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後日譚。白金の娘と、美味しいごはん。肆

 果物で作った酵母と、粉を混ぜ合わせ、更に発酵を待つ。

 状態によっては何日もかかる工程だが、焦って全てを台無しにする訳にもいかない。

「うまくいくと良いなぁ……」

 ラティナは、天属性と冥属性のそれぞれの魔法で、温度を上げることも下げることも対応出来る。持ちうる能力の全てを、ラティナはこの作業に費やしていた。


 それくらい、のめりこんでしまうほど、食事事情は切迫していたし、する事が無さすぎて毎日がしんどかったのである。


 数日を経て、無事にパン種が膨らんで来たのを見たとき、ラティナは歓喜の舞いを踊った。相変わらず彼女にリズム感はなかった。

 クロイツで作った酵母よりも、発酵の力は弱いようだった。クロイツでは当たり前のように手に入る果物も、ヴァスィリオでは見ることすらも出来ない。小麦粉もまた同様で、異なる材料を使うと料理の成功率は大きく下がる。

「でも、ちゃんと膨らんだし……発酵してるから、なんとかなってるかな」

 呟きつつ、粉とパン種を混ぜ合わせる。

 弱い発酵を強める為に蜂蜜を加え、レシピを思い出しながら塩も足す。

「ふん、ふん♪ふーん♪」

 混ぜる。べたべたする材料が、混ぜるうちにまとまっていく感触が楽しい。思わず鼻歌が出た。

 つるりと丸めて、乾燥しないように濡れ布巾をかける。気温の高いヴァスィリオでは、室温でも充分の温度が保てるように思い、ラティナは様子を見ることに決めた。


 その間に、鍋磨きの際に目星をつけた厚手の鍋を引っ張り出した。調理場で働く下働きたちが、ラティナの行動にどうして良いかわからない顔をしているが、ラティナはそれには気付かない振りで押し通した。

「焼き釜から作るのは、さすがに無理があるものなぁ……」

 ラティナの独り言が少々多いのは、彼女を『姫君』扱いをする侍女や下働きの者が、親しげに語りかけてくることも無いからである。シルビアやローゼは忙しいので、自分の退屈ばらしに四六時中付き合わせる訳にもいかない。現在のラティナは、会話をする相手がだいぶ限られているのであった。

 焼き釜が本当に必要ならば、ラティナ同様、現在まともな仕事の無いデイルあたりに頼めば、不可能ではないかもしれない。だが、残念ながらラティナは、焼き釜の詳しい設計を知らなかった。

 その為、見事発酵して数倍の大きさになった生地を、複雑な成形もせずに、数等分に分け、各々丸めるに留める。鍋の中に等間隔に並べた。

「蓋をして……後はじっくり焼いてみる……」


 ラーバンド国のような魔道具が無い厨房は、勝手が異なり扱い難い。

 ヴァスィリオの厨房には、まともな、かまどすら無いのだった。

 どうやって調理をしているかと言えば、『火』属性を持つ者が加熱調理を行い、『水』属性を持つ者が水瓶に並々と水を満たしている、といったように、魔法属性に応じた分業制となっているのである。

 それはすなわち、調理の技術を持っているから調理場で働いているというよりも、『火』属性の魔法適性を持っているから、この場に配属されているという面の方が大きいと言うことでもある。

 ヴァスィリオでは、市井の人びとも、各々の家庭で調理はせず、加工された食品を用いて食事にしているのだった。それも、この土地の環境が影響している。近くに森や林の無いこの土地では、人間族と同じような生活をすれば、燃料とする薪も不足してしまう。ヴァスィリオで、最も安易に得られ、安定している『燃料』は、『魔力』なのである。


『火』属性を持たないラティナには、加熱調理すらままならないのだった。先日のクレープもどきを作った時は、魔人族の下働きを問答無用の勢いで捕まえたのだが、今回は弱火でじっくり焼き上げたい。他人を長時間拘束するのは、少々申し訳なく思う。

