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ズルくない

「エルヴェルート嬢、どうして婚約を解消などしたんだ!」


 わが家の応接室に、ソリドール様──もといソリドール卿の切羽詰まった声が響いた。

 普段は穏やかな美貌も、今は焦りに引きつっている。


 婚約解消に納得できないということで、わざわざ男爵家の領地屋敷に乗り込んできたのだ。

 ご両親の伯爵夫妻とは、お話し合いの末に納得していただけたというのに……。


 他人になったのだから門前払いをしても良かったのだが、しつこく同じことを繰り返されても困る。とりあえず彼を屋敷に入れて、両親と私とで対応することにしたのだ。


「王宮での騒動以降、全然会ってくれないと思っていたら突然!

 あれか? あの時、僕が男爵夫妻を呼ぶために中座して、君たちを放置した形になってしまったから、それで怒っているのか?」


 私はかぶりを振る。


「いいえ。

 あの状況では、両親を呼ぶという判断自体は正しかったと思います。それに時間がかかったのは、結果論に過ぎません」


「じゃあ何故!」


「それについては、君にも、君のご両親にも説明したはずだが?

 だいたいどうしても何も、婚約解消の理由は君が一番よく分かっているだろうに」


 私の隣に座る義父が、冷ややかに言った。

 

「それは誤解なんです。

 エルヴェルート嬢と2人で話をさせていただければ──」


「まあ、婚約者でなくなった淑女と2人きりですって?

 正気の沙汰とも思えないわ」


 母も、義父に負けず劣らず冷然と言う。


「違うんです! 僕たちが婚約解消するいわれはありません! 皆さんは、誰かの悪質なデマに惑わされているんです!

 僕と、リングレー子爵令嬢──いや、現リングレー女子爵の妹君セルシエナ嬢とが、不適切な関係にあるだなんて!」

 

 そう。

 彼、ソリドール卿は、私と婚約している最中に、あのセルシエナ様と浮気をしていた。

 だから婚約を解消したのだ。


 叫んでいたソリドール卿が、今度は声のトーンを落として、なだめすかす口調になった。


「こう言っては何だが、ゼフィルリース家は大変な財産を築き上げた。その総領娘の婿の座を狙う男はいくらでもいる。

 そういう連中が僕を追い落として後釜に座るために、こんな汚らわしい噂を流したんだ。

 信じてくれ、エルヴェルート嬢」


 私は口を開いた。


「別にデマでも嘘でもありません。

 貴方がたの関係は、以前から私にも見えておりました。その意味に気づいたのは最近でしたが」


「以前から……?」


 彼が困惑した表情になる。


「どういうことだい、エルヴェルート嬢?」


「そのような馴れ馴れしい話し方は控えていただきたく存じます、ソリドール卿。ですが説明はいたしましょう。


 セルシエナ様のご両親である、リングレー前子爵夫婦。

 彼らが外泊して、セルシエナ様が屋敷にお1人で夜を過ごされた時。

 その日と次の日の2日間、貴方は同じ服を続けて着ておられました。


 それも、少なくとも2度」 


「…………?」

 

 意味が分からないようで、ソリドール卿は真剣な顔で眉間にしわを寄せた。


「何を、言っているんだ」


「最初は、レッドグライフ公爵家のパーティーでした。ほら、義妹がお忍びの王子殿下にズルいズルいと言った時です。

 セルシエナ様は、ご両親が領地に帰っておられたために、外出できずに屋敷にとどまっていました。

 その日、貴方は、前日と同じ服を着ておられたのです」


 いったん言葉を切って、お茶を口にする。


「2度目は、ディアレットと私が、子爵家のグリゼルディア様への虐待、いえ殺害未遂を指摘した時です。

 あの前日、セルシエナ様のご両親はグリゼルディア様と共に王宮にお泊まりになりました。つまりその夜も、屋敷にはセルシエナ様が1人でいらっしゃった。

 

 貴方は、セルシエナが屋敷に1人の時に訪れては、彼女と共に夜を過ごしていたのです。

 着替えを持たずに一泊したため、翌日も同じ服を着ざるを得なかった。時間的に自宅で着替える余裕もなく、そのまま私に会った。

 そこを、ディアレットが2日続けて同じ服を着ていると指摘したのです。


 ディアレットの記憶力は優れています。私の服飾に関する記憶力が良くないという話もありますが……。

 王宮の晩餐会の時は、貴方は学習して着替えを準備しました。ただクラバットの替えを忘れたのか、それは前日と同じ物で、やはりディアレットに指摘されることとなりました」


 意味が分かったようだ。ソリドール卿の目が見開かれた。


「そ、それは……偶然だ。友人たちと飲み明かして……」


「2度もですか? 

