やはり……
それはわたくしが牢へ入れられてから2日目の朝。
見張りの騎士がこっそり差し入れてくれた心づくしの盥の水で多少なりとも身を清めたわたくしが、ほっと人心地着いた直後のことでございました。
「アリアドネ・ランバウム。そなたの身柄をゴート教会へ移す」
厳めしい顔つきの大司教様と薄笑いを隠せないモンテナ伯、そして暗い顔のヴェンナー司教様が地下牢を訪れ、重々しい声でそうおっしゃったのです。
「ゴート教会……でございますか?」
ゴート教会と言えば、王都のはずれ、貧民街の傍にある古い教会です。
由緒はあるのですが、なにぶん周りの治安が悪く、ろくに信者もいないと聞いています。修道院ならまだしもそんなところへどうして……奉仕活動でもしろということでしょうか。
ベリーエ監獄よりはましかしら、と思いつつ伺うと、モンテナ伯は堪えきれぬというように含み笑いを漏らしました。
「おやおや……まだ事態が呑み込めていないようですなぁ?なんと暢気な……まだ次期王妃のおつもりのようだ」
まあ!感じの悪い!!
さすがに眉を顰めたわたくしに、大司教様はひとつ咳払いをして。
「神の愛し子たる巫女姫様を亡き者にせんとするそなたの所業、万死に値する。よって、神の名においてそなたに『神の花嫁』を命ずる!即刻ゴート教会へ赴き身を清め、準備ができ次第呪われた地、ガルシア砂漠へと向かうが良い!!」
「そんな!!」
驚きのあまりわたくしは立ち上がりました。
「わたくしは何もしていません!!ろくに調査も裁判もせず、無実を訴えるものを極刑に処すとおっしゃるのですか!!」
「ええい、控えよ!わしは大司教、神の代弁者なるぞ!!」
「構わん!この女を引っ立てろ!!」
「きゃあ!」
にやりと底意地の悪い笑みを浮かべたモンテナ伯の命令で、彼の私兵と思しき騎士たちが牢に乱入し、わたくしの腕を掴みます。
「こんな……こんな無体なやり方が許されると思っているのですか!モンテナ伯!大司教様!」
「お……おお……」
腕と髪を掴まれ、強引に牢から引き出されようとするわたくしを見て、ヴェンナー司教様は真っ青になり、大司教様に取り縋りました。
「猊下!!どうか思いとどまりください!!ランバウム嬢はかねてより教会を支持し、礼拝をかかさない敬虔な信者!その彼女がこうまで潔白を主張しているのです!確たる証拠もなくこのような仕打ち、あまりにもこれは……」
「黙れ!神はお怒りである!その怒りが王国を滅ぼす前にこの悪女に死を与えるのだ!!」
「司教様!!」
なんてこと!大司教様は、取りなそうとする司教様を手に持った司教杖で打ち据えたのです!!
「司教様!司教様!!」
「構わぬ!その女を連れて行け!」
足元に蹲る司教様には一切構わずそう叫ぶ大司教様の目に浮かぶのは、強大な権力に酔いしれる喜悦の色。
………ああ……このかたは、もはやわたくしの知る堅物の大司教様ではないのです。あの、ドロレス様の体を乗っ取った、『あのかた』に完全に支配されてしまったのですわ……。
成す術もなくわたくしは引き摺られるようにして牢から出され、手枷をはめられてゴート教会へ連行されました。
「さあ!さっさと歩け!」
「ッ!!」
教会に着いた途端、今度は髪を掴んで馬車から引き摺り下ろされ、教会前の石畳に突き飛ばされます。硬い石畳で強かに体を打ち、わたくしは悲鳴を嚙み殺すので精一杯でした。
「けっ!強情な女だ!声一つ上げやがらねえ」
「おい、あんまり乱暴な真似は」
「はっ!何言ってんだ。モンテナ伯は、この女を辱めて悲鳴を上げさせるのをお望みだぜ?ちっとくらい手荒に扱ってやった方が、伯もお喜びになるってもん、よっ!」
「!!」
そんな私兵たちのやり取りを聞きながらなんとか身を起こそうとしたところで背中を蹴られ、わたくしは無様にその場に倒れ伏しました。
「ははは!いいざまだぜ!侯爵令嬢ともあろう者がよ!こんな貧民街の地べたに這い蹲ってよ!!」
その背中に吐きかけられた唾と哄笑。周りからの白い目。
ああ………何故わたくしがこんな謂れのない辱めを……怒りで気が遠くなりそう……
それでも歯を食いしばり、わたくしは何とか身を起こしました。
絶対……絶対に悲鳴なんかあげてやるものですか……こんな下種な男たちが喜ぶことなど、絶対にしてやらない……!!
