14空音からの手紙
裏には”空音より”と書いてある。あの子が手紙だなんてやる性分だとは思えない。
学校では全員から怖い人認定されていたし、思い入れとか余韻とかがほとんどない人でもあった。しかし私は最後まで、彼女との生活を満喫した。
♢
『葉那〜!早く帰ろ〜!』
下駄箱で上履きからローファーに履き替えていると、ポニーテールが派手に揺れている空音が声をかけてきた。
『今日居酒屋行かね?』
『待ってありすぎる!』
私たちは放課後になると真っ直ぐ家に帰る訳がなく、とりあえずどこかに遊びに行っていた。よく足を運んでいたのはカラオケと私の家の居酒屋。初めて会った時に空音のコミュ力が高すぎた故に、私の両親が随分と空音のことを気に入ってしまったのだ。そのため、両親は私に空音をうちに連れてきていいぞと口酸っぱく言っていた。この言葉をもう何度聞いたことか。
だから、私はお構いなく何度も何度も空音を居酒屋に連れてきていた。その度に空音は明るく笑い転げて楽しんでくれた。
空音にとって居酒屋は第二の家のようだった。
私の家は学校から歩いて行ける距離に位置している。空音は自転車で登下校しているため前カゴに二人の荷物を入れて話しながら帰っていた。
『佐藤って面白いけどたまにズレてる時ない?』
『あるわ〜!』
なんて、砕けた会話しかしてないけど。
『ただいま〜。』
私は厨房に立っている父親に挨拶をした。空音と一緒に暖簾をくぐり中に入った。
確か、この日は夏だったかな。七月の終わりに差し掛かろうとしていた頃だった。もちろん宿題なんて一つも終わっていない。お互いやる気なんてこれっぽっちもなかった。
私たちはただ純粋に今を楽しんでいたかっただけ。
『どれにする?』
『とりあえずいつものやつでしょ?』
空音がいう″いつものやつ”とは、枝豆、焼き鳥5種盛り、コーラの3セットだ。私たちはまず最初に必ずこれを頼む。
『すいませーん!』
『はーい。あら〜!空音ちゃんじゃな〜い!』
私の母親は空音の存在に気づき、いつも客と接する顔ではないまた別の表情になっていた。態度が表に出過ぎている気がする。まぁ空音のことが好きなら仕方ないか。
『二人とも、いつものやつでいい?』
『さっすがお母さん!それでお願いします!』
『そんなにお腹空いてるの?お弁当は食べたの?』
『食べたけどね〜。私はいつどこでもお腹が減ってるんです!』
二人はいつも私のことを置いてけぼりにして会話を進めている。母親は娘である私より空音に対して娘感を出していた。これが意気投合というものなんだろう。
『はいはいいいから注文お願いします〜』
『また拗ねちゃって〜!ごめんね空音ちゃん。』
空音は笑顔で会釈をした。母親は父親に注文内容を伝えた。
何で二人はこんなに仲がいいんだ?友達として悔しいくらいだ。
『そういえばさ.....』
食事が来るまでしばらく二人で団欒を過ごした。
空音は、入院前と入院後で性格がガラリと変わった。学校に来なくなってからは根暗い性格になってしまい、一緒にいても笑うことが少なくなった。常に私が笑わせている感じ。
いつもだったら面白いことも面白いと感じなくなっているのだろう。空音の表情を見ていればすぐに分かる。日を重ねるごとに目元のクマは悪化していて顔も痩せ細っていき、彼女を見るのが億劫になっていた。そのため見舞いにいかな時期があり、その間彼女が何を思っていたことか。聞きたくない。きっと私を悪者と思っているから。
ある日、空音のお父さんが私の居酒屋まで足を運んできた。前触れもなく訪問してきたので正直驚いたが、私の母親は快くハイボールを提供した。
彼は焼き鳥をつまみにお酒を平らげた。私が食器を回収しようとした時、彼は重い口を開いた。
『あの子はね、母さんに似て気が強いせいか友達が少ない。唯一の友達の葉那ちゃんは、大事な大事な宝物なんだよね。だから、どうか最後まで友達でいてやってくれ。』
お父さんはスッと立ち上がり会計を済ませて早足で居酒屋を後にした。私はその場で何も言い返すことができなかった。彼の後ろ姿を見届けた後に言われたことを回顧した。
でも、空音の顔を見ただけで胸がキューって苦しくなるの。化け物になっていく彼女をいつまでも親友と呼べるかと言われれば、自信を持って答えられない。もちろん入院前はそんなことなかった。
元気はつらつで苦しいことなんて一ミリも感じさせない彼女は、私の憧れの存在だった。元気な子が近くにいるだけで自分の思考回路も同じように形成され、物事をポジティブに捉えることができる。周りに影響力を与えられる空音は、私の背中をいつでも強く、正しく押してくれる戦友のようだったな。
