13傘を忘れた日
ポツ、ポツ、ポツ
「はぁ。」
空を見上げてれば、雨が降ってきた。朝は澄んでいた空も今は曇天の雲が空を覆っていた。目線をどこに向けても暗かった。まるで夜みたいだ。
『まもなく、到着します』
スマホから着信音が聞こえた。呼び出したタクシーがもうすぐ到着するようだった。
腕時計を確認すると、約束の時間に間に合わなさそうだった。
ブォォォォォォォォン
「お待たせしました!すいませんね!」
私は会釈をしてタクシーに乗りこんだ。
「どちらまで行かれますか?」
「平良までお願いします。」
「かしこまりましたー。」
私は運転手に行き先を伝えた。タクシー運転手はアクセルを踏み、車を発車させた。徐々にスピードを早めて進んでいく。
「今日は一日雨みたいですね〜。朝は晴れていたんですけどね。」
「そうですね。」
「これからどちらに行かれるんですか?」
「友人の葬式です。」
「あ、そうですか。お悔やみ申し上げます。」
運転手はそれから何も言わずにひたすら運転を続けた。男の人だったが、彼自身も聞いてはいけないことを聞いてしまったなと思っているに違いない。
もともと行き先を聞くこともどうかと思うが、そんなのどうでもいい。
目の前にあるテレビ画面の映像は笑えてくるほど興味がなく、仕方がなく窓の外に目を向けた。同時に車窓の流れも目まぐるしく変わっていく。
何度でも思う。今日は珍しく雨が降っていた。しとしととした小粒の雨が地面を濡らしていた。普段の宮古島は雨なんて降らない。暑さだけが続くのだけど、いきなり今日になって雨が降ってきた。これは畑職人も嬉しいことだろう。
って、いつもはこんなに天気のことを思わない。暑いなーとかすら思わないのに、今日は特別天気を気にしてしまう。
何でかな。
興味があるわけじゃないし。
でも、空を見ると彼女のことを思い出してしまうのだ。それが唯一辛いことだった。
こんなにも気分がドンと下がるのは人生で初めてのこと。
なぜなら、私は今、親友の葬式会場に向かっているからだ。
窓を見つめているだけなのに、こんなにも気分が落ち込むのはなぜだろう。
その時だった。
プルルルル
ポケットに入れているスマホが鳴った。
私は手に取りながら運転手さんに会釈をした。
「もしもし?」
『あとどれくらいで着きそうですか?もうすぐ始まりますよ?』
電話の相手は、小林だった。特段に低い声が特徴的ですぐに判断がつく。
「すみません。もうすぐ着きます。」
『了解です。』
私は耳からスマホを離してスマホの画面を切った。
やはり時間はギリギリのようだった。クソが、運転手が来るのが遅れたからだ。この野郎。せっかく忘れかけていた彼女のことを思い出させるし。
こんな人のことは考えまいと私は再び窓の外に視界をやった。外は暗くて、窓は曇っていた。そのため、自分の顔が鮮明に反射されていた。
「マジかよ。」
泣いたと分かる顔がそこには写されていた。目元がふっくら腫れていて、涙の痕がくっきり残っていた。眼球も見事に真っ赤に染まっていた。
見たくない見たくない。
私は反射的に窓から顔を逸らした。
こんな人間味のない顔なんて誰も見たくない。
思い返せば、昨日の夜までずっと彼女のことで泣いていた。
一応学校には行ったけど、まともに授業なんて受けられなかった。
昨日がテスト最終日だった。今回のテストは、彼女のおかげで全滅だな。
「この辺でよろしいでしょうか?」
いつの間にか、平良に到着していた。
「あ、この辺りで止めてください。」
急ぎ気味で私は運転手に声をかけた。
車は葬式場の少し前で停車した。
「ありがとうございます〜。こちら料金です。」
「えっと、これでお願いします。」
「ありがとうございます。ちょうどお預かりいたしますねー。扉あきまーす。」
彼は棒読みで扉を開けた。私一人なんかに感情的になって構って話す時間なんてない。彼は仕事中。私はただの金になる客なのだ。
「またのご利用お願いしまーす。」
運転手は手際よく扉を開け閉めした。
ゴーーーーーーー
車はスピードを早めてすぐそこの角で右折した。私はタクシーを見届けた後、後ろを振り向いて葬式場に足を運んだ。
人とすれ違うたびに、こんな奴らも死ねばいいのにと思ってしまう自分を殺したくなる。なんて最低な奴だ。
クソが。
何で、なんで彼女だけが死ぬんだ。
足元に目をやってみる。進んでいるはずなのに中々進まない足。ガタついてて今にも転びそうだった。一層このまま転んでいい感じに頭を打って死んでやろうかな。そうすれば、会えるよねきっと。
ザァァァァ