「なんだその目は!」
まだ立てないまま振り向き、嘲笑い続ける私兵を睨み上げると、彼は少しだけ怯み、それからますますいきり立ったように声を荒げました。
「……べつに?」
無実の女性にこんな仕打ちのできる、屑のような騎士。
その顔と守護精をしっかり目に焼き付けていますのよ。もしわたくしの潔白が証明されてこの愚かな判決が覆った時、相応のお礼をしてあげられるように。
……当然ですわよね、わたくし、お優しい聖女様ではなく悪役令嬢だそうですもの。うけた仕打ちは10倍返し。これ、基本ですわ。
「このっ……」
さすがに口には出さなかったものの、わたくしの目つきが気に入らなかったのでしょう、男は舌打ちをして殴りかかってきます。
あら、まずいわ。後ろ手で拘束されるとこんなに動きが制限されますのね。これは殴られてしまうかしら……。
そんなふうに、どこか他人事のように思ったとき。
「そこまで!!」
厳しい声が男と、ダメもとで蹴飛ばしてみようかしらと思っていたわたくしの動きを止めました。
「……マリナ様?」
聞き覚えのある声に教会の方を振り向くと、教会前の階段の上に仁王立ちになる、青ざめた顔のマリナ様。
「その人はこれから身を清め、『神の花嫁』になるんです。いわば、神への捧げもの。それを傷つけるなど言語道断!あなたたちの所業はドリー様と大司教様に報告させていただきますからね!」
「そ、そんな……」
「ですが、モンテナ伯はこの女を痛めつけろと……」
「モンテナ伯がそう言ったんですか?」
慌てたように弁解する男たちをじろりと睨んで黙らせて。
「だとしたら、それも問題ですね。陛下にご注進しなければ。とにかく、ここから先はわたしが引き継ぎます」
言いながら近づいてきたマリナ様は手を貸してわたくしを立たせてくださいました。
まだ文句があるような私兵たちを睨んで追い払い、マリナ様はもう一度わたくしに向き直ります。
「マリナ様……あの……」
「どうぞこちらへ。まず身を清めていただきます。昼食の後、大司教様の祈りの儀式、出立は夕方になる予定です」
「あ……」
言うだけ言うとマリナ様は用は済んだと言わんばかりに背を向けてしまいました。わたくしが付いてくるのが当然だというように、教会前の階段を上っていきます。仕方なくわたくしはそのあとを追うしかありませんでした。
「あの、マリナ様?マリナ様!」
呼びかけてもその背中が振り返ることはなく。わたくしたちは身廊を抜け、階段を降り、教会の地下へと向かったのです。
ゴート教会の内部は、外見同様古びて粗末なものでした。
その中をマリナ様は迷うことなく進み、とある扉を開けます。
「まあ!」
突き当りと思しきその部屋の中央には、なんとこんこんと湧き出る泉があったのです!
「こんなところに泉があるなんて!」
「古くは巫女姫の禊に使われたっていう逸話のある泉です。この教会がどんなに廃れても取り壊しにならない理由ですね」
ただただ驚いてあたりを見渡すしかないわたくしに、マリナ様はタオルを突きつけました。
「あの扉の奥に浴場があります。それを脱いで身を清めた後、棚にある服に着替えてください。ルビーさんはいませんが、おひとりで大丈夫ですか?」
「も……もちろんですわ!」
ちょっと馬鹿にしたような言い方に思わずむっとして、タオルをひったくってしまいます。
昨日のカーラさんといい、わたくし、ひとりではお風呂にも入れない箱入り娘だとでも思われているのかしら?!
「では、ここで見張りをしていますので」
そういうマリナ様の横を通り過ぎ、わたくしは浴室の扉を開けたのです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
結論を申し上げると、3日ぶりのまともなお風呂はとても気持ちがいいものでした………。
わざとゆっくりお風呂を堪能(決して手間取ったわけではありませんのよ!?)して置いてあった白のドレスに着替えたわたくしは、同じ地下にある牢へと案内されました。
不本意ではありますが、入らないというわけにはまいりません。
王宮の地下牢よりもずっと手狭で、牢というよりは檻というほうが相応しいその場所へ再び大司教様が訪れたのは、わたくしがパンと水だけの昼食を終え、小一時間ほどが経った頃でした。
「では、これより出立の儀を執り行う」
反射的に膝を折ったわたくしに、高圧的に言い放ち、大司教様は何やら唱え始めました。
出立の儀って何をするのかしら?と目を閉じて聞いていましたが……あら?これってごく普通の、旅立ちの祝福ではないかしら?
