4 仕込まれた呪詛
「先輩、西海放送からなんか荷物が届いてます。」
ある日の夕方、報道フロアに小包を持った井川トオルが入ってきた。
特別有休となった3日分の業務は後輩の井川トオルが対応したものの、案件はいくつか残り。当の榊守本人といえばただただ忙殺されていた。
別件で動いていたドキュメンタリー企画のスケジュール調整のやり直しも発生して、関係各所に相応に心配されながらも再調整と取材調整を行うと、通常のニュースでの放送スタッフとしての対応や、日々入ってくる事件事故などの報道対応や、素材のVTR編集なども溜まっていたので、久しぶりの忙殺感をひしひしと感じていた。
葬儀からは約一週間経ったが、榊は神楽達との連絡は行っていなかった。忙殺で連絡もできなかった事も最大の理由だが、榊自身も心なしか、神楽から距離をとっていた。葬儀を通して、入ってきた情報は大きすぎたのだ。
いや、むしろ濃すぎたと言うべきであろう、あそこまでの高濃度且つ複数の情報をキチンと処理しておかないと、今後神楽達に会うのは難しいとも思っていた。やはり親戚のいる状況であるからこそ、得た情報量も多いのかもしれないとも感じていた。そういった内容もいつもの黒い手帳に書いていたが、今回は内容も多く、目で見ている限り情報が雑多になっている。手帳の内容は半分は雑メモのような状態なので、定期的な整頓が必要になる。整頓となるとあそこへ行くべきだが、時間も緊急性もないな。ただ、そんな収穫があったと感じている一方で、榊守自身は何とも言えぬ感じだった。虚無感のような虚しさを感じていた。
榊はため息をつきながら取材原稿をまとめていた。
――やはり一人では何も思い出せないようね
大叔母の柏香織に言われたその言葉は、悔しさよりも虚しさの方が強い。別に何度も自分の事実を知るために戦っていたわけじゃなければ、今回ああやって面を向かい合って話したことはかなり少ない。ただ早すぎたというわけでもなく、遅すぎたとも思っていない。その一方で槍の事を訊こうとしたのは確かに早計過ぎたと感じている。
そんな忙殺を過ごし続けて更に数日が過ぎたある日の夕方、報道フロアに小包を持った井川トオルが入ってきた。今日はニュースの担当ではなく、机に積まれた仕事も終わって終業まで時節ネタのニュース原稿でまったりしていた榊は井川の荷物を片手で受け取る。少し前に始まったばかりのレターパックと呼ばれる郵便で届いた厚紙の頑丈な封書には、『西海放送 報道局 山口真理子』と書かれており、荷物の中身は光ディスクと書かれていた。
「ああ、待ちに待ってた奴だ。ありがとう。」
榊は外観だけ確認するとそのままカバンに入れる。
「待ちに待っていたって、なんか頼んだんですか?」
「ちょっと個人的なことでね。西海は地元の系列局だしな」
榊は内容については特に言わなかった。
「山口真理子って記者聞いたことないですけど……、新人ですか?」
「いや、俺と社歴は同じくらいだ。確か奥山真理子と言う名前だったと思う」
「西海放送の奥山ですか……。結婚したか何かで?」
「だったらしいね。」
榊はそのまま鞄を持って立ち上がった。
「じゃあ、今日は先に失礼するわ。」
榊はそのまま会社を出た。
家に帰ると、先に帰ってきた理彩が夕食の準備をしていた。
夕食を十分に食べ終わると、榊は自室に入って、届いたディスクを自前のパソコンにインストールされている編集ソフトに取り込んだ。数分程度の処理が終わると、編集ソフトの素材フォルダに西海放送で見た祖母の顔が写った。
仕事柄というわけではないが榊自身も、趣味で映像編集を行う事がある。学生時代もよく知り合いの軽音部の演奏を録画しては光学ディスクに焼いて渡していた経緯がある。
少し倍速で流して問題の箇所の確認に入った。他の部分は少しまとめて、後日実家に送ろう。親父達も喜ぶだろうと判断していた。
スピーカーに切り替えて、問題の箇所の内容を聞いていると、理彩が部屋に入ってきた。
「お祖母様、このときは元気そうだったのね……」
理彩はチヨの映像を見て少し身を震わせた。過去に会わせたのは数回程度ではあったが、認知症になる前もよく話しはしていたとのことだ。
部分的なクローズアップで山口真理子の質問が入っている。
『狛江谷の大火事のことは知っていますか?』