 セルシエナ様が、というより令嬢が屋敷に1人でいるなど滅多にないことです。そのタイミングで必ず友人と飲み明かしたのですか?」


 セルシエナ様が屋敷に1人と言ったが、実際には他にも執事や召使いがいる。

 だが虐待を見て見ぬふりをするような者たちだ。セルシエナ様も、金銭や脅しなど、彼らを黙らせておく術に長けていたのだろう。

 夫妻にこのことは伝わらなかったようだ。もし伝わっていたら、ソリドール卿や私たちの家に、何らかの行動を起こしていたはずだから。

 

 義父も、重々しく言葉を継ぐ。


「もちろん、この『偶然』だけで不貞と断じたわけではない。あくまできっかけに過ぎない。

 君と、セルシエナ嬢の周囲を徹底的に調べさせてもらった。

 前子爵夫妻が逮捕されたおかげで、王都屋敷(タウンハウス)の召使いたちは随分口が軽くなっていたよ。

 使用人を使って手紙のやり取りをする。そして夜にセルシエナ嬢自ら窓を開けて、君を招き入れていたそうだな? そして彼女の私室で一夜を過ごし、明け方に出ていく。はっ、まるで劇の一場面のようだ」


「う、嘘です! もしそうだったなら、誰も見ていたはずはない!」


 ほぼ自白のような叫びだった。私たち親子はため息をつく。


「連絡に使用人を使っておいて、気づかれないと思っていたのか? それに直接会わなかったにしても、君たちの飲み食いした酒や菓子は、彼らが準備して彼らが片付けたものだ。君たちの使ったベッドは……いや、淑女の前で言うことじゃない。

 ともかくセルシエナ嬢が男を引き込んでいるのは皆知っていたし、君の姿を見かけた者も1人や2人じゃない。みんな知っていたんだよ」


「そ、それは……」


 咄嗟に言い訳もできず、ソリドール卿が絶句した。


「それだけではありません」


 生臭い話を終わらせるために、私も口を開いた。


「あの、王宮の晩餐会の日。

 セルシエナ様との騒動が起こる前、貴方の母君である伯爵夫人と私は、話をしました。

『息子のソリドールは、貴女にプレゼントをしたか』と訊かれて、私は『素敵なブローチをいただきました』とお答えしました。ですが、夫人は怪訝な顔をなさいました。

 ソリドール卿。貴方は母君から、私へプレゼントを贈るように金銭を与えられましたね? 貴族に相応しい、宝石と貴金属(ファインジュエリー)を買うようにと。

 何故、私がプレゼントされたブローチを着けて来なかったのかと。それを不審に思われたのです」


 ぎくりと、彼が身体をこわばらせた。


「何故、身につけなかったか。

 私が実際にいただいたのは、安価なコスチュームジュエリーだったからです。普段使いとしては好ましい品でしたが、格式の高い王宮の晩餐会に着けていく物ではありませんでした。

 金額が合いませんね? その差額はどうなさいました?

 そう言えば、セルシエナ様はあの日、コスチュームジュエリーのブレスレットを着けていらっしゃいましたね? 美しくとも王宮に相応しくない品を。

 貴方がプレゼントしたからです。

 貴方は母君から与えられたお金で、私とセルシエナ様へのプレゼントを購入なさった。上品でも、素材が安いから2人分買うことができた。

 ああ、貴方がセルシエナ様のブレスレットを買ったことは確認できていますから。抗弁は結構です」


 本来なら宝飾品店が、『誰が誰のために何を買ったか』を他言するなどあり得ない。愛人や浮気相手のために買う客も多いのだ。顧客の情報を漏らす店など、信用を失ってすぐに倒産してしまう。

 だが義父は、今やコスチュームジュエリー業界の大立者だ。特例中の特例として、店からの情報であることを隠す約束もして、ソリドール卿の購入履歴を聞き出すことができたそうだ。


 ふう、と私はため息をついた。

 

「これで、何故セルシエナ様が私に敵愾心(てきがいしん)を抱くのかも分かりました。彼女にとって私は、貴方をめぐる恋敵だったのです。……ということは、彼女との関係の方が先だったのかしら? 別にどちらでも構いませんが。

 いじらしいではありませんか。王宮に相応しくないガラスのブレスレットを大切に着けて、嫉妬から私に喧嘩を吹っかけてきて」


『だいたい貴女だって、澄ました顔をしていても所詮(しょせん)──』


 あの時、彼女は言いかけた。

『所詮、ソリドール卿に二股をかけられているに過ぎない』と続けたかったのかしら?

 彼が慌てて遮ったから、分からずじまいだけれど。


 それに、ソリドール卿が別室に移ろうとおっしゃった時。


『そうですわソリドール様!』


「卿」でなく「様」という呼び方で、彼との親しさを自ら暴露していた。

 

 ソリドール卿が、私の両親を呼ぶと言ってその場を離れたのも、今なら理由が分かる。

 彼が私の肩を持ち続けて、嫉妬にかられたセルシエナ様が2人の関係を暴露するのを怖れたのだろう。

 単純に、その場から逃げ出したかっただけかもしれないが。

 

「私に対しても、彼女に対しても、失礼な話ですわね? 私たち2人の価値を合わせると、貴方1人の価値と同等になるとでも言いたいのかしら? 私はその程度の存在ですのね?」


「謝る! 本当に申し訳ない!」


 ついにソリドール卿が認めた。

 必死に言葉を紡いでいく。


「一時の気の迷いなんだ! セルシエナ嬢は修道院に行ってもういない!