でも、もう会えないのか……。
声も聞けない、話せない。
目を合わせて笑えない。
一緒に歩幅を合わせて帰れない。
もっとたくさん話せてれば、もっとたくさん空音のことを知れていれば。もっと早く出会っていれば。もっとバカみたいに仲良くなってれば、空音は死なずに済んだのかな。
毎晩自分を責めては泣いた。泣いたって空音は戻ってこない。死んだ命は生き返らない。
なんでいっつも私は運が悪いのかな。私の運勢が良ければ。
世界には70億を超える人口がいるのに、なぜか空音が選ばれた。もちろん彼女が志願したわけじゃない。なんで彼女が病気になっちゃったんだろうな。空音はまだまだこれからの人なのに‥‥。日本を代表する漫画家になって、たくさんの人から尊敬されて、愛されて。
「はぁ。」
少し、感情的になってしまった。
自分の中で言い表せない感情を収めようと一度上を向いて深呼吸をした。この思いを誰かにぶつけたところで、空音は帰ってこない。いま意味のない行動は無価値だと思う。
他にもいい思い出はたくさんあるはずだけど、やっぱり最後に思い出すのは何気ない日常だった。
可愛らしい手紙の裏には気さくな字で”葉那へ”と書かれていた。その字は今にも浮かび上がってきて息をしそう。
「.....」
中身を開けようとテープを剥がした。
中身の紙を取り出した。紙は二つに山折にされており、同じものが二枚入っていた。
これが、空音からの手紙?私はまじまじと見つめたあと、どんなことが書いてあるんだろうと不思議に感じた。内容次第によっては空音の遺影にデコピンをしてやろう。
「はぁ.....」
手紙を見る前から緊張が止まらずにいた。手も震えてうまく紙が開けない。ものすごく内容が気になるけど、それ以前にどんな内容かが怖くて怖くて仕方ないのだ。まず確定で泣く。本当にそれは確定事項。
ゆっくりと息を呑み、意を決して山折の手紙を開く。紙を開く音が耳をいつも以上に刺激した。
中身がチラッと見える。
「えっ。」
紙いっぱいに書かれた大量の文字。詰めて詰めて頑張って書いたんだなと思う。
『葉那へ。
お元気ですか?
この手紙は、空から届いた空音の手紙だと思ってね。
私はたぶん、もう同じ世界にはいないと思います。
この手紙を書いてる時も、ときどき心臓に痛みがきて
佐野さんを呼んでいます。たくさんの人に迷惑をかけ
、かけた挙句こんなことになってしまいごめんね。
もっと話したいこともあったけど、話しきれないこと
は手紙に収めようと思います。
えっと、何から話せばいいのかな。いつも言ってるけ
ど、最後まで私の元に来てくれてありがとう。興味本
位でいろんな子が来てくれてたよね。でも、その子た
ちも徐々にいなくなって私を冷たい目で見るようにな
った。死にたくなくてこっちは必死なのに、なんで私
を敵に回すのかなとか、じゃあ私と入れ替わってよ、
とか、悪い思いが何度も頭の中を交錯しています。そ
んな中だけど、葉那は最初から最後まで、私といてく
れた。本当にありがとう。
私は闘病中、何度も何度も何度も、葉那に救われまし
た。胸が痛い、吐き気がする、頭が痛い、立ち上がれ
ない、これ、1日の中で起こった出来事です。本当に死
ぬかと思いました。けど、この体験をなかったことの
ようにしてくれたのは世界で一人、葉那だけ。
覚えてるかな?一度だけ、葉那が夜中にこっそり病院
に入って私の病室まできてくれたこと。私が集中治療
室から出れたその日の夜。私が弱音を吐いたら葉那は
走って来てくれたよね。夏場だったからか、汗がすご
かったよ。そして一晩、泊まってずっとおしゃべりし
たよね。あの時は、思い出しただけで笑っちゃうよ。
私が吐き気がした時も、すぐ袋を持ってきて背中をさ
すってくれたよね。何度も、何度も何度も励ましの言
葉をかけてくれたよね。そのおかげで、普段は長時間
続くはずの吐き気も、5分で治っちゃった。あの時は
ありがとうございましたね。
葉那と出会って何年経つのかな〜。もうずっと長いこ
といる気がするよ。もし葉那と出会っていなければ、
どうなってたかな〜ってよく考えるんだよね。意外と
普通に生活できるかも?なんて、そんなわけないよ。
葉那がいないなんて、考えられるわけない。葉那がい
ない学校、公園、居酒屋、旅行、数えきれない幸せが
あるのは葉那がずっとそばにいてくれたからです。心
からありがとう、と伝えたいです。
長くなったけど最後だけ。もう飽きてるんじゃな
い?!眠くなってたら許さないから!
