2 過去に対する温度差
「お父さん知ってたの?」
ミキが父親に突っかかる。少し寛三は肩をすくめた。
「神還師や魔封師にとって、四国の榊家というのは、必ず一度は知る存在なんだが、確証はなかった。途絶えたと言われていた榊家の一族が実際にまだいるなんて多分誰も知らないだろう。さっきの菅原さんのように彼が榊家の血筋を組んでいることも知らないだろうし」
寛三は榊を見る。榊は『どうぞ続けて』という表情で、見ているだけだった。
「榊君はどこまで知っているのかな?自分の家系のことを」
榊は茶を飲むと、湯呑みを置いてちらっと柏香織をみた。その表情は落ち着いていた。
「私が知っているのは、祖父と曾祖父の間に血のつながりはないということ。その曾祖父も戦後すぐに若くして亡くなっているのでその事実だけが単純に『榊家は途絶えた』として駆け巡ったのでしょう」
「……なるほどね。」
寛三も茶を一口飲む。
「じゃあ、私が知っている榊家の話をしよう。その話には、神楽家にも少なからず関わってくる。煙草失礼します。」
寛三は煙草に火を付けると、近くの灰皿にトンと吸い始めの灰を落とす。
「まず榊家の始祖は榊燕鏡という女性が創始したといわれているが、その創始に関わっているのは、京で活躍していた封還衆の玄条という僧侶だった。」
「玄条って……その名前」
「ウチの寺の名前、玄条寺と漢字が一緒だな。玄条寺を建立したのは玄条本人ではなく、その弟子である円挙が建てたものだ。」
「じゃあ、榊家とはつながりがあったってこと?」
ミキが榊を見るがその表情に変化はない。
「そうは言うが関係は皆無だ。ミキも知っての通り、玄条寺自体に家系たるものは存在しない。我々は別だが。玄条寺自体、昔から不思議なものが見える子供たちを引き取る孤児院的な側面が過去にはあってね、円挙にも子供はいなかった。神楽家も祖父と曾祖父には血のつながりがなかった。だが神還師としての能力はどの時代でも持ち続けていた。そのあたりが血縁関係にこだわる榊家とは大きく違う。」
たまった灰を灰皿に落とす。一息吸うとさらに続ける。
「で、本題の榊家だが、ある代に、双子の兄妹が生まれた。本来ならそのまま封還衆として受け継がれるはずだったが、その兄妹は兄が神還師・妹が魔封師に別れたとされる。その理由は不明だが、そのことで本家が二つの家系に分かれた。神還師は本家の榊家が受け継ぎ、魔封師の家系となったのがこちらの柏家だ。以降両家がお互いの長所を利用して本来の封還衆の業務に携わるようになったが、以降は榊君の言うとおりで、戦後榊家に跡取りはおらず、新興の榊家となり、本家の血を持つ柏家の方が力を持つようになった。その関係性が今もこうやって続いたんでしょうね。」
「それだったら、榊家も神楽家の様に能力を持った人を養子にするとか手はなかったの?」
「それは出来なかっただろうな。」
寛三が2本目の煙草に火をつけた。
「榊家が直系の能力者にこだわったのは、榊家と柏家が元々内川町の地脈の乱れを代々守っていたという理由もある。そういった話は神還師にとってまあ、珍しい話ではない。土着の神還師にはよくある話で、近年はフリーランスの神還師というのも多くなったから出てくることも少ないが。」
寛三は吸っていた煙草を灰皿で消すと、柏香織を見た。
「でも、私が気になったのは、何故榊君にはそのような選択肢がなかったのでしょうかね?あれだけの力がある様なら、幼いうちに神環師・魔封師どちらでも選べられたと思うんですがね」
その表情はどことなく落ち着いていた。柏香織が後ろを向くと、煙草入れが置いてあった。
「貴方を見ると吸いたくなったわ。」
その煙草入れから、煙管を出して刻み煙草を入れ、手際よく火を点けた。