『――――』
「これがその言ってた謎の音声?」
「ああ」
理彩がそばに合った榊のヘッドフォンをパソコンに繋いで該当箇所をキーボードで聞いてみる。
「確かに何かを言っているみたいで変ね。これって無修正?」
「そうらしい。山口の話では取材用のHDCAMテープからそのまま抽出した正真正銘の無圧縮を光ディスクに送ってくれたんだ。」
「なるほどね……」
編集ソフトの音声を何度かリピートして聴きながら、理彩は腕を組んで考えていたが、ふと何かを思い出したような表情をした。
「ねぇ、この部分の音声って抽出できる?」
「出来るけど。どうするんだ?」
「共有フォルダにあげてくれる。私の方で解析できるかも」
榊は選択した領域をWAVファイルに変換する準備を始めると、理彩は榊のパソコンの傍にあるもう一台のパソコンの電源を入れた。
これは理彩が使っていたパソコンで、学生時代に榊が相談を受けて組み上げた物だ。卒業した後も何度か中身のスペックは変えたが、中には学生時代に研究していた音響解析のソフトウェアが大事にインストールされていた。
変換作業は完了まで時間は掛からなかった。できあがったファイルはそのまま、ネットワーク上にある共有フォルダを備えた外部ストレージに保管しておいた。複数台ある環境なので、データはもしもの為に、NASを用いてデータを保存している。局ほどの仕様と規模ではないが、写真や動画などのデータを保存出来るよう、容量にはかなりの自信を持っている。
「ファイル、共有にあげたよ」
榊の合図を聞いて、理彩は慣れた手つきでファイルを呼び出した。WAVファイルで保存された音声データに対して、声紋分析を掛ける。音声ファイルは周波数と時間によって分類され、その強さを色によって表示する。
「音声はこの部分ね。さすが放送用業務機ね、音声は48kHz/20ビットだったら、CDよりは細かいわね……。」
画面を見ていた理彩は少し気になることがあった。
「この音声波形で見るとちょっと変。本来波形の波ってひと繋ぎになっているから、こんなに細切れになっていることが無くて、細切れの状態だと音声のイズみたいな物を起こしやすいの。」
モニタに出ていた波形は多少理彩の補正がある物の波は途中で切れている物だった。
「ちょっと弄ってみるわ」
30分後には音声データの修正が完了した。
「早いな。」榊は早く終わったことに驚きだった。
「中身としては単純なもので、切れたポイントがわかりやすかったから。一度繋ぎをほどいて、もう一度つなぎ直してみた。」
理彩が波形を見せた。そこには最初に示した波形の途切れたあとがなく一つずつ繋がっていた。
「なるほどね。わかったことは?」
「多分これは、ある1つの言葉をベースにして、音を切り貼りしては、その並べ方をランダムに並べ替えているようであると。幸い、音声のサンプリング周波数が高かったため、内容の細かさが出た分、波形の修正や並べ替えが分かりやすかった」
理彩はそのような言葉を言って、先ほど並べ替えを行ったデータの結果を再生させた。音声はスピーカーから流れた。最初よりはノイズ感がなくなっている。
「この波形、最後の尻上がりの部分、なんか聞いたことのある波形なんだよな。思い出せないんだよな。理彩、分かるか?」
理彩がもう一度聞いてみる。すると、
「うーん。これって、出されている音声が逆かもしれないな」
「ということは、音声波形を逆再生にすればいいんじゃないか」
理彩は、榊守に言われた通りに音声の再生順序を逆に切り替えた。
「じゃあ、この音声を繰り返し再生してみるか。速度はこのままでいい」
理彩がコマンドを叩いて、音声波形の指示を変えた。
榊は理彩からヘッドホンを借りると、それを耳に当てた。理彩に守が指示を送り、再生を促す。音が再生されると、最初に聞いた時にはよく分からない言葉であったが、聞けば聞くほど何かの意味を持つような感じはしてくる。しかし、この言葉の意味は数回聞いてもよく分からないものだと思うが、しかしこの言葉には何か榊守にとって引っかかるものがあるように感じる。これは一体――。
「うーん、この状態ではなんかあんまりよく分からない言葉に聞こえるな。なんとなく、なんか知ってる言葉のような気がするけど、日本語のように聞こえ――」
