これが近道?
「な……なんだこりゃあ!?」
誰かの素っ頓狂な叫びが耳を打ちます。
「なんだよ、これ……さっきまで荒地だったよな!?」
「………おい、本物だぞ、この葉っぱ……」
青褪めたアランジェロさんとオットーさんが呟くのを聞きながら、わたくしはただ唖然と立ち尽くすしかありませんでした。
先ほどまで、確かにわたくしたちは荒野にいました。
ほとんど草木も生えていない、茶色い岩場で、大きな岩の上に寺院の廃墟があって。その岩が割れて通路が現れるまで―――いえ、あの時地面が光るまで、わたくしたちは確かにあの場所にいたのです!
「い……いったいなんなんだよ!これは!!あたしらをどこへ連れてきたんだ!!!」
「おや、これは異なことを。近道ですよ、近道。これをお望みだったのでしょう?」
我に返ったように怒鳴るカーラさんに、マースデン伯はうっすらと笑みを浮かべました。
「近道…って………」
「私の役割は、秘密の近道を通り、あなた方を追手がかかる前にセレステへ連れていくこと。どうです?間違ってはいないはずだが?」
「……っ……」
あまりに堂々としたマースデン伯に、さすがのカーラさんも言葉に詰まったようです。
「た……確かに近道があるとは聞いていたが……とにかく、ここは何処なんだよ!?それが判らねえことにゃ本当に近道したのかどうか、知りようがねえだろうが!!」
「ここですか?ここはグスタフ領の北のはずれ……マースという村の近くです。距離にして……そうですな、120キロほど距離を稼いだことになりますか」
「ひゃく……」
気を取り直したように問い詰めたアランジェロさんも、マースデン伯の答えに絶句しています。
でもそれはわたくしも同じでした。
グスタフ伯爵領と言えば、王都から馬車で4日ほどもかかる東北の地です。お兄様たち討伐隊のように早馬を使った進軍でもない限り、とても1日半で到達できる場所ではありません。それをたった一瞬で……?
「お疑いなら、マースの村へ行って聞いてみるといい。この村はどこのなんという村なのか、と。間違いなくグスタフ領マース村と答えるでしょうね」
そう言って、マースデン伯は言葉もないわたくしたちを見回し、悠然と微笑みますが。
その微笑みが穏やかであればあるほど、わけのわからない『近道』と、それを操るこの方が恐ろしくて……得体が知れなくて。
わたくしはぞっと鳥肌が立つのを抑えられませんでした。
「ば……化け物……」
でも、それはほかのみなさまも同じ……いえ、それ以上だったようです。
「化け物かおまえ!それとも妖術使いか!?こんな怪しい術を使いやがって!!」
震えあがったジョーさんがマースデン伯に指を突き付け、じりじりと後ずさりをしながら叫びました。
「落ち着け、ジョー!」
「これが落ち着いていられるか!こいつは悪魔だ!悪魔に違いねえ!『近道』だ!?こんな奴について行ったら、次はどこへ飛ばされるか判ったもんじゃねえぞ!」
落ち着かせようとするアランジェロさんを振り払い、ジョーさんは顔を真っ赤にして手近にあった棒を掴みます。
「失せやがれ!この悪魔!!」
「駄目!!」
咄嗟にわたくしはジョーさん目掛け、手許にあったカップを投げつけておりました。
運よくカップはジョーさんの手に当たり、ジョーさんは棒を取り落としました。
「何しやがる!このクソあま!!」
「なりません!マースデン伯は名うての冒険家で、荒事にも慣れていらっしゃいます!殴り掛かれば手討にされるのはあなたの方ですわ!!」
馬車から乗り出すようにして叫べば、ジョーさんはわたくしとマースデン伯を見比べ、微笑を浮かべるマースデン伯が腰の剣を半分抜いていることに気づいて真っ青になりました。
「マースデン伯、どうかご容赦くださいませ。いきなりわけがわからない体験をして、みなさん怖がっていらっしゃるのですわ!何が起きたのか、説明をお願いできません?」
「ふむ、確かに。これは、私にも配慮が足りなかったようですな」
エリスさんの手を借りて馬車から降りつつお願いすると、マースデン伯は仕方ない、というように肩をすくめます。
「アリアドネ嬢はグエルグという一族をご存知ですかな?」
「グエルグ……」
剣を納めつつそう問われ、わたくしは記憶を掘り起こしました。
「たしか……神秘の民と呼ばれる一族ではなかったかしら。魔法のような様々な秘術を行使し、一夜にして地形を変えたり、海を割ったりしたという……?」
「おお……さすがはアリアドネ嬢。博識でいらっしゃる!」
幸いわたくしの記憶に間違いはなかったようで、満足げに頷くマースデン伯のご機嫌がよくなったことに、わたくしは内心ほっと胸をなでおろしました。
