少年の日常 ②
***午後***
太陽がほぼ天頂で輝き、校庭の木々の紅葉の赤さが際立つ。今日の気温は秋分を終えたとは思えないほどに暖かく、生徒は皆カーディガンは腰に巻いたままシャツのみで過ごしていた。
僕はカーディガンを家に忘れたので、荷物が少なくて済んだと前向きに考えながら午前の授業を終えた後、普段通り五人で昼食を食べた。
結局、全体の半分程しか配れなかったトマトを、僕等は手分けして食べる事になり、午後の授業が始まった今、言うなれば《トマトグロッキー》状態に陥っていた。
「トマト食べ過ぎた」
「美味しかったけど、流石に量が凄かったわ」
「しばらくトマトは見たくねえ」
真昼は机に突っ伏し、赤暮も椅子に座ったまま背もたれに仰け反り、「うー、食い過ぎた気持ちわりぃ」と唸っている。それに反して、僕の隣の席を借りている黄栗はトマトグロッキー状態の僕達を見て、涼しい顔で笑っていた。
「あたしはトマト好きだから有難かったな」
そして、赤暮の隣で姿勢良く座っている青葉も、同じく平然とした顔でその様子を眺めていた。
「てか青葉、お前全然食ってねえじゃん」
「俺トマト嫌い」
青葉の簡潔な一言はバッサリしていて、赤暮に対してはタメ口なのもあり、冷たい印象を受けた。だが赤暮はそれを気にする事もなく、拗ねるように下唇を突き出して青葉を睨む。
「ずりぃ、好き嫌い多いくせにその身長とか、ずりぃよ」
赤暮は基本的に、身長の高い人間やガタイの良い人間に憧れている。確かに男としては逞しくありたいものだけど、赤暮の場合、「その方がなんか強そうだから」といった感覚的な偏見とイメージによる単純なものだった。
「赤暮は百七十センチあるでしょう?別に小さくないじゃない」
机とキスする勢いで伏せていた真昼が、若干回復したのか先程より声のトーンを上げて言った。赤暮は別にチビではない。むしろそこそこ大きい方で、運動神経を鍛えた甲斐あって筋肉もあり、体つきは割とガッシリしている。
「青葉より低い事が問題なんだ!」
それでも、共に時間を過ごしてきたはずの青葉との差が気に食わないようで、駄々をこねるように机を叩く。他愛も無い落書きの施された古くも新しくも無い机が、ミシギシと可哀想な音を立てた。
「…………」
「なんか言ったか?」
「別に」
そんな赤暮を見つめながら、青葉が何かを言ったようだが、マスクをしていることも相まって僕の位置からでは何も分からなかった。
それよりも……。
「その理屈で行くと、百六十の前半で、黄栗よりも小さい僕の立場がない」
心の中で呟いていた筈の言葉は、声に出てしまったようで、黄栗は屈託なく笑みをこぼしながら隣の席を指差した。
「ふふふ、頑張って抜かしてね。それより、夕理ちゃんが置いてきぼりだよ」
「えっ、だっ大丈夫です」
指した方向には、緩やかなウェーブの黒髪に少し垂れた目をした少女が、ちょこんと座っている。物腰柔らかな表情と、その体躯の小柄さがその子の大人しさを印象付けている。少し丈の長いスカートからは一年生らしい初々しさを感じる。
「わりぃわりぃ、忘れてた!」
「赤暮君なんてこと言うのよ」
赤暮に悪気はないのだろうが、同じように喋っていた真昼は自分のことを棚に上げていつの間にかあちらサイドだ。女子って怖い。真昼に若干調子のいいところがあるのは重々承知しているので、呆れながらも話を進める。
「じゃあ、とりあえず自己紹介しようか」
待ってましたと言わんばかりに、赤暮は立ち上がって自分を親指で指す。目立つ赤い髪に気の強いつり目、光る歯は野生的というか、大人し目の女子と合わな過ぎる気がするが、赤暮の社交性を舐めてはいけない。
「まずこの俺、ヒーローになる男! 現原赤暮だ!」