「『見る』ことができて『聴く』事が出来る。ここまでの力を持っているのは現状珍しいと思うんですよ。あなた方がいて何故その力をうまく引き出せなかったのですか?」
ほんの一瞬だけ表情が厳しくなったものの、柏香織は静かに話を聞いていた。
「そこに関しては……、と言いたいところだけど、」
小綺麗に吐いた煙は静かに上に上がる。
「今の時点で守君のことに関して話す事は出来ないわ。」
「なんで……!」
声を上げかけたのは神楽ではなく、意外にも藤本由美だった。
その目は普段よりも更に鋭くなっている。
「そこまで彼はバケモノなのですか?」
ミキは柏香織に訊いた。バケモノとは何だ?と言う表情で榊はミキを見る。
「バケモノとは思っていないわ。それに……、」
バケモノ扱いされた榊を見て少しクスッとしたが、柏香織は藤本をじっと見る。その眼には藤本も少したじろいだ。
「話すことには私も賛成なの。彼の年齢を考えてもそろそろとは思っていたけど。ただ、今話すには、条件として足りないわ。」
「条件とは?」
「彼自身が条件よ。」
香織は榊を指さした。
「あなたたちも、ここ数日の柏と榊、両家の反応にはかなりの温度差があるのは、うっすらとわかっているように思うけど……、今の榊家が祖先を呪われていると悲観するのには理由があるの。その根幹にいるのが守君。この一連の柏と榊の争いの原因になってるの。」
榊守は表情を変えずに柏香織を見る。
「今の榊家にとって、封還衆の一族だった過去は隠したい汚点みたいな物だと思ってる。それは榊家は自分たちの祖先の歴史そのものを否定し続けてるようなもの。」
柏香織が吸っていた煙管の燃え尽きた灰を、煙草入れの灰皿にカン、とたたいて落とす。
「そして榊家は、貴方の過去に関して沈黙を貫くことにしたのよ。そこまで自ら慣習に興味がないというのは、私としても失望したけど、それも時代がそうさせているのでしょうね。」
「じゃあ、柏さん『カイゲン』の時、一体……」
「そこまでよ。」
寛三の言葉をそのまま柏香織はピシャリと止めた。
「これ以上のことは守君次第だわ。」
そして視線は一斉に榊に向けられた。
榊はそれに特に何とも思わず、じっと柏香織を見た。
「……大叔母様、私の態度はこの間言ったとおりです。どっちのこだわりになんか興味はない。ただ、大叔母様よ、榊家の方針について、一つ勘違いしている。うちの親は別に榊家の過去を頭から否定していない。神還師という職業も、魔封師という相対する仕事もな。」
「じゃあ何が、ここまで拗れさせたのかと言えば、やはり事実を隠したことなんだわ。いや、柏家は事実を隠しているつもりはなくて、私の傷の事実を隠したことや、記憶が欠落していることも条件としてちょうど良かったんだろうな。だからこそ、気にしているのは、このわけのわからん左腕だけだ。こいつを戻すことが一番の関心だ。」
榊は言葉の後で少し息を吐く。
「私がここに来た理由は一つだけ。この槍が見たい」
榊は英介からコピーしてきた写真を柏香織に投げると香織の目の前で止まった。
それは昨日見た胴着姿の祖父の写真だった。香織はその写真を懐かしい物を見るような目で見ていた。
「旧内川町有形文化財の由玄寺十文字槍。榊家に伝わる精神の礎で、実家の建て替えの時に爺様の法具類のいくつかはそっちが管理することになったはずだ。簡単な法具は昨日も見たが、その槍だけはわからない。あんたらの言う争いの原因ならば、私はその槍にこそ理由があると思うがね。」
柏香織は手に持っていた煙管を座卓の上に置くと、ため息をついた。
「……まだ足りない。やはり一人では何も思い出せないようね。」
その対応に榊は少しアレ?と感じた。その声には一抹の悲しみみたいな物を感じたからだ。
