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第三話「Noah's ark」

「それは……確かなのか?」


 キジマさんが腕を組んで二人に尋ねた。ミカジマ君の喜んだ声とは対照的に慎重な声色がキャンプに流れていく。


「ええ。幻覚じゃないです」焚火に照らされる眼鏡とくたくたになった長い髪、ホシノさんは戻ってから三十分も過ぎたのにまだ息を切らしている。疲労というより興奮によるものだろう。


「そういうことじゃなく、人影がなかったことを言っているんだが」


「詳しくは見てないけどあたしだって証人だもん。少なくとも誰もいそうになかったよ」


 誰かがつばを飲み込んだ音がかすかに聞こえた。二人はここからそう遠くない場所に人の住んでいそうな場所を見かけたというのである。つまるところ、物資の存在が確認できたということだ。


「でもヤシマっち。それ廃村とか言うんじゃないでしょうね。やだよあたしあの、プレステのゲームみたいな村に迷い込んじゃうの」


「あーそれめっちゃこわいやつ。大丈夫だよ。もとからそういうので溢れてるんだから」


「それ、大丈夫って言うのかしら」ため息交じりにナルカミさんがぼやく。ごもっともである。


「少なくともミツミネ女史が想像するような場所ではなかったよ。僕の予想からすればあれはなんかの施設だ」


「施設?」ミツミネさんと同じく、いわゆる集落を想定していた私はホシノさんに首を傾げた。


「例えば何かの療養所とか、ほら、学生の時に数日間寮みたいな所に泊まって親交を深めるみたいなことしたろ?規模とか、建物から察するにあれはそういうものなんじゃないかな。だからキジマさんが心配するような事態には至らない。必要な物資は揃えられると思うし、場合によっちゃこんな粗末なテントともおさらばできる」


「だってようキジマっち」


「ふむ」キジマさんは相変わらず火の中心を見たままで考え込んでいた「……少なくとも行ってみる価値はありそうだな。どうせ、感染者(やつら)にいつまで怯えていたってしょうがない。我々は進むしかないのだから」


「それにしちゃ手持無沙汰だけどなぁ」


 ミカジマ君が一抹の不安とともに肩の力を抜いた。私たち一人一人に防衛手段はない。誰かが誰かを守ることでどうにか生き延びている。ある意味ではそれが他人と他人同士でしかなかった絆を深めていたのだろう。


「決まりだ」パンと乾いた音を膝と両手で鳴らしてキジマさんが伸びた「明朝キャンプを一時出発する。私はこれからすぐに寝て深夜の見張りに就くからあとは各自準備を進めておいてくれ。少なくともすぐにテントはたためるようにしてくれ」


「寝坊しちゃだめだよミカジマっち」


「ミツミネさんだけには言われたくないっすね」





 最南端に位置する島、通称『箱舟』

 感染拡大初期から今に至るまで徹底した防衛策を敷き、感染者の手から島を守って来たこの島はいつしかそう呼ばれるようになっていた。人類の中で限られた者だけが生き延びることができる箱舟。その中心に建つかつては庁舎だった場所は、今やこの島のすべてを司っている。

 生存者達への物資の分配、彼らを守るための武器や兵もすべてこの場所で管理され、今に終わりを迎えようとする世界に必死で抗っている。

 そんな政府と軍の役割を一度に担った自衛組織『ノア』の総司令シノノメはただの自警団だった。役人の経験などまるでなかったが感染初期にパニック状態に陥った島の民衆を自警団の団長としてとりまとめ、感染者を島に入れることなく、半年後には海路を通じて本土に残る物資を補給し、潮風が吹くこの場所でも農作物を栽培させ、人口わずか一万五千人の島民を不自由なく生活させることに成功した。

 シノノメをここまで動かしたのは人類の存続をかけた宿命を負ったからである。誰に言われるでもなく、自ら背負ったそれを投げだすことは無かった。そのせいか齢三十五にして、彼の頭の大部分は白くなっていた。目の前に垂れ下がる白髪をつまみながらシノノメは部下の報告を聞いていた。


「エリアE-3、物資の回収を終えました。死者、及び負傷者はゼロであります」


「生存者の数はどうか」


「数名ほど見かけました。我々の存在には気づかれてはいないと思われます。同じ生存者の仲間として情報を聞き取りました。やはり、この箱舟へと向かっているようです」


 シノノメは煙草に火を点け、煙を大きく吐いた。彼を陥れる者は今や感染者だけに留まらない。


「……どこから情報が洩れているのかは分からないが、悩みの種だな。彼らはたどり着けると思うか?」


「あの場所から箱舟に辿り着くまでにはE-4エリアを大きく迂回する以外のルートはありません。そこまでの情報がない限りはE-4エリアでおそらく……」


「コノエ少佐」シノノメは灰皿にまだ半分以上残った煙草を押し付けた。口元に寄せた皺は彼の愉悦を表現していた「この世界で最も価値があるものは何だと思う?」


「食料、物資、安住の地……そのどれかでしょうか?」


「惜しいな。いずれにせよそれは結果だ。結果を得るためには手段が必要になる。物を得るためには金が必要だったあの頃と変わりない。金が別の物に姿を変えただけの事。いつの世もそうだ。戦争、大飢饉、大災害……金の価値が無くなった時に真に価値あるものが我々の前に顔を出す。それが情報というものだ。我々はそれを司っている。それだけが箱舟を作り上げている。その旨を部下にもよく伝えておいてくれ。情報は些細なものでも正確に報告するようにと」


「はっ。肝に銘じておきます」


 箱舟は救われたものと救われなかったものとをわけ隔てた。神話では悪しき心を持ったものが水の底へ沈んでいったが、実際はどうだったろう。

 救うべき人間がそこにはいたはずだ。結局ノア自身も神の言葉を盾に自らのエゴで救うと救わざるを隔てたに違いない。


「それが神の教えだというのなら俺もそれに従うまでさ」


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