40 奇跡
アーヴィング公爵が亡くなる少し前。
人々が寝静まった後の深い夜。
時刻はちょうど深夜の二時だった。いくら人が溢れる王都とはいえ、この時間に出歩く人はあまりいない。
マーガレットが暮らしていた小さな町からやって来たある人物は、ローブのフードを深くかぶって夜の街を歩いていた。
彼は迷うことなく、ある場所へ一直線へ向かう。
「……」
彼がそっと扉を開けて入ったのは、王都にある大聖堂だった。
ギィ……と音を立てて重い扉が開く。そこで彼はようやく、かぶっていたフードを取った。
――生前のマーガレットの治療をしていた司祭だった。
彼が一体なぜ、何の用でここにいるのか。
中にいたのは彼だけではなく、中央にもう一人の人物が立っていた。
その人物の前で、彼は地面に膝をついた。
「――大司祭様にご挨拶申し上げます」
「……顔を上げろ」
頭上から降り注ぐ一言で、司祭はゆっくりと頭を上げた。
グレーの長い髭を生やした、老齢の男性が視界に入る。
金色の装飾が所々に施された白い祭服を着ている彼は、このウルティア王国でも数少ない大司祭だ。
それぞれの町に滞在する司祭たちのリーダーのような存在で、彼らよりもずっと大きな力を持ち合わせている。
司祭は彼の命令でゆっくりと立ち上がった。
一介の司祭である彼は、大司祭とあまり会う機会がない。そもそも簡単に会えるような存在ではないし、各地を転々としているため、どこで何をしているかもわからない。
――そんな二人が、なぜこのように人目を忍んでひっそりと会っているのか。
答えはこの大聖堂の地下室にあった。
大司祭は彼を手招きすると、そのまま大聖堂の奥へと入って行った。
隠された秘密の扉を開けると、地下へ続く階段が姿を現わした。
真っ暗で、先は見えない。この先に何があるのか、初めてここへ来る人間は想像もつかないだろう。
そもそもここは人々には秘匿されている場所で、王族ですらその存在を知らなかった。
大司祭はランプを手に、下へ降りて行った。
そのあとを、司祭も続く。先は暗く、かろうじて見えるのは足元の段差だけだ。
長い長い階段を、彼は大司祭の背中を追って進んでいく。
いくら何でも長すぎやしないか?と思い始めていた頃、大司祭が立ち止まった。
どうやら、地下室に辿り着いたようだ。
そこで彼はようやく、この地下室の正体を悟った。
最後の階段を下りると、広い部屋が彼の視界に入った。
部屋の四隅にロウソクが置かれ、暗い室内を明るく照らしている。おかげで彼は室内をしっかり見ることができた。
「ここは……!」
初めて地下室へ入った司祭は驚きを隠せなかった。
彼が今いるこの場所は、ついさっきまでいた大聖堂の中と瓜二つだったからだ。
招待客たちが座る長椅子が左右に置かれ、中心は人が通れるように空いている。ここに来る人なんていないはずなのに、なぜこのような部屋が存在しているのか。
司祭という地位にいた彼ですら、知らなかったことだった。
正面には女神の像が置かれ、最も奥の壁にウルティア王国の神殿を表す紋章が刻まれている。周囲を見渡しても、さっきと全く同じ景色が広がっている。
強いて違いを言うとしたら、地下であるため窓がないことくらいだろう。
それと、大きな違いがもう一つ。
――中央に、見覚えのある棺が置かれていた。
司祭はもしかして……と思い、ゆっくりと棺に近づいた。
「マ、マーガレットさん!?」
――何と、棺の中で目を閉じて横たわっていたのは亡くなったはずのマーガレットだった。
大司祭が亡くなったマーガレットの遺体を引き取ったことは知っていた。
しかし、こんな地下室に彼女を置いていたことは初耳だ。
「ど、どうして彼女がここにいるのですか……!?」
慌てた司祭は、すぐ横にいた大司祭に詰め寄った。
大司祭は彼のほうを振り向くと、真剣な表情で尋ねた。
「…………君は、奇跡というものを信じるか?」
「………何を」
その問いに、彼は一つの可能性を考えた。
マーガレットが亡くなったときのことを、司祭は思い返した。
傷一つなく、亡くなってもなお美しかったマーガレット。
その遺体は、ただ寝ているだけだと言われても信じてしまうほどだった。
司祭はマーガレットの死を確認していなかった。
ただ、彼女の身体が呪いに蝕まれているという事実と、セオドアから亡くなったと聞いて勝手にそう判断していただけだ。
葬儀のときも参列はしたものの、遠くから棺を眺めるだけだった。
――奇跡というものを信じるか。
その問いに、彼の探していた答えが隠されているような気がしてならない。
考えられる結論は、ただ一つ。
「マーガレットさんは……生きているのか?」
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