「「簡潔で分かりやすい自己紹介アリガトウゴザイマシタァ~」」
青葉と黄栗が明らかに馬鹿にした声で合わせて棒読みすると、赤暮は「まだ終わってねえよ!」と、勢いよくつっこんで自己紹介を続けた。何というか、見ていて面白い三人組なのは確かだ。
「一応サッカー部だ。まあ、こんなナリだけど、俺は正義の味方だから、安心して話しかけてくれよ!」
「は、はい、よろしくお願いします」
「うん」
そう力強く頷いて笑う赤暮の顔は、普段の様子が嘘のように優しく、綺麗で、大人びていた。初めて彼のこの顔を見た時は僕も唖然としたものだ。
同じように、韓神さんはぽかんと顔を赤くして見惚れていた。
赤暮の笑顔は人の心を掴み、目を奪う力を持っているのだと思う。老若男女関係なく、相手にこいつは本当に良いやつなんだろうなと思わせて来る。天性のオーラのようなもので、普段の性格が嘘のように慈愛に満ちた表情で相手の警戒心をいとも簡単に解いてしまう。本人は多分無自覚だし、それによって意外にモテる事も気づいていない。
見慣れた黄栗はそれをスルーして、韓神さんに向かって明るく自己紹介をする。振り向いた瞬間に、人当たりの良い微笑みとはミスマッチなさらりとした派手髪が靡いた。
「あたしは知っての通り、朝見黄栗です。部活は茶道部だよ。最近の趣味は、赤暮をさりげな〜くからかう事〜」
「おい!」
同じクラスのよしみか、心なしか表情が緩んだ韓神さんは安心した表情を見せてくれた。
「黄栗ちゃんて、茶道部だったんだ。今度遊びに行ってもいい?」
「是非! いつでも歓迎するよ」
途中、立ち上がって「おいちょっと待て! 趣味!」と言う声がしたが、面倒なのでみんな無視だ。
「星野青葉です」
突然、何の前触れもなく低い声が響いた。青葉なりの自己紹介だったようだが、真昼の気には召さなかった様で、不満気に睨まれている。黄栗も咎める様に青葉をつつくが、青葉は我関せずといった風に机に肘をついた。
「それだけ?」
「ちゃんと紹介しなさいよ」
「だっ、大丈夫だよ。同じクラスだし、ある程度は知ってるから」
青葉が連れてきた様なものなのに、無関心な態度をとる彼に違和感はあるが、韓神さんが気にしていない様なので良しとした。
「そう? ならいいわ。私は舞崎真昼、朝陽とは幼馴染よ。あとは、演劇部で役者をしているの」
「あっ、夏の公演観ました!」
「あら本当? 嬉しいわ」
嬉しそうに掌を合わせる真昼は、今にも飛び跳ねてしまいそうだった。
実は真昼は、本格的に舞台役者を目指す演劇部期待の新人で、ヒロインを演じたら右に出るものはいないと聞く。兄妹にも等しい幼馴染の人気は、僕としても喜ばしく鼻高々なのだが、この学校の演劇部の演目は少々苦手だった。
「とっても素敵だったよ。なんて言えばいいのかな、本当に宇宙人に攫われた気分になった」
「そうそう、星が爆発して河童と子猿が散り散りになるシーンなんて感動的だったわ」
「舞崎さんの演ってた超能力者のイタコも、凄く格好良かったよ!」
聞いてのとおり、あらすじだけでは理解不能な内容は、脚本を担当している部長の趣味だとかで、毎回オリジナルのトンデモストーリーだ。イタコとはそもそも超能力者ではないのか。
「わあ、ありがとう。朝陽今の聞いた?」
目を輝かせながら、本当に嬉しそうな真昼に気を遣って、僕は笑顔で答える。
「うん、あれは中々斬新な演劇だったね」
青葉と黄栗のヒソヒソと話す声が聞こえる。
「観に行ってないけど、どんな劇なのか全くわからない」
「うん、観に行ったあたしもわからない」
大丈夫、口には出していないがぶっちゃけ僕にもよく分からなかった。