そうか、つまり、出立の儀とか言っていてもそんなものはないのですね?
考えてみれば当然の話です。『神の花嫁』なんて生贄の儀式、わが国にはありませんもの。
時間をかけて調べればガルシア王国で行われたというその儀式の祝詞もわかるでしょうが……それをしないということは、相当に急いでいるということ。つまりこの『神の花嫁』とやらは、教会の……いいえ、大司教様とモンテナ伯の……あの創造主もどきの暴走なのでは……?
「さて、アリアドネ・ランバウム。何か言い残すことはあるか?」
ややあって短い祈りを終えた大司教様は、わたくしに向き直ってそう尋ねました。
「ええ。言いたいことはいろいろございますが……」
ひとつ息をついて、わたくしはまっすぐに大司教様の目を見据えました。
「まずは陛下の命令書を見せていただけまして?」
「なっ……」
「お持ちのはずですわよね?わが国では極刑の執行には陛下のサインのある命令書が必ず必要ですもの。そして、囚人は希望すればそれを確認できる。刑法でそう決まっていますわ」
明らかに狼狽える大司教様。
「持っていらっしゃらないの?裁判もなしでこの暴挙、やはり陛下のご了承を得ていないのですね?こんなことが許されるとお思いですの!?」
「え……ええい!黙れ黙れ!!」
血相を変え、大司教様は怒鳴りました。
「悠長に裁判などしておられるものか!神はお怒りなのだ!一刻も早くそなたを差し出し、その死をもって慈悲を乞うしかない!!巫女姫様を暗殺しようとした罪、その命で贖うがいい!」
「その犯人がわたくしではなくてもですか!!」
負けずとわたくしも怒鳴り返します。
「確証もなく無実のわたくしを殺し、それで神が納得するのですか!怒りが収まるのですか!巫女様を害そうとした真犯人を見逃しておいて!?」
「ぐ……ぬぬ……」
ぶるぶると震え、歯噛みをしながら大司教様は司教杖を握りしめました。目は血走り、額には太い血管が浮き上がっています。くるりとわたくしに背を向けた大司教様は、その場で大きく息を吐かれました。何度か深呼吸をしてご自分を律しているようです。
しばらくして、平静を取り繕った大司教様は厳めしい顔で振り向きました。
「罪人が何を言おうと罪を逃れることはできぬ。やはり死すべきはそなた。そなたなのだ。なぜなら、従者ドロレス様がそれを望まれるのだから!」
「なっ……」
「従者様は巫女姫様の最大の味方。その従者様のお言葉だ、間違いであるはずがない。あるべき世界のため、そなたは死なねばならぬのだ」
ああ、なんという盲従、恐ろしいまでの思考放棄!
このかたは、ドロレス様……いえ、ドロレス様の皮をかぶった創造主もどきがそう言うから、というただそれだけの理由でわたくしに死ねというのです!
「夕刻にはそなたを護送する準備が整う。ガルシア王国の亡びし都、セレステまで。そこでそなたは鎖に繋がれ、魔獣の……『神の花嫁』となるのだ。もし……仮に、もしそなたが潔白だというのなら魔獣に喰われることはないであろう。それこそが絶対なる神の審判なのだ」
したり顔でそう言い、大司教様は尊大そうに十字を切りました。
「そなたの共犯者もすでに捕えてある。無駄なあがきはせず、心を鎮め神に祈るがいい。良いな」
あまりのことに声も出せないわたくしにそう言い置くと、大司教様は去っていきました。
あとに残されたわたくしは、ただ茫然とその背を見送るしかできません。
ああ……なんてこと。あの創造主もどきの支配がここまでとは。
本来の大司教様は頑固ではありましたが、物事を公平に考える頭くらいはあったはず。そのかたが……あんな……
「………ん?」
千々に乱れる思考をなんとかしようと頭を抱えていたわたくしは、大司教様の言葉の中に聞き捨てならない一言があったことに、ようやく気付きました。
最後に……大司教様はなんておっしゃった?神に祈るがいい?いえ、その前に。
「……共犯者って………誰??」
無実のわたくしにそんなかた、いらっしゃるわけがありません。
唖然と呟いた言葉は、空虚な牢の中にただ消えていったのです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
どれくらい時間がたったでしょうか。
「アリアドネ様」
不意に牢の外から声を掛けられ、わたくしははっと現実に引き戻されました。
「え?あ……マリナ様?」
そこに立っていたのは、大きな包みを抱えたマリナ様。
「護送の準備が整ったそうです。じきに大聖堂を出発し、15分ほどでこちらに参ります」
「そう……ですか」
ため息をつき、わたくしは汚れた石の床に目を落としました。
共犯者が誰のことを言っているのかわかりませんが、少なくともマリナ様ではないようです。
ではリディア様!?いいえ、それならばヒューバート様を呼び寄せることもできなかったはず。だとしたらいったい誰?まさかルビー?
