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十八話 部屋でのこと

1ヵ月1回更新みたくなってて申し訳ないです…。がんばります。

 深海のように深い青の中に、ぽっかりと窓の外の空色が浮かんでいる。

 王が入り口に取り付けられたランプのつまみをひねると、部屋全体のランプが連動してほの温かい光を放ち始めた。


「わー広い……」

「そこに座っていろ。今持ってくる」

「あっえっ陛下私がやります」


 千鶴の声を尻尾ひとつでいなして、王はすたすたと部屋の奥へ進んでいく。

 流石は王の自室ということだろうか。この一部屋だけでも千鶴のいる部屋の数倍は広い。ベッドが置かれていないということは、もうひとつかそれ以上部屋数があるのだろう。

 深い青色で揃えられた品のいい家具の数々は王の体格に合わせて随分と巨大だが、それでもまだ広々と、悪く言えば殺風景にすら見える部屋に、千鶴は困ったような顔で入り口に立ち尽くした。

 正直、周りを取り囲む高級品を何も触らないうちに逃げ出したい。


「……いつまでそこにいるつもりだ」

「ヒィ! はいただいま!」


 のっそりと扉から顔を出した王に低い声で睨まれ、千鶴は慌てて窓辺に置かれた巨大なソファに座る。クッションが良すぎて半分体が沈んだ。

 あわあわしている千鶴に首を傾げた王は、ソファの前に置かれた丸テーブルにどっさりと紙束を乗せる。

 ゆうに二十枚を越えるそれの一番上をひょいと千鶴に手渡すと、自分も向かいのソファに腰を下ろした。

 手紙の量に絶句していた千鶴は、まさか目の前に座られるとは思わずにぎょっとして王の顔を見つめる。


「どうした」

「あ、え、えー……凄い量であの、すいません……?」

「ああ……次はもう少し量を減らすように書き添えてくれ。鷹が過労で倒れる」

「すいませんすいませ……あれ、返事、出していいんですか?」

「? 構わんが」

「そ、うですか。なんかすいません……」

「……いや?」


 自室だからか、目の前にいるのがちまっこいにんげん一人だからか。少しだけ体を傾けて、肘掛に寄りかかるようにソファに座る王は、手紙と自分を往復する千鶴の視線にきょとんとしたように数度瞬きをした。

 気まずくなった千鶴の何気ない言葉への返答に、今度は千鶴がきょとんとする。

 そして、勝手にきっと出せないと勘違いしていた自分が恥かしくて、千鶴は日本人らしくとりあえず謝っておいた。若干顔が赤い。

 急に赤くなって謝った千鶴を、王が不思議そうに見つめていた。





「紙って……そんなに安いもんじゃないよね……?」

「ん、何か気になることが書いてあったか」

「いえ。近況三割、帰宅要請五割、肉球二割です。こんなに紙使って書くことではないですね」

「そ、そうか」


 十数分後、肉球がべたべたに押された最後の一枚を片手に、ハイライトの消えた目でこちらを見る千鶴に王がちょっとだけ引く。ちなみに心配は二十割だ。

 恐ろしいことに手紙のほぼ全てが兄アントラの筆跡で書かれ、その分厚いものの半分が全てその話のうえ、他の話題の最後にも必ず「お兄ちゃんは心配です」「王も心配している」「騎士団の連中も」「動物が」……と続くので。

 

「とりあえず私が返事を書いたら多少納まる……納まるかなぁ……いや、納めます。納めますので返事を書いてきます。今すぐ」

「あ、ああ、そうか。……今書くのか?」

「はい。むしろ今すぐ書いて今すぐ送らないと、嫌な予感がしてるんです」


 千鶴の顔を見ている王が完全に引いていたが、倍量の手紙が明日にでも届きそうな気がしています、とは、流石に言えない。

 

「なら、これを使え」

「え? うわー、これ、ガラスペンですか! 奇麗……」


 しばらく目の据わった千鶴を不思議そうな顔で見ていた王が、気を取り直したようにことりと千鶴の前に一本のペンを置いた。

 ペン先から柄まで一本のガラスで作られたガラスペンに、銀で精緻な装飾がされている。漆黒のそれは一見地味なものだったが、そこにこめられた技術力は相当なものなのだろう。


