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終結

「ブレインに取り憑かれている私の妻は、現在東○ディ○ニーランドにいる」

 ミーティングルームに改造された地下室で、田島一期は川越の地図を広げた。

「残念ながら諸々の事情で、ディ○ニーランドでは奴を追いつめられない。これは私が伏せ字を使っているということから察して欲しい。なので私がブレインをここ川越までおびき寄せる。君は奴が時の鐘に夢中になっている隙に奴を……妻を……殺すんだ。いいかい」

「あの、祐介のお母さんを殺すことに同意した覚え無いんだけど」

「君に拒否権はないんだ、光君。もはや私たち三人以外は全員カヅテによって洗脳されているだろう。で、殺す方法だが……」

 光の抗議を受け流して話を進めようとする一期だったが、光も今回は黙ってはいなかった。

「ならあんたが殺せばいいだろ!」

「それは無理だよ、光」

「そうだ、私たちには不可能だ」

「なぜ!!」

 一期はため息をつき、それっきり口を開かなくなった。祐介もそんな父親の様子を見てしばらく迷っている様子だったが、やがて一期が祐介を見て頷いたことでようやく口を開いた。

「母さんは……いくら洗脳されて中身がそっくり入れ替わっていたとしても、それでも、僕らの唯一の母さんなんだ」

「祐介……」

「それに何より、無理なんだ。父さんや僕は母さんに勝てない。逆に殺されちゃうよ」

「あ?」

 理解できない光に、一期が付け加えるように言った。

「つまり、かかあ天下ということだ。妻と私たちには圧倒的な力の開きがある。二人でかかってもおそらく一蹴されるだけだ」

 光は今度こそ目の奥が痛み始めた。大の男二人が同時に襲いかかっても簡単に蹴散らす専業主婦って何者だよと思う以上に、

「それじゃあ俺がやろうとしても結局無理じゃねーか!!」

 光は自らがいかにすべての物事において普通であるかを自認している。勉強、運動、顔、テンション、すべて普通であり、際だったものは何もない。実は運動に関しては祐介の方が上だったりもする。つまり、祐介が無理なら光にもできるはずがないのだ。

 しかし、一期は自信ありげに「大丈夫だ」と答えた。

「あのクソババアは外っ面だけは清楚で貧弱な主婦を演じている。君みたいなご近所さんであれば特にな。そして、清楚で貧弱な主婦を演じている間はその力も封じられる。その隙がチャンスだ。君は妻とデートし、妻が清楚で貧弱な女性を演じていて、かつ時の鐘に目を奪われている間に、無防備に晒されている喉をかっさばくんだ」

 一期はポケットからリモコンを出し、その中の一つのボタンを押した。床から円柱のポッドがせり上がり、その中にはカーボンのような黒さのベレー帽や眼鏡、杖が納められていた。

「これは?」

「私が独自に作った田島スタイルアイテムだ。これならカヅテの洗脳は受けず、それでいてカヅテに洗脳された人間には仲間と認識される。これで安全に作戦を遂行できるだろう」

「父さん、僕の分は?」

「お前はもう特注品を持ってるだろう?」

「あれそうなのか……残念」

「あの、俺そのアイテム身につけたくないんだけど」

 一期は光の言うことを理解できないらしく、「んー?」と考えた後、ぽんと手を叩いた。

「もしかして、色か? 安心しろ、これ以外にもカラーリングはたくさんあるから、好きな色を」

「いやだから、こんなダサいもの身につけたくないんだって!」

「どうして」

「だってクソダサいじゃん!!」

 一期はダサいと言われたことで驚いた表情をした。

「珍しい人もいるもんだな」

「珍しくない! それが普通なんだよ!」

「まあそう思うのは自由だし、別に身につけないで作戦を実行しても良いが、たぶん死ぬぞ?」

「そうだよ、案外すぐ慣れるよ」

 光は意地でも田島スタイルを身につけない為にここまで来たのだが、ついに「田島スタイルか、死か」というところまで追いつめられてしまった。田島スタイルは死ぬほど身につけたくないが、かといって死にたくもない。

