やっぱりお義姉さまズルいズルい
その後、ソリドール卿が社交界に現れることはなくなった。伯爵家の領地で無期限の謹慎となったそうだ。
伯爵夫妻からはそのように説明を受け、改めて謝罪された。
もちろん、彼らに罪はない。快く謝罪を受け取り、今まで通りの付き合いを続けていくこととなった。
婚約解消の手続きや女子爵との交流を行う間にも、季節は過ぎていく。
各貴族が領地に籠る冬が過ぎ、また社交シーズンとなる春が来た。
社交は家族に任せ、私はずっと王都屋敷の中で過ごしていた。
まだ婚約解消のゴシップは消えていないだろうし、新たな婿を探す気分にもなれない。
だが完全に引きこもっていても、それはそれで何か言われそうだ。それにエイルローズ様に手紙で誘われたこともあって、シーズン終盤に小規模なパーティーに出席することにした。
社交シーズンの終わりは、いつも明るくて華やかで、どこかもの悲しい。今日のパーティーもそうだった。
サイドテーブルや壁面の窪みに春の花々を配しても、テラスの窓から差し込む陽光が暖かさをもたらしても、別れの気配は漂っていた。
あちこちで出席者が別れを惜しんで抱擁し、いくつもの乾杯が起こり、しんみりした会話が繰り広げられている。
私は壁際の椅子に座ったまま、発泡ワインのグラスを片手にそれらをぼんやり眺めていた。
華やかな色彩が近づいてくる。
「エルヴェルート様?」
「エイルローズ様」
エイルローズ様だった。私の隣の椅子に腰掛けて、お顔をこちらに向けた。
「婚約のこと、お聞きしましたわ。
なんと申し上げて良いのやら」
扇で口元を隠し、小声でおっしゃった。
私も同じく小声で返す。
「残念ながら私たち、共に一生を過ごすのには向かない組み合わせだったようです。むしろ、早い段階で分かって良うございました」
「婚約解消ですのね。正直、お相手有責の婚約破棄でよろしかったのでは?」
「責任の所在を争って、折衝を長引かせたくなかったものですから。
それに、伯爵夫妻に恥をかかせたくありません。新たな女子爵にも影響することですし、穏便に済ませたかったのです」
「大人の対応ですわね。エルヴェルート様らしい」
私は曖昧に微笑んだ。
「それよりエイルローズ様、先日はありがとうございました。おかげで、グリゼルディア様への犯罪を立証することができました」
エイルローズ様も微笑んだ。
「わたくしはずっと、中立の立場を保っていただけ。貴女たちとセルシエナ様のどちらが正しいのか、はっきりさせるために動いただけですわ。
貴女たちが最初に動いて、貴女たちがグリゼルディア様を救ったのです。
私は、何も気づかなかった……」
そこに、男性の声が降ってきた。
「それは、私も同じこと。
いや、我々警察こそが真っ先に責められるべきです」
見上げると、シュライエン卿が立っている。
「失敬、お話が聞こえてきたもので、つい。
あの騒動の後、お礼を申しそびれておりました。貴女と妹君は、1人の令嬢の生命と正当な地位を守ってくださいました。
警察官としても、王国の臣民の1人としても、貴女への感謝と賞賛を惜しむことはございません。ありがとうございます」
そう言って、彼はうやうやしく礼をとった。
そう丁重にお礼を言われると、逆に恐縮してしまう。
「恐れいります。私、理屈っぽいのが取り柄なものですから」
私の自嘲に、しかしシュライエン卿は破顔した。
「理屈っぽい、大いに結構ではありませんか。知恵と知識で真実を明らかにし、人々を救う。警察官なら、誰もが求める能力です」
「あら、エルヴェルート様は警察官ではございませんことよ?」
エイルローズ様が皮肉っぽくおどけて見せる。
「おっと、失礼いたしました。なにぶん無骨者でして……」
恥ずかしそうに笑ったが、すぐに真顔になられた。
「ですが、これは本心です。
確かに、ディアレット嬢は素晴らしい才能の持ち主です。ファッションにしても、人間観察にしても、感嘆措く能わずとはこのことです。
ですがそれは、エルヴェルート嬢の能力あってのことでした。貴女が彼女の言葉を受け入れ、その真意に気づき、周囲の人々にわかるように伝えました。貴女がおられなければ、ディアレット嬢の才能は誰にも気づかれなかったでしょう。
つまり、その、要するに……貴女は素晴らしい方だと申し上げたかったのです」
最後の方は、なんだかご自分でも混乱したようで、顔を赤らめながら、もごもごとおっしゃっていた。
それを見ていると、自然と、お腹の辺りから笑いがこみあげてきた。