貴族に殴り掛かろうとするような暴挙、その場で斬り捨てられても文句は言えませんもの。
「では今の『近道』とやらはグエルグの……?でもグエルグ族は遠い昔に滅んでしまったのでは……?」
「確かにグエルグの国は滅びました。でも、ほんの一握り……まだその血と叡智を受け継ぐ者が存在するのですよ。私はその方と知己を得て、お力をお借りするに至ったのです!」
「じゃ……じゃあ何かい?今のはその……ナントカ族の魔法……なのかい?」
わたくしの背中に隠れて、エリスさんが恐る恐る口を挟みます。
「あたしらは魔法で飛ばされたって?」
「ふむ、概ねその解釈で間違いないでしょう」
平民であるエリスさんまでが話に加わったことで、マースデン伯のご機嫌はさらに上昇したようでした。うんうんと頷きながら詳しい説明をなさいます。
「判りやすく言うと、これは設置型の魔法陣なのです。ある地点からある地点へ。専用の魔法具へ真言を唱えることにより術は発動し、人や物を転移させるのです。魔法陣自体は動かせないため、次の魔法陣までは自力で移動するしかありませんが」
「まあ!ではこのような魔法陣がいくつもあるのですか!?」
「……それは秘密です。アリアドネ様にとて、そうそう簡単には明かせませんな」
悪戯っぽくそう言ってウィンクをして。
「あと2回。あと2回の『跳躍』で、必ずや誰よりも早くセレステへみなさまを送り届けて見せましょう。……これで納得いただけましたかな?納得いただけたなら、先を急ぎましょう。次の魔法陣まではまだまだ遠いのですから」
言いながら馬の首を返すマースデン伯に、誰が何を言えるでしょう……。
わたくしたちは黙って馬車に乗り込み、彼に従うしかなかったのです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それからの行程は、まるでお通夜のようでした。
みなさま黙りこくり、カーラさんの威勢さえすっかり鳴りを潜めています。
それは、あの信じられないような『近道』に加え、マースデン伯が狼藉を働くジョーさんに平然と剣を抜いたこと、そしてあのあとマースの村に立ち寄った時のことが尾を引いているのかもしれません。
マース村でアランジェロさんは道に迷った風を装い、、村人にこの村の名前と位置を確認しました。すると、村人はこぞってこの村がマース村であること、グスタフ領だということを認めたのです。
『本当かい?本当にここがマース村で間違いないのかい?』
何度も尋ねるアランジェロさんに村長は怪訝な顔をして。
『おかしなお人だね、いったいどこへ行くつもりだったんだい?』
それでも親切に周辺の図を書いて説明してくださいました。その結果、間違いなくここはマース村だと……120キロもの距離を一瞬にして跳び越えたのだと認めざるを得なくなったのです。
混乱と畏怖を抱え、わたくしたちはマースデン伯の言うがままに馬車を走らせるしかありませんでした。
このあたりの地理には詳しいのか、マースデン伯は時折指示を与えながらわたくしたちを先導していきます。
やがて日が暮れるころには、一行は道を少し外れた、壊れかけた教会の廃墟にたどり着き、野営の準備を始めておりました。
「アランジェロさん、わたくしにも何かお手伝いできることはないかしら?」
「……じゃあ、馬とロビンに餌をやってくれ。馬の餌はそこ、ロビンのはこっちだ」
「まあ!ロビンさんのごはん係ですのね?喜んで!」
手持無沙汰のあまりアランジェロさんに伺うと、アランジェロさんは呆れたような顔をしつつもお仕事を割り振ってくださいます。わたくしはこれ幸いと馬たちの方へ向かいました。
みなさまが立ち働くなか、ただ座っているのが申し訳なかったのもありますが……なにやらマースデン伯にじっと観察されているようで、居心地悪いことこの上なかったのです。
「………おい、水だ」
「あら!ありがとうございます」
伺った分量を量り、馬とロビンさんにごはんをあげていると、ジョーさんが近くの小川で汲んできたらしい水を届けてくださいます。
「………あのよ」
水桶をそこへ置いたジョーさんは、なにやらもごもごと口ごもって。
「その……さっきは……ありがとよ。おかげで命拾いしたわ……」
「……いいえ、そんな。思い直してくださってよかったですわ」
照れくさいのか、口を尖らせ、頭をがりがり掻きながらジョーさんはわたくしにお礼を言ってくださいました。
「マースデン伯はああ見えて何度も単身の東方遠征を成功させている方です。山賊や夜盗を何人も返り討ちにしたとも聞いています。おそらく、身の危険を感じれば躊躇なく剣を振るう方ですわ。どうかお気をつけて」