「わかったよ、身につければいいんだろ」

「わかってくれると信じていたよ。カヅテの影響力は日中は弱まる。今ゾンビ化している人たちも朝になればただの田島スタイル狂信者に戻るだろう。今晩はここに泊まって、明日の朝から作戦を実行するとしよう」



 次の日の午前十一時、祐介は一期が呼んだ母親を川越駅まで迎えに行った。

 川越駅は休日の昼間ともあってかなり人が多かったが、祐介の母親は簡単に見つかった。

「やあ、おかえり母さん」

「ただいま。……ハゲは?」

「父さんのこと? 父さんは家にいるよ。ちょっと今手が放せないらしいから、僕が迎えに来たんだ」

 どうやら祐介の母親は一期のことをハゲと呼んでいるらしい。光は偶然に見えるタイミングを測るために陰からその様子を窺っていたのだが、はたしてその呼び名は母親とカヅテのどちらが言っているのだろうかと気になった。

「人にいきなり帰ってこいとか言っておいて迎えにも来ないなんて……あのハゲ帰ったらぶっ飛ばしましょう」

「まあまあ……」

 光が隠れている横で、一期が身震いする。

「よ、よし、さくせんかいしだ」

 一期が無線越しに祐介に指示を出す。祐介や光は右耳に小型のイヤホンを付けており、光はばれないのかと心配になったが、祐介が母親の右側の位置を守りながら歩いていることもあり、なんとか気づかれずに済んでいるようだった。

 祐介が後ろ手で人差し指で地面を指し、「OK」の合図を出した。祐介が母親に何事か話し、蔵造りの町並みへと歩いていく。

「よし、我々も行こう」

 と言って、一期はマスクをつけた。

 しばらく歩くと徐々に街の様子が変わっていき、蔵造りの街並みが姿を現した。

 事前の打ち合わせでは、祐介は母親を菓子屋横町という通りまで連れて行き、そこで光が二人と落ち合うということなので、光は一足先に菓子屋横町へ行って駄菓子をひやかしつつ、二人の到着を待った。

 それにしても、と、光は周囲の客や店員をながめた。

 昨夜はゾンビのようだった人々も、こうして日中に田島スタイルをして外に出てみれば、表向きは普通の人間である。光は本当に人々が洗脳されているのかと疑ったが、ここでベレー帽をはずしてまで確認しようとするような度胸は持ち合わせてはいなかった。

『光くん、もうすぐ二人がそちらへ向かうぞ。準備してくれ』

 右耳のイヤホンから一期の声が聞こえてくる。耳元で男に囁かれているような感覚は気持ち悪くて仕方がなかったが、一期も大きな声は出せないので仕方がない。光はOKのサインを出し、店の中で待機した。

「あれか?」

 逆光気味であまりよく見えないが、二人の男女が歩いてくるのが見える。光はいよいよと思ってベレー帽の位置を調整し、あくまで自然にと意識しつつ店の外に躍り出た。のだが、店の外は少し入る前と変わっていた。

「あら、こんにちは。浅野君」

「こ……こんにちは、偶然ですね」

 結論から言うと、歩いてきた二人は間違いなく祐介とその母親で、聞いていたとおり祐介の母親は自分の前では普通の女性になっているようだった。しかし、彼女の様子が問題ではない。母親の側にいる祐介はからくり人形のように歩き方がぎこちなく、その目は虚ろで地面を見ている。

 さらに、少なくとも光が店の中に入るまでは親子連れや外国人の観光客などでそれなりに賑わいを見せていたのだが、今はそれらの人々が、神隠しにでもあったかのようにすべていなくなっていた。

「そうですね、本当に偶然」

 祐介の母親は突如男のように低くなった。右耳の中では一期が『逃げろ! 作戦は失敗だ!』と囁いていたが、体が思うように動かない。

「私に洗脳された人間は全員人払いしたはずなのに、お前がまだここにいるなんて、不思議なこともあるものだな」

 祐介の母親は白目を剥き、口調も明らかに変わっていた。祐介と母親のただならぬ様子を見て光も危機感を感じて逃げようとしたが、祐介が首のあたりから見えない縄で引っ張られているような動きで光に体当たりした。