「ふふ、ありがとうございます。貴方の慰めのおかげで、随分と元気づけられましたわ」
エイルローズ様が扇を畳んで、嬉しそうに目を細めた。
「あら! エルヴェルート様のお顔に、やっと笑みが戻ってきましたわ。
シュライエン卿、大変なお手柄でいらしてよ」
「はい、お嬢様。お褒めの言葉を賜り、大変光栄です」
シュライエン卿が芝居がかった動作で、エイルローズ様にうやうやしく頭を垂れる。
それを見て、私もくすくす笑った。
部屋の向こうから、2人の淑女がこちらにやって来る。
「お義姉さま、楽しいですね!」
1人はディアレット。少女の衣装としては破格な、明褐色のドレス。そこに、ふんだんに白いリボンとレースをあしらって、甘いケーキをイメージしている。髪飾りやネックレスはさながら、ケーキに載せたカットフルーツだ。
「ええそうね、ディア」
私はディアレットを愛称で呼ぶ。
「お久しぶりです、エルヴェルート様。
今シーズンのうちにお会いできて、本当に嬉しいことですわ」
もう1人は、リングレー女子爵となったグリゼルディア様。
私とエイルローズ様は、女子爵に対する敬意を示すべく、椅子からすみやかに立ち上がった。シュライエン卿も、そっと傍に移動して彼女に道を開け、軽く礼をとった。
ディアレットの言葉は正しかった。
豊かな金髪を結い上げて編み込み、朱色のドレスをお召しになった姿は、まさに社交界の赤薔薇。あのおいたわしく痩せ細った姿がこれほど華やかな美女になるとは、ディアレットを除いては誰も見抜けなかっただろう。
淡い碧眼には、以前にはなかった力強さが宿っている。
順調に回復なさっているようで、ホッとする。
「恐れ入ります。女子爵におかれましては、お目にかかれて光栄でございます」
私の言葉に合わせて、エイルローズ様と一緒に礼をとる。
グリゼルディア様も会釈を返す。
「シュライエン卿、お久しゅうございます。その節は、本当にお世話になりました。
エイルローズ様もエルヴェルート様も、どうか楽になさってくださいな。
恩人の皆様にせっかくお会いできたのですもの、打ち解けたお話をしとうございますわ」
召使いに椅子を持ってこさせ、グリゼルディア様とディアレットも腰掛けた。
そこで立っていたシュライエン卿が、慎ましく口を開いた。
「ありがとうございます。ですが、ご婦人たちの歓談の邪魔をするわけにはまいりません。
私はここで失礼いたします」
もう少し話をしたい気持ちはあったが、女性たちの歓談の中に男性1人が交じっているのも外聞が良くないだろう。形式的に引き留めただけで、皆はシュライエン卿が立ち去るのを見送った。
ディアレットもしばらく去っていく彼の背を見ていたが、姿が見えなくなると、私たちだけに聞こえる小声で言い出した。
「もう、お義姉さまったらズルいズルい!」
「「え?」」
エイルローズ様とグリゼルディア様も、目を丸くしてディアレットを見た。
「ディア、私の何がズルいの?」
「お義姉さまとシュライエン卿って、とってもお似合いじゃないですかズルいズルい!
シュライエン卿はお義姉さまのことが絶対お好きですし、お義姉さまもなんやかやであの方のことをいい人から慕わしい方と思うようになって、そして両思いになるのですわ!
そしてお2人は婚約して結婚して、一生幸せに暮らしたりなさるのですわ! ズルいズルい!」
「えっ?」
と、私。
「確かにあの方、エルヴェルート様に話しかけることが多いような」
と、扇を口元にかざすエイルローズ様。
「なるほど、そういうことですのね」
と、得心がいったお顔でうなずくグリゼルディア様。
「い、いえ、そうと決まったわけではなくて……婚約解消してすぐにそんな話……ちょっと、ディア! いい加減なことを言わないでちょうだい!」
グリゼルディア様の薔薇色の唇が、優しく弧を描く。
「エルヴェルート様が動揺するなんて、珍しい。
でも、ディアレット様の『お告げ』ですものね?」
エイルローズ様も、青玉の瞳を輝かせる。
「そうですわ。シュライエン卿が求婚なさるかも」
「ええ、まさか……」
自分の顔が、熱を持っているのが分かる。きっと今、私は赤面している。
苦し紛れに、ディアレットの方を向いた。
「ディア。貴女、シュライエン卿のことをお慕いしているの? 彼を欲しいと思っている?」
ディアレットが、きょとんとした顔で私を見た。
「いいえ? お義姉さまとシュライエン卿がこよなくお似合いなのが羨ましいだけですわ?
