# 閑話10 それぞれの立場
……今回は視点を変えて、王宮のお話です。
同じ王国にいても、立場が違えば考えることもそれぞれ。
まあ、表立って何も起きていないからといって、何もないとは限らないわけです。
そんな感じのお話です。
日が落ち、王宮の研究開発室から人の姿が少なくなった頃。
昼間は研究員たちが行き交い、あちこちから話し声や作業の音が聞こえていた室内も、今はすっかり静かになっている。その一角にある主任室では、フーダニットが一人、机に広げた書類へ目を通していた。紙をめくる音に混じって、扉を叩く音が響く。
「入って構わんぞ」
「失礼します」
聞こえてきた声に、フーダニットは書類から顔を上げた。扉を開けて入ってきた人物を認めると、少し意外そうに眉を上げる。
「これは殿下。こんな時間に珍しいですな」
「少し、お時間をいただけますか?」
「もちろんですとも」
フーダニットは手元の書類をまとめて脇へ寄せ、向かいの椅子を示した。ミスリードは礼を言って腰を下ろす。
「それで、今日は何用ですかな?」
「いくつか確認しておきたいことがありまして」
そう前置きしたものの、ミスリードはすぐには本題に入らなかった。フーダニットも先を促すことなく、黙って待っている。
「最近、何か変わった動きはありますか?」
何について、とフーダニットは聞き返さなかった。机の上で組んでいた指を一度ほどき、少し考えるように視線を落とす。
「今のところ、大きなものはありませんな。賛成派も、表立って何か動いている様子はありません」
「反対派は?」
「そちらも似たようなものです」
答えてから、フーダニットはわずかに目を細めた。
「もっとも、何もしておらんことと、何も考えておらんことは別ですがな」
「……そうでしょうね」
ミスリードの返事までに、わずかな間があった。窓の外はすでに暗い。昼間なら人の出入りが絶えない研究開発室も、この時間には物音ひとつ少なく、二人の声だけが妙にはっきりと聞こえる。
「中立派はどうです?」
「さて」
フーダニットは椅子の背へ身体を預けた。
「少なくとも陛下は、今のところどちらかへ傾いたようには見えませんな」
「父上らしいですね」
「殿下には、そう見えますかな?」
ミスリードはわずかに口元を緩めたが、それ以上は何も言わなかった。フーダニットも答えを求めることなく、しばらくその顔を眺めていた。
「そういえば――あの時は、随分と素早く動かれておりましたな」
「あの時?」
「山田野殿が召喚された時です。わしもあの場におりましたが、さすがだと感心しておりましたぞ」
「ああ……」
ミスリードは何のことか分かったらしい。わずかに視線を落とし、当時を思い返すような間を置いた。
「鑑定結果がLV:1000だったからな。あれはさすがに予想外だった。あの状況では、派閥がどうこう言っている場合ではない。まず退室させるべきだと判断したまでだ」
「陛下の判断を待たずに?」
「父上には申し訳ないとも思ったが……逆の立場であれば、父上もそうしたであろうしな」
フーダニットはその言葉を聞いて、わずかに目を細めた。
「なるほど。やはり親子ですな」
「どういう意味だ?」
「さて、どういう意味でしょうな」
ミスリードは何か言い返しかけたが、結局それ以上は追及しなかった。
「では、大きな変化はないと考えてよさそうですね」
「わしの知る限りでは、ですがな」
「十分です」
短い返事のあと、再び静けさが戻る。確認したかったことは、それで終わったらしい。フーダニットは脇へ寄せた書類へ手を伸ばしかけたところで、ふと思い出したようにその手を止めた。
「ところで、今日こちらへ来られた山田野殿のことですがな」
「例の魔道具ですね」
「ええ」
「修理できそうですか?」
「できますな……というか、修理はもう終わっておりますよ」
あまりにもあっさりと返され、ミスリードは一瞬きょとんとしたあと、小さく笑った。
「もうですか。相変わらず仕事が早いですね」
「直すだけでしたからのう」
フーダニットも軽く笑うと、机の上の書類へ目を向けた。
「それより、当時の改良案を反映した方ですな。こちらはまだ少々掛かります」
「では、明日には?」
「出来るとも、できないとも言えませんな」
「そうですか」
そう答えながら、ミスリードは小さく笑った。話が一区切りついたところで席を立つと、フーダニットも引き留める様子はなく、机の上の書類を再びまとめ始める。
「では、今日はこれで失礼します」
「もうよろしいので?」
「ええ。確認したかったことは聞けました」
「それは何よりですな」
「何か変わった動きがあれば、また教えてください」
「承知しました」
「では」
一礼して、ミスリードは主任室を出ていった。
扉が閉じると、部屋には再び静けさが戻った。フーダニットはしばらく何もせずに座っていたが、やがて脇へ寄せていた書類を手元へ戻した。何枚かをめくり、そのうちの一枚で手を止める。
その紙面を眺める老人の表情からは、先ほどまで浮かんでいた軽い笑みが消えていた。何かを考えるように、しばらく黙って紙面を見つめる。
「あの研究が、このようなことになるとはのう……」
小さく漏らした声は、誰に聞かれることもなく、静かな主任室に消えていった。




