50話 大きなプレゼント
お待たせしました。対に50話です。ようやくここで一息つけそうです。
アーリスの街を包む空気は、数日前までの血と鉄の匂いをすっかり拭い去り、街の人々は力強い活気に満ちていた。崩壊した鉱山への未練よりも、生き残った喜びと明日への希望が、人々の表情を明るくさせている。
ギルドが管理する大型の宿泊施設。そこにはロッキド鉱山の崩壊によって行き場を失った労働者や、赤犬の魔の手から救い出された被害者たちが身を寄せている。
空とエドガーがその施設を訪れると、入り口付近で炊き出しの手伝いをしていたラグンが、弾かれたように顔を上げた。
「そ、空さん……! エドガーさん!!」
ラグンは手に持っていた器を置き、転びそうな勢いで駆け寄ってくる。その表情には、再会の喜びと、それ以上に深い、抉るような罪悪感が入り混じっていた。彼は二人を、喧騒から離れた施設の中庭へと案内した。そこには手入れの行き届いた花壇と、古びた木製のベンチが置かれていた。
「とりあえず、ここに座ってください。……すぐに冷たい水を持ってきます」
「いや、構わない。座って一息つこうじゃないか」
空が促すと、ラグンはおずおずと二人の正面にあるベンチに腰を下ろした。
静寂が中庭を包む。小鳥のさえずりが、数日前までの地獄のような光景がいかに非現実的であったかを物語っていた。
沈黙を破ったのは、ラグンの震える声だった。
「……本当に、申し訳ありませんでした!!」
絞り出すような声が、静かな中庭に響き渡る。
「自分の家族を助けたい一心で、お二人を裏切り、あんな恐ろしい事態を招いてしまった。特にエドガーさん、あなたの背中を刺したあの時の感触が、今も手に残っていて忘れられないんです……。僕は、なんてことを……!」
謝罪の言葉と共に、ラグンの肩が小刻みに震え出す。エドガーは乱れぬ所作で懐から清潔なハンカチを取り出し、ラグンに差し出した。
「ラグン殿、顔を上げてください。私は空様の命に従い、私の役割を果たしたに過ぎません。それに、この通り傷一つ残っておりませんので、お気になさらず」
空もまた、カラカラと笑いながらラグンの頭を乱暴に撫でた。
「気にするな。結果として誰も死んでないし、大切な人を人質に取られりゃ、誰だって冷静じゃいられないさ。壊れたものは時間が解決してくれる。お前が今、家族と笑って過ごせているなら、それで合格だ」
「そ、空さん……ありがとうございます。う、ううっ……うわぁぁぁぁぁん!」
空の許しの言葉が、ラグンの心の堤防を決壊させた。
耐えきれなくなったラグンは、子供のように泣きじゃくりながら空の腰に抱きついた。空は苦笑しながらも、「よしよし、男がいつまでも泣くんじゃない」と空は苦笑しながら、ラグンの背中をポンポンと叩いて宥めた。エドガーはその光景を、主の慈悲深さを再確認するように、眩しそうに見守っていた。
数分後。
涙を拭ったラグンがようやく顔を上げると、空は話を切り替えるように問いかけた。
「で、仕事の方はどうだ? 鉱山が潰れちまったんだ、生活が大変だろ」
ラグンは鼻をすすり、少し照れくさそうに、しかし誇らしげな表情で語り出した。
「あ、そのことなんですけど……実は、信じられないことが起きたんです。昨日、ダリオさんから急ぎの連絡があって……手つかずの『新しい鉱山』が見つかったらしいんです!」
「へぇ、新しい鉱山?」
空はとぼけた顔をして聞き返した。
「はい! アーリスからそれほど遠くない北の連峰の一角に、奇跡的に今まで発見されていなかった山があったんです。ロッキド鉱山が崩壊した翌日、地殻変動の影響か何かで、山の一部が剥がれ落ちて……そこから見たこともないほど純度の高い鉄鉱石が露出していたのを、偵察の冒険者が偶然見つけたらしくて」
ラグンは興奮気味に身を乗り出して語る。
「ダリオさんは即座に利権を確保して、僕たちロッキド鉱山の元労働者全員を、その新しい鉱山の専属として雇ってくれることになりました。すでにギルドの実力派冒険者たちが安全調査を済ませていて、魔物一匹いないことが保証されています。安全で、しかも仕事も以前より良い条件で……仲間たちもみんな、奇跡が起きたって喜んでいるんです」
「そりゃあいい。お前の家族も、これで安心だな」
空がニコニコと笑う。
その笑顔の裏側に隠された真実を、ラグンは一生知ることはないだろう。
女王との戦闘が終わった、その翌朝のことだ。