 だが、ラティナはそれくらいでは諦めなかった。

「ヴィント、出来る?」

「むー……」

 忠実たるわんこをこの場に召集したのである。


『踊る虎猫亭』では、基本的にヴィントを厨房で遊ばせないというスタンスのラティナであるのに、もうなりふり構っていなかった。


「我が仔は、『火』の魔法はあまり得手としておらぬぞ」

 珍しく言い淀んだヴィントの姿に、ハーゲルが助け船を入れる。

「そうだったの?」

「『かぜ』まほーなら、へいき」

「『風』魔法はそのようなことも無いのだが、『火』は、細かな制御が出来ぬようだ」

「どかーん、する。できる」

「それはダメ……」

 困った顔をしたラティナに、ハーゲルは何でもないように提案する。

「我が請け負おう」

 その尾は、父仔共に、ぱっふぱっふ揺れていた。

「ありがとう」

 笑顔となったラティナが、いっぱい撫でてくれるという期待に、尾が更に激しく揺れる。何処からどう見ても、褒められるのを待っているわんこであった。


 そして、世にも珍しい、幻獣によって焼き上げられた、ラティナ謹製のパンが完成したのであった。


 蓋を開け、こんがりと焼き色の付いたパンが姿を現す。遅れて熱い湯気と香ばしい香りが漂った。

 小麦を使っていない為、香りは少し思っていたものと異なる。それでも、思っていたよりも良い出来に見えた。

「とりあえず、味見……」

 熱々のパンを、火傷に気をつけて取り出す。手で千切るには少々固い。ナイフで一切れ切り出し、口に運ぶ。

「んー……」

 もちもちと噛む。予想していたよりも、もっちりした重みのある生地だった。酵母の香りが嗅いだことの無い香りなので、少し不思議な感じがする。

 シルビアに貰った牛酪を少し多めに塗る。熱いパンにあっという間に溶け、吸い込まれるように消えていった。

「パン、だぁ……っ」

 涙が出た。

 主食というものの重要さを痛感した。


「粉が違うから……もしかしたら、冷めたら硬くなって食べられなくなっちゃうかもしれない……」

 そのことに思い至ると、ラティナは、もういてもたってもいられなかった。

 焼き上がったパンを抱え、デイルと親友の元に走ったのである。


 やはり、下働きの者たちにとっては、奇行にしか見て取れない行動であった。

 そして余談ではあるが、この後魔人族の下働きの間に、『人間族の文化』として、妙な曲調のメロディが流行した。原因は明らかである。だが更にそれを聞き留めたデイルは、

(ラティナに問題があるんじゃなくて……魔人族のリズム感が独特なのか……)

 という失礼にも程がある勘違いをするのであった。彼の思考の中からは、すっかりグラロス(以前会った奏者)のことは抜けていた。


 鍋いっぱいのパンは、予想を越える勢いで無くなった。


『主食を噛み締める』という当たり前の行為が当たり前ではない状況になっていた為、久しぶりの感触に一同は夢中になったのである。

「凄いねラティナ……作っちゃうんだもんね……」

「パン美味しい……」

「本当、久しぶりだなぁ……こういうの……」

「サンドイッチにしてみるのとか、どう?」

「……挟める具が……無いよ……」

「いっそ、自分で何か狩って来た方が、まともなもん喰える気がするよな……」

 牛酪と蜂蜜だけで、充分な『ご馳走』だった。比喩ではなく、毎日の食事を振り返れば致し方ない感想である。


 夢中になってしまっていたが故に、大きなミスを自分がしていたことに、ラティナはこのタイミングでようやく気が付いた。

 お腹がくちくなって、やっとのこと意識をそこに向けることができたとも言える。


「酵母全部使いきっちゃった!」

 パン種も同様に、使いきってしまった。

 再びパンを作る為には、最初から同じ工程をやり直しである。流石のラティナも、目に見えて凹んでいた。再びパンを口にするためには、数日単位の工程を経る必要がある。

「……クロイツ帰る……」

 初めて本気の『帰りたい』がラティナから漏れた瞬間であった。



 一連の話を聞き終えて、ケニスは微妙な顔でラティナを見た。

 彼女は再び、パンにジャムを載せる作業に夢中になっている。

 ジャムに固執するのも、甘党のラティナが甘味絶ちを強いられていたからだと思えば、同情どころでない切ない感傷に満たされる。

 ケニスは一度二人に背を向け、手早く一品を作り、ラティナの前にそっと差し出した。

「わあぁぁぁぁっ」

 ラティナから、思った以上の歓声が上がる。

 新鮮な卵と牛乳を使い、たっぷりの牛酪でふんわりとろとろに焼き上げたオムレツは、彼女の大好物なのである。

「美味しい……たまご美味しい……」

「良かったなぁ」

 ラティナが幸せそのものな笑顔でオムレツを頬張り、それを見るデイルも非常に幸福そうな顔になっていた。


 未知なる国家の妹姫と世界規模の英雄である。

 その二人が嬉々として囲む食卓には、ごくごく普通の『当たり前の料理』が並んでいるのである。

 ケニスは、自分の作るものに喜んで貰えるという事実に喜ぶ前に、なんだか涙が出そうな心情になった。


 その日以降、しばらく『虎猫亭』の食卓には、必ずラティナとデイルの好物が添えられるようになったのは、ケニスのささやかながらの心遣いなのであった。


活動報告にて、書籍版5巻表紙イラストを公開しております。だいぶ大人っぽくなった『娘』でございます。

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