急激に雨が強くなった。
私は鞄から折り畳み傘を取り出そうとした。
あ、傘忘れちゃった。鞄の中にはほとんど何も入っていなかった。少し期待した私が馬鹿だったな。
服も髪も全部濡れてしまう。でももう、どうでもいいや。たかが濡れるだけ。
私はびしょ濡れになりながら葬式場に向かった。
私は目が悪い。休日は基本外に出ないため眼鏡をかけている。学校のある日はコンタクトレンズをつけている。
今日もコンタクトレンズを使おうとしたが、忘れてしまった。着替えることだけに集中してしまったせいだと反省する。
しかし、葬式場が目線の中に入った瞬間、外の入り口に二人の男がいることに気づいた。
「葉那ちゃ〜ん!」
それは、医師の小林悠二と朝倉涼だった。
「どうも。」
私は二人に向かって小さくお辞儀をした。
顔を上げて小林を見上げると、小林が驚きながら笑い転げていた。
「びしょ濡れじゃないですか!タオル持ってきますから少し待っててください!」
彼は小走りでどこかに行ってしまった。エレベーターを使って上は上へと上昇していった。
私はそれを見上げた後、朝倉に目を向けた。
コイツと話すことなんて一言もない。話す話題が何も思いつかない。
「あんた、大丈夫?」
私は一言振り絞って呟いた。こんなにも気まずい空気は味わいたくないのだ。喋ることだけが取り柄の私にとって、この空間は最悪なものだった。
私が口を開いた途端に、朝倉は少し微笑んだ。そして一言呟くように言った。
「うん。大丈夫ですよ。」
少し上からな態度に少々苛立ちを覚えた。
この人に対して言えることが一つある。それは、多分コイツもたっくさん泣いたということだ。
なぜなら、私と同じように目が真っ赤に腫れていたからだ。目を開けるのも精一杯という私と同じ現象が目の前で起きていたのだ。
「目真っ赤何だから説得力ないって。」
「しょ、しょうがないだろ。」
突然にして、朝倉は泣きそうな顔になった。
え、は?私が泣かせちゃった?
「おい!泣くなよ!男がメソメソと泣くな!」
あ、また言ってしまった。言葉を挽回させるなんて出来ない。言ってしまったものを無かったことにするなんて出来ない。
私はいつも人に対して強い口調で話してしまう。言ってしまった後、またやってしまったと何度も思う。反省してもまた繰り返される。ダメな癖だ。
「おーい!」
朝倉を自分なりに慰めていると、一人の男の声がした。声のする方に注意を向けると、タオルを持った小林がエレベーターから降りてこちらに走ってきていた。彼は思いきりこちらに向かって直進してきた。
「濡れたら風邪引いちゃいますよ。」
「は?!なにすんだよ!」
「はいはいはいお静かにしてくださーい。」
小林はそう言いながら私の頭にタオルをかけた。そして、ゴシゴシと勢いよく頭を拭いた。
「痛い痛い!」
「時間ないですから!」
彼は優しく拭いたり時には力強く私の頭を拭いた。
「もう‥‥」
「はい!おしまいです!」
最後に彼は私に目線を合わせて私の前髪を整えた。
血筋がはっきりと通った大きな手が、私の髪の毛にフワリと自然に触れたのだ。
その瞬間に、息が出来なくなるほどの苦しい感覚に襲われた。
「かんぺき!ほら!涼も泣くなって!いくよ!」
そう言いながら小林は朝倉の腕を引っ張って一緒にエレベーターに向かって歩き出してしまった。
私はそれに続くように二人についていった。
「なんでそんなに泣いてんだよ〜!」
この二人って、こんなにくっついて仲良かったんだ。彼女の見舞いに行く度といっていいほど朝倉と遭遇したが、そんな人はいなかった。
まさかここの二人が知り合いだなんて、驚いた。
ピンポーン
「どーぞ。」
「どーも。」
私は小林に手招きをされながらエレベーターに乗り込んだ。次に小林と朝倉が乗り込んできた。
『ドアが閉まります』
ガチャン
ドアがしまった瞬間、雨の音は消えて朝倉の鼻を啜る音だけが響いた。
その間もなぜか小林は朝倉を慰めていた。私はその姿を見て、とうとう呆れる領域までこようとしていた。
朝倉が彼女を想っていたことは薄々知っていたが、まさかここまでとはな。
二人の姿を見るたびに思うことがある。本当に身長が高いな〜って。二人の身長に圧倒されてしまった。
私は身長が低かった。彼女の身長は164cmほどあるのにも関わらず、私は160cmにも及ばない。156cmほどしかないのだ。無論、クラスの中でもダントツで身長が低い。
彼女や彼らを見て私も身長がもっと伸びればなーって思う。そうすれば小林と対等に話せる。
