34.番(つがい)の掟
イオが私の腕を強く引いた。
そのまま、消えかかっている光の渦の方へと私を引っ張っていく。
「チカ、やっぱり元の世界へ帰れ! 急げ、門が閉じる!」
「どうしたのイオ、嫌よ!」
もう手鏡くらいの面積に縮んでいた光の渦は、私たちの目の前で蒸発するように消えてしまった。
土の上に膝をつき、イオが苛立った仕草で地面を叩く。
同じ場所に新しい光の渦が出現した。
でも、何も映らない。
「だめだ、こんなのだめだ。トーキョーに繋がってくれよ、頼むから! チカを帰してやりてえんだよ!」
狂ったように渦に拳を打ちつけるイオ。
同じことを何度繰り返しても、きらめく飛沫が飛び散るだけだ。
消えていく光の真ん中で、イオは蹲って頭を抱えた。
「イオ……どうして……?」
隣に膝をつき、尋ねるのがやっとだった。
いきなりのイオの変化に、心がついていかない。
ここに私が残ることを、イオは拒絶した。
一度は、抱きしめてくれたのに。
「俺は……なんてことを」
掠れた声でイオが呻いた。
「これじゃ同じだ、父さんが母さんにしたことと……!」
「お父さんと……お母さん? なんの話?」
答えないまま、イオが立ち上がった。
私の手をほどき、お城のほうへと歩き出す。
端正な顔は歪み、目尻に膨らんだ雫が光った。
(イオ、泣いてる?)
はじめて見る姿だった。彼こそが後悔している、そう感じた。
でも、それは何故……?
『チカー……』
『イオ、ドーシタノー……?』
妖精ちゃんたちが、遠慮がちに私の肩に降りてくる。
あまりの急展開に、近くの樹の上で沈黙しているしかなかったようだ。
「わからない……私にも」
振り向きもせず、ふらつく足取りでイオはお城の中へと入っていく。
戸惑いながら、彼の後を追った。
天井から大きなシャンデリアが下がる、お城のボールルーム。
そこに、イオは蹲っていた。
両手で顔を覆っているから、表情は見えない。
床に舞い降りた妖精ちゃんたちが、心配そうにイオを見上げる。
「イオ」
大きく上下する肩に、そっと手を置いてみた。
声を殺して、イオは泣いていた。
「お前を帰してやるべきだった。それなのに、俺は……」
「私、帰りたいなんて思ってない。言ったでしょう、あなたと一緒にいたいの。イオは……イオは、迷惑だったの?」
「お前に話してないことが、まだあるんだ」
質問には答えずに、ゆっくりとイオが体を起こした。
「もっと早く伝えるべきだった。そうしたら、チカは違う未来を選べた。残るなんて言わなかったはずだ」
「……それは、どんなこと?」
少しの沈黙のあと、ようやくイオが私を見た。
乱れた髪の下、紫色の瞳が涙に濡れている。
かすれた声で、イオは告げた。
「俺の番になったら……チカは、人間じゃなくなる」
すぐには言葉が出なかった。
人間じゃなくなる。それが何を意味するかわからなかったのだ。
「竜族が番にできる相手は生涯に一人だ。番に指名された人間は、種族本来の寿命を越えて二百年以上生きる。姿も殆ど変わらない」
「わ……私も!?」
「それだけじゃない。竜族が死んだら、番にされた相手も間もなく死ぬ。俺の母さんは百年くらい生きたみたいだけど、竜族としては早死にだ。父さんが死んだから、それ以上生きられなかったんだ」
目を伏せ、イオは続けた。
「自分がいつまで生きるか、俺は知らない。二百年後か、明日か。……この意味がわかるか? 俺と番になったらチカは、もともと生きられたはずの寿命まで失うかもしれないんだ」
気が遠くなるような長い時を生きる体になること。
一方で、伴侶を失ったら長くは生きられないこと。
それが竜の番の掟――
彼と一緒に生きることに課される条件は、私の想像の範疇を遥かに超えていた。
たしかにそれは、もう「普通の人間」とはいえない。
ショックじゃない、といったら嘘になる。
想像するだけでもリスクとデメリットが大きすぎる。
……でも、そうだとしても。
「いいよ。二百年でも、一日でも、イオのいる世界で生きられるなら。いつかは死ぬんだもの。それまであなたと一緒にいたい」
イオが驚いたような表情で私を見た。そして、
「お前はわかってない」
開きかけた扉を閉めるように、ぴしゃりと言った。
「前に言っただろう、俺の母さんは人間だったって。母さんは、アスダール王国のやつらが森の外から連れてきた生贄だったんだ。人喰い邪竜って呼ばれてた俺の父さんに捧げるために」
「え……?」
思ってもみなかった。
イオの両親が、邪竜と生贄として出会ったなんて。
――イオと私の関係と、同じだ。