「……アリアドネ様」
目を合わせようとしないわたくしに、マリナ様はもう一度声をかけてきました。
「言っておきますが、守護精を出そうとしても無駄ですよ。その『罪人の指輪』には守護精を封じる力がありますから。解除の魔道具のピンを指輪の隙間に押し込みでもしない限り、指輪を外すこともできません」
「まあ……この指輪にそんな力が……」
思わず、わたくしは自分の右手中指にはまった鉄の輪をまじまじと見つめました。
先ほどの着替えと一緒に置いてあったこの指輪。つけろと言われたので素直に付けましたが……そうですか。魔道具だったのですね。
「アリアドネ様は今夜中に王都を脱し、何日かかけてセレステへと護送されます。表向きはアリアドネ様の身柄はバルバロイ修道院に移されたことになってますから、明後日ジーク様やランス先輩が戦地から戻ったとしても、面会要請が通ったころにはすべては終わっているでしょう。なんせ、バルバロイ修道院は鉄壁の要塞、たとえ王家の要請でもそう簡単に中には入れませんから」
「そう。では、やはり今回のことは大司教様とモンテナ伯の企てたことなのですね」
顔を上げたわたくしを見て、マリナ様はため息交じりに頷きました。
「殿下はあれからずっと臥せっておられます。ベアトリス様はそんな殿下の控えの間にベッタリ張り付いてて。私室にさえ入れてもらえないながらも、その状況にモンテナ伯は次の婚約者にはベアトリス様が選ばれるものとすっかりその気になってるみたいです。アリアドネ様を告発した際に、陛下から『アリアドネが次期王妃になることはない』って言われたから、って。だからあの人たちはランバウム候が帰ってきて、アリアドネ様の裁判を進言する前に、とっととことを進めたいんです」
「……そんなところだろうと思いましたわ」
わたくしもため息をつき、肩を落としました。
しん、と沈黙があたりを満たします。
ぽたり、とどこかで水の滴る音。ジジ……とろうそくの芯が燃える音。その炎が妙に揺らいだように見えたのは、気のせいでしょうか………。
「……わたしのこと、嫌いになりましたよね……」
ややあって、マリナ様がポツリとおっしゃいました。
「あんなにドロレス……いえ、ドリー様を嫌ってたのに、あっさり手のひらを反すような真似をして。リディア様は今もアリアドネ様の無実を信じてるのに、わたしは……見損なったでしょう?裏切り者だって……だから平民は信用できないって」
「マリナ様?そんな……」
「はっきり言ったらいいじゃないですか!!失望したって!許せないって!」
激高したように、マリナ様は両手で牢の格子を掴みました。はずみで抱えていた包みが落ち、中に入っていたペンやノートや……それに本が散らばります。
「わたしだって、本当はアリアドネ様を裏切るような真似、したくなかったですよ!でもしょうがないじゃないですか!リディア様やケイトリン様と違って、平民のわたしには何の後ろ盾もないんですから!!」
「マリナ様……」
「ケイトリン様には罵られました。リディア様には裏切り者って泣かれました。でも……今や学園はドリー様の思いのままです。休暇に入ってるのに全校集会を開いて……アリアドネ様を、巫女様を暗殺しようとした大罪人だって吹聴して。みんなもそれを真に受けて……逆らえるのは、リディア様や一握りの貴族たちだけ。わたしたちみたいな平民が学園に残るには、ドリー様に従うしかないんです……」
「マリナ様……」
俯いてしまったマリナ様の、格子を掴む手にそっと指を伸ばそうとした、そのとき。
「あはははは!!そうだよ、それが賢い選択さ!!特待生になるだけあって、あんた、なかなか要領がいいじゃないか!」
不意に甲高い笑い声が響き、わたくしは驚いて声の方に向き直りました。
先ほど、牢へ入れられるときに通った狭い階段の前、勝ち誇ったように腕を組むカーラさんがいます。そして、その後ろには。
「エリスさん!?」
そこには、後ろ手で縛られ、アランジェロさんに引っ立てられるエリスさんの姿があったのです!
お読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいのですが。
また、評価やリアクションなどいただけると励みになります!
よろしくお願いいたします!




