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姉と弟と

 沙羅の葬儀は、彼女の遺言により府中のカトリック教会で行われた。

 お御堂には、沙羅が運び込まれる前からレクイエムの演奏が荘厳に響いていた。いまは、その音に幾重にも包まれ、沙羅の体は花と共に横たえられている。

 アキラは諦めきれていない。何度も沙羅の許に来ては、武骨な男の両手で石のように冷え切った彼女の頬を温める。今まで何度も頬ずりをしてきた沙羅の顔をまた温めれば、起きるとさえ思っていた。だが、沙羅の頬には涙がいくつもかかる。流したことのないアキラの涙だった。

 蓋が閉じられると、さすがにもう沙羅に触れることができない現実を目の前にして、アキラは泣き叫んだ。忍達に抱き留められながら、アキラは床に突っ伏ししていた。

「沙羅さん、沙羅先輩。私の愛、私の命……。」

 祈りの言葉さえ取り乱したままのアキラは、もうそれ以上何もできなかった。彼は祭壇からも遠ざけられ、葬儀は終わった。アキラの叫びと、会葬者たちの嗚咽の中、サラの体は運ばれていった。


 多磨霊園の河原家の墓石には、「私は彼等の名を決して命の書から消すことはない」と刻まれていた。その墓名碑リストには、すでにアキラの父親「フリオ ハルディ」、母親「河原志ん」と刻まれている。その隣に、「沙羅 ジョーディ-相楽」も刻まれた。


 その日からアキラは愚かになった。来る日もくる日も、雨の日も雪の日でさえも、墓の前で気のふれた老人のように、ボソボソと独り言を言い続けている。それは彼なりの天への祈りだった。

「僕の命は貴方には不要です。沙羅さんの名前を命の書に刻んで下さるならば。

 僕の未来は貴方には不要です。沙羅さんの未来を約束してくださるならば。

 僕の歌は貴方には不要です。沙羅さんの歌声を再び響かせて下さるならば。」


 ………………………


 沙羅が亡くなって七年が経った。はけの家は、今は他人に貸している。住み続けた際についた幾つもの傷。それが二人の時、家族の時を思い出させる。家の家具や柱、壁にへばりついたさまざまな記憶が、心の空洞を露出させ続ける。傷だらけのはけの家を、アキラは見続けることが出来なかった。


 アキラは宇都宮の富士重工に戻っていた。エンジンの振動解析と不穏振動退治の研究をしつつ、独身寮と研究室とを往復する毎日。

 最近は、ようやく沙羅のいないことにも慣れ、自分たち夫婦のことを振り返ることが多くなった。今は、宇都宮の独身寮に持ち込んだ沙羅の遺品を整理している。遺品を取り出しては、沙羅が亡くなる前までの沙羅との会話を何度も思い起こしている。

 手に取った沙羅の古いアルバムには、子供達と沙羅との写真が納められている。その中には、忍と百合がカリフォルニアへ旅立つ直前の家族写真がある。それが一番良く沙羅を写している。

 沙羅は、さらわれた時には子供の靴下しか持っていなかった。そのとき沙羅は、どんな顔をしていたのだろう。写真を持たず、会うことを諦め、ただ靴下に書かれた子供たちの名前をなぞりつつ、夫や子供達を愛し続けていた。アキラは、彼女のそんな生き方の証を、名前として刻みたかった。


 ………………………


 業者に頼んだことは、墓の裏に父母と沙羅の刻まれた名前の横にアルファベットを刻むことだった。業者からの案を見ると、アキラの父の名が「JULIO JARDI」と刻まれていた。業者の言うには、スペイン語では「フリオハルディ」はこのように刻むということだった。そして、その隣に刻まれた沙羅のアルファベットを初めて見たアキラは、独り言のように呟いた。


「ふーん、パスポートをみると、英語で『SARA JARDI-SAGARA 』と記載するんだな。父さんとファミリーネイムが同じなのか?。確か、沙羅のお父さんの名は『ジュリオジョーディ』だったよなぁ。英語で刻むと……『JULIO JARDI』……。名前が僕の父さんと同じ⁈。偶然なのか⁈。まさかね……。」


 それを忘れたころ、アキラの知らない沙羅の遺品を見出した。

 沙羅の遺品には、高校時代の、つまり結婚前の彼女の持ち物が含まれている。今までほとんど見ることのないものだった。高校時代の彼女のことは、よく知っているつもりだった。そのあとの再会の日までのことは、あまり知りたくなかった。だから今まで見向きもしなかった沙羅の過去……。

 その中にあった古いペンダント。アキラは単なるアクセサリーだと思っていた。手に取ると、単なるペンダントではなく、中が空洞。何かが入っている。それはいつか聞いた、沙羅の母親と父親、そして赤ん坊だった沙羅の写真の入れ物だった。

 それは幸福に包まれた若い一家の写真。父親の顔は、メキシコ人の彫りの深い顔。横から当たる陽に、影が作られている。これが沙羅の父親だった。


 ……それはアキラの父親の顔でもあった。


 アキラは息を殺し、汗を拭き、電話をかけた。出たのは重蔵。

「おじさん……。」

「どうしたんだ。こんな時間に⁈。」

「沙羅さんのペンダントがあった。高校時代の持ち物だった。僕も高校時代に見たことのあるやつ……。その中に、まさか写真があったなんて知らなかった。」

「それがどうしたんだ?。」

「僕の父さんが写っていた……。」

「え?!。」

「墓に、父や沙羅さんのアルファベットを刻もうと思って業者さんに頼んだら、二人とも、名前に『JARDI』というファミリーネイムがあるんだ。僕の父さんの名は『フリオハルディ』、つまり『JULIO JARDI』と刻まれる。そして、沙羅さんから聞いたことのある彼女の父親の名前は、『ジュリオジョーディ』だった。アルファベットで刻むと『JULIO JARDI』となるんだ。それで、沙羅さんの遺品を漁ったら、高校時代に見たことのあるペンダントがあった……。中を見たことはなかったんだけどね。」

「それが、おめえの父さんの写真、『フリオハルディ』さんだったのか?。沙羅さんは、おめえの姉さんだった⁈。忍くんと百合さんは俺たちの肉親、おめえの甥と姪だってえのか⁈。」

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