「知っているのか。ソラントでも総ガラスのものは珍しいが……そうか。星跨ぎ」


 机に無造作に置かれたそれを必要以上にそうっと持ち上げてくるくると回していると、王が合点がいったように頷いた。忘れてましたねと思っても顔には出さないでおく。

 

「はい。私の世界にもありましたよ。ガラスペン。でもこんな素敵なものは初めて見ました」

「そうか……」

「いやでもこれ使えませんよ……。それにあの、部屋で書きますので」


 両手で捧げ持った美しいペンをぷるぷるしながら王に差し出すが、王は小さく首を傾げるだけで受け取ってくれない。

 逆に、いつの間にかインク壷を横に置いて早く書けとでも言うように千鶴を見つめていた。

 心なし千鶴の言葉にしょんもりと髭としっぽがへたれ、眉間に皺が寄っている。

 段々と彼の表情を読めるようになってきた千鶴は、王としばらく見詰め合った後、この王の目と同じ目をどこで見たかを思い出して思わず声を上げて笑いだした。

 急に声を上げた千鶴に、王はびくっと体を震わせて珍しく分かりやすいほど驚きを露にする。


「ど、どうした」

「陛下が、いがちゃんと同じ顔しててちょっと、ふひ」

「いがちゃん……?」

「陛下止めて下さいその顔でいがちゃんって言わないで下さい」


 漆黒の獅子の口から発せられる可愛い単語に、千鶴の笑い声は大きくなるばかりで、王はそんな彼女を見て困ったように視線をさ迷わせた。

 いがちゃんは千鶴の実家にいた短毛の虎猫だ。顔がやたら大きいのに体がほっそり小さくて、アンバランスで珍妙な愛嬌があった。

 顔はでかいくせに気が小さい彼は、臆病で触られるのを嫌ったのに何故か千鶴のことだけは溺愛していた。

 それはもう、千鶴が行くなら風呂だろうがトイレだろうがついて回る。病院だって千鶴と一緒なら喜んで向かう。千鶴が一人で出掛けようとしようものなら、玄関先にせっせと玩具のバリケードを築いて猛抗議した。

 ほら玩具だよ? 楽しいよ? もっとあるよ? これあげるよ? あそぼ? どこも行かないよね? 僕の方が大事だもんね? と。

 その時の、大きな顔が半分になるくらい鼻の頭がしわくちゃになった、悲壮感溢れるいがちゃんの目と王の目がよく似ていた。

 毛皮に包まれている分、彼らの感情はよく目に乗る。訴えるのはただひとつ。「置いて行かないで」だ。


「いがちゃん……」

「書きます。書きますからすごく真剣な眼差しでその単語呟くのやめて下さい」


 王の感情は、いがちゃんほどこちらに信頼を寄せたものではないだろう。もっと軽い、ほんの少しの興味程度かもしれない。

 けれど、その顔をされた時の千鶴の答えは軽かろうが重かろうが一つしかない。どこにも行かないよ、と笑いながら、べろべろに蕩けた顔でその体を抱き寄せるだけだ。

 急に先程までの緊張を忘れたように、千鶴はちらちらと王を見ては笑いながらペンを握る。王もなにやらよく分からないが釣られるように今度こそはっきりと笑った。


「使い方は分かるか」

「インク壷を使うのは慣れなくて……。恥かしいですけど、ラルキアではあまり書類に触れることも無かったので」

「恐らくだが、その、すぐ慣れるのではないか。……量が量だ」

「どうしても嫌な予感がするんです……」

「鷹を増やすか……」


 千鶴の笑い声が少し納まると、多少事務的だが世間話のようなとりとめもない会話が二人の間に交わされはじめる。

 話すうちに少しずつ肩の力の抜けた王と千鶴の表情は、ようやっとお互いの存在を認めたように、ほんの少しの緊張と手探りの歩み寄りを浮かべていた。




 和やかな空気の流れ始めた深海の部屋に、今日は随分と穏やかな光が差している。


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