彼女と朝倉を見ていると、身長差が本当にちょうどいいのだ。羨ましいなとよく思っていたものだ。
ピンポーン
「どーぞ。」
小林が開くボタンを押したまま私と朝倉を先に降ろしてくれた。
私は彼に軽くお辞儀をしてエレベーターから降りた。
降りた瞬間、室内が異様な空気に包まれていた。
まず、降りた瞬間に葬儀場に直結していた。扉一枚あるわけでもなく。
その部屋は、もともと二つ三つに分かれていたようだが、扉を全て外して広い一つの部屋になっていた。
部屋の中にいる者は誰一人と喋っておらず、そこにいる誰もが無言のままいくつかの机を囲っていた。
見慣れた顔の人が何人もいた。私のクラスの同級生だ。クラスメイトが死んだらこんなにもの同級生が葬式に来るのか。
でも、そこまで彼女と交流が会ったわけでもないのに葬儀の時だけ正装をしてまるで関係者です感を出して、本当にムカつく。虫唾が走るわ。
別の机に目をやるとそこには、彼女の父親もいた。
誰かと小声で話しているようだった。少しの涙も流すことなく笑顔で話をしている。
「じゃあ俺は先に行ってるから。」
朝倉は小林に言って私の目の先にある彼女の父親のところに行ってしまった。そっか、彼は彼女の担当医だったのか。すっかり忘れてしまっていた。
私はどうすればいいか分からず、エレベーターの前で硬直していた。
同級生のところに言って何か話す?でもこんな暗い雰囲気で話すことなんてない。
じゃあ朝倉と一緒にお父さんのところに行く?それもなんか図々しい気がする。
「大丈夫ですか?」
すると、後ろから小林が声をかけてきた。突然の呟きに私はは上手く反応できなかった。
「あ、いや。こうゆうの初めてだから‥‥。」
「‥‥一緒にいましょうか?」
「え?」
思わず彼の顔をじっと見てしまった。ふと目と目が合ってしまい私は目を逸らす。
彼の声はとても落ち着いていた。ここにいる誰よりも落ち着いていた。誰もが動揺してしまうはずのこの場で落ち着けるなんて。
こんな奴にいちいち思うことが全て同じ。苦しくて苦しくて胸がはち切れそうな私の心臓の穴を埋めてくれるように。
私は一泊置いて、再び彼の顔を見て行った。
(改良途中)
「おね、がいします‥‥。」
私は泣きながらお願いした。うまく言葉が出ずにいた。空音の葬式場に来たら、抑えていた感情を抑えきれずにいた。
「うん。大丈夫大丈夫。」
彼は私の頭を何度も何度もポンポンポンと撫でた。
彼は私の手を彼の袖に当てた。
私はそのまま小林の袖を掴んだ。黒のスーツにシワがついてしまうのでは、と心配もあったが、そんなことよりも今は誰かの安心が欲しかった。
小林は私の方をチラチラと見ながら朝倉の方に歩いて行った。
「あの‥‥」
「どした?」
「空音のお父さんのところ行ってきます。」
「‥‥分かった。」
彼の声はやはり落ち着いていた。私は小林の服の袖を離した。その瞬間に、心の中でじわっと孤独感が広がった。誰かといたい。そんな思いが込められていた。
空音のお父さんのところに向かっている途中、私は何度か小林の方を向いた。
彼は朝倉と話していて見向きもしてくれなかった。
何の話してるんだろう。
私も肩を並べて彼と話してみたい。きっと小林から見た私は、ただの子供にすぎないのだ。
「‥‥すみません?」
「はい。あー!葉那ちゃん!今日は来てくれてありがとうね!」
「いえいえ。」
「空音も喜んでると思うよ。葉那ちゃんはあの子にとって唯一の友達だからね。」
空音のお父さんは空音の遺影を見て優しく微笑んだ。その横顔は、どうも空音に似ていた。
微笑んだ時に潰れる目、少しだけ目立つえくぼ、歯を出して笑う口。
どのパーツも空音そっくりだ。
泣くな。抑えろ。
私は必死に泣くのを抑えた。
「あ、そういえば、空音が葉那ちゃんに渡したいものがあるって、生前残したんだ。」
「渡したいもの?」
「うん、これなんだけど‥‥。」
空音のお父さんは、小さな手紙のようなものを手渡ししてきた。
「これは?」
「私も中身を見ていないから分からないのだけど、多分手紙かな?空音、色んな人に手紙を書いていたみたいだし。帰ったら読んでやってくれ。」
私はお父さんの方を見た。
眉を寄せているが、口角は上がっていた。
「白夜さーん。担当さんがお呼びですよー!」
「あ、はい!今行きます!じゃ、またあとで!」
私はコクリと頷いた。
そして、空音のお父さんは席を立って声のする方に向かって小走りで走っていってしまった。
「‥‥。」
私はお父さんから貰った手紙を見つめた。
裏を見てみると、“そらねより“と丁寧に書かれていた。