 覆い被さられ身動きがすっかり取れなくなってしまった光の顔の横に祐介の母親がしゃがみ込み、嘘くさい作り笑顔を浮かべた。

 光の位置からは祐介の母親の下着が丸見えだったが、女子高生ならともかく、四十代の色あせたダルダルの下着を見るのはなかなかにつらい。

「はじめまして、私がカヅテだ」

 祐介の母親ーーカヅテーーは、光の顔をのぞき込んで言った。

「あーーーっ、くそっ、離せっ!!」

「祐介から聞いたぞ? 君はハゲと祐介の他では最後の生存者らしいな」

 光は祐介をどかそうとしたが、がっちりホールドされていて動くことができない。カヅテはそんな光の姿を楽しそうに眺め、「なぜ私がこんなことをするかわかるか?」と語った。

「実は、私は生前漫画家だったのだ。神とまで呼ばれ、自分のプロダクションを持つまでになった。しかぢっ」

 カヅテはいい気分で語っていたが、突如後頭部を強打され、横倒しに倒れて気絶した。光を押さえていた祐介も、洗脳されていたせいか糸が切れたように力が抜けて動かなくなった。

「え、豆田?」

 光が見たのは、巨大な麩菓子を構えた格好のまま呆然としている友人の姿だった。どうやらそのバットほどもある長さの麩菓子でカヅテを殴ったらしい。

「いや、あの、お前らがこっちに行くのが偶然見えて、声かけようと追いかけて来たんだけど、……邪魔だった?」



 光は力の抜けて重くなった祐介の体をなんとかどけ、立ち上がって足を手で払った。

「でも、なんで麩菓子で殴ったんだ?」

「なんかあのまま喋らせたら違う問題が発生しそうだと思って無我夢中で……」

「まあ、それは俺も思った」

 光は倒れている祐介の母親がかぶっているベレー帽をつまみ、頭からはがした。ベレー帽の中には何千もの細かい触手がうごめいていて、一本一本がぬらぬらとした粘液できらめいていた。

「うぉわああっ!!」

 光はそれを見て思わずベレー帽を地面に叩きつけ、持っていた杖で触手ベレー帽を貫いた。ぶよぶよとしたベレー帽がもろく砕け、体液が飛び散る。

「ん……あれ? 僕はなにを……」

「祐介、目が覚めたのか」

「はっ……私はなぜ駄菓子屋横町で寝て……あら、あ、浅野くん!? 私ったら息子の友人の前でなんて粗相を……」

 祐介だけでなく母親も目が覚めているようで、様子を見るにどうやら洗脳も解けているようだった。

「やったな君たち! 作戦は成功だ!」

 そう言って建物の陰から出てきたのは祐介の父親である一期だった。

「なにやってたんだよハゲ!」

 どうやら一期は近くで見ていながらなにもしていなかったらしい。光が責めるように言うと、「だってこわかったんだもん……」と、とても成人男性とは思えないような言い訳をした。

「けど、豆田は何で洗脳されてなかったんだ?」

「ああ、それは俺のスペアを貸したからじゃないかな」

 確かに、豆田は自分の田島スタイルアイテムを祐介に借りたと言っていた。祐介のアイテムは洗脳されないための特注品だったので、豆田もそれで洗脳から免れることができたのだろう。

 いろいろと突っ込みどころはあるが、これでようやく普段通りの生活が戻ってくるのだ。もうダサいアイテムを身につけなくても笑われることはないし、光の両親もゾンビに襲われることはないだろう。

 光の最後の「帰るか」という台詞によって、ようやくこの事件は終結した。






「おい、あの子達まだあんなダサい格好してるぞ」

 一人の男性の発言で周囲の目が一斉に光達に向けられ、主婦たちが光達を見てクスクスと笑った。

 光・祐介・豆田の三人は帰る途中に駅近くのマクドナルドで食事をとっていたのだが、どうやらベレー帽をかぶりっぱなしだったようだ。

「また笑われるようになっちゃったね」

「ああ、くそっ!」

 光は身につけていた特注の田島スタイルを投げ捨てたが、杖を持っていた手が妙に手持ちぶさただったのがさらに腹立たしく、もう一回杖を拾って叩き折ってから捨てた。


最後のほう結構なげやりですみません、いつか気が向いたら修正します。

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