私の願いは、どうか、私のことをずっと引きずらない
でほしい。それだけがお願いです。葉那は優しいか
ら、私なんかのことで葉那の夢を潰して欲しくないで
す。私に見せつけるつもりで、夢に向かって全力にな
ってください。
健康第一に、諦めずに。大丈夫。葉那なら転んでもす
ぐに立ち上がれる。失敗はして当たり前だからね。恐
れてはだめだよ。その先に必ず未来があるから安心し
て、気持ちを強く持って、どうか幸せに生きてくださ
い。おばあちゃんになった葉那と会えるのを、楽しみ
にしています』
「やだ.....やだよ.....」
2枚にわたる手紙を読み終えた。
空音が残した言葉の数々は、彼女の生きた証となった。これが彼女の生き様、生きた道なんだと。
手紙の中身の文字を少し読んだだけで、早々に私の頬は涙によって濡らされていたことに気づいた。
空音の書体は耽美で読みやすい。
私は空音の字をよく知っている。誰よりも知っている。何でこんなに綺麗なのかなと分析したこともあるくらいだ。でも、分析結果は内緒にしておく。
私は涙が止まらずとめどなく溢れ続けた。
“お元気ですか“
なんてことない6文字だけど、こんなにもの破壊力があるだなんて、私は知るよしもなかった。
私は滅多に涙を流さない。だけど空音のことになるとすぐに感情的になり涙なしではいられない。いつまでも、彼女には敵わないな。
私はついに声を漏らして泣き始めた。もう自分を制御できなかった。
すると、徐々に周りの人が気づき始めたのか、視線を感じるようになった。特に、少し前に座っている同級生達の視線が痛い。
恥ずかしい。
「そら.....ね.....。」
私は自分の手の甲で何度も涙を拭った。
『まぁ、葉那って空音と仲良かったからね。』
『大丈夫かな?話しかけに行った方がいい?』
『いやいやいや、今行っても無視されるだけだよ。』
『てかちょっと泣きすぎじゃない?』
『見せつけたいだけでしょ。』
全部聞こえてるよ。
『な、なんなのよあんた!』
まだ何かゴタゴタ言っている。今はあまり大きな声で喋らないでほしい。今だけ耳障りな人たちだと捉えてしまう。
「辛いよね。」
「へ?」
耳元で優しい声がした。目を向けると、困った顔をした小林がいた。眉を寄せて優しく微笑んでいた。
お線香をあげたのかな、香りが鼻をツーンさせる。
さらに背中を撫でながら私の横の椅子に腰掛けた。
「あの子たち、同じクラスの子?」
私は何度も首を縦に振った。
「うざいわーコソコソ喋るなんて。」
小林は独り言なのか、あの子達に向けて言ってるのか、曖昧な言葉を発した。
小林は私の背中に手を伸ばして上下にさすってきた。大きく、ゆっくりと、尋常なほど暖かかった。その反動で、私は再び机に突っ伏せた。
「みなさん!もうそろそろ始めますので!こちらにお願いします!」
遠くから誰かの声が指揮をとっていた。空音のお父さんかな。
続々と人が立ち上がり大移動を始めていた。私はうつ伏せになったまま鼻を啜り、横に人の足音を感じていた。
「はなちゃん?いけそう?」
すると、誰かが私の名前を呼んだ。
「落ち着きそうですか?」
「少しそっとしてあげてください。」
「分かりました。」
すぐ耳元で小林と誰かが会話をしていた。
今はどんな声でも鬱陶しく感じるのに、彼の声は鬱陶しくなるどころか安心してしまう。
「すみません。もう、始まりますよね。小林さんは行ってきてください。」
私は俯いたまま小林を葬式に参加するよう促した。
「俺は葉那ちゃんが落ち着くまで一緒にいるよ。」
私はうつ伏せで視界が暗闇の中で目を見開いた。自分に寄り添ってくれる人間が、この世にいるなんて想像できなかった。
私は兄弟もおらず、両親は居酒屋の経営で学校行事に一度も来てくれなかった。常に孤独を感じていた人生だった。