空は、異空間でエドガーが朝食の準備をしている間、静かに崩壊したロッキド鉱山の跡地を見下ろしていた。
そこにはもう、豊かな鉱脈も、人々の生活を支える基盤も残っていなかった。ただの巨大なクレーターだ。空は、ラグンの絶望に満ちた顔を思い出していた。家族を救うために世界を敵に回そうとした、あの愚かで、しかし真っ直ぐな青年の未来を。
「……ま、このままだと後味が悪いしな」
空は誰もいない荒野で、右手の指を軽く動かした。
彼の瞳が金色の光を帯び、神の権能が発動する。
対象は、アーリス近郊にある、何の変哲もない普通の岩山。
空はその山の原子構造を分解し、再構築した。
内部に複雑かつ安全な坑道を張り巡らせ、壁面には最高品質の鉄鉱石を。さらに、その深層へ向かうほどに、この世界では稀とされる希少鉱石の脈を「創造」した。
地殻を弄り、時間の流れを加速させ、数万年かけて形成されるはずの鉱脈を、ものの数秒で完成させる。
空が作り出したこの鉱山は、下に潜れば潜るほど、オリハルコンやミスリル、さらには魔力を秘めた属性石さえもが自然に「実る」ように設計されている。
これは、ラグンとその仲間たちが、生涯にわたって――いや、その子孫までもが豊かに暮らしていけるための、空からの「プレゼント」であった。
「あまりに出しすぎると相場が崩れるから、深層への道は少し複雑にしておいた。……頑張って掘るんだな、ラグン…」
空が指を弾くと、山の一部が崩れ、光り輝く鉱石が地表に顔を出した。
それが、冒険者に「偶然」発見されるように仕向けたのも、空の演出であった。
「……それで、今日はダリオさんのところへ挨拶に行くんです。空さん、エドガーさん、本当に……本当にありがとうございました」
ラグンは再び深く頭を下げ、今度は希望に満ちた表情で立ち上がった。
「またな、ラグン。新しい鉱石が見つかったら、エドガーに新しいティーポットでも作ってやってくれ」
「はい! 最高のスズで作らせます!」
ラグンは元気に走り去っていった。
ラグンと別れた二人は、そのまま冒険者ギルドへと足を向けた。
「さて、エドガー。ラグンの奴もあの様子なら大丈夫そうだな」
空は後頭部で両手を組み、軽やかな足取りで進む。
「左様でございますね。あの熱意であれば、空様が用意された至宝の山も、正しくこの街の糧となることでしょう。……もっとも、彼らが深層に辿り着くには、数代の歳月が必要かもしれませんが」
「いいんだよ、それで。一晩で全ての財宝を掘り出したら、この国の経済がひっくり返っちまうからな。……おっと、着いたぞ」
二人の目の前に現れたのは、巨大な石造りの建物――アーリス冒険者ギルド。
女王との決戦後、一時は混着状態だったギルドも、今や全国から集まった冒険者や、赤犬の残党処理、鉱山の事後処理に奔走する職員たちでごった返していた。
二人が重厚な扉を押し開けて中に入ると、騒がしかったロビーの一角が、ふっと静まり返った。
「……あの時の二人か?」
「ああ、女王と戦っていたカイルさんの隣にいた……」
冒険者たちの囁き声が響く。空はそれらを鼻歌で受け流しながら掲示板へと向かおうとしたが、その行く手を阻むように一人の女性が駆け寄ってきた。
「――空さん! エドガーさん!!」
それは、今回の事件で「暁の羽根」の補給や後方支援を担っていた女性冒険者、ラフィーナだった。彼女は、王都でも名の通った実力派クランの一員であり、その可憐な容姿と確かな実力で多くの冒険者から慕われている。
しかし、今の彼女の瞳には、掲示板も周囲の冒険者も映っていない。その潤んだ視線は、真っ直ぐにエドガーへと向けられていた。
「お二人とも、お怪我はなかったですか? 特にエドガーさん…あの時は赤犬の刺客から私を守っていただき、本当にありがとうございました。エドガーさんのあの時の鮮やかな剣捌き、私、一生忘れません!」
ラフィーナの熱烈な感謝――いや、告白に近い言葉に、周囲の男性冒険者たちから
「おいおい……」「あのラフィーナが……」と、羨望と絶望の入り混じった溜息が漏れる。
当のエドガーは、まるで天気の話でもされたかのように、穏やかな笑みを崩さない。
「ご心配痛み入ります、ラフィーナ殿。私は主の傍らに立つ者として、当然の務めを果たしたまでです」
エドガーの隙のない礼儀正しい返答に、ラフィーナは「はわわ……」と陶酔した声を漏らしている。ラフィーナにとって、自分を救い出したこの老執事は、もはや英雄を通り越して憧れの君となっていた。
