

「ん、なんで?」

「いいじゃない、そこは……」


 結局、ナツコの意見は少しだけ聞かなかったのだ。突っ返す勇気など持てなかった。どんなものと天秤にかけても、アランと別れるという選択肢だけが浮かんでこないのだから。

 ただ素直に嵌めて会いに来るのも癪に触って、いまだデメキンたちの棲家でオブジェと化している。


「戻ったらアランが嵌め直してよ」

「わかった。でもすぐに結婚指輪に替わっちゃうなぁ……。金魚鉢のもつけてくれる?」

「えっ、あのダイヤ邪魔……」

「そう言わずに。目立っていいでしょ。虫よけ」


 実のところ、5万ドルだとかダイヤのカラットがどうだとか、そんなことはアランにとって二の次だった。恋人が職場で『氷姫』なんて呼ばれていることはケンジからの情報で知っていたし、つれない美貌の研究員を落とそうなんていう迷惑千万なやつを弾くためには、生半可なブツではいけないと思ったことがすべてだった。

 目的は正しく虫除け。それだけだった。


「ああ、でもほら、帰還後の宇宙飛行士って一年くらいはすごく忙しいんでしょ? 早くても結婚は来年以降よ」

「えー、籍だけ入れとかない?」

「じゃあ式もなしにしてね」

「却下!」

「なんでよ、面倒くさい」

「ウェディングドレス着ない気なの? 白無垢でもいいけど」

「着なくてもいいなぁ。あー、話題の宇宙飛行士さんが挙式しないっていうのはナシか」

「ああ、うん、なんでもいいけどしようよ。そんで籍も早いとこ入れよう」

「やる気満々ね…………って、あ!!」


 思い出してしまった。至極どうでもいいと思っていたとはいえ、モヤモヤしていたことは間違いない。あの疑惑を晴らさばと、シズはぎっとアランを睨みつけた。結婚式より籍がどうこうより大事だ。


「シズ、どうした?」

「女優! ハリウッド女優のあれ、なに」

「…………ミリアム・フッカーのこと?」


 そうだ。それだ。全世界公開告白の後、妊娠出産を経た休業中の超A級ハリウッド女優。

 世間様ではそのお相手がアランであり、しかも子供の父親であると認識しているのだ。


「違う! 俺じゃないから! 彼女とは知人を通しての知り合いだけど、あれにはほとほと困ってたんだ。隠れ蓑にされたようなもので……」

「隠れ蓑?」

「そう。シズに連絡取るように頼んだ友達、ドナルドって言うんだけど」

「ああ……迎えの伝言を送ってきた人ね」

「ミリアムはドナルドの恋人なんだよ。あ、今は旦那か」


 小さな歯科医院を営むドナルド・モーガンこそが、ハリウッド女優の恋人(現・夫)にして産まれた子供の父親。目が点の事実にシズは言葉を失う。


「ちょうど妊娠を知ったミリアムが、生まれるまで大きく騒がれてドナルドに迷惑かけるのを嫌がってたのは知っていたけど、まさかああいう妙な誤解を招く物言いで注意を逸らそうとするなんて思わなかったんだ……」


 おかげで宇宙ステーション滞在中、彼女の大ファンだというロシア人の搭乗員にネチネチ絡まれる羽目になった。宇宙生活はまあまあ楽しめたというのに、それだけは本当に面倒で仕方がなかった。

 

 ただ一言「アナタ素敵だわ」と言っただけのそれが、感じる人はどこまでも誇大解釈していく。それをメディア慣れした彼女が逆手に取った戦略だったのだろうと、アランは説明した。


「俺への注目なんてそう長く続くものじゃないってわかっているし、ミリアムも一時のゴシップ相手として便利だって思ったんじゃないのかな。そこらへんは、俺にはシズがいるって知ってるドナルドが、呆れて彼女にちゃんと怒ったらしいよ。今度ちゃんと謝りたいってさ」

