52.決行の日
鏡の前に立たされた私の周りで、衣装係の女性たちが針を持ち、忙しなく作業をしている。
「聖女様、しっかり前を向いてくださいませ。採寸が狂います」
「聖女様、次はベールのご試着を」
「聖女様、ティアラの……」
聖女様、聖女様。そしてときどき、王妃様。
彼女たちは私を、そう呼びつづける。
ラスティン国王との結婚式が急に決まり、準備が凄いスピードで進み始めた。
婚礼用のドレスが仕立てられ、アクセサリーの選定が進み、参列する貴族たちも浮き足立っている。
あのね、お祭り気分はいいんだけど、少し前にはラスティンと五月女さんの結婚式もあったはずだよね?
そこから一年も経ってない。
彼らに税を納めるアスダールの民の中には、食べるのにも困っている人たちだっているはずだ。
それなのに、結婚式や舞踏会まで盛大に執りおこなう必要はない気がするんだけど?
(せめて、ジャスティン殿下がいてくれたらなあ)
心の中で溜め息をつく。
ジャスティン殿下は気が弱いけど、こういうときに怯えながらでも「陛下、お考えを改めては」と進言してくれそうな唯一の人だったのだ。
でも、資料室での一件以来、国王はジャスティン殿下を遠ざけている。
弟が聖女を奪おうとしたのではないかと疑っているのだ。完全なる誤解ですけどね!
ラスティンの方は、私に向ける粘り気のある視線を隠そうともしなくなった。
それでも手を出してこないのは、寝室で自分だけ水浸しになったことが薄気味悪い記憶として刻まれているせいかも。
彼は未だに水の妖精スイちゃんの存在には気づいていないから(気にも留めていないからだと思う)、私が妖しい術でも使ったと疑っている節がある。
それでも結婚をあきらめるつもりは毛頭ないらしい。
妙なガッツはある、あの人。
とにかく、もう一刻の猶予もない。
ひそかにロニーと話し合いを重ね、脱出作戦決行を五日後と決めた。
準備不足は否めない。
でも結婚式が執り行われたら、私はラスティンの妃にされてしまう。
そんなの、絶対に嫌だ。
あんな男の妻になるために、この世界に残ったんじゃない。
まずは視察の名目で、城下に出る。
妖精スイちゃんの力を借りて人混みで護衛騎士を撒き、逃げ出す計画だ。
「ごめんね、ロニー。こんなに急に強行することになっちゃって」
「謝らないでよ、チカ。急ぐしかないもんね」
もう少し計画を練る時間が欲しかったはずのロニーは、それでも健気に拳を握った。
「当日は僕のあとに続いて走って。絶対に逃がしてあげる。僕の家族を助けてくれた恩返しをするよ。がんばろう」
「……うん。がんばろうね」
少年の言葉に、ありがたさと申し訳なさがこみ上げる。
本当に大事になっちゃった。
でも私は、絶対にもう一度イオに会うんだ。
彼が受け入れてくれなくても、会うだけでもいい。想いを伝えたい。
胸のペンダントを、そっと握ってみる。
イオにもらった青い鱗は、ラスティンに与えられた、どんな宝石よりも美しく輝いていた。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
あっというまに、脱出決行の日がやってきた。
この世界にも曜日があり、一週間は七日。
今日は、いわゆる日曜日だ。
私たちの逃亡プランは、今日でなければ実行できない。
「では、視察に行ってまいります」
緊張を隠して馬車に乗り込む。
以前なら一緒に客室に乗り込んできたラスティンも、もう着いてくるとは言わなくなっていた。私のことを、うっすら気味悪がっているようだ。
表向き、私はラスティンとの結婚を拒んではいない。
逃亡の意思なし、と判断されているようで、多少の外出は大目に見られている。
「いってらっしゃいませ、チカ様」
「いってらっしゃいませ、お気をつけて」
侍女のアニヤとラミヤが見送ってくれる。
彼女たちとも、今日でお別れだ。
向かい合わせの席に座ったロニーと目を合わせ、お互いの意志を確認するように頷きあった。
ロニーの表情は青ざめて、張りつめた気持ちがありありと浮かんでいる。
私も同じような顔をしているはずだ。
(だめだめ、平然としなくちゃ)
とはいえ、膝の上で人形のフリに徹しているスイちゃんでさえ、今日は心なしか緊張しているように見えた。
いざ、決行。
無理やり連れて来られた王都なんだ。
こっちだって無理やり脱出してやる!
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