# 第17話 伝説の上書き
フェンリルとの話を終えたかか志とヨルは、テンパール草原を後にして王都へ戻った。
冒険者ギルドへ着くと、二人はそのまま受付へ向かう。
「依頼完了の報告をお願いします」
「はい。お疲れ様でした」
いつものように対応していた受付嬢だったが、提出された薬草を確認したところで、ふと手を止めた。
「……ちょっと待ってください、これどこで採ってきたんですか?」
「えっ、テンパール草原ですけど」
かか志が答えると、受付嬢は薬草を手にしたまま目を白黒させた。
「テンパール草原ですか!!!」
「え? はい」
あまりの反応に、かか志は思わず首を傾げた。
「はい。つい先ほど会議で決まったことなのですが、当面の間、テンパール草原へ向かうことについて規制がかかることになりました」
「規制?」
「はい。森の賢者が出たという話がありまして……」
受付嬢はそこで一度言葉を切り、少し申し訳なさそうに続けた。
「そのため、しばらくの間は不要不急の立ち入りを控えることになったんです。こちらの連絡が間に合わず、申し訳ありません。ですが、お二人が無事に戻ってこられて本当によかったです」
「森の賢者……」
その名前を聞いて、かか志は少し考えた。
「ああ、ポチのことですね」
「……ポチ?」
受付嬢の動きが止まった。
「いえ、フェンリルですけど……」
「だからポチですね」
「……はい?」
「なんか名前をつけてくれって言われたんで、ポチってつけました」
受付嬢は完全に固まった。
数秒ほど何も言わなかったが、やがて勢いよく立ち上がる。
「ギルドマスター呼んできます!!! そのまま絶対お待ちください!!」
「え?」
かか志が呼び止める暇もなく、受付嬢は奥へと駆け込んでいった。
隣では、ヨルが額に手を当てている。
「……これは、また大変なことになりそうですね」
「そんなに?」
「ええ。おそらく」
ほどなくして、ギルが姿を現した。
受付嬢から話を聞かされたのだろう。いつもの落ち着いた様子とは違い、明らかに急いできたことが分かる。それでも二人の前まで来ると、一度大きく息を吐いてから口を開いた。
「二人とも、悪いが別の部屋へ来てくれ。そこで詳しく話を聞かせてもらいたい」
「分かりました」
案内された部屋に入ると、三人は席についた。
ギルは腕を組み、しばらく黙っていたが、やがて真剣な顔でかか志を見る。
「草原であったことを詳しく教えてもらえるか? こっちとしては緊急案件なんだ」
「緊急案件……」
かか志は少し困ったようにヨルを見る。
ヨルはもうどうにでもなれ、とでも言いたげな顔をしていた。
仕方なく、かか志は今日あったことを順番に話し始めた。
テンパール草原で薬草を採取し休憩しているとウルフが現れたこと。ウルフたちが整列し、その後フェンリルが現れたこと。
先日のウルフの集団について謝られたことや、森で起きている異変について聞いたことも説明する。
そして最後に、フェンリルから名付けの儀式について話を持ちかけられ、自分が「ポチ」と名づけたことまで話した。
「……なるほど」
そこまで聞くと、ギルは天井を見上げた。
しばらく考え込んだあと、気持ちを落ち着けるように一度深く息を吐く。
「で、フェンリルに名前を付けたと……その意味、分かってるか?」
「えっ。名前つけてくれって言われたんで、ポチってつけましたけど」
「それは聞いた」
かか志は少し考えてから続けた。
「まんざらでもなさそうでしたよ」
「……そこは聞いてない」
「そうですか……何か問題ありました?」
ギルはこめかみを押さえた。
「大ありだーーー!!」
部屋にギルの声が響いた。
「そんなにですか?」
「そんなにだ!」
ギルは机に手をつきながら、必死に説明を始める。
「フェンリルだぞ? フラッグ森林の奥にいる伝説級の魔獣だ。森の魔物を従え、長い年月にわたって森の均衡を保っているとされる存在で、人間側じゃ『森の賢者』なんて呼ばれてる。そんな相手に、お前は会っただけじゃなく――」
「名前をつけた、と」
「そうだ!」
かか志は黙ってギルを見る。
そこまで説明されても、いまひとつ実感が湧かなかった。
確かに、フェンリルはかなり強そうな魔獣だった。実際、最初に姿を見たときにはヨルもかなり警戒していたし、フェンリル自身から感じた圧力も尋常ではなかった。
ただ、話してみれば意外と普通だった。
少なくとも、かか志にはそう思えた。
「でも、本人がそれでいいって言ってましたよ」
「……それが一番まずいんだよ」
「え?」
ギルは頭を抱えた。
「フェンリルがお前から名を授かったという事実がある以上、少なくともフェンリルの眷属から敵として扱われる可能性は、かなり低くなるだろう。フェンリルがお前から名を授かったという事実は、森の魔物たちにとっても無関係じゃない」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ……」
ギルの声には、すでに疲労が滲んでいた。
かか志は改めて今日の出来事を思い返してみる。
フェンリルは、自分の眷属が草原へ出てきたことについて謝っていた。その後、礼として名付けの儀式をすると言われたので、名前を考えた。
それだけだ。
少なくとも、かか志の中ではそういう話だった。
「じゃあ、俺が森に入っても大丈夫ってことですか?」
「いや、そこは別問題だ」
「ですよね」
即答だった。
ギルは大きく息を吐くと、少しだけ表情を戻した。
「問題はフェンリルに名前をつけたってだけで、お前とフェンリルの関係を勝手に深読みする連中が出てくる。国だって無視はできん」
「なるほど……」
そこまで言われて、ようやく少しだけ話の大きさが見えてきた。
名前をつけただけのつもりだったのは、自分だけらしい。
「それと、もう一つ問題がある」
「まだあるんですか」
「むしろ、こっちのほうが大きい」
ギルは机の上に手を置いた。
「今後、ギルドでは『森の賢者』という呼称ではなく――」
一拍置く。
「『ポチ』と呼ぶように広めることになる」
「……」
「これは決定事項だ」
「……なんだか、あまり威厳を感じませんね?」
「誰のせいだーーーー!!」
ギルの叫びが、再び会議室に響き渡った。
かか志は思わず肩をすくめた。
「いや、でも本人が気に入ってましたよ?」
「そういう問題じゃねえ!」
ギルは頭を抱えた。
ヨルは隣で顔を伏せている。
笑っているのか、呆れているのか。
たぶん、その両方だった。
こうして。
長い年月を生き、森の魔物たちを従え、人間たちから「森の賢者」と呼ばれていた伝説の魔獣は――。
その日のうちに、人間社会でも「ポチ」と呼ばれることになった。
伝説は、本人の知らないところで、静かに上書きされ始めていた。