「とりあえず今日はここまでね。槍については、見せてあげたいけど単純には見せることは出来ないわ。これも貴方次第ね。」
柏香織は写真を榊に返した。
「そういえば神楽さん、要蔵さんはお元気かしら?」
「残念ながら、父の要蔵は5年前に亡くなりました」
「そう、年をとるのは嫌ね、別れが多くなるから。」
「あなたの父要蔵さんと初めて出会ったのはもう70年も昔。私はまだ幼かったわ」
煙草入れの引き出しを引くと、古い書類入れが出てきた。
「神楽家については噂は聞いたことがあったわ、でも実際に会うのはその時が初めてだった。だけど出会った時と場所は最悪だったわ」
「父が貴女とお会いしていたことは知りませんでした。戦前・戦時中は今の不動産業ではなく個人貿易を行っていたと訊いています。」
「私が会ったときは、上海だったわ。」
「そうでしたか」
「初めてお会いして以降、何度か絵葉書をもらったことがあるの」
数種類の彩色絵葉書には上海・ハノイ・マレー・サイパン等の白黒彩色があり、表には近況を書いていた。
「初めて見ます。こんなのを送っていたとは…」
「まぁ、これらのいくつかは、守君の曾お爺様の榊玄徳宛の物もあるわ」
「曾爺様が?」
「神楽要蔵と榊玄徳は当時同じ大学の出身なの。分け隔て無い親友で、上海の話も私が行けたのは、相手に要蔵さんが居たからなの。彼なら大丈夫だろうと旅の心配をしていなかったわ。私が戦後に結婚して以降はそうそう送られることはなかったわ、色々と時代を過ごしていたんでしょうね。」
ここで柏家での話は終わった。午後も少し過ぎ夕方になりかけていた。帰りの車は全員が静まりかえっていた。
榊が実家まで戻ると、そこで解散となった。神楽達は休みの間を利用して葬儀に来たため、月曜日からは普通の生活が待っている。一方の榊は会社からの特休のため、もう一日実家で過ごす予定だった。
東里に戻る神楽達を見送るとき、沈黙を破ったのは神楽寛三の方だった。
「榊君、また続きは東里で訊くとして……、」
榊は寛三の質問に少し身構えた。
「我々、神還師の間で榊一族のことではまだ続きがあるんだが……」
寛三は榊をじっと見る。
「榊家の後継は居ないのは有名な話で、君のお祖父様がその灯を絶やさないように頑張っていたのも知っていた。だが、今から約20年ほど前に能力を持つ榊の正統な一族と言うものが現れた。」
「ただ、どう出現したのかという情報はなかった。君たち柏家や榊家というのはさっきも神還師の管理団体の人が言ったように、国が整備した神還師の制度には原則参加しておらず、その活動や行動は秘密扱いで全く解らなかった。」
榊は視線を寛三に向けたままだ。
「ま、そこから先は東里で話そう。」
寛三は車に乗り込むと。エンジンを始動し、そのまま榊の実家を離れた。
榊は、マナーモードにしていた携帯電話を取り出した。画面を見ると留守番電話が入っていた。留守電は西海放送の山口真理子からで、先日訊いた、祖母の取材について、どういった事をしていたのか説明してくれるそうだ。
榊は再度携帯電話で、山口に連絡を入れると予定時間だけを伝えて、電話を切った。
東里に向かう神楽不動産の車内では、相変わらず沈黙が続いたままだったが、高速道路に入ったところで最初にしゃべり出したのは、助手席に座った神楽ミキだった。
「何か中途半端に終わった感じがするな……。」
藤本は窓の外の景色を眺めていた。
ミキはその状況に少し不服だった。ミキはそのままカーナビのオーディオのスイッチを入れるとCDに切り替えてボリュームを上げた。けたたましいロックが社内を流れると藤本は一瞬ドキッとしてミキを見た。
「ああ、ごめんなさい」
藤本は心ここにあらずといった感じだった。
「なんか変だよ二人とも。アイツの過去が解り始めた途端に何か沈んでるんだもん」