「……お、おう。肝に銘じとくぜ」
わたくしの忠告にぶるりと身震いをし、神妙な顔で去っていくジョーさんを見送って、わたくしはため息をつきました。
「……ランス……さま……」
思わず弱音が口をつきます。
見上げた空はもうすっかり暗く、切れ切れの雲の合間から星が瞬いているだけ。鳥の姿はありません。
もう一度ため息をつき、わたくしはロビンさんの肩に額を押し付けました。
………どうしよう……あんな『近道』を通られては……追跡も振り切られてしまったわ……
居ても立っても居られないような不安と焦燥が胸の中でどんどん膨らんでいきます。
わたくしが不安を抱えつつも平静を保っていられたのには理由がありました。
初日こそ王都から離れることに絶望を感じていましたが、2日目の夜……気絶から目を覚ました後に、ふと気づいたのです。馬車のすぐそば―――よく茂った枝にとまる、一羽の鳥に。
それは、小さな梟でした。
夜に梟が飛ぶことなど、珍しいことではありません。でも、わたくしの記憶に間違いがなければ初日の夜にも梟の鳴き声がしていたのです。
そしてその次の日。
馬車の幌に止まっていた、金と緑の蝶。季節外れのツバメ、大空を旋回していた、黒い鷹。
……ああ、これはみなさまの―――マリナ様の、トカフマン先輩の、サイファー様の、そしてオレイアス殿下の守護精ではないのかしら……!!
守護精を封じられた今のわたくしでは交信することは叶いませんが、みなさまがわたくしを追跡してくださっているのではないかしら。
そう思えばこそ、わたくしは気をしっかり持っていられたのです。
それなのに………。
「………アリアドネ嬢……?」
どれくらい物思いに沈んでいたでしょうか。
不意に背後からかけられた声に、わたくしは飛び上がりそうになりました。
慌てて振り返れば、そこには柔和な笑みを浮かべるマースデン伯が。
「マ……マースデン伯……」
「おお、これは申し訳ない。怖がらせるつもりはなかったのですが……」
まるでロビンさんにしがみつくような格好で振り向いたわたくしに苦笑して、マースデン伯は丁寧に腰を折ります。
「あなたほどのかたが何故このような雑用を?馬の世話など、あの平民に任せればよろしいのに」
「いいえ、わたくしが頼んでやらせていただいているのですわ。何もしないのも手持無沙汰ですし、ロバさんは可愛いし」
「……アリアドネ嬢は本当に不思議なお方だ」
くすりと笑って、マースデン伯は一歩間合いを詰めてきます。
「……それは、本当に手持無沙汰だからでしょうか?それとも……」
意味深に一度そこで言葉を区切って。
「……セレステへ着くのが怖いから……ですか?」
「!!」
その言葉に、わたくしは弾かれたように顔を上げてしまいました。
じっとわたくしを見つめる目と目が合ってしまいます。
暗がりのせいでしょうか。普段は青いはずのマースデン伯の目は真っ黒に見えて……なにか、吸い込まれるようで、わたくしは精一杯のさりげなさを装って目を逸らすのがやっとでした。
「……次の『近道』とやらは……まだ遠いんですの?」
「そうですな、ラファティ領に入ってからですから……明日の昼前には」
「ラファティ領……」
その言葉にざわりと胸が騒ぎます。
ラファティ領……巫女様のご実家。
ということは、あと少し北東へ進めばヒューレイ辺境伯領……そしてその向こうは。
「……アリアドネ嬢。私と行きませんか……?」
「……え……?」
いつしか手を握りしめていたわたくしに、突然マースデン伯はそうおっしゃいました。
「行く……って……」
「東方へ。まだ見ぬ世界へ」
何を言われたのかわからなくてぽかんと見上げるわたくしに、マースデン伯はにっこりと微笑みました。
「こんな馬鹿馬鹿しい道行きも、くだらないお役目も。約束も、契約も、すべて捨てて。私と一緒に東方へ行きませんか?」
「東……方……?」
「そうです。美しい、未知の世界。あなたの愛した冒険の世界です。あなたもあの愚かな王太子や王族に未練などないのでしょう?私ならあなたを自由な世界へ攫ってあげられる……あんな妄想狂の小娘の手の届かない場所へ連れて行ってあげられるのですよ?」
その言葉とともに、差し出される、手。
「わたくしが……東方へ………?」
考えたこともなかった申し出に、どくりと胸が高鳴ります。
半分呆気にとられたまま、わたくしはただマースデン伯を見つめるしかできませんでした。
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