# 第23話 スラム街
王都民政課で研究責任者の居場所を確認したかか志たちは、王宮を出ると、その住所を頼りに街を歩いていた。
幸い、目的の場所はそれほど遠くないらしい。ヨルに案内を任せ、かか志は行き交う人々や通りに並ぶ店を眺めながら、そのあとをついていく。
「このまま行けば、そんなにかからないんですよね?」
「はい。歩いて行ける距離です」
「じゃあ、昼までには着けそうですね」
「おそらくは」
研究者が今も試作品を持っているかどうかは分からない。そもそも、何年も前に終わった研究の試作品である。処分されていてもおかしくないし、残っていたとしても、まともに動く保証すらなかった。
それでも、昨日までは存在するかどうかさえ分からなかったものだ。少なくとも、試作品が実際に作られていたところまでは確認できた。今はそれだけでも十分な進展だろう。
そんなことを考えながら歩いていると、不意に隣を歩いていたヨルが足を止めた。
「山田野殿、少々お待ちを」
「え?」
かか志も立ち止まり、ヨルの視線を追う。道の脇にはいくつかの店が並んでおり、その一つ、店先に果物を並べている店の前に小さな子供がいた。
特に珍しい光景には見えなかったが、その子供は周囲を気にするように何度か視線を動かすと、並べられていた果物を一つ手に取った。
そして、そのまま走り出した。
「あっ」
かか志が声を上げたときには、すでにヨルが動いていた。人の間を縫うように逃げていく子供を追い、あっという間に距離を詰める。
「待ちなさい」
逃げる子供の前へ回り込み、ヨルがその行く手を塞いだ。子供は慌てて方向を変えようとしたが、そこまでだった。
少し遅れて追いついたかか志は、ヨルに捕まった子供と、その手にしっかり握られた果物を見る。ヨルは怒鳴ることもなく、子供へ手を差し出した。
「まず、店へ戻りましょう」
子供は俯いたまま動かなかった。
「どうして盗ったのです?」
「……お腹、空いてて」
「それで盗ったのですか?」
「……うん」
どうやら何か特別な事情があるわけではないらしい。腹が減っていた。目の前に食べ物があった。そして、つい手を伸ばしてしまった。
ヨルは少しの間、子供を見つめてから静かに言った。
「お腹が空いていたとしても、人の物を勝手に持っていってよいことにはなりません。分かっていますね?」
「……うん」
「では、戻って謝りましょう」
三人で果物屋へ戻ると、店主もすでに何があったのか察していたらしい。子供はヨルに促され、持っていた果物を差し出した。
「……ごめんなさい」
店主は子供と果物を見比べたあと、ヨルから簡単に事情を聞いた。幸い、それ以上の騒ぎにはならず、ヨルは最後にもう一度、二度と同じことをしないよう子供へ言い聞かせる。
「はい……」
先ほどまで逃げ回っていた勢いはどこへ行ったのか、子供はすっかり小さくなっていた。店主にも改めて頭を下げると、今度は何も持たずに店から離れていく。
その姿を見送り、かか志はヨルとともに再び歩き出した。
「治安、いいと思ってたんですけど……あんな子もいるんですね」
「昔よりはましになったようですが、さすがにすぐに解消とはいきませんから」
「昔より?」
「王都にも、暮らしの苦しい者はいます。以前に比べれば改善されていますが、必ずしも職に就ける者ばかりではありません」
「そうなんですか……」
その話を聞いて、かか志は元の世界で読んだ物語を思い出した。大きな街の片隅に貧しい人々が集まり、まともな住居もないまま暮らしている。そういう場所が出てくる話を何度か読んだ覚えがある。
「……やっぱり、スラム街みたいなところがあるんですね」
「すらむ?」
「ああ、いや……住む場所のない人たちなんかが集まって、勝手に住み着いてるような場所っていうか……」
「ああ。それでしたら、王都にはありませんよ」
「へ?」
「以前はそのような場所もあったそうですが、現在は対策が進められています。住む場所のない者には、国が住居を用意して移ってもらうようにしています。食事についても、教会などと協力して支援が行われています」
「……あるんだ、そういうの」
「もちろん、それですべて解決するわけではありませんが、私の立場から言わせてもらえば、やらない理由がありません。それだけでも治安の大きな改善につながりますので。もちろん、仕事に就けず生活が苦しい者もいますから、先ほどのようなことが起きないわけでもありません」
「なるほど……」
住む場所を用意して、食べるものも最低限は確保する。それだけですべてが解決するわけではないにしても、大勢の人間が行き場をなくし、一か所に集まるような状態は避けられるということなのだろう。困っている人間を助けるというだけでなく、治安を守る側にも十分な理由があるらしい。
「王都以外も同じなんですか?」
「そのような場所が残っている街もあるかもしれませんが、以前ほど多くはないと聞いています」
「そうなんですね……」
どうやら、かか志が想像していたものとは少し違うらしい。だが、そこで別のものを思い出した。
貧しい人々が集まる場所があれば、そこを根城にする犯罪者がいて、表には出ない仕事を請け負う者や、金を払えば何でも調べてくれる情報屋がいる。元の世界で読んだ物語では、そのあたりまでが一式だったような気がする。
「じゃあ、情報屋とか裏家業とかは……」
「よくご存じですね。ありますよ」
「あ、やっぱり」
「ただ、大規模な組織は潰しました」
「えっ……」
今度は別の意味で予想を外された。
「もちろん、すべてを把握しているわけではありません。小規模な犯罪まで完全に根絶することは現実的ではありませんから。ですが、王都の一角を支配するような大規模な組織については、以前に陛下から対処するよう命が出ています」
「それで……壊滅させたんですか?」
「はい」
ヨルは何でもないことのように答えた。考えてみれば、王都の中に大規模な犯罪組織が存在すると分かっているなら、国が放置する理由もない。先ほどの話と同じで、治安を悪化させる原因が分かっているなら対処する。それだけの話なのだろう。
理屈は分かる。
分かるのだが、どうにも自分が想像していたものとは違う。
「なんというか……思ってたのと違うなぁ」
「何がでしょう?」
「いえ、なんでもないです」
どうやら自分は、この世界について勝手な想像をしていたらしい。それも、一つや二つではない気がする。
「ところで山田野殿。そろそろ着きますよ」
「あっ、そうでした」
途中で色々あったせいで忘れかけていたが、別に王都の治安事情を調べるために歩いていたわけではない。目的は、デビルツリーの性質を再現しようとした魔道具。その試作品を保管していたという研究責任者に会うことだ。
かか志は頭を切り替えると、ヨルの示した先へ目を向けた。王都民政課で確認した住所は、もうすぐそこだった。