ミキは少し心配した表情だった。一人だけ知らない事への気の紛らわしと感じる部分も見えていた。
「まぁ、色々とそこの部分には面倒くさい話と理由もあるんだ。」
寛三はオーディオのボリュームを少し落とす。
「さっき榊君に話した、榊の正統な一族の話というのが、眉唾半分でもある他に、少々血生臭い話もあってな……」
「血生臭い話?」
ミキが寛三を見ると、寛三は目の前の道路をじっとみていた。藤本は窓の外を見ていることに変わりない。そして寛三はポツリと話し始めた
「榊家の正統な一族の話が出た頃といえば、昭和から平成に変わる改元の前だった」
「さっき言っていたカイゲンって、元号が変わる改元の事?」
「そうだ。歴代天皇で最長の在位期間と言われているな。病気になって宮内庁病院で治療を受けている間、全国の地脈の安定は大きく下がり始めた。」
「崩御によって地脈の安定性が急激に下がって、そこから全国的に迷い神が一気に発生する現象があるのよ。一般的に崩御から即位の礼までの約1年間喪に服すため、その間の力の平定は保たれる保証がない。」
藤本が注釈した。
「そういったことによる地脈の安定性を欠くような事態は過去にも何度も繰り返された。その時毎に、我々のような神還師や魔封師達によって、程よく抑えていきながら次の世継ぎに向かって粛々と動いているモノなんだ」
「そして、神還師や魔封師はその迷い神の対処に忙しい時期だった頃、ここからがその血生臭い話だが、榊君の地元のあの内川町で、ある神戻しに失敗して、暴れ神によって関係者も命を落とした。」
「関係者?」
ミキが事の大きさに息をのむ。
「なぜその関係者のことを気にするのかについても話しておくと、20年前、東里の審議会から修行研修の名目で内川町の柏家に派遣された者がいる。名は言えないが、亡くなったのはその東里の人間なんだ。」
「え?」
「暴れ神の事故なんて実際には証拠や物証にはならない。ただの死亡事故という扱いもあるんだが、それがもっと面倒くさいことになっているのが、亡くなった関係者の遺体はいまだに遺族に返還されていないことだ。それを隠したのが当時その榊家の正統な一族をフォローした柏家とされる。」
「そんな……」
神楽達の乗る車の横を追越車線から車が何度も横切る。車のメーターは時速90キロを指している。
「20年前、突然現れた榊の一族というのは榊守、ほぼ彼で間違いはない。だが彼にはその活動の記憶に覚えがないこと、更に過去のことを彼の両親は何も話そうとしない。その記憶が無いということは、彼は20年前に彼しか見ていない、何か隠された真実があるんだろう。多分それは命を落とした関係者にかかわる事。彼は、一番知っていると思っていたが、今回のことで思ったのは、彼はわざと忘れたふりをしているわけではなく、強制的に記憶を失っている可能性もある。」
「強制的に?」
「だからと言って、彼の対応はといえば、そんな過去を持っているようには全く見えない。見えないというか、その素振りもない。それでも疑問に思うのは彼の見せる技の数々だが、アレについても実際に見たのは、お前が鉄砲町で見た以外誰も見ていないからな。」
「お葬式の時に見せたのは?」
「あれは多分、彼らに伝わる『弔いの奏上』だと思うけど、実際に見たのは初めてだからよくはわからん。」
「――アレが弔いの奏上?違うわ。」
藤本が二人の会話に割り込んだ。
「昔、私もあれ聴いたけど、あれは本人が覚えていた何かの呪詛だと思う」
「――そうか」
また車内を沈黙が覆った。その沈黙に押されて、神楽ミキはなぜ藤本が榊の呪詛を知っていたのであろうかわからなかった。外はいつのまにか夜となり、目的地を伝えるカーナビが到着予定時刻が深夜0時を指していた。