「すみません。すみません.....」
私はひたすら謝り続けた。その度に背中の温もりは温かさを増していった。
♢
「それでは、失礼します。」
あれ?視線がいつもより高く感じた。誰かにおんぶされている感覚。
「葉那ちゃんはこうなると思ってたよ。あの子の葬式なんて来れたとしても正気を保てないって。」
「ははっ。そうですよね。あとすみません。涼ってどこにいるか知ってますか?」
「朝倉先生なら、お手洗いに行ってると思います。」
「そうですか。ありがとうございます。」
私の体は少しだけ揺れながら前進をした。
「.....あれ?」
私は本格的に目を覚ました。気づいたら、小林の背中に体を預けていた。大きくて安定感のある背中は見ての通りだった。
「あ、起きた?」
小林が優しく問いかけてきた。
「わたし、寝ちゃった?」
「背中さすってたら、話しかけても起きないから顔をのぞいたらぐっすり寝てましたよー。」
「えー。すみません。」
「いえいえ。起きたばかりに歩くのは危ないからこのままタクシーまでおんぶしてくね。あと、これから行きたいところがあるので、一緒に来てくれますか?」
行きたいところ?彼が行きたいところなんて見当がつかない。私が行く理由も何かあるのかな。
「大丈夫です。」
「よかった〜。」
ピンポーン
エレベーターの扉が開き、軽い足取りでエレベーターの中に入って行った。私は小林の首に腕を巻きつけて自分の手と手を握っていた。頬が背中にくっつき距離がぐっと縮まる。
「そういえば、葉那ちゃん家の焼き鳥美味しいよね。味付けどうなってんの?」
「そんなの知りませんよ。使ってる工程なんて見たことないですから。」
小林は、そっか〜とその場を流しながら私の体を少し持ち上げた。私なんか重いかな、と心配しながら彼の耳を目の前にした。
「なんで家の居酒屋に来てくれたんですか?」
「なんでだっけな〜。俺が見つけて涼と行ったっきり二人でハマちゃって。何回か行かせてもらってます。」
「そうですか。」
今思えば、空音が入院する前から大男二人が来ていた気がする。まさか小林と朝倉だったとは、出会いってのは分からないものなんだな〜。
二人で会話する時間も少しになり、もうすぐで一階に着いてしまう。降りないでもっとこの背中にいたいと思ってしまう。二人の時間を長いこと過ごしたいと心の底から思った。
エレベーターの扉が開き、来た時の葬式場の入り口にやってきた。
「わ!涼いるじゃん。葉那ちゃん寝たふりして!」
「え、あ、はい。」
分かってた。なんとなく寝たふりをしたほうがいいのは。
小林が私のことを意味もなくおんぶをしているなんて怪しすぎるし、何か訳がないと筋が通らない。
小林は朝倉に私をおんぶしているところを見られたくないはず。だから、私が寝てしまいおんぶして来たってことにしようとしてるんだ。
「あれ?葉那ちゃん寝ちゃったの?」
「うん。葉那ちゃん来てくれるって。」
「てか来てくれないと困る。あ、タクシー来た。」
薄く目を開くと、道路の脇にタクシーが一台止まっていた。朝倉と小林は歩いて車内に足を運んだ。
「3人でお願いします。」
小林が運転手に向かって言った。
「どちらまで行かれますか?」
「宮古島市街地の方までお願いします。」
「かしこまりました〜。」
小林は私のことを座席に座らせたのち、自分も乗り込んだ。左から私、小林、朝倉の順に座った。
車のエンジンがかかり初動が思ったよりも勢いがあった。
体の揺れを感じながら細目で車窓を見つめた。
行きの時とは違い、随分と浮腫が取れていた。雨が降っていた曇天も太陽が差し込んでいた。
タクシーの進む速度が速くなるにつれて、車窓の変化も早くなっていった。