 もう二度と、こんな馬鹿な真似はしないと神にかけて誓う。一生君を尊び、君だけを愛すると誓うよ。

 そう、愛しているんだ、エルヴェルート嬢!

 だから許してくれ。全身全霊で、君の許しを乞うているんだ!」


 その必死な眼差し。真摯な顔。汗で前髪が張りついた額。場違いにも、とても美しいと思ってしまった。

 だけど、それだけ。美しいだけ。

 もう、私の胸からは何も湧き上がらない。


「もし許せば、どうなります?

 貴方は、不貞をしても謝れば許してもらえると学習するでしょう。

 結婚前から、女性に関しても金銭に関しても不実な方を、婿に迎えるわけにはまいりません。

 それに何より、私が貴方をもう信じられない。

 愛していました。でも今は。

 生理的に無理です」


 ソリドール卿の頰に、怒りで朱が差した。


「君は、そういうところが駄目なんだ……! いつも理屈ばかりで小賢しい、そんなつまらない女を愛してやれる男が、僕の他にいると思っているのか」


「──!?」


「僕はずっと、君のお高くとまった冷たさに我慢してやった。君がつまらない知識をひけらかすのを、笑顔で聞いて感心してやった。今だって君は、偉そうにべらべらと推理を──」


「黙れ」


 言い募るソリドール卿の言葉を、しかし義父が低い声で遮った。


「君が義娘(むすめ)の夫たるに値しないことが、改めて良く分かった。だからその口を閉じろ」


「アルフレート!」


 母も、彼に視線を据えたまま、鋭い声で執事を呼んだ。


「招かれざる客がお帰りよ。()()()お送りしなさい。

 この者は、自分で玄関まで戻れるほどの知能があるかも怪しいのですからね!」


 たちまちソリドール卿は、執事と数人の召使いとで部屋から引きずりだされた。


 彼はなおも、私への復縁を求めるのか罵倒なのか分からない言葉をわめき続けたが、それも廊下の向こうへ遠ざかっていった。


 ……愛していた。今でも愛している、かもしれない。

 だけど理性は、彼を信じるべきでないと判断する。

 未来の女男爵として、1人の女として、私は自分の意志で、後者を選択した。

 そこに後悔はない。


『理屈っぽい』。『小賢しい女』。美しい元婚約者。優しかった微笑み。でも彼はずっと私を『愛してあげている』だけだった。


 そうよ。私の決断は正しかった。

 だから、この結末に対しても、何とも思わない。

 だって私は、理屈っぽい女だから。


 そうだ、両親に、何か言わなければ。毅然とした。気の利いた。彼らを安心させるような。

 なにも、言葉が出ない。


「わ、私…………わたしは…………」


「エルヴェ」


 母が立ち上がり、私の前で身体をかがめて、柔らかく微笑んで、私の身体に腕を回した。

 ぎゅっと抱きしめられる。


「よく言ったわ、エルヴェ。

 あなたのことが、誇らしい」


 義父がその後ろから、私を心配そうな顔で見ている。


「その通りだ。君は堂々と誇り高く、奴を打ちのめしてやった。

 ……大丈夫かい、エルヴェ?」


 母の強い抱擁と、体温と、2人の声。

 少し身体のこわばりが抜けた。


「ええ……はい……もう大丈夫です。

 ご心配をおかけしました」


「いや、あんな奴を婚約者候補に選んだ僕がいけなかったんだ。

 それにしても、奴が不貞しているとよく分かったね?」


「ディアレットのおかげです」


 両親が、目を丸くして私を見た。


「「ディアレット?」」


 私はきっと、苦い笑いを浮かべていたことだろう。


「彼女は、『お義姉さまと結婚できるソリドール卿はズルいズルい!』と言いました。

 ですが『ソリドール卿と結婚できるお義姉さまはズルいズルい!」と()()()()()()のです。

 ディアレットにとって、彼には信頼できない何かがあった。だから、婚約している私が羨ましくなかったのです。

 それに気づいた私は、理由を考えて──彼の不貞という結論に至りました」



・2日続けて同じ服

 半分実話です。

 昔、母が働いていた頃、「職場のAさんとBさんは不倫している」と言い出しました。

 その根拠が「この2人は時々、同じタイミングで2人とも、2日続けて同じ服を着て出勤してくる」というものでした。

 

 あっ……それは……ギルティ……。


 結局その推理が正解だったのかどうか知りませんが、「よくそんなの気づいたな……」と母に対して恐れおののいた記憶があります。

 どんなことも小説のネタになります。

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― 新着の感想 ―
お母さますごいですね。服の変化とか気付けないと思います。 妹もすごいですが、それの細かい言い回しに気がつくエルヴェもすごいです。
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