学校祭
プールに行った日の翌日。脳も筋肉でできているような職人風の男が、相楽家の玄関口に朝早くからずっと立っている。沙羅は一応気づいていたのだが、引いている重量級の自転車を見るまではアキラとはわからなかった。
「相楽先輩。き、きのうは失礼しました。加奈子先輩まなみ先輩から、今日来るように言われましたので、参上しました。」
「ええっ?」
沙羅は慌てて玄関先に出てみたが、昨日の今日でどんな顔をすれば良いのか。二人とも、下を向いたまま会話をしていた。
「せ、生物部展示の準備は始まってもいません。」
「それは…。」
どの高校でも学校祭がある。沙羅たちの高校では九月下旬に学校祭が予定されていた。沙羅の所属する生物部との予定は、水性動植物の生態展示と解説。部員の沙羅にもアキラにも今までほとんど暇なし。当然、八月下旬になっても準備は出来ていない。
沙羅は突然の訪問に驚いていた。アキラはそれに構わずいきなり質問をぶつける。
「お二人は来ていますか?」
「え、来るなんて、聞いてないよ。」
二人は思わず顔を上げて、また下を向いた。
「てっきり手伝ってくれるのかと、思ったのに。」
「確かに、休みは今日までだわ。でも、…」
やらなければならないことははっきりしていた。沙羅は着替えて玄関へと出た。体操服とバンダナ。アキラは沙羅を前にして、着痩せするという意味を初めて理解した。沙羅も、職人風の作業服姿のアキラに、学生服の彼とは違うたくましさを感じている。二人は無言のまま、自転車で土手の道を水元の小合溜へ向かった。
小合溜につくと、タモ網や割り箸を使ってミジンコや珪藻類を集める。アキラが用意した牛乳瓶は、あともう少しで満杯になる。あともう少し……。
二人とも昨日の疲れが残っていた。沙羅は斜面の草むらに足を滑らせたが踏ん張りがきかない。
「いたたた…。」
沙羅は足がつったせいで、膝と脛とをコンクリートに強かにぶつけた。アキラは、斜面から池に落ちないように両手で踏ん張って体を張って沙羅を受け止めるものの、激痛に顔をゆがめた沙羅はアキラに体を預けるしかなかった。沙羅がどいてくれればアキラも自分の不安定な態勢をなんとかできるのだが・・・・。このままでは池に落ちてしまう。二人はしばらく動けなかった。
どのくらいそうしていたのだろうか。互いに自らの鼓動に相手の鼓動が重なる。ほんの少しの時は、彼らにとって長かった。
激痛が引くまでのちょっとの間の接触。沙羅の腕と頬を受け止めたアキラの胸板。受け止めた沙羅の柔らかさと髪の香り。アキラの胸に広がった亜麻色の長い髪。二人の香りと触覚とがまじりあい、一瞬の甘美な感情が彼らを覆っていた。
「ご、ごめんなさい。」
「いや、うっ・・・。僕がしっかり立ってなかったのがわるかったんです。」
沙羅は余韻に俯き、アキラは衝動に耐えようと己が頬を打ち叩いた。夕日は既に傾き、その赤い日が互いの頬の赤みを巧みに隠す。互いが接した感触。二人の体に残る火照り。それらは、その後、経験のあまりに少な過ぎる彼らの就寝の悩みとなり夢となり想いとなって、彼らの疼きを増すことになる。
秋の学校祭は、二人や新部員となった友人たち、生物部の先輩達の協力で無事に終了した。沙羅の継父が二度目の発作で倒れたのは、その一週間後だった。