「いや、そこまではいいんだけど」


 なーんだ、という感じだ。

 でもまあ、売れっ子ハリウッド女優と小さな医院の歯科医のロマンスなんて、舞台の裏側にはちょっと興味がある。


「そのうち事実をそれとなく流すだろうから、馬鹿げた噂もすぐ消えるよ」


 俺にはシズだけだからと歯の浮くようなセリフをのたまうアランを前に、まあそうでしょうねと自棄になって頷いておく。


「あたしが初めての女なんだもんねー」

「ん……?」

「脱童貞秘話、ケンジくんが吐きました」

「…………ケンジ、あいつ、うわっやりやがった……!!」


 嘘だろうと両手で顔を隠すように蹲ったアランの反応に、えぇやっぱり本当だったのかとシズも驚く。半ばケンジの冗談か、勘違いの類だと思っていたのに。


「あー、わー、もう、くっそ、サイテーだあいつ。ぶっ飛ばす」


 珍しく口でも物騒なことを言っているアランは新鮮だ。

 調子に乗ってシズはもう一つ情報提供をする。


「ついでにゲイに夜這いをかけられたって話も聞いた」

「……ケンジ、本気で殴る。決めた。三発は殴る」


 ぶつぶつと決意に燃えるアランは、この分だと早々に日本に帰国するだろう。でも筋肉も骨も弱っているのだから、現実的に殴るのはたぶん無理だ。今は言わないでおくけれどとシズは心中で付け足した。


「でも本当に女の子に興味なかったの?」

「……シズにはあるよ」

「そこらへんがよくわからない」

「俺にも上手く説明は出来ないな……。ただ初めて会ったときから可愛くて仕方がなくて、触ってみたいとか、抱きしめたいとかすごく思った。エロい妄想は止まんないし、それを知ってる別な女の子に置き換えようとしたら寒気がしたし。だから、ああ、俺はシズじゃないと駄目だなぁと」


 同じだけ、世界に溢れる知識の泉に対しても欲望が向いているから、傍目から見るとアランはシズに対して興味の薄そうな人間になっていた。

 けれど実際は、側に寄れば構いたくて自分が抑えられないくらいで、離れれば自分でそう決めたことなのに自身を呪い殺したくなるような落ち込み方をする。

 そんな難儀で身勝手な愛情を注ぐ相手がシズだったことは、たぶんアランにとっての僥倖なのだ。普通は許されない。理解されない。ここまで耐えてなんか来られない。


「だからシズ、俺を好きでいてよ。俺はずーっとシズが好きだから」

「……うん」


 そう言ってくれるのなら、大丈夫だ。

 これからだってきっと、シズが戸惑うような行動をアランが取ることもあるだろう。突発的に行方不明になることは止めてくれそうだけれど、また心と衝動が戦うことが起これば、何をどうするかわからない。

 子供のような人なのだ。けれど間違いなくアランは大人の男で、一番必要なときには誰よりもシズを守ってくれる。黙ってそばにいてくれる。その程度の信頼はある。

 シズにとってもアランが例外なのだ。

 アラン以外のことにはどこまでも素っ気ない。彼のことくらいでしか怒らないし、悲しくならないし、泣くこともない。置いて行かれて、放っておかれても、帰って来て甘え倒すアランを見るたびそれだけでいいような気になった。三年前、急に父親が死んだときには、側に寄り添うぬくもりをどうしても手放せないと確信した。


 ――同じ空の下にいる。

 そんなことだけで幸福を感じてしまうくらいには、どうしようもなくアランを想っているから。






 抱きしめ合って、指を絡めて手をつないで、どちらからともなく唇を合わせる。

 そんな何気ない熱を交わすことで、幸せだね、と微笑みあう。


 ようやく寄り添い合えた二人の間に零れ落ちたのは、お互いが特別だという言葉。




    愛してるんだ。

    うん、あたしも――。





 FIN.






 これにて『キミが待つ青い世界』は完結となります。

 もともとは短編小説にするつもりだったのに、予想外にナツコやケンジがぐいぐい出張ったり、作者の好みゆえにアランのヘタレ度合が加速したりと、結果的にはこの長さに……。

 作中ではシズの語りのせいでずいぶんとマイナス思考に宇宙飛行士を捉えていますが、その過酷さに驚きおののいたのも事実。現代で考えうる究極の旅ということでアランをその設定にしたのですが、すごい職業です。そして大変な職業です。


 何はともあれここまで読んでくださりありがとうございました。

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