心の中で頷きながら、自分の番だと気づいて思わず立ち上がる。
「あ、僕だけほんとに初対面だね。美影朝陽、現役帰宅部の部長でエースだよ」
「帰宅部のエースってなんだ」
「活動内容は主に帰宅時間の最短記録を更新し続けること、近道の開拓、いかに有意義な放課後を過ごすかの研究」
「やばい、なにそれ朝陽にピッタリだね」
これは、前に自己紹介ネタでウケていたから言ってみただけの使い回しだ。若干馬鹿にされたが、青葉も震えているところを見ると、割と笑いを取れた様で僕は満足だ。
しかし、真昼だけがじとっとした目で此方を見ている。しまった。このネタ、中学の時の真昼が言ったやつだった。あとで謝ろう。内心焦りながら、表面上普通を装って韓神さんの方を見る。
「あ、よろしくお願いします。えっと、美影君?」
「朝陽でいいよ。僕等全員お互いに名前呼びだからさ」
「私も真昼でいいわよ」
「あたしは既に呼ばれてるけど、ほら青葉も」
「俺は別にどっちでもいいです」
「俺は赤暮な!」
「わ、分かりました」
気のせいか、僕にだけ表情が硬い気がする。内気な性格や見た目からも伝わってくる通り、人見知りなのかもしれない。
「改めまして、韓神夕理です。園芸部と広報委員を兼任しています。今回は突然頼んだのに、入れてくれてありがとう」
丁寧で落ち着いた口調は、不思議と安心感があって、彼女の謙虚な姿勢が伝わってくる。
入学してから半年近く過ぎ、クラス内のグループが完全に定まったこの時期に、ほぼほぼ関わりのないメンバーの中に入るという中々勇気のある行動をした人間にはとても思えない。
何か理由があるのだろう。友達と喧嘩した、とか?
青葉に声をかけた理由も謎だ。
「いいのよ? そんなの気にしないで、修学旅行楽しみましょう」
「うん!」
真昼の底抜けに明るい声に、ハッと我に帰る。深く考え込んでしまうのは僕の悪い癖だ。余計な事など考えずに、今は韓神さんに皆みんなと打ち解けて貰おう。
修学旅行は集団行動やら規則やらが面倒なんてイメージがあるが、僕はそういうイベントは心から楽しむタイプだ。帰宅部はイベントに消極的などという偏見はゴミ箱へ捨てて頂きたい。
先生から各自渡されていたプリントを、真昼が集めて全員分に記名しようとする。
「じゃあ、このメンバーで決定と、プリントに名前書くわね……痛っ」
「真昼?」
紙を立てて手慣れた動作で端を揃えた真昼が、突然手を離して紙が机の上にばら撒かれた。黄栗が手を覗き込むと、真昼の右の人差し指は線のように少しだけ薄紅色を滲ませていた。
「あらら、結構切れちゃってるね」
「私絆創膏持ってるよ」
「ありがとう、でもこれくらい大丈夫よ」
指をさすってニコリと微笑む真昼に強がりは感じられなかったので、本当に平気そうだと安心した。ついでにからかう事も忘れない。
「そそっかしいなあ」
「うっかりしてたの」
「じゃあ、プリントは僕が書くよ」
「別に平気よ」と言いながら、プリントを僕に渡してくるあたり、真昼は本当に素直な性格をしていると思う。
正面でりんごジュースをすすっていた赤暮が、ニヤリと笑って僕に「じゃあ班長は朝陽な」と言った。
「は? 何を藪から棒に」
「いいじゃん、朝陽なら部活とかなくて暇だし」
「多分、そんなに仕事も多くないですよ」
予想外の方向からも支持が来て、いよいよ断りにくくなったが、確かに他の部活で忙しいメンバーよりも適任なのかもしれない。
「はあ、仕方ないなあ」
類は友を呼ぶと言うが、随分と濃い面子ばかり集まった。それをまとめるのは一苦労だが、満更でもない自分がいた。
何はともあれ、ケラケラと楽しそうに笑いあえるこのメンバーなら楽しい修学旅行になるという、確信めいた予感がした。