わたしとあの方では、全然似合いません。別にお慕いしてもおりませんし、もし婚約しても、絶対上手くいきませんわ!」
「「そ、そうなの……」」
「あっそうだ、婚約しても上手くいかないで思い出しました!」
「私の過去を大声出してえぐらないの、ディア」
ディアレットはちょっと小声になった。
でも話は止まらない。
「お義姉さまが婚約なさる前、わたし、何度かカフェに通っていたのです。そうしたら、お客の中に婚約前のソリドール卿がいらっしゃったの!
その時はどなたか存じ上げなかったけれど、行くたびに違う女性と親しげに話してらしたわ。
そのことをぼんやり覚えていて、だからなんとなくソリドール卿に親しみを持てなかったのかも!」
「「えっ!?」」
あのカフェの、たくさんいる客の顔を憶えていたの? 正式に紹介される前のソリドール卿の顔も?
た、確かに、基本的に平民の行く場所だから、貴族に出会う可能性は低いと見て、彼は女遊びに利用していたのかも……。それに義妹はまだ子供だから、浮気という発想が意識の表面に浮かばなかったのかも……。
「何という記憶力……」
グリゼルディア様も絶句なさっている。
「この記憶力、判断力……ますますディアレット様の言葉に信憑性が出てまいりましたわ」
エイルローズ様が真顔で私をご覧になった。
「シュライエン卿はこれからきっと、貴女に色々仕掛けてこられますわよ?
お覚悟あそばせ」
まさにその通りだった。
彼は、紳士としての慎ましさが許す限りのアプローチを私に繰り出してきた。
両親の壮絶な身辺調査も難なく切り抜け、なんやかやあって私も彼を受け入れることとなった。
だって。
「私、理屈っぽい女ですのよ?」
「そこがいいのではありませんか」
にこにこしておっしゃるのだもの。
私も、意を決して言う。
「あの……今まではっきり申し上げていませんでしたけれど、私、貴方の人を見る目の優しさが好きなのです。
私や義妹のような人間は、世間ではきっと変人と思われているでしょう。
でも貴方はその長所も、たぶん短所もご覧になって、その上で好意的に評価してくださいました。そこがとても、尊敬できて……好ましく思ったのです。
あの、私、いつも褒めてもらってばかりで……私からも貴方の良さを伝えなければ、不公平かと思いまして」
恥ずかしくて目は泳いだし、しどろもどろになってしまったけれど、言いたいことは伝えきった。
シュライエン様も、少し顔を赤らめた。
彼も恥ずかしそうに目をそらして、またすぐ私を見る。
「……言葉にしてくれて、ありがとう。
これからも、たくさん話をして、お互いの気持ちを分かち合いましょう」
「ええ」
ノックの音がして、外から召使いの声がした。
「旦那様、そろそろお時間です」
「すぐ行く。……エルヴェルート嬢、いや愛するエルヴェ、また後で」
「ええ、また後で」
そう言って礼装に身を包んだ彼は、外に出て行った。
残った私は所在なく、自分のドレスの裾や袖口を何度となく見返してしまう。
またノックの音がした。
「エルヴェ、時間だよ」
「お義父様」
メイドに合図して、義父をこの控室に入れてもらう。
「ああエルヴェ、本当に綺麗だよ」
私は視線を落として、自分の着ているウエディングドレスを眺めた。
「ディアレットの『ズルいズルい』に従ってデザインしましたもの」
「ドレスじゃない、君がだよ。
今日ばかりは商売の話は無しだ。これは君のためのデザイン、君のためのドレスだ。誰にも売りはしない。
さあ行こう。新郎がお待ちかねだ」
私は義父のエスコートを受けて、シュライエン様と結婚式を挙げるために、礼拝堂へと歩いていった。
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。
お読みいただきありがとうございました。