空はそれを横目で見ながら、ふと思い出したことを口にした。
「そういえば、シルヴィアさんはどこにいるんだ? 表彰式が終わってから姿を見ていないんだが」
ラフィーナはハッと我に返り、少し寂しそうに答えた。
「ああ……シルヴィアさんですね。実は、彼女ならここには居ません。今回の事件、国にとっても無視できない大事件ですから。詳細な報告と、ギルド本部との協議のために、王都の上層部に呼び出されてしまいまして……。緊急の要請だったので、表彰が終わった後すぐに、ここを出発されました。今はもう王都に着いている頃だと思います」
「王都か……」
空はその言葉を反芻するように呟いた。
王都。この国の心臓部であり、あらゆる権力が集まる場所。
空の脳裏に、女王との戦闘中に感じた違和感が蘇る。
あの時、戦場を覆っていたのは女王の禍々しい魔力と、カイルの黄金の輝きだけではなかった。
(あの微かな魔力……。あの始末屋の陰気な力とは違う。もっとこう、真っ直ぐで、シルヴィアに似た強い力だ。あの場には、俺やエドガー以外にも、事態を『見極めていた』奴がいた……)
戦場の遥か遠方、観測魔法か、あるいは超常的な視力によって自分たちを射抜いていた、「人間の強い力」の残滓。
その魔力は、シルヴィアと同じ系統の「秩序」や「守護」を感じさせる力。
「……何か、気になることでも?」
エドガーが首を傾げて空の顔を覗き込む。
「いや。……王都は美味しい菓子が多いのかと思ってな」
「左様でございますか。……王都には美しい香りの茶葉や珍しい食材も多いと聞きます。主が行かれる場所であれば、どこへでもお供いたします」
空は掲示板に並ぶ依頼の紙を眺めた。
エドガーがラフィーナの猛烈なアプローチを「左様でございますか」「それは重畳です」と柳に風と受け流している間に、空の目はある一枚の依頼書に釘付けになった。
そこには、金箔で縁取られた高級な羊皮紙に、流麗な文字でこう記されていた。
【緊急護衛依頼:王都行きの特別便】
依頼主:王都貴族、ローゼルス家
内容:アーリスでの私用を終えた貴族一族の、王都までの旅路の護衛。
備考:魔物や、混乱に乗じた賊の襲撃が予想されるため、多くの冒険者を募る。
「……これだ」
空はその紙を、迷いなく剥ぎ取った。
「えっ、空さん、その依頼を受けるんですか!?」
ラフィーナが驚きの声を上げる。
「それはローゼルス家という、王都でもかなり力のある貴族様の依頼です。報酬は破格ですが、その分、要求される礼儀作法や警護レベルは相当なものだと聞いています。……あ、でもエドガーさんがいれば、作法については問題ないかもしれませんね!」
ラフィーナは再びエドガーを見て、うっとりとため息をつく。
空は依頼書を軽く指先で弾きながら、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ああ、これにするよ。ちょうど王都には興味があったんだ。シルヴィアさんが呼ばれた理由も、あの時感じた『視線』の主も……たぶん、あそこに行けば分かる気がするからな」
「……空さん。貴方、本当に不思議な人ですね。ただの冒険者じゃないのは分かっていましたけど……」
ラフィーナは一瞬、鋭い目で空を見つめたが、すぐにいつもの柔らかな笑顔に戻った。
「わかりました。ギルドには私から話を通しておきます。……エドガーさん、王都は美味しいお菓子もたくさんありますから、次にお会いした時は、ぜひお話を聞かせてくださいね!」
「ええ、約束しましょう」
エドガーの優しい声に見送られ、二人はギルドを後にした。
ロッキド鉱山の騒動は、あくまで序章に過ぎない。
女王という天災、赤犬というマフィア、そしてこの一連を見ていたかもしれない「王都からの視線」。
空という神が、この人間たちの箱庭で次に見つける「遊び」は、より複雑で、より刺激的なものになるだろう。
「カイルにも、一応挨拶しておくか。あいつもいずれまた会うだろうしな」
空の足取りは軽く、しかしその瞳には、世界の理を見通す鋭い光が宿っていた。
新たな旅路の幕が開く。
空の瞳には、まだ見ぬ王都の光景と、そこで待ち受けるであろう「強者」との邂逅を期待する、好奇心の火が灯っていた。
ここで第一章は終わりです。第二章は執筆中ですのでお待ちください。第二章からはさらに面白くなると思っているので楽しみにお待ちください。