ふと榊の様子を見た理彩は、榊の様子がおかしいことに気づいた。
榊守は聞いている音源に対して、ずっとヘッドホンを握りしめたままになっていた。しかしその目は開いているものの、どこかよく分からない1点を全く見つめ、反応がなくなって固まっている。
「どうしたの、あなた?」
理彩が榊の肩を叩いた瞬間、榊は急に堰を切ったように興奮し始める。その目は瞳孔が開きっぱなしになり、その息遣いは荒い。
理彩は何か変なことでも思い出したのかと不思議に思ったが、そうではなかった。
榊は急に頭を抱えたまま唸り、うめき声を上げていく。その声は何とも言えない声だった。
「ちょ、ちょっと待って、あなた。こんな時に興奮しなくても」
いや、これは理彩に対する興奮ではない。
「あなた、ちょっとやめなさい。時間も時間だし、近所迷惑よ」
榊守はそれでも止まらなかった。何かになされているような状態で、体をくねらせながらうめく榊は止められなかった。
――これは前にも似たようなものを見たような気がする。
前に藤本医院で見た、意識のない榊守を目覚めさせるために、あの時柏香織に電話したあの時のような状況に近い。あの時は柏香織の指示により、彼女の声がきっかけになっていたが、今回はもしかしてお祖母様の声がきっかけになったのだろうか。
その時見えたのは榊の左腕だった。火傷の跡が外連を起こしうごめいていた。
一体どうすれば……、そう思っていた理彩の横を、突然風が吹き付ける。
いや、それは風ではなく佐山本人だった。佐山が榊の状況を見て、家の中に入ってきたのだ。
「守様、どうしたんですか、これは一体」
「分からないけど、直した音声を聞いた途端、急に暴れ出したの」
理彩が早口でしゃべる。
佐山は榊守が狂った様子を見ながら、何が原因なのかは分からないが、とりあえず止めることを優先した。佐山は榊を一旦抑えると、頭に手を当て、いくつか思い当たる呪詛を唱えてみることにした。
しかし、佐山の呪詛はすぐには榊守には効かなかった。精神を高ぶりを抑えるための呪詛というのは、何回か榊守に過去に試した経験もあった。この間の時に出した呪詛を唱えてみても効かない。それが柏香織の呪詛であったか、佐山の呪詛であるかによっても性質も考え方も変わってくるが、これは大元を分析する必要があり、今はそんな時間はない。
とりあえず榊守を止める方法としては一番無難な方法を考えたが、力技になった。やり方としては力技でみぞおちに手刀を当てるぐらいの動作しかできなかった。とりあえず一旦榊を気絶させることにした。
榊守が動かなくなったので、佐山はパソコンのヘッドホンを改めて耳につけて呪詛を聞いてみる。
「この呪詛は、日本語には聞こえない。何かの宗教言語も関わっているかもしれません」
佐山は呪詛を聞きながら、想定できるスタイルのものはわからない。
「そんなにわからない声なんですか?」
理彩が聞いてみる。
「こういった言葉や呪詛の類というのは、家系やそれぞれの神還師の家族それぞれが持っている言葉で異なります。おそらく言葉を調べてみて何らかの意味が分かれば大元はわかると思いますが、多分それを調べるには他の神還師の情報とかも連携しなければいけません」
佐山は理彩に言った。理彩はそのことに対してこう言った。
「なぜ神還師の情報になるんでしょうか?」
「呪詛の唱え方というのは、魔封師とは違います。魔封師はどちらかといえば力技が多いです。だからこそ暴力や武力を使うことが多いです。しかし神還師はどちらかといえばこういう場合は呪詛または呪文といった類のものを使うことの方が基本的に多いため、その言葉の種類や中身というものは、やはり神還師から調べないと分かりません。とりあえずこの音声を一度、香織様に送ってください。あの人なら分析ができるやもしれません」
佐山はそう言うと、玄関からゆっくりと出た。
「あと部屋を荒らしてごめんなさい。後で掃除お願いします。あと、守様への対応は私から香織様に連絡を入れておきます」
と言うと、佐山は扉を閉めた。
それと同じタイミングで理彩の携帯が鳴った。理彩が電話を取ると、電話は柏香織からだった。
「守君のことは聞いたわ。また前と同じように、準備していただけるかしら?」
その言葉を聞いて、理彩はまたハンズフリーのイヤホンを取り